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(3)自分自身に対する絶望と、闘いの継続

真剣な歩みに比例して深まる、自己の醜さ・足りなさの自覚

自分自身に高いハードルを課すことによって、「霊的真理」が私たちに要求する厳しさが理解できるようになります。さらにそれを実践に移すと同時に、スピリチュアリズムにおける霊的人生とは、“霊的修行”そのものであることを実感するようになります。真理に対する知的好奇心のレベルを卒業して、日常生活における実践のレベルに至ると、真理が教える内容の深さと厳しさが迫ってくるようになるのです。

いったん霊的真理の実践の段階に至った人は、単なる知識レベルの学習には満足しなくなります。霊的知識の収集や心霊現象などには無意味さを覚え、馬鹿馬鹿しく感じられるようになります。それは明確な霊的進歩の一つの目安と言えます。

霊的真理を真剣に実践しようとすればするほど、それに比例して自分の醜さ・足りなさを強く自覚するようになります。何度も同じ失敗を繰り返し、なかなか成長することができない自分の弱さを思い知らされるようになるのです。そして霊的真理が圧力に感じられ、「自分はスピリチュアリストにふさわしくない」と考えるようになるかもしれません。

自分自身への絶望

同じ失敗を繰り返し、いつまでたってもそれを克服することができない現実を前にして、自分自身に絶望するようになります。内面の闘いに疲れ果てたときには、「闘いを放棄して、惰性で生活を送ったらどれだけ楽になるだろうか」といった考えが、心をよぎるかもしれません。

真剣になればなるほど、誠実にスピリチュアリズムの道を歩もうとすればするほど、誰もがこうした苦しみや絶望を体験することになります。まさにこれこそが、“地球”という霊性進化の未熟な惑星に住む地上人の宿命なのです。

大事なことは「闘いを諦めないこと」

いったんは世俗の生活に戻りかけてしまったものの、何かの拍子に「これではいけない」と思い直し、霊訓をもう一度読み返して気力を取り戻す――誰もがこれまで何度か、こうした体験をしたことがあるはずです。このように私たちの現実の歩みは、“聖と俗”との間を揺れ動きながら進んでいくものです。地球という物質性が強く支配する未熟な惑星に住むかぎり、物欲や本能に翻弄されることは避けられません。「自分自身の醜さに直面することによって、スピリチュアリズムという聖なる世界の素晴らしさを実感する」――この繰り返しがスピリチュアリストの歩みなのです。霊的向上にともない“聖と俗”とのギャップは、さらに大きくなっていきます。

地球人類の先駆けとしてスピリチュアリズムの道を歩み始めた私たちは、どこまでも清らかさを求める努力を続けていかなければなりません。たとえ何度も失敗を重ねるようなことがあったとしても、挫けることなく高い世界を求め、がんばり続けるのです。地球という進化の低い惑星での生活とはそういうものであると、心を決めなければなりません。

シルバーバーチは――「奮闘努力なくして、どうして霊的成長が得られるでしょうか」と言っています。全力を振り絞って闘いに負けた者は、闘いを避けて逃げた者よりも、はるかに崇高な霊的人生を歩んでいるのです。