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(5)自己犠牲あっての真の利他愛

――利他愛の実践には必ず自己犠牲がともなう

利他愛の実践とは、先に愛を与えること、愛を与え続けること、愛を与える相手を差別しないことです。こうした利他愛の実践には、必ず何らかの犠牲がともなうことになります。利他愛の実践には、「自己犠牲」は不可欠の要素なのです。「自己犠牲」なくして、利他愛の実践は成り立ちません。それに反して利己愛・自己愛は、他人の犠牲の上に自分の幸福を築こうとするものです。

ここでは利他愛の実践に欠くことのできない「自己犠牲」について見ていくことにします。

1)「自己犠牲」が利他愛の指標

相手にどのくらい愛を与えているかということは、相手のために「どのくらい犠牲を払っているか」によって示されます。自分が与えた愛の分量は、そのために払った自己犠牲の程度によって知ることができます。相手に対する愛が本物であるなら、必然的にそれに見合った自己犠牲を払うようになります。真の利他愛であるなら、喜んで自己犠牲を受け入れるようになるものです。すなわち、「自己犠牲の多寡によって利他愛のレベルが決定する」ということです。

はたして今、自分がどのくらい人類を愛しているか?――その答えは、自分が人類のためにどのくらい大切なものを犠牲にしているかによって、はっきりと示されます。それは「愛は口先ではなく、現実の犠牲的行為によって計られる」ということを意味します。イエスは、全人類の霊的救いのために自らの生命を犠牲にしました。また現在、地球人類救済のために働いている高級霊たちは、喜びに満ちた霊界での生活・霊的進化の歩みという最大の霊的宝を犠牲にして献身しています。

自分の財産や自分の大切なもの、自分の趣味や娯楽をどのくらい犠牲にしているかによって、自分の愛の深さが明らかになります。自己犠牲を多く払っている人間であればあるほど、その利他性はますます高められるようになります。

同じ利他愛であっても、他人のために、人類のために払っている自己犠牲の程度によって、利他性のレベルが決定されます。全体のため、全人類のため、より高い理想のために多くの犠牲をともなう行為であればあるほど、利他性のレベルは高くなり、霊的価値を持つようになります。そしてその真実の愛は、本人の「霊的成長」をいっそう促すことになるのです。

「我欲を捨て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.145

「愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表れます。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.146

「(愛は)互いが互いのために尽くす上で必要な、いかなる犠牲をも払わんとする欲求です。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.150

2)“無私”の程度が、利他愛のレベルを決定する

自己犠牲の精神は、どのくらい自分自身を無にしているか、人々のために自分を後回しにしているか、ということにおいてもはっきりと示されます。“滅私奉公”という言葉を聞くと、多くの人々はイヤな感じを持つかもしれません。時代遅れの道徳のように思うかもしれません。しかし、それは神の「利他愛の摂理」に一致した崇高な精神なのです。

「相手のため」という利他性が強くなり純粋になると、自分自身のこと、自己の利益などはすっかり忘れ、ただ相手のことだけに意識が占められます。こうした“滅私”の状態は、利他愛が最高レベル、最も純粋なレベルにまで高まった理想的な心境なのです。滅私とは、自己犠牲の精神の表れに他なりません。

世の中には利他愛という言葉を口にしながら、しっかりと自分自身の利益を計算している人間が大勢います。常に自分の利益を確保しつつ、愛の大切さを訴えるのです。もちろん、それは純粋な愛とは言えません。利他愛のレベルにおいて、まだまだ次元の低いものです。「最高の利他愛」とは、人類の霊的進化と真の幸福のために、自分が持っているもののすべて、人生のすべてを捧げる愛のことなのです。それは愛を最高の形で表現しているということです。

「あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.68

「自分のことより他人のためを優先し、自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.135

「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)  p.180