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(6)高級霊による真の利他愛実践の手本

利他愛の実践とは、先に愛を与える・愛を与え続ける・相手を差別せずに愛を与えることです。こうした利他愛の実践には、必ず「自己犠牲」がともなうようになります。利他愛の深さは、自己犠牲の量によって計ることができます。自己犠牲は、その人間の愛が本物であるかニセモノ(利己愛)であるかを端的に示します。愛を語り、立派なことを口にしている人間に本当の愛があるのかは、実際に自己犠牲を払っているかどうかによってはっきりと知ることができるのです。残念ながら地上世界では、自己犠牲の精神はほとんど見られなくなってしまいました。霊的世界に対する無知ゆえに、人々は犠牲を払うのは損をすることであると考えているからです。

しかし現実に、利他愛が実践されている所があります。それが霊界です。特に霊界からスピリチュアリズムを推進している高級霊たちは、自ら犠牲を歓迎し、無私の奉仕に携わる本物の利他愛の実践者ばかりです。高級霊こそが、真の利他愛の実践者であり、地上人にとっての手本と言えます。私たちに生きた利他愛の手本があるということは、本当に幸いなことです。それは私たちの“霊的人生”に、大いなる勇気を与えてくれます。

ここでは“犠牲精神”に裏付けられた高級霊の利他愛の実際を見ることにします。

1)霊界人の見本

地上人に対する霊界の人々の姿勢

地上世界において純粋な利他愛を持つには、どうしたらよいのでしょうか。どこかに、完全な利他愛に生きている人がいるのでしょうか。人類に対して、利他愛が最も価値あるものであることを教えてくれたのは、イエスでした。イエスの言動の中に、私たちは本物の利他愛を見ることができます。

しかし実はもっと身近に、純粋な利他愛の模範的実践者がいるのです。それが霊界の人々です。シルバーバーチは言うまでもなく、スピリチュアリズムに携わり人類を救うために働いている高級霊たち、そして私たち一人一人の背後にいて守り導いてくれている守護霊――こうした霊界の人々は、まさに私利私欲が全くない本当の利他愛の実践者なのです。高級霊からの「霊界通信」を通じて、地上時代のイエスに匹敵する利他愛の持ち主が私たちの背後に数え切れないほど存在し、常に愛し導いてくれている事実が明らかにされました。

利他愛に生きる霊界の人々は、地上人の霊的成長と真の幸福だけを願っています。私たちの幸せを自分のことのように思い、そのために献身的に働いているのです。高級霊たちは「霊的摂理」のもとで、可能なかぎり私たちを援助し、必要なものを惜しみなく与えてくれています。それでいて、見返りを一切期待してはいません。私たちが成長すれば自分のことのように喜び、愚かな利己的原因から失敗すれば悲しみ、哀れに思ってくれるのです。決して腹を立てたり、見捨てたりはしません。ただ一方的に与え尽くすだけで、すべてを良しとしているのです。

これまで私たちが出会った地上人の中に、こんなにも純粋な愛を注いでくれた人がいたでしょうか。母親は確かに、自分を顧みることなく子供のために尽くします。しかしその献身的な行為も、ほとんどが「肉体本能」から発しています。そのため、いかにも純粋に見える母親の愛さえも偏り、自分の子供が幸せであればそれで良しとする「利己性」の枠の中にとどまっているのです。

しかし霊界の人々(背後霊たち)の愛は、常に公平です。真に利他的であって、何ひとつ見返りを期待してはいません。

霊界と地上界の違い

霊界と地上界の際立った違いの一つは、地上世界は「利己性・自己中心性」が支配的であるのに対して、霊界では「利他性・利他愛」だけがすべてを支配しているということです。霊界では他人に与えること、先に与えることが常識となっています。他人よりも先に、自分が利益を得ようと思う者は一人もいません。自分だけが愛されたい、先に愛されたいと願う者はいないのです。

霊界ではそうした利己的な思いを持つと、たちまち心が苦痛を覚え、いたたまれなくなります。地上では肉体の異常を痛みとして感じますが、霊界では自らの利己性は、強烈な“心の痛み”として感じられるようになっています。霊界では、与えること、周りの人々に尽くすことに大きな喜びがともない幸福感が得られるため、誰もが無条件に「利他愛の実践」に向かうようになるのです。

幽界の下層を除いた霊界には、「利己性」という地上の未熟さ・悪は一切ありません。全霊界には「利他性」だけが存在します。他人のため、周りのために自分を役立てることが霊界人の“常識”となっているのです。私たちの住んでいる地上世界とは、何と大きな違いでしょうか。

地上では、自分のことより先に人のことを考える者はほとんどいません。自分のためではなく、他者と全人類のために生きようとする人間はめったにいません。もしそういう人間がいるとするなら、その人は周りの人々から特別な聖人のように見られることでしょう。マザー・テレサやガンジーは聖人と言える人間でしたが、霊界ではすべての霊が、そうした者ばかりなのです。私たちが「霊的成長」をなすためには、霊界の人々のあり方に倣(なら)って「利他愛の実践」に専念しなければなりません。

2)シルバーバーチの見本

シルバーバーチに見る愛の見本

シルバーバーチに代表される高級霊たちは、地上人を本当の霊的愛で愛しています。全く利己性のない純粋な愛で、私たち地上人を「霊的成長」へと導こうとしています。『シルバーバーチの霊訓』には、高級霊が持つ真実の愛が示されています。

「私は人間の苦痛の叫び声に無神経なわけではありません。できることなら重荷のすべてを、私が背負ってあげたいくらいの気持ちです。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.69

「私たちの仕事でいちばん辛いのは、時としてあなた方が苦しんでいるのを傍観させられることです。それがその魂にとって大切な葛藤であるがために、私たちにも手出しが許されないのです。(中略)あなた方の葛藤は、私たちの葛藤でもあるということです。にもかかわらず指一本あなた方を援助することは許されないのです。そんな時、私は涙を流していることがあります。救いの手を差し延べてはいけないことが分かっているからです。それが摂理だからです。苦しんでいる本人よりも、私の苦痛の方が大きいことがあることを知ってください。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.90

「霊的成長」を最優先するシルバーバーチの愛

今挙げた言葉から、シルバーバーチが、いかに深い愛と思いやりの持ち主であるかが分かります。それはまさに、子供のためなら自分の命をも顧(かえり)みず火中に飛び込む母親のようです。シルバーバーチは、地上の母親が我が子に対するのと同じような優しさを持って、地上人に臨んでいます。苦しみのすべてを代わって背負ってもいいというほどの思いを持って、地上人を導いてくれているのです。私たちは一人の例外もなく、守護霊をはじめとする多くの霊たちの大きな愛に包まれて、地上人生を歩んでいるのです。

さて、ここで重要な点は、そうした深い思いやりと優しさに満ちたシルバーバーチが、苦しむ地上人を前にして敢えて手助けをせず、傍観者の立場に身を置いているということです。そこには目先の苦しみを取り除いて楽にしてやろうとする愛の行為よりも、摂理を優先する毅然とした姿勢が貫かれています。苦しみの体験による本人の「霊的成長」を何よりも重視する、シルバーバーチの不動の姿勢がはっきりと示されています。

永遠の救いのために、一時的な救いを犠牲にする愛

シルバーバーチは、苦しむ地上人に直接的な優しさを与えようとはしません。厳しくとも、霊的成長に至る道を歩ませることを優先しています。霊的成長は、永遠の救いと幸せをもたらします。それに対して目先の苦しみを取り除く行為は、一時的な救いを与えることしかできません。シルバーバーチは、地上人により大きな救いを与えるために、小さな救いを犠牲にしようとしているのです。

地上人の立場からすれば、今直面している苦しみを取り除いてくれる方が、ずっとありがたいことでしょう。そうすればシルバーバーチは、地上人からもっと感謝されるようになるはずです。しかしシルバーバーチは、敢えて手助けをせずに、じっと耐えているのです。ここに地上の母親とは違った、はるかに深い愛の姿勢を見ることができます。もし、これが地上の一般的な母親なら、苦しんでいる我が子を前にして傍観していることは、とてもできないでしょう。周りから止められても、何としても助けてやりたいと思うに違いありません。

シルバーバーチは、単に優しいだけではない愛、敢えて手助けをしない愛、厳しい愛のあり方を教えてくれています。シルバーバーチの愛は、苦しみを取り除いたり肉体を癒すといったレベルのものではなく、常に「霊的成長」を優先する厳しさのともなったものなのです。霊的成長のためには、本人が望まないことや辛いことも与えるという「真の利他愛」の見本を示しているのです。