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1)幽界入りのプロセスの落伍者――“地縛霊”

地縛霊になる他界者

3章(死の直後の様子)では、平均的な人間の死後のプロセスを見てきました。大半の他界者はこうした経過をたどって幽界に入り、そこで新しい生活を出発することになります。しかし中には、幽界に入っていけない落伍者も出ることになります。彼らは死の眠りから覚め、周りに出迎えの家族や知人がいても夢を見ているのだと思い込み、自分が死んだことを認めようとしません。それどころか迎えにきた人々が「あなたはもう死んでいるのですよ」と教えても、「自分はこうして生きている」と反論し、怒り出す始末なのです。

このような人間に共通するのは、“死んだらすべてが終わりになる”という強烈な唯物的考えを持っているということです。彼らの多くは地上人生を、物質的な満足や本能的快楽だけを追求して過ごしてきました。そのため極端に物欲性が強く、一切の霊的要素・霊的内容を受け入れることができなくなっています。先に述べた平均的な他界者と比べると、霊的世界に対して閉鎖的なのです。

平均的な他界者の場合も、生前は霊界のあることを知らなかった人が大半なのですが、唯物的志向がそれほど強くなく、ただ単に無知であったということなのです。そうした人は、霊界に入ってその現実に直面すると、事実をありのままに受け入れるだけの柔軟性を持っています。それに対して霊的世界の実在を認められない落伍者は、結局、地上世界の近くに留まることになります。これがいわゆる“地縛霊”です。自分の間違った考えで自分自身を地上に縛りつけている霊という意味です。よく昔から言われてきた「幽霊」という存在は、自分が死んだことに気がつかない地縛霊のことです。

地縛霊の数は平均的な他界者と比べるならば少数ですが、幽界の下層には地縛霊が集まるようになり、絶対数としてはかなりの数に上ります。地上近くには、こうした霊たちがウヨウヨしているのです。

地縛霊の中には、何十年も、時には何百年にもわたって、自分が死んだことを認めない者もいます。このような人間(霊)は、長い期間「自分は生きている、死んではいない」という思いを強く持ったまま、地上近くに留まり続けることになります。

2)さまざまな地縛霊のケース

地縛霊の内容は、さまざまです。また地縛霊になった原因や置かれている状況も一人一人異なりますが、そこにはある種の共通性が見られます。次に“地縛霊”を、いくつかのケースに分けて見ていくことにします。

ケース〈1〉

地上時代に一度も、心から他人を愛したことがなかったような人間は、死とともに暗闇の孤独の中に置かれます。自分の頑(かたくな)な心が、霊的視野をさえぎり、霊的光を全く受けつけることができないからです。それはちょうど、自分で自分に“目隠し”をしているような状態です。その暗さは地上の夜の暗さとは比較になりません。まさに“漆黒の闇”と言ったらよいでしょう。自分自身でつくり出した暗闇の中で、自分の首を絞めて苦しむのです。

そのような「絶対的孤独の状態」に置かれるのは、少数の他界者に限られます。よくよくの利己主義者・極悪非道の人間・冷酷無情の独裁者・暴君といった者を除いては、こうしたケースはめったにありません。

ケース〈2〉

弁解の余地がないような動機から自殺した人間も、しばらくは極悪非道の人間と同じような真っ暗闇の中に置かれることになります。霊的自覚・霊的意識が持てないために、自分自身でつくり出した闇の中に住むようになります。彼らは地上での苦しみや恥ずかしさに耐えきれずに自殺したものの、死後にはそれ以上の大きな苦しみを味わうことになります。しかも本人には、その苦しみが永遠に続くように思われるのです。

それでも何とか「暗黒の境涯」を抜け出すと、今度は幽界の最下層において“地縛霊”として生きることになります。そうした地縛霊の中には、自分が死んだことに気がついていない者も多く、地上人に憑依(ひょうい)してその意識を支配し、自殺するように仕向けることもあります。

自殺そのものは神の摂理・法則に背く行為ですが、その動機によって罪悪性は軽重さまざまです。なかには国家のため・人々のためという理由から、自殺という手段を選んだ人もいます。その場合には、同じ自殺でも動機に利他性があるため、霊界で最悪レベルの地縛霊として、いつまでも留まるようなことはありません。暗闇の境涯に置かれるのは、徹底した利己主義から出た自殺者です。

また“憑依霊”の仕業によって自殺に追い込まれたような人の場合、やはりしばらくは暗闇に置かれますが、“自殺”という行為の責任をとらされることはありません。責任は自殺に引きこんだ霊の側にあり、自殺した者がその責任を負うことはないのです。この場合は本人の霊性にもよりますが、霊的な目覚めは早くやってくるのが普通です。

ケース〈3〉

これといって極端に邪悪な性格をしているわけではないのですが、唯物的な思考に染まっているため死後の一連の適応プロセスに乗りきれず、地上近くに留まってしまう者たちもいます。彼らも地上時代には霊界の存在を認めず、霊的なことには一切関心を向けず、ただ物欲・肉欲を追い求めるだけの生活に終始してきました。

こうした者たちは、自分が死んだことに気がつきません。すでに他界している家族や親族・知人の出迎えを受けても、依然として「自分は生きている」と主張し、死んだことを認めようとしません。そして薄暗いもやの中を歩き回り、地上時代と同じ物欲・肉欲を求め続けるのです。自分でつくり上げた幻影(まぼろし)を手に入れようとひたすら追いかけ、つかんだと思った瞬間にそれが目の前から消え去るという空しいことを繰り返しています。

生前、飽食に浸り酒色の快楽に溺れるといった本能的喜びだけを追い求めてきた人間は、死んで肉体はなくなっても、本能的欲求が習性となり心に染みついています。その結果、地上近くを放浪し、同じような欲望を持った地上の人間にまとわりつくようになります。「肉体的本能の雰囲気に浸りたい、いつまでも地上時代の欲望を満たしたい」と思い、地上近くに自分を縛りつけてしまうのです。彼らは相も変わらず快楽を求めて地上近くをうろつき回り、自分と同じような欲望に浸っている地上人に取り憑いて、その快楽を間接的に体験しようとします。

ケース〈4〉

地縛霊の中には、これまで述べてきたものとは別種の存在もいます。それが「宗教への盲信」に由来する地縛霊です。地上時代に“間違った教え”を潜在意識の中に強烈に植え込んでしまったために、死後も正常な霊的覚醒ができなくなっているケースです。そうした地縛霊となるのは、地上時代に熱心に信仰してきた者に限られます。

地上時代に迷信や間違った教義を強く信じ込んできた人間、例えば――「人は死ぬと墓に留まり、キリストの再臨の時まで待ち続け、再臨したイエスによって復活し天国に行くようになる」という教義を固く信じてきたクリスチャンは、死んだ後も墓に留まり続けるようになります。周りの人たちがどれほど説得しても、自分が信じ込んだ世界を変えようとしないために、自分で自分を墓に縛りつけてしまうのです。また同じ信仰を持った者同士の想念が幽界下層に教会をつくり出します。そして彼らはそこに集まり、祈りの時を持ち、終末の復活の日がくるのを待ち続けるのです。間違った宗教の弊害は、地上においてばかりでなく、このように霊界に行ってからも続くことになります。

また「生きたまま解脱し仏になる」という、密教や修験道の「即身成仏思想」にすがって生きてきた修行者も、自分が死んだという事実を認めようとせず、地縛霊になることがあります。そして依然として地上時代の修行場に居座り続けることになります。

ケース〈5〉

地縛霊の中には、地上の人間の肉体を共有しようとして取り憑く者がいます。これがよく言われる「憑依現象」です。地上近くには、実はこうした“地縛霊・憑依霊”がウヨウヨしています。仏教で言われてきた成仏しない霊とは、このような自分が死んだことに気がつかない地縛霊・憑依霊のことなのです。

憑依については、この後で詳しく述べます。