擬僧能因歌 | ||
赤松蘭室 |
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散歩白雲徑, 空門夕日斜。 何處金鐘響, 春風又落花。 |
白雲の徑 を 散歩すれば,
空門 夕日 斜めなり。
何處 よりか 金鐘 響きて,
春風 又た 花を落とす。
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◎ 私感註釈
※赤松蘭室:江戸時代中期〜後期の儒者。寛保三年(1743年)〜寛政九年(1797年)。名は勲。字は大業。通称は太郎兵衛。赤松滄洲の子。父の跡をついで播磨(現・兵庫県)赤穂藩に仕え、藩校・博文館の教授となった。
※擬僧能因歌:僧・能因の和歌(「山里の…」)になぞらえて(この漢詩を作った)。 ・擬:なぞらえる。 ・能因:平安中期の歌人。永延二年(988年)〜?。俗名、橘 永ト 。藤原長能に和歌を学ぶ。後に、出家。専門歌人として敬慕された。和歌に「山里の春の夕暮來てみれば入相 の鐘に花ぞ散りける」(「いりあひ」=日の入る頃。日没。)( 『新古今和歌集』)がある。この歌の意を漢詩にしたのが本ページの作品。
※散歩白雲徑:(超俗的な)白い雲(が漂う)こみちを散歩すれば。 ・白雲:白い雲。俗世間を超越したことを暗示する語でもある。唐の王維の『送別』「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」 や、唐・杜牧の『山行』「遠上寒山石徑斜,白雲生處有人家。停車坐愛楓林晩,霜葉紅於二月花。」 また、崔(さいかう:cui1hao4)の七律『黄鶴樓』「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡州。日暮ク關何處是,煙波江上使人愁。」、漢の武帝・劉徹の樂府『秋風辭』「秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。汎樓船兮濟汾河,中流兮揚素波。簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何。」 「白雲」の語はなく「雲」だけになるが、晉・陶淵明の『歸去來兮辭』の「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。歸去來兮,請息交以絶遊。世與我以相遺,復駕言兮焉求。ス親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝ク不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘。登東皋以舒嘯,臨C流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」 や唐の賈島『尋隱者不遇』「松下問童子,言師採藥去。只在此山中,雲深不知處。」 があり、日本・江戸・太宰春臺の『登白雲山』に「白雲山上白雲飛,幾戸人家倚翠微。行盡白雲雲裡路,滿身還帶白雲歸。」とある。 ・徑:こみち。ほそみち。
※空門夕日斜:仏門(≒寺)に、夕日が斜めに(照らしている)。 ・空門:仏門。万物みな空という理を説くからいう。
※何處金鐘響:どこかから、美しい鐘(の音)が響いて(来て)。 ・何處:どこ。 ・金鐘:美しい鐘。日本・良寛の『曉』に「二十年來ク里歸,舊友零落事多非。夢破上方金鐘曉,空床無影燈火微。」 とある。なお、酒器の意もある。北宋・秦觀の『江城子』に「南來飛燕北歸鴻。偶相逢。慘愁容。埼、朱顏,重見兩衰翁。別後悠悠君莫問,無限事,不言中。 小槽春酒滴珠紅。莫怱怱。滿金鐘。飮散落花流水、各西東。後會不知何處是,煙浪遠,暮雲重。」とある。
※春風又落花:春風が、さらにまた、花を落とした。 ・又:さらに。そのうえ。また。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「斜花」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。
●●●○●,
○○●●○。(韻)
○●○○●,
○○●●○。(韻)
平成29.12.18 12.19 12.20 12.23 |
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