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 これは井古綆先生で、読み下しも井古綆先生になります。
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 古希加三偶感

散木空過杖國年、
生來守拙未乖天。
襤褸弊屋誇吾子、
偏使良心抗惡錢。



 
散木さんぼく空しく過ぐ 杖国の年、
生来拙を守って 未だ天にそむかず。
襤褸らん る 弊屋 吾が子に誇る、
ひとへに良心をして 悪銭に抗せしむ。

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・散木=樗櫟散木。材にならない物。
・杖国=七十歳をいう。
・襤褸=ぼろ。
・良心・悪銭=凡人ゆえに必死に胸中の賊と戦っている。


※ 昨今の拝金主義の世情をみて作りましたが、これは落語の‘まくら‘のつもりで 真意は以下の文にあります。

 わたくしは十六歳で田舎から都会へ出てきました。(拙詩「月夜憶友」)当時の住所から毎日神戸へ働きに行き、阪急電車の春日野道(かすがのみち)駅で下車していました。その姿はドラマの「裸の大将」のように晴れの日でも下駄履きで、一目見てすぐ田舎者と分かる 光景だったと思います。それほど貧しい生活でしたが、別に恥ずかしさを感じませんでした。

 ある朝、駅で下車してしばらく歩いているうち、下駄の鼻緒が切れてしまい、仕方なく片方の下駄を下げて 歩いていた所、その姿を見かねた後ろの女性が、わたくしを呼び止めてご自分のハンカチを裂いて鼻緒をすげて下さいました。生まれてから母以外の女性より、このような親切な行為を頂いたことは始めてでした。
  忙しい朝の通勤時間だったので、お礼もそこそこに別れましたが、五十五年以上経った今でも、そのことを思い返して眼を閉じれば、女性の美しい姿が、いやそのやさしい心が目に浮かびます。多分当時の年齢は三十歳前後ではなかったかと思います。人は他郷で受けた恩は、まして多感な少年時代に受けた恩は忘れがたく、常に心の隅に抱いておりました。

 歳月は流れて家庭を持ち、あるときわずかな全財産を注ぎこんで、小さな土地を購入し、現在の家が借家 だったので(拙詩「転居」)将来自分達が住むために家を建てて しばらく借家にいたしました。今から四十年はど前のことです。
  しかし、ものごとは善意でのみ進むものではありませんでした。
                     ---(中略)---
…いろいろなことがありました…。


  このたびは、わたくしが五十年前に受けたご恩を、受けついでいただけませんでした。しかしこのままでは、わたくしが少年時代に受けた、一人の女性の善意が人知れず埋もれるのは、はなはだ 心苦しく、このホームページをお借りして真実をお伝えいたしました。



2007.11.19




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