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(1)常に神を求め続ける人間の霊的本性

――真実の神の姿を知りたいという“魂の欲求”

1)人間の霊は、常に神を求める

「もっと神を知りたい!」という霊的本能

人間の霊(魂)には、神を正しく知りたい、もっと深く知りたいという“霊的本能”が内在しています。心の深部にある霊的本能は、絶対的なもの、心から信頼できる存在(神)を常に求め続けています。人間が絶対的なものにすがり安心を求めようとするのは、「大霊である神に近づきたい」という霊的本能が内在しているからなのです。最も敬愛し絶対的信頼を寄せることのできる「神」について知りたいという願いは、霊的存在である人間にとって決して抑えることのできない魂の叫びであり、魂の欲求なのです。

無神論者や唯物論者は、人間が神を求めこれにすがろうとするのは無知と弱さゆえであると決めつけますが、それは間違いです。「神などいるはずがない!」と強がっている人間も、死後、暗黒の世界に落とされると、例外なく神の名を呼び、神に助けを求めるようになります。極度の孤独と恐怖の中では、人間の魂(霊)は必ず神を呼び求めるようになるのです。

人間の霊的意識は、常に「もっともっと神について知りたい!」という願望を抱いています。しかし実際には、地上人がその内容を顕在意識でストレートに自覚するようなことはありません。それは肉体によって“霊的感性”が覆い隠されているからです。そのため正しい神認識ができず、さまざまな問題が発生するようになります。大半の地上人は、自分自身の隠された心(潜在意識)を知ることができないのです。これについてはスピリチュアリズムの思想[Ⅰ]『スピリチュアル・ヒーリングとホリスティック医学』(日本スピリチュアルヒーラーグループ発行)で詳しく取り上げています。)

人間の霊は、常に「神の愛」を求めている

人間は神によって「霊的存在」として造られました。人間の最深部には“神の分霊(ミニチュアの神)”が宿っています。その分霊こそが私たち人間の本体であり、真実の自我なのです。大霊である神と分霊である人間は“霊的絆”で結ばれています。地上人がそうした霊的事実を自覚しようがしまいが、あるいはそれを認めようが否定しようが、人間に内在する分霊は霊的親である「神」とつながっているため、神に対して常に憧れを抱き、神に近づこうとします。そして「神の愛によって霊(魂)と心を満たしたい!」と切望するようになるのです。

もし神との距離が開いてしまうと実際には人間の方が距離をつくってしまうのですが)突如、心に何ともいえない寂しさや虚しさ・孤独感が湧き上がってくるようになります。人間にとって「神」は真実在であり究極的な拠りどころであると同時に、愛の源・霊的エネルギーの源なのです。

絶対的存在である神と一つとなり、心の安らぎと高い心境を求めようとする人間の営みが「信仰」です。その信仰の中で神との一体化を自覚しようとする行為が「祈り」なのです。人間は深い祈りの中で神と触れ合うとき、心の底からの満足と喜び・安心感を得られるようになっています。

正しい祈りをするためには、正しい神の認識が必要

宗教に「祈り」は付きものです。「祈り」は、神に意識を集中させ、神との一体化を求める直接的な語りかけです。したがって祈りに臨む際には、必ずその対象である神についての明確なイメージが先行することになります。神のイメージ・観念があってこそ、それに向けて意識を集中させ、語りかけることができるようになるからです。

これまで地球人類は、さまざまな神の姿を思い描いてきました。怒り狂う恐れの神・罰を与える神・人間のような姿をした神・髭をはやした老人のような神など、いろいろな神の姿を想像してきました。そして自分たちがイメージした神に向かって、熱心に祈りを捧げてきたのです。しかし、もしそうした信仰者の思い描く神のイメージが事実と違っているとするなら、祈りはすべて無意味なものになってしまいます。どれほど真剣に祈りを捧げたとしても、的外れな行為になってしまいます。

重大な結論を言えば、これまで地上人類が思い描いてきた神の姿は、ことごとく事実と懸け離れていました。事実とは異なる神、空想にすぎない神に向かって語りかけるような愚かなこと・滑稽なことは誰もしたくないはずです。正しい祈りをするためには、「正しい神の姿」「正しい神のイメージ」を認識することがどうしても必要となります。

スピリチュアリズムは、「神」と「神の摂理」に対する信仰です。スピリチュアリズムにおいて「祈り」は、大切な霊的行為であり重要な信仰実践です。では、スピリチュアリストは祈りをする際に、どのような神のイメージを思い描くべきなのでしょうか。私たちが持つべき“神のイメージ”――それがスピリチュアリズムによって明らかにされた「真実の神観」なのです。

2)真実の神を知らなかったこれまでの地球人類

「神」は人類にとっての最大のテーマ

地球人類はこれまで、常に2つの大きなテーマの解答を探り求めてきました。その1つが「死」についてであり、もう1つが「神」についてです。死は、人間にとって避けることのできない宿命であり、その意味で“最大の恐怖”と言えます。人類は「死」に対する問題解決を宗教に求めてきました。そして同時に、人生を幸せに生きるための拠りどころとして「神」を求めてきました。人間にとって最大の権威者であり信仰の対象である「神」についての真実を知ろうと、思いをめぐらせてきたのです。「神とは、いったいどのような存在なのだろうか?」「神と、どのように向き合ったらよいのだろうか?」――その答えを探し続けてきたのです。

長い間、地上人類は「神」について、超人的な能力を有し、人間の生活や運命を支配する絶対的な存在として考えてきました。人類にとって神は常に崇拝の対象であり、絶対的な権威者でした。そして時には罰を下す恐ろしい支配者でした。人々は困難に遭遇したり、苦境や危機に立たされると、必死に神に助けを求めてきました。もっと幸せになりたいと願って神にすがり、祈りを捧げてきました。このように人類は地上に誕生して以来今日まで、神に対して最大の関心を持ち続けてきたのです。

これまで地球上に存在しなかった「正しい神観」と「本物の神信仰」

霊界から地上世界を見ると、これまで地上には正しい神への信仰が存在しませんでした。それは“信仰対象”である神の姿を正しく知ることができなかったからです。霊的本性からにじみ出る神への憧憬はあっても、肉体という物質の道具に閉じ込められ、物質世界に住んでいる人間には、神の真実の姿を認識することができませんでした。そのため人間は、勝手な空想によって物質的な神の姿を思い描くことになってしまいました。その結果、地上世界には、真実から大きく懸け離れた人間中心の神観・間違った神のイメージが形成されることになりました。

地球人類は、自分たちが勝手につくり上げた神に権威を持たせ、正義を付与しました。そして神の名を唱えて自分たちの行為を正当化してきました。地球上の国家や民族・部族が、自分たちの勝利と敵の敗北を自分たちの神に祈ってきました。自分たちの神が強力な味方となって勝利をもたらしてくれることを願って、お互いに殺し合いをしてきたのです。神の名を掲げた人殺しの歴史が、21世紀の現在に至るまで延々と続いてきたのです。

霊界から見たとき、地上世界はまさに“地獄”であり、その惨状は“悲劇”としか言いようがありません。こうした宗教の醜い実情を前にして、人々が「本当に神はいるのだろうか?」と不信感を抱いたとしても少しも不思議ではありません。

地球人類は本当のところ、神について何も分かっていないのです。現在の地球上にも、人生を懸け生命を捨てるほどの熱心な信仰者は多くいますが、そうした人々も「真実の神」については全く知らないのです。彼らは過去の人間たちが勝手につくり上げた神のイメージを信じ込み、空想の神をひたすら崇拝しているにすぎません。これまで地上世界には、神についての正しい知識・真実の神観がありませんでした。そのため真剣に神を崇拝し、熱心に信仰すればするほど神から離れ、的外れな方向に走ることになってしまうといった皮肉な結果を招いてきました。

正しい信仰をするためには、「真実の神の姿を知る」ということが何よりも重要です。本当の神観を持つことは、正しい信仰に至る不可欠な条件・大前提となります。正しい神観に立たないかぎり、信仰的熱意は決して良い実を結ぶことはありません。間違った神観に基づく信仰は“狂信・盲信”というマイナスの結果を生み出し、人々の地上人生をすべて無駄にしてしまうことになります。

スピリチュアリズムの到来によって地球人類は、初めて「正しい神の姿」を知り「真実の神観」を手にすることになりました。スピリチュアリズムの霊的真理によって地球人類の上に、「正しい神信仰・本物の神信仰」の道が示されることになったのです。

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