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(5)死を讃美する霊界人と、死への正しい姿勢・心がまえ

スピリチュアリズムによって明らかにされた事実は、死ぬことは決して悲劇ではなく、それどころかとても素晴らしい出来事であるということです。とは言っても現実に愛する人を失ったときには、まだまだ大半の人々が悲しみの涙を流します。それはある意味で当たり前の人間性と言えますが、霊的に見れば間違ったことなのです。“よくもそんな非情なことが言えるものだ”といった非難を受けることになるかもしれませんが、霊的真理の観点、あるいは霊界人の視点からすれば、それはあってはならないことなのです。

スピリチュアリズムと出会い霊的真理を知った者は、死別への対応においても、この世の人々と違っていなければなりません。この点において、まさに真理を知った者としての真価が問われることになります。「愛する人の死を前にしても動揺せずに平静さを保つことができる」――そうであってこそ真理を自分自身のものにしたと言えます。一般の人々に先駆けて「霊的真理」を手にしたスピリチュアリストは、身近な人の死を、霊界人と同じような思いで受け止めることができるようにならなければなりません。

ここではそうした目標に近づくために、霊界人の死に対する見方を学び、同時に霊的真理にそった私たちのあるべき姿勢について見ていくことにします。

1)死を讃美する霊界人

すでに霊界に行った人間(霊界人)は、もはや地上人の死を悲劇とは見なしません。それどころか“死”は、人間にとっての喜びであり祝福であり、苦しみからの解放であると考えるようになります。それが霊界人の常識となっています。死を最大の悲劇・悲しみ・不幸と見なすのが地上人の常識ですが、霊界人からすれば、それは的外れ・非常識となるのです。霊界人にとっては、肉体の死を恐れ嘆き悲しむことは無知以外の何ものでもありません。

霊界人の死に対する見方を、シルバーバーチは次のように実感を込めて語っています。ここには死に対する讃美が述べられています。それはまさに“死の讃歌”と言うべきものです。

「死は生命に対して何の力も及ぼしません。死は生命に対して何の手出しもできません。死は生命を滅ぼすことはできません。物的なものは、所詮、霊的なものには敵(かな)わないのです。もしあなたが霊眼をもって眺めることができたら、もし霊耳をもって聞くことができたら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることができたら、その時こそ、肉体という牢獄からの開放を喜んでいる、自由で、意気揚々として、うれしさいっぱいの、蘇った霊をご覧になることができるでしょう。

その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれたことに涙してはいけません。喜んであげるべきです。そして、その魂が真の自由を見出したこと、いま地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在能力を開発すれば、同じ自由、同じ喜びを味わうことができることを知ってください。

これで、死の意味がお分かりになるはずです。そして、死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門にすぎないことを得心なさるはずです。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)  p.50〜51

「大収穫者である神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後にたどる道をより明るく飾ることをなさいます。

肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界では、また一人、物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。私はつねづね“死”は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、喜んでいることを説いております。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)  p.45

「肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から開放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく報酬です。ですから死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出すために仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.136

どうでしょうか? 死に対するこれほどまでの讃美を、今までに聞いたことがあったでしょうか。地球上のどのような宗教も、死をここまで讃美しているものはありません。しかし、これが「霊的真理」の示す死への正しい認識なのです。霊界の存在を知った私たちは、霊界人に倣って“肉体の死”を、心から喜ぶべきもの、祝福すべきものと考えるようにしなければなりません。死は悲劇であるとの地上世界の常識を完全に捨て去り、「死は素晴らしいものである」と180度の意識転換をしなければなりません。“死は悲劇であり最高の不幸である”との考え方は間違っています。地上人の単なる錯覚にすぎません。

スピリチュアリズムが地球上に普及し、霊的真理が地球人類の常識となったときには、誰もが死は素晴らしい出来事と思うようになります。今とは全く異なる「死生観」が、地球人類共通の思想となり精神文化となるのです。何百年後にそうなるのかは分かりませんが、真っ先に霊的真理を知ったスピリチュアリストが、まずそれを率先して身につけていかなければなりません。「死を素晴らしいと思えること」――これがスピリチュアリストの資格を決定する第一条件です。死を悲劇と勘違いしている人々の中で、霊的視野に立って死を正しく認識することは、スピリチュアリストとしての最低条件なのです。

2)死を悲しむことは間違い

地上人はとかく、他界した人をかわいそうだと思って涙を流します。特に事故死や若死にの場合にはそれが言えます。しかし現実には、死んだ当の本人は、ほとんど例外なく霊界に来たことを喜んでいます。そうした事実を知るならば、死別の悲しみは半減するはずです。他界した人は皆、幸せの中に浸っているのです。地上人が死別を悲しむのは、霊界から見ると的外れで有難迷惑なことなのです。

死別を悲しむのは、霊的知識を実際に活用していないこと

霊的真理によって霊界の素晴らしさを知りつつも、現実の死別に際してこの世の人々と同じように嘆き悲しむとするなら、それはせっかくの霊的真理を活用していないということになります。知識として知っているだけで、本当の理解には至っていないということなのです。真理を手にしたものの、実際には役立てていないのです。

シルバーバーチは次のように言っています。

「死を悼むということは霊的知識が実際に適用されていないことを意味します。地上生活を地上だけの特殊なものとして区切って考える習癖を改めなくてはなりません。つまり一方に物質の世界だけに起きる特殊な出来事があり、他方にそれとは全く異質の、霊的な世界だけの出来事があって、その二つの世界の間に水も漏らさぬ仕切りがあるかのように考えるその習性から卒業しなくてはいけません。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.42〜43

死の悲しみは、自己憐憫(れんびん)の情にすぎない

死別を悲しむということは、「霊的事実」に照らすなら的外れです。その意味で、大半の人々は間違っていると言えます。死別を悲しむのは死んだ人を愛しているからだと思っているかもしれませんが、そうではありません。その悲しみは、実は死んだ人を愛しているのではなくて、自分を愛しているにすぎません。“死別を悲しむ”ということは、本当は自分自身を哀れんでいることなのです。

「(亡くなった人を悲しむのは)一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する人を失ったことを嘆いているのです。苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。(中略)

大部分の人にとっては、死は牢からの解放です。新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。無知の暗闇でなく、知識の陽光の中で生きることができるようになるのです。過ぎ去った日々の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すとおっしゃっいますが、いったい何のために思い出すのでしょう。そんなことをして、その霊にとってどんな良いことがあるというのでしょうか。何一つありません。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.64

シルバーバーチの指摘は、あまりにも厳しすぎるように思われるかもしれませんが、霊界での他界者の実情を知れば当たり前のことと言えます。死によって霊界に行った人が悲しみ・苦しんでいるとするなら、地上人がその人を気の毒に思い悲しんだとしても問題はありません。

しかし実際には、霊界に行った人は地上の苦しみから解放され、心から喜び幸せに浸っているのです。地上時代より、ずっと幸せになっているのです。かわいそうだと思うことは、無知からの勘違いです。死別を悲しむということは、自分自身を哀れんでいるにすぎないのです。

死別の悲しみには利己性が内在

死別を悲しむことは、霊的真理を知らない一般の人々にとっては当たり前のことであっても、スピリチュアリストにとってはそうではありません。シルバーバーチは、死別の悲しみの中には“利己性”が内在していると厳しく述べています。

「苦痛と老齢と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探究心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。(中略)

あなた方の悲しみは無知から生じております。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.45〜46

3)遺族に対するシルバーバーチの言葉

死は悲劇ではなく喜びであり、決して悲しむようなことではありませんが、愛する人の死を前にしたとき、その通りに実践できる人はほとんどいないでしょう。しかし私たちは、常に理想を目指して努力していかなければなりません。それが真理を手にした者としての義務であり、責任でもあるのです。

最後に、愛する人との死別に直面して嘆き悲しんでいる人々に向けてのシルバーバーチの言葉を取り上げます。私たちは、シルバーバーチの言葉を自分自身に当てはめて、もし自分がこうした人々と同じような状況に至ったとしても、決して死を悲しむようなことはしないと決意を固めましょう。

戦死者の遺族に対してのシルバーバーチの言葉

「死んでいく人たちのために涙を流してはいけません。死に際のショック、その後の一時的な意識の混乱はあるにしても、死後の方がラクなのです。私は決して戦争の悲劇・恐怖・苦痛を軽く見くびるつもりはありませんが、地上世界から解放された人々のために涙を流すことはおやめなさい。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)  p.230

一人娘を失ったばかりの両親に対してのシルバーバーチの言葉

「お二人の嘆きも悲しみも悼みも娘さんのためではなく、実はご自身のためでしかないのです。ご本人は苦しみから解放されたのです。死が鳥かごの入り口を開け、鳥を解き放ち、自由に羽ばたかせたことを理解なされば、嘆き悲しむことが少しも本人のためにならないことを知って涙を流されることもなくなるでしょう。やがて時がくればお二人も死が有難い解放者であることを理解され、娘さんの方もそのうち、死によって消えることのない愛に満ちた、輝ける存在となっていることを証明してあげることができるようになることでしょう。(中略)

地上で死を悼んでいる時、こちらの世界ではそれを祝っていると思ってください。」

『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.153

息子を失った両親に対してのシルバーバーチの言葉

「死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは、悲しむべきことではありません。

あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時より、ずっと幸せなのです。もう肉体の病に苦しむことがないのです。(中略)

あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触ってみることができないだけです。」

『シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社)  p.88〜89