我不如陶生, 世事纏綿之。 云何得一適, 亦有如生時。 寸田無荊棘, 佳處正在茲。 縱心與事往, 所遇無復疑。 偶得酒中趣, 空杯亦常持。 |
陶の『飮酒』に和す
我は 陶生に如(し)かず
世事 之(これ)に 纏綿す。
云何(いかん)ぞ 一適を得(う)るに,
亦た 生の時の如有らん。
寸田 荊棘 無く,
佳處 正に 茲(ここ)に在り。
心を縱(ほしいまま)に 事と 往かしめ,
遇(あ)ふ所 復(ま)た疑ふこと 無からん。
偶(たまた)ま 酒中の趣(おもむき)を得たれば,
空杯 亦た常に持す。
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◎ 私感訳註:
※蘇軾:北宋の詩人。北宋第一の文化人。政治家。字は子瞻。号は東坡。現・四川省眉山の人。景祐三年(1036年)〜建中靖國元年(1101年)。三蘇の一で、(父:)蘇洵の老蘇、(弟:)蘇轍の小蘇に対して、大蘇といわれる。
※和陶飲酒:陶淵明の『飮酒二十首』に和す(次韻する)。これは全二十首の内の第一首。陶淵明『飮酒二十首』其一の「衰榮無定在,彼此更共之。邵生瓜田中,寧似東陵時。寒暑有代謝,人道毎如茲。達人解其會,逝將不復疑。忽與一觴酒,日夕歡相持。」に次韻した。それゆえ、この詩の詩句を理解するためには、陶淵明詩の含意を以てしなければ、異なったものとなるので注意が必要である。
※我不如陶生:わたしは陶淵明氏に及ばない。 ・我:作者・蘇軾のこと。 ・不如:…に及ばない。しかず。 ・陶生:陶淵明氏。陶潛さん。この表現は陶淵明の『飮酒二十首』其一の「邵生瓜田中,寧似東陵時。」にあわせたのか。 ・-生:他人に対する尊称。
※世事纏綿之:(陶淵明は意にそぐわない官職をあっさり投げ棄てたが、わたし・蘇軾は官職などの)俗事にまとわり続けているからだ。 ・世事:俗事。ここでは、(蘇軾の自身の)官職などのことになる。 ・纏綿:〔てんめん;chan2mian2○○〕まとわりついて解けない。まとわりついて人を惹き付ける。 ・之:これ。作者の蘇軾自身の生活を指す。
※云何得一適:どのようにすれば、同じような叶うたのしみを手に入れられるのか。 ・云何:〔うんか;yun2he2○○〕いかん。いかに。どうして。どうすれば。 ・得:得る。 ・一:同じ。 ・適:かなう。ほどよい。気に入る。楽しい。また、行く。赴く。この詩の叙文の「歡不足而適有餘」に該る。故、ここは前者の意。
※亦有如生時:(どのようにすれば、)あなたの時のような(たのしみを手に入れられるのか)。 ・亦:…もまた。 ・生:貴君。ここでは、陶生、陶淵明氏のことになる。
※寸田無荊棘:心にいばらが無くなるとき。 ・寸田:丹田。臍より少し下のあたりをいう。ここに力を入れると健康と勇気を得るといわれる。 ・荊棘:〔けいきょく;jing1ji2○●〕イバラ。障碍になる物。紛糾した事態。
※佳處正在茲:すばらしさとは、ちょうどそこにあるのだ。 ・佳處:すばらしいところ。 ・正在茲:ちょうどその点にある。
※縱心與事往:(人生も後そう多くはないので)心の趨くままに、事柄の推移(天命のまま、時運の赴くところ)にゆだね、往くようにしよう。 *陶潛の『歸去來兮辭』に「已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。」とある。 ・縱:〔多音字:しょう;zong4●〕ほしいままにする。思うまま。自由自在。また、たとえ。 ・與事往:事柄の推移とともに往く。 ・往:ゆく。(目的地に向かって)行く。
※所遇無復疑:であうことがらには遅疑逡巡しないでおこう。 *(生)老病死の運命を受け容れよう。 ・所遇:であうことがら。陶淵明詩では運命のことでもある。 ・所−:動詞の前に附き、動詞を名詞化する。 ・無復:絶対に…ない。 ・無復疑:少しも遅疑逡巡しない。陶淵明『飮酒二十首』其一「達人解其會,逝將不復疑。」を指す。
※偶得酒中趣:たまたま、酒に因るたのしみ手に入れれば。 ・偶得:たまたま手に入れる。 ・酒中趣:酒に因るたのしみ。陶淵明『飮酒二十首』其一「忽與一觴酒,日夕歡相持。」による。
※空杯亦常持:盃が(飲み乾して空っぽになっていて)も、まだ持ち続け(酒の醸し出す、憂いを解く雰囲気に浸(ひた)り続け)るのだ。 ・空杯:(飲み乾して)空っぽになった盃。 ・亦:(飲み乾して空っぽになっていて)も、また…。 ・常持:持ち続ける。大酒を飲み続けたいということではなくて、酒の醸し出す、憂いを解く雰囲気に浸(ひた)り続けたいために盃を持ち続けたいということ。この詩の叙文の「常以把盞爲樂」に該る。
◎ 構成について
2007.11. 7 11. 8 11. 9 11.11 11.12 |