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(4)純粋な霊的世界の素晴らしさ

――霊界の環境と生活

すべてが幽界より、ずっと素晴らしい霊界

すでに霊界の最下層である幽界について見てきました。「地上に存在するすべてのものがある」「食べることや寝ることは必要ない」「自分のやりたいことが何でもできる」「欲しいものが何でも自由に手に入れられる」「お金を稼ぐための辛い仕事をする必要はない」「病気や体の苦しみは一切なくなる」――このように幽界は、さまざまな点で地上世界と異なっています。

地上と比べるならば、幽界はまるで楽園と言ってもいいような世界です。その幽界が、霊界の最下層であるということは驚きです。幽界より高い霊界とは、いったいどのような世界なのでしょうか。

幽界ではまだ地上臭が残っていますが、霊界ではそうした地上臭は一切消滅し、純粋な霊的存在になっています。そのため環境全体を包む美しさ・輝きは、幽界とは比較になりません。純粋な霊としての生活の素晴らしさは、常に肉体に縛られ、肉体の世界だけにどっぷり浸かり、そこから一歩も出ることができない私たちには、実感を持って想像することはできません。

地上と比べたときには楽園とも言えるような幽界も、霊界と比較したときには、きわめて低く暗い世界でしかないことを知っておいてください。「霊界」は、まさに言語を絶した光と輝きと美しさの支配する世界なのです。幽界の素晴らしさを一段と高めた所――それが「霊界」です。しかもその素晴らしさは、界層を上がれば上がるほど、いっそう高められるようになるのです。

飲食・睡眠は必要ない

霊界では幽界と同様、食べ物や飲み物を摂取する必要はありません。なぜならすでに肉体はないからです。食べ物や飲み物は肉体を維持するためだけに必要とされるものです。霊界では、肉体を脱ぎ捨てて霊体で生きることになりますが、その霊体を維持するためのエネルギーは、霊界の環境中から摂取することになります。

また霊界には、永遠の輝きを持つ太陽大霊の象徴)があるために、暗闇というものがありません。したがって地上のように夜がくることもありません。また、すでに肉体はないので睡眠をとる必要もありません。

身体の病気や痛み・不快感はない

肉体はないため、地上世界でのような病気や、身体の不快感や重苦しさは一切ありません。痛みや疲れを感じることもありません。体は軽く清々しさそのものです。地上のような暑さ・寒さというものがないために、体がそれによって苦痛を覚えることもありません。

思念の世界

幽界では思念によって欲しいモノをつくり出すことができましたが、霊界でも自分の望むモノを自由につくり出すことができます。幽界の人々と違って「霊的成長」が進んでいる分だけ、霊界の人々の思念によってつくり出されるモノや環境は美しく、洗練されたものになっています。幽界とは比較にならないほど、輝きに満ちあふれたものになっているのです。

場所の移動は自由自在

霊界では、場所の移動は自由自在です。「そこに行きたい、その人に会いたい」と思うだけで、アッという間に移動することができます。地上時代のように歩いて行きたいと思えば、もちろん歩いても行けます。空を飛んで行きたいと思うなら、空を飛んで行くこともできます。移動にともなう疲れなどは一切ありません。

幽界では、住人が地上時代の記憶を引きずっているため、地上にある交通手段(車・電車・飛行機・馬車など)が想念によってつくられて存在しています。そして人々は、そうした乗り物に乗って移動しますそれが必要と思っているので現実化するのですが……。しかし霊界では物質性が拭われ、地上的意識がなくなっているため、地上世界の交通手段は存在しなくなります。

コミュニケーションは自由自在

また霊界では、他人とのコミュニケーションも自由自在です。地上では異なる言葉を話す者同士の間では、意志を伝えることができません。死の直後の世界である幽界では、まだ地上の言葉を用いている霊がいますが、霊界では相手との意志の伝達に言葉を使うことはなくなります。心と心を直接的につなぐ、優れたコミュニケーションの手段があるからです。つまり霊界では、“テレパシー”によってストレートに意志を伝え合うことができるようになるのです。

したがって地上では英語を話せなかった日本人も、アメリカ人やイギリス人に自由に思いや感情を伝え、理解し合うことができるようになります。幽界ではいまだに地上の言葉を用いていても、実際の思念の伝達は“テレパシー”によって行われています。2人が英語とフランス語を話していても、思念はそれとは無関係にテレパシーで伝えられているのです。)

テレパシーによるコミュニケーションでは、意志の伝達は100%完璧になされます。地上のような伝達の不十分さや勘違いといったようなことは全くありません。

容貌が霊性に見合ったものになり、本性が周りの人々に知られるようになる

霊界では老衰はなく、大半の人々の容貌は若返ります。青春時代の容貌に戻るのです。また霊界では、魂の成長レベルがその人の容貌を決めることになります。姿かたちや身なりが、すべてその人の「霊性」に見合ったものとなり、霊性が高ければ高いほど、美しさ・荘厳さ・気品が増すようになります。

このように霊界では、自分の本性(ありのままの姿・内面)が周りの人々に露(あらわ)にされます。自分の姿を隠すことはできません。自分の考えていることは、すぐに周りの人々に知られるようになります。同様に周りの人々が考えていることも、瞬時に知ることができるようになるのです。

霊界では誰ひとり、仮面をかぶったり、過去を覆い隠すことはできません。地上生活につきものの、嘘・偽善・建前などは一切通用しません。霊界では、自分の霊的成長レベル・心の内容が嘘隠しなく表れてしまうのです。そのために、誰もが素直に生きざるをえなくなるのです。

芸術の花咲く世界

さらに霊界は、光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができるようになります。そこでは画家も詩人も思いどおりの作品をつくることができます。霊界では一人一人に内在している才能を、思う存分発揮することができるようになるのです。自分の才能を引き出し、それを用いて他人のために、いっそうの奉仕をすることができるようになるのです。

完璧な自然美

地上人は、ヒマラヤ山脈の壮大さ、スイスの風景の美しさ、果てしなく続くアマゾンのジャングルの生命力あふれる大自然、そして白い砂と透き通ったコバルトブルーのサンゴ礁の島々など、自然の美を見て感嘆します。しかし、そうした自然の美しさも霊界の風景の美しさに比べれば、お粗末な色あせたものでしかありません。霊界には、地上の誰ひとり見たこともないような、花があり色彩があります。小鳥もいれば植物もあり、小川も山もありますが、どれひとつとっても、地上のそれとは比較にならないほど光り輝いているのです。

どのような天才画家であっても、霊の世界の美しさの、ほんの一部さえ表現することはできません。地上の天才的作曲家も、霊界の音楽の一節さえ真似ることはできません。霊界の美は、私たち地上人の想像を超えたものばかりです。霊界では、地上には全く存在しない完璧な自然美を、心ゆくまで味わうことができるようになるのです。

霊界のそれぞれの界層には、こうした美の極致と言っていいような自然美が満ちあふれています。各界層には、あらゆる自然界の存在物があり、それぞれの霊性レベルに至った住人によって等しく鑑賞され讃美されています。言うまでもないことですが、その自然美も高い界層に行けば行くほど、さらに素晴らしいものになります。霊性が高まるにともない、よりいっそう自然美を堪能できるようになるのです。

高級霊界は、すべてが光り輝き、それは地上のいかなる言語によっても表現することはできません。どれほど豊かな想像力をもってしても、最新のグラフィック技術を用いてもできません。そこは、まさに言語を絶する世界なのです。