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(4)地縛霊の救済と正しい先祖供養

先にいくつかの地縛霊のケースを見てきましたが、すでに他界している皆さん方の知人や血縁者の中にも、このような地縛霊となっている者がいる可能性があります。“地縛霊”とは、仏教で言う「成仏しない霊・地獄に堕ちた霊」のことです。これまで宗教で言ってきたような地獄は霊界には存在しません。“地獄”とは、地縛霊となって苦しんでいる霊たちの心の世界であり、その反映としての暗黒の環境に他なりません。

神はこうした落伍者に対しても、見捨てることなく更生の道・救済の道を示されます。地縛霊となった他界者は、霊界で更生の道をたどっていくことになります。そして時間はかかっても地縛霊の状態から抜け出していきます。一方、霊界にいる先祖や血縁者が地縛霊となっている場合には、彼らを救ってあげることが必要となります。それが「先祖供養」の本当の意味です。ここではそうした問題について見ていきます。

1)地縛霊に対する救済プロセス

地上近くにたむろする地縛霊の存在は、地上人にさまざまな悪い影響を及ぼします。それは当然、スピリチュアリズムに関わる高級霊にとって悩みの種となっています。地縛霊という存在は、霊界全体にとって何としてもなくさなければならない汚点なのです。神の造られた霊界は「利他愛の支配する世界」であり、こうした未熟な霊たちにも“救いの道”が示されることになります。

冷酷で極端な利己主義者に対する更生の道

先に述べたように、地上時代を冷酷無情な独裁者や暴君、あるいは極端な利己主義者として過ごし、多くの人々を苦しめたり犠牲にしてきたような者は、いきなり「暗黒の境涯」に置かれることになります。そして半ば強制的に、地上での悪行の数々を目の前に見せつけられるようになります。それは本人にとって逃れられない苦しみと後悔を引き起こします。「神の摂理」によって、地上でなした悪事が、それに見合った苦しみをもたらすのです。自分が苦しめてきた犠牲者と同じ目に遭わされるようになるのです。暗黒の環境の中で、気が狂わんばかりの苦しみを味わい、七転八倒し、地獄そのものの時を過ごすことになります。

しかし彼らにも、やがて転機が訪れます。これまでのような「完全に孤独な闇の境涯に居続けるのか」、それとも「再生の道を選ぶのか」という選択肢が示されることになります。そして大半の霊たちは後者を選ぶことになります。彼らにとって地上への再生は、神の摂理の働きによるある種の救済の道と言えます。こうした再生のケースは、本人には選択の余地がないような半強制的な形で執行されていくことになります。地上への再生の道を歩み出すと言っても、決して楽な人生が待っているわけではありません。彼らの中には、再生の地上人生を白痴として過ごすようになる者もいます。また他人に与えたのと同じ苦しみを体験するために、辛く虐(しいた)げられた、惨めな人生を歩むようになる者もいます。

いずれにしても地上的観点からすれば、最も不幸な地上人生を送ることになりますが、それによって過去の罪が少しずつ清算され、霊的進化の道を歩み出すことができるようになるのです。

自殺者に対する更生の道

利己的な動機から自殺したような場合、極端な利己性が閉鎖的な壁をつくり出し、外部との交流が遮断されることになります。また霊的視野・霊的意識が全く閉ざされているため、霊的光を受けられず、自らつくった暗闇の中に身を置くことになります。今述べた非情な独裁者や暴君のケースと同じように、「暗黒の境涯」で苦しみの時を過ごすのです。

霊的な暗黒世界の中で苦しむうちに、徐々に意識に変化がもたらされるようになります。やがて暗黒の境涯を抜け出し、幽界の下層で“地縛霊”として生きることになります。地縛霊としてどのような歩みをするかは、一人一人異なっており、共通のパターンはありません。

さて自殺した他界者に対しても、霊界では上層から絶えず救済のための霊たちが差し向けられます。利他愛の支配する霊界では、どのような落伍者に対しても愛の思いが向けられています。しかし自殺者のように、自らつくり出した暗闇の中に自分自身を閉じ込めているような場合は、救済を任務とする霊たちにもなす術(すべ)がありません。霊的に完全に閉ざされた彼らとの間には接点がなく、接触さえできないために手の下しようがないのです。苦しみ抜く中で本人の意識が変化するのを待つしかありません。結局は、自らつくった罪に苦しむことが、彼ら自身を救う道となるのです。苦しむことで、罪を償うことになっているのです。

あまりにも利己性が強くて霊的意識の目覚めが得られないような自殺者の場合は、独裁者や暴君のケースのように地上への「半強制的な再生」というプロセスを踏むことになるかもしれません。

一方、利他的動機から自殺の道を選んだ場合は、暗黒の境遇も短期間に抜け出すことができます。意識がもともと開かれているために、霊界での“救済霊の声”を受け入れることができるからです。また、その後も地縛霊になることはほとんどありません。

地縛霊の意識の変化と、幽界の救済霊たち

霊的意識が芽生えず、自分のつくり上げた世界に閉じ込められている地縛霊たちを救済するのは並大抵のことではありません。彼らの意識が変化し、自分でつくり出した幻想の世界を自ら抜け出したいと思わないかぎり、周りからは手の施しようがないのです。

彼らが自分なりの世界に飽き、苦痛を感じて「もっと別の所に行きたい」と思うようになれば、その時が救済霊にとって働きかけのチャンスです。外部からの働きかけが、初めて地縛霊の心に届くことになります。

すでに述べたように、地縛霊となった者たちを救済するために、霊界では上層から降りて救済活動に携わる多くの霊たちがいます。地上近く(幽界下層)では、こうした救済霊たちが活発な活動を展開しているのです。そこでは「物質的意識・本能的意識」だけに縛られた地縛霊たちに対して「霊的意識」を自覚させるために、ありとあらゆる手段が講じられています。彼らに意識の変化が生じるようになれば、その機会を逃さず、さらなる働きかけがなされるようになります。救済の任に当たるのは、自らその役目を買って出た霊や、地縛霊となっている者の地上時代の家族や知人たちです。時には生前の守護霊や類魂の一員が、任務に携わることもあります。救済霊たちは何とかして、哀れな地縛霊を地獄から救い出したいと必死に働きかけます。

地縛霊としての状態は、時に何百・何千年にも及ぶことがありますが、それは特に稀なケースです。霊界に入りながら、いつまでも物質的意識を持って生活を続けることは不可能だからです。大半の者たちが、自分自身でつくり出した幻影の生活に飽きを覚え、嫌気がさすようになります。やがてそれが苦痛に変わり、「何とかここを抜け出したい!」と思うようになっていきます。いずれどのような地縛霊にも、そうした意識の変化が訪れるようになるのです。

地縛状態から抜け出す最後の試練――“妨害霊”との闘い

霊的意識に目覚め始め、地縛的境遇を抜け出したいと思うようになっても、すぐにそれが実現することはありません。彼の周りには、これまでの仲間たち地縛霊となっている邪悪霊や未熟霊)が集結し、本人を取り囲んで元に引き戻そうとするのです。

これと同じようなことは、この世にも見られます。いったん暴力団や暴走族に入って悪事を働けば、そこから抜け出すには大きな苦痛がともないます。悪事を重ねた者ほど、自分を取り巻く環境から足を洗うのに、たいへんな妨害や困難と闘わなければなりません。地上時代になした利己的行為は、依然“罪”として本人の上に残されています。それが多ければ多いほど、地縛状態から抜け出すための苦痛が増すことになります。

実は、悪の道に引き戻そうとする邪悪霊の妨害は、向上を願う霊にとっての“罪滅ぼし”になっているのです。明るい世界を求めて暗闇を抜け出すための苦しい闘いは、今までの悪事に対する罪の清算プロセスになっているのです。必死に妨害の壁を乗り越えようとする苦労と闘いを通して――「善を志向する心と、悪への反発心が強められる」ことになります。自分で犯した利己主義の罪は“妨害に苦しむ”という犠牲を払うことで償われ、魂が清められることになるのです。

その試練は、何度も何度も与えられます。繰り返し繰り返し忍耐が試され、さらなる悲しみ・後悔・絶望を体験しなければなりません。地縛霊は、神の定めた「因果律」によって自分の悪事に見合った苦しみを味わい、罪を償うことができるのです。それによって、やっと霊的進化の道・救いの道を歩み出すことができるようになります。

ここで述べたことを整理すると次のようになります。

地縛霊の再生プロセス

地縛化した先祖の救済は、霊界サイドで責任を持って進められる

地縛霊の更生は――「罪を償うために地上へ再生する」というケースと、「幽界の下層での苦しみを通じて罪の償いをする」という2つのケースがあることを述べました。地縛霊がそうした更生の道をたどろうとするとき、彼らを手助けし、向上の道を踏み出せるように導く霊たちが遣わされることになります。地縛霊は、救済霊やすでに他界している血縁者・知人の霊たちの援助によって、地縛状態から抜け出すことができるようになります。

とは言っても、地縛霊の救済が簡単に行われるものではないことは、すでに述べたとおりです。地縛の状態から解放されるには、まず当の本人に意識が変化する時期がきていることが大前提なのです。本人の意識が「自己閉鎖的状況から抜け出したい!」と思わないかぎり、救済霊にも手の施しようがありません。

苦しみの中から、地縛霊の頑(かたくな)な心に変化が生じたとき、救済霊はスクリーンに本人の地上生活を映し出して反省を促し、さらなる意識の変化を引き出そうとします。また必要に応じて幽界の休息所や病院に連れていって心を癒したり、霊の世界に適応させるプロセスを踏ませたりします。救済霊たちは、こうしたさまざまな働きかけをして地縛霊の更生に当たります。その結果、彼らは向上進化の道を歩み出すことができるようになるのです。このように、地縛霊の救済のための援助は、霊界サイドの万全の体制のもとで確実に進められています。常に可能なかぎりの救済策が講じられています。

以上、幽界の下層における地縛霊の様子と、彼らが更生していく過程について見てきました。霊界における厄介な問題の1つは、この地縛霊の存在ですが、彼らも今述べたように、いつまでも地獄の境涯に放って置かれることはありません。いずれはすべての霊が、向上進化の道をたどるようになります。自らの霊的無知と利己性ゆえに「暗黒の地獄で苦しむ」という罰を受け、更生のチャンスが与えられることになるのです。

2)地縛霊となった先祖の救済――正しい先祖供養とは

先祖供養とは、“地縛霊”となった先祖を救うこと

正しい先祖供養、すなわちスピリチュアリズムの観点から見た先祖供養とは、「地縛霊となっている先祖を救済する」ということに他なりません。仏教的に言えば、いつまでも成仏できずに地上近くに留まっている先祖霊、地獄に堕ちている先祖霊を救うということです。何十代にわたる血縁関係者の中には、地縛霊となっている者がいるかもしれません。そうした先祖を救い出すことが先祖供養の目的なのです。

とは言っても、親が嫌がる子供の手を無理やり引っ張っていくというような形で、地縛化した先祖を救うことはできません。これまで見てきたように、地縛霊自身の心が変化しないかぎり、外部からは全く手の施しようがないのです。「自分の罪は自分で償い、自分の救いは自分でなす」というのが「神の摂理」なのです。地縛状態から抜け出すための条件が満たされたとき、初めて救済の使命を担って働く霊たちの援助を受け、暗黒の地縛世界から解放され、明るい世界に向上していくことができるようになるのです。

先祖供養の対象となる先祖霊は、どのくらいいるのか?

時の経過とともに、地縛霊も必ず進化の道をたどり始めるようになります。なかには何百年・何千年もの間、地縛霊として低い世界に留まる者もいますが、それは例外であって、わずかな数にすぎません。先祖の中には、かつては地縛霊であった者がいるかもしれませんが、何百年以上も経って、いまだに地縛霊のままでいるというケースは、それほど多くはないはずです。このように考えると、供養の対象者となる先祖はあまりいない、ということになります。

ただし死後、さほど時間が経っていない他界者の中には、地縛状態に堕ちている者がいる可能性が高いのです。地上時代を物欲追求だけで終わり、霊的成長とは全く無縁な人生を送った者は、地縛霊となって苦しんでいるかもしれません。つまり先祖供養の対象となるのは、死後さほど時間の経っていない者が中心になる、ということなのです。

従来の先祖供養の間違い

霊界における地縛霊の救済活動の実態が分かると、地上人がこれまで先祖供養としてやってきたことは、ほとんど意味がなかったことが分かります。霊能者や祈祷師・宗教者が祈祷や除霊を行い、それによって「先祖が成仏した」「地縛状態を脱した」などと言っても、そんな言葉をまともに信じてはなりません。安直な救済方法などないのです。彼らの言うことは、すべてインチキか、勝手に救われたと錯覚しているだけなのです。

地上人の先祖供養の役割は?

地縛霊となった先祖霊の救済に対する働きかけは、霊界においてその大半が進められることになります。地上サイドから、あれこれ手出しするようなことは、ほとんどないのです。ましてや霊界の存在を信じていないような僧侶が先祖供養のための念仏を唱えても、それが地縛霊の更生によい影響を与えることはありません。“低級霊のからかい”を、わざわざ引き出すような結果にしかなりません。

では、地縛霊となった先祖霊を救済するために、地上人ができるようなことはないのでしょうか。彼らを更生させるために、何らかの手助けはできないのでしょうか。実は、地上人が先祖霊の救いに間接的に貢献できる道が残されています。それが次に述べる「愛の念を送る」ということと、地縛霊に「霊的真理を語って聞かせる」ということなのです。

地上人ができる先祖供養
愛の念を送る
霊的真理を語って聞かせる

愛の念を送る

地上人が地縛霊となった先祖を救うためにできる手助けの1つは――「地上から愛の念を送る」ということです。縁故ある地上人からの祈りの波動と、そこに含まれる愛のエネルギーは、地縛霊となった先祖霊たちにプラスの影響を及ぼすことになります。地上の子孫から送られた愛のエネルギーが、暗闇の中で苦しむ彼らに届き、閉ざされた意識に変化を促すことになります。その愛の念が、地縛霊の心を慰め、孤独の境遇が間違いであるとの自覚と反省心を引き出す助けとなります。また他界直後の不安定な状態にある血縁霊には、地上の子孫からの念が霊的目覚めと休息化を促し、地縛霊となるのを防ぐことになります。

こうした地縛霊や他界直後の未熟霊たちには、地上人の念は届きやすいのです。高級霊の愛の念は、未熟霊には強すぎて、まぶしさや苦痛を与えることになります。それに対して地上人の祈りには物質性がともない、波動が粗い分だけ、かえって地縛霊に届きやすくなっているのです。地上人の祈りが地縛霊の心に伝わって、変化のきっかけをつくり出し、救済霊の接近を可能にするかもしれません。

もっとも地上人の祈りの念があの世の霊に影響を与えると言っても、肝心な地上人自身が霊的真理に無知であったり、死別を嘆き悲しんでいるような状態では、どれほど祈ったり読経をしても、よい結果を生むことはありません。むしろ不安定な念が他界した霊に届き、動揺を与えることになってしまいます。

地上から霊界の霊に働きかけるについては、地上人が霊界の存在に確たる信念を持ち、霊的世界に対する知識を持っていることが不可欠です。そして死を悲しみではなく、喜びと祝福の時として認識するだけの霊的洞察力を持っていなければなりません。先祖供養には「正しい霊的知識」が、どうしても必要なのです。

たくさん念仏を唱えたら先祖が救われるというようなことではありません。僧侶を呼んで法事を欠かさずに行なえば、地縛霊となった先祖が救われるというようなことでもありません。大切なことは――「地上の子孫が正しい霊的知識を持ち、純粋な思いやり・利他愛を持って愛の念を送る」ということなのです。念を送る形式は、祈りであっても、読経であっても、優しい語りかけであっても何でもよいのです。愛の念とエネルギーを送ることができるなら、手段は問題ではありません。

霊界の事実を知ってみると、これまで行われてきた先祖供養によって地縛霊となった先祖が救われたケースは、ほとんどなかったことが明らかになります。大半の人々が当たり前のものと思っている先祖供養は、やってもやらなくても、どちらでもいいようなものだったということです。

ただ例外的に、心が清らかで思いやりのある人(霊性が高い人)が仏壇や墓前で読経するとき、その読経には愛の念が込められ先祖霊に届くといったようなことがあったかもしれません。それが地縛霊の心を喜ばせ、意識の変化を促したかもしれません。それは地上人の霊性の高さと、その人間から発せられる愛の念が、先祖霊によい影響をもたらしたということです。ただしこの場合でも、読経する本人が霊的知識を持っていたなら、先祖霊に及ぼす影響力は、さらに大きくなっていたことは言うまでもありません。

霊的真理を語って聞かせる

地上人が先祖の救済に関与することができるもう1つの方法は――地縛化した先祖霊に「霊的真理を語って聞かせる」ということです。地縛霊となった先祖が、無意識のうちに霊障を引き起こすことがあります。

先祖の霊が夢の中にたびたび現れたり、あるいは霊媒に乗り移って出てきて、自分の置かれている状況や、地上の子孫への恨みつらみを語ったりすることがあります。自分の地上時代を後悔したり、位牌や墓について注文してくることもあります。子孫がそうした先祖霊の訴えを聞いて、位牌や墓をつくり替えたり、希望する供物を供えると、これまで続いていた現象がピタッと止まることがあります。こうしたことが現実に起こるために、先祖供養は必要なものであるという認識が広まることになってしまいました。

先祖霊が霊障を引き起こすというケースは、霊本人の意識が依然として地上時代のままであり、何ら変化・向上していないことを示しています。地上時代の宗教的慣習をそのまま持ち続け、霊的意識に全く目覚めていないことを証明しています。このような霊の注文を、地上人が何でも聞き入れるということは、決してよいことではありません。相手の程度の悪い要求に応じて一時の満足を与えるというのは、その場かぎりの対処方法であって、根本的な解決方法ではありません。それはちょうどデパートで、おもちゃが欲しくて泣きわめく子供に、仕方なくおもちゃを買って与えるのと同じことなのです。

地縛状態にいる霊に対しては、威厳を持って――「あなたはすでに死んでいる以上、墓も位牌も必要ないのです」「地上のことに、いつまでも意識を向けていてはいけません」と教え諭してあげるべきなのです。もし相手の心に変化の訪れる時期がきているならば、それが目覚めのきっかけになります。さらに「そばにいる人たちの指導を受けて、これまでのことを反省し、向上の道を歩んでください」と言い聞かせます。霊的自覚が芽生えかけているならば、その瞬間に霊界の救済霊の姿が見えるようになります。もちろんそうした教えや諭しが相手の心に響くには、霊自身に時期がきていることが大前提となります。

いずれにしても、同情心と誠意を持って相手に訴えることが大切です。祈りとして語りかけても、読経の中にそうした諭しを込めても、あるいは霊媒を通して霊を呼び出し直接話しかけても、どのような方法であってもかまいません。霊を説得するには、地上人が地縛霊以上に霊界についての知識を持っていることが必要です。そうであってこそ、初めて説得が可能となるのです。ここでも「霊的知識」が絶対的に必要となるのです。

地上人ができる先祖供養とは、どこまでも霊界の救済活動の応援程度のことでしかありません。しかし、それでも状況によっては、霊界で救済活動に携わる霊たちに大きな援助をすることになります。実はこうした地縛霊の救済活動をサポートすることも、地上のスピリチュアリストとしての役目なのです。

「先祖の罪を子孫が償う」という考えの間違い

先祖供養を中心とする日本仏教における大きな問題点の1つが、「先祖の罪が子孫に及ぶ」という間違った因果観です。そこから子孫が徳を積み、先祖の罪を代わりに償うことによって先祖は救われ成仏し、子孫の不幸が消滅するようになる、という考え方を生み出すことになります。これが“回向(えこう)”と言われる思想です。

宗教心の篤い多くの人々は、その回向の思想を無条件に受け入れ、先祖を救うために必死になって毎日読経や写経をしたり、墓掃除や仏事に熱心に取り組んだりします。また競って、お寺にお布施や寄進をしたりします。スピリチュアリストの中にも、先祖の因縁が子孫に影響を及ぼすという因果応報の考えや、子孫の徳積みによって先祖の霊を成仏させるという考えに共鳴する人々がいます。スピリチュアリズムでは、「因果応報の法則(因果律)」が神の摂理として明らかにされています。そのスピリチュアリズムの因果律と、仏教の因果応報の教えが同じものであると錯覚しているのです。

しかし、先祖の罪が子孫に悪因縁として伝わるという事実はありません。また先祖が犯した罪を、子孫が代わって償うことができるということも真実ではありません。スピリチュアリズムが明らかにしているのは――「自分が犯した罪は自分で償う」「自分が犯した罪は他人に償ってもらうことはできない」という因果観なのです。先祖の犯した罪が子孫に及ぶこともないし、先祖が犯した罪を子孫が償うこともできない、ということなのです。それが厳然とした霊的事実なのです。

他人の金銭的負債を自分が代わって支払うことはできますが、他人が犯した霊的な罪は、誰も代わって償うことはできないのです。先祖供養を一生懸命にすれば先祖の罪が償われ、先祖が救われ、地上の子孫の不幸が取り除かれるといった考えは、霊的には何の根拠もない作り話であって錯覚なのです。それは地上の人間が勝手につくり出した考えにすぎません。そうした間違った思想は的外れの先祖供養を生み出し、地上の子孫に自己満足だけを植え付ける結果となっています。それどころか、先祖供養を悪用した不正な金儲けという社会問題を引き起こすことにもなっています。先祖供養に名を借りた、さまざまな悪徳商法が至るところで横行しています。先祖の悪因縁を切ると嘘をついて多くの人々から多額の金銭を巻き上げた“霊感商法”は、記憶に新しいところです。

因果応報の法則を、先祖の犯した罪の償いと結びつけることは根本的な間違いであり、日本仏教における大きな問題点です。先祖供養と因果応報を結びつけた考えの誤りは、「霊界の事実」と照らしてみると明白になります。

本当の先祖供養とは?

世間一般では仏壇やお墓の前でお経をあげたり、線香や果物をあげる行為が先祖供養という宗教的な習慣となっています。何のためにこうしたことをするのか、大半の人々はその意味を知らずに習慣的に行っています。

スピリチュアリズムの観点から見た本当の先祖供養とは、いまだに自分が死んだことに気がつかない地縛霊や憑依霊に“死”を悟らせ、一刻も早く霊の世界へ行かせてあげることなのです。

そう考えたとき、仏壇やお墓の前で読経をしたり飲み物や食べ物をあげることが本当の先祖供養にならないことは明らかです。成仏していない先祖霊が、読経や供え物によって死を自覚するようになるでしょうか。結論を言えば、それで先祖の地縛霊が成仏するようなことはありません。大半の人々は、習慣的に無意味なことをしているにすぎません。そうした先祖供養は、全く無駄なことなのです。

では具体的には、どうしたら地縛霊になっている先祖霊を救うことができるのでしょうか。正しい先祖供養とは、どのようなものなのでしょうか。「正しい先祖供養」とは、まず地上の人間がその霊のことを思い、「早く目覚めるようにという愛の念を送ってあげる」ことです。大半の地縛霊は、自分自身で暗闇をつくり、孤独と絶望の中にいることが多いので、地上から送られる愛の念は暖かく明るい光に感じられます。それによって頑な心が少しずつほぐされます。心がほぐれ始めると、死後の世界において迷っている“地縛霊”を救おうとする“救いの霊”が近づき、引き上げることができるようになります。

正しい先祖供養の2つ目の方法は、「先祖に語りかけ諭す」ということです。読経中や祈りの最中、また夢などで地縛霊となっている先祖が出てきて、お墓や位牌について注文をつけたり、食べ物や飲み物が欲しいと言ってくる場合があります。そのようなときには、普通に地上人に語るのと同じ要領で、次のように諭してあげればよいのです。「もうあなたは死んだのです。それを自覚してください。いつまでもこんな所にいてはいけません。自分がすでに死んでいることが分かれば、周りは明るくなり、体の苦しみもすぐになくなります。今、あなたの周りを見てご覧なさい。すでに先に死んでいるお父さんやお母さんや兄弟など、あなたの知っている人たちがいるでしょう。その人たちの指導に従いなさい」と、直接語って聞かせるのがよいのです。

もし“地縛霊”となっている霊がその言葉を受け入れることができるならば、その瞬間に視野が開け、周りにいる人々に気がつくようになるはずです。そして迷った状態・成仏しない状態から解き放たれて、次の世界に入っていけるようになります。

先祖供養と言うと、とかくお金を出して専門家に祈祷してもらったり、高価な仏壇や仏像・位牌・壷などを買うことだと思っている人々が多いのですが、そんなことをしても“地縛霊”となった先祖が救われることはありません。何より残念なことは、死後の世界について人々に教える立場にあるはずの僧侶や宗教者の多くが、死後の事実に対して全く分かっていないということです。

本当の先祖供養とは――「愛の思いを持って、死んだことを悟らせる」ということなのです。いったん死を自覚したなら、その後は先祖供養は必要ありません。死後、定期的に行われている法事などは何の意味もありません。地上時代に、死後の世界について正しく知っていたならば「先祖供養」は本来、必要のないことなのです。

先祖供養について、あれこれ心配する必要はありません。霊界には“地縛霊”となった者たちを救うために、救済の任に当たる霊たちが組織され、活発に活動しています。先祖供養をしっかりしないとバチが当たるとか、不幸になるというようなことはありません。また先祖が地獄に堕ちて苦しんでいるために「霊障」が引き起こされるというようなこともありません。

もし自分の身に次々と不幸が生じてくるとするなら、それは自分の醜い利己的な心が、同類の低級霊を引き寄せたためか、あるいはこれまでに犯した間違いを償うために生じてきた現象(カルマの清算現象)であると思わなければならないのです。スピリチュアリズムは、アジア地域に広く見られる先祖供養の習慣の間違いを明らかにしています。