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(2)祈りの霊的効用

――霊的人生に不可欠な祈りの実践

瞑想や祈りの重要性を主張しない高級霊はいません。シルバーバーチをはじめとする高級霊は皆、「一日のうちわずかでもいいから祈りの時を持つように」と繰り返し説いています。高級霊たちが口を揃えて祈りの必要性を強調するのは、祈りには、私たち地上人が考えるよりもずっと多くの霊的効用があるからです。インペレーター霊は――「祈りというものがどれほど豊かな霊的恵みをもたらすかを知れば、あなたもより多く祈るようになることでしょう」『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.166)と述べています。霊的人生を歩むうえで「祈り」は、とても重要な実践項目なのです。

ここでは霊的効用の観点から「祈り」について見ていきます。

1)祈りによって霊的エネルギーが取り入れられ、霊的意識が高まる

祈りの直接的な効用は――「霊的エネルギーを取り入れて霊的意識のレベルを引き上げ、より神に近づくことができる」という言葉に集約されます。シルバーバーチは――「祈りとは本来、波長を普段より高めるための霊的な行為です」『霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.173)と述べ、祈りは霊的エネルギーを取り入れ、霊的意識をレベルアップさせるものであると説明しています。

祈りによって地上人は、霊の大気中から霊的エネルギーを補充して「霊主肉従」の状態をつくり、霊的存在としての基本ラインに立つことができるようになります。その結果、肉体の中に閉じ込められ、薄らいでいた霊的意識が取り戻されることになるのです。このように祈りは、霊的エネルギーを取り入れることによって、さまざまな霊的効用をもたらします。祈りは、人間にとって一番大切な霊的エネルギーを補充するための、きわめて重要な霊的行為です。それは最も純粋で高次元の霊的実践なのです。

「真の祈りとは魂が生気を取り戻し、力を増幅するための手段、言い換えれば、より多くのインスピレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段であると言えます。それによって神の意思との調和が深められるべきものです。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.226〜227

「衷心からの祈りは、その祈りそのものの力によって波動を高め、より高度なエネルギーを活用することができるようになります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。(中略)真実の祈りは偉大なる霊的行為です。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.134

「祈りとは、我々のまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によって、ほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくして我々に本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。」

『シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社)  p.198

2)祈りによって霊的人生の実践が強化される

人間が積極的に霊的意識を高め、意欲的に霊的成長の道を歩もうとするとき、祈りはきわめて重要な意味を持つことになります。祈りによって“霊的エネルギー”が取り入れられると、意識の中心が物質世界から霊的世界に切り替わり、物質の牢獄状態から抜け出せるようになります。そして肉体に閉じ込められていた霊的意識を取り戻し、物質世界とは別の世界があったことを実感できるようになります。祈りを通して霊的エネルギーのレベルが上昇することによって「肉主霊従」の状態から脱し、「霊主肉従」の状態へと自らを引き上げることができるようになるのです。霊的存在である人間としての“最低ライン”に立つことが可能となるのです。

また、霊的エネルギーが蓄えられることによって「霊」と「霊の心」が活性化し、利他愛を実践する意欲や力が湧いてくるようになります。「霊的視野」を取り戻し、苦しみや困難に対して広いところから対処することができるようになります。苦しみを小さなものとして位置づけできるようになり、地上的な出来事に翻弄されることがなくなります。そして“不動心”と“霊的楽天性”を持つことができるようになるのです。

このように祈りは、「霊優位(霊主肉従)の努力」「利他愛の実践」「霊的真理の伝道」「苦しみへの正しい対処」という霊的人生の実践を推し進めることになります。この意味で祈りは、霊的人生をスムーズに歩むための強力な補助手段と言えます。さらに祈りは、「道具意識」「犠牲精神」「霊的視野」というスピリチュアリズム精神を深めることにもなります。祈りは、地上人の霊的成長にとってきわめて重要な霊的手段です。まさに祈りは、霊的人生を歩むうえで不可欠な霊的実践と言えます。

「そういう人は、身は地上にありながら、きわめて高い霊性を発揮します。何となれば、日頃から霊と交わることを知り、霊的栄養を摂取しつつあるからです。彼らには、物的生活に埋もれている者には閉ざされている霊的真理の秘密の扉が開かれていることになります。そして不断の祈りによって、少なくとも、地上生活においては苦しみも悲しみも魂の成長にとって必要不可欠であることを悟りつつ、なおそれに超然とした生活を送ることができるのです。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.169

3)祈りによってスピリチュアル能力が引き出される

霊的世界との交わりを持ち、霊界の人々の援助を得ようとする人間にとって「祈り」は、なくてはならない霊的手段です。祈りによって霊界から導いている霊たちとの関係が密接になり、さらなる援助がもたらされるようになります。そして霊界の人々の道具として、より多くの奉仕のチャンスが与えられるようになります。こうして「真のスピリチュアル能力」が発現することになるのです。

世の中の大半の霊能者は、個人的な範囲で「サイキック能力」を発揮していますが、単なるサイキック能力では、大きな働きをすることはできません。次元の低い霊的活動しかできません。多くの霊たちの援助・協力を得ないかぎり、次元の高い霊的奉仕をすることは不可能です。そうした霊界の高級霊たちの援助を受ける能力が、「スピリチュアル能力」なのです。

利他的で真摯な祈りは、霊界の人々を惹きつけ、莫大な援助を引き出すことになります。その結果、一人の人間の霊能力(サイキック能力)による活動とは比べものにならない、何十、何百倍もの貢献が可能となるのです。

「祈りとは光明と導きを求めての魂の叫びです。その行為そのものが回答をもたらすのです。なぜならその行為が思念のパワーを生み出すからです。そのパワーが原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。霊は、あなたが何を祈るかを待っているわけではありません。その必要はないのです。祈りの思念そのものが、その波動のレベルの界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。

当然その霊たちも役に立つことを切望していますから、あなたの思念のパワーにその霊たちのパワーが加わって、一段と強力になります。あなたが生み出した思念が新たな活動を呼ぶわけです。あなたの霊性のレベルに応じた段階での宇宙のエネルギーを動かすのです。と言うことは、そのエネルギーをあなたも活用することができるようになったということです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.139

4)祈りの効用を決定するのは、祈る人間の霊格

このように祈りには、さまざまな霊的効用がありますが、誰にでも良い結果がもたらされるというわけではありません。同じ祈りの言葉を唱えても、祈る人の内容によって祈りが聞き届けられたり、全く聞き届けられなかったりというようなことが生じます。ここに、祈りの厳格さと深さがあるのです。

重大な結論を言えば――「祈りの効果は、祈る人の動機と霊格によって決定する」ということです。祈る人の霊格(霊性レベル)が高ければ、その祈りは聞き届けられますが、霊格の低い人・霊性の未熟な人の祈りは無視されるか、聞き届けられません。

霊格と霊性は同じで、その人の「霊的成長レベル」を意味します。霊格(霊性)のレベルは、その人が「神の摂理とどの程度まで一致しているか」ということによって示されます。代表的な神の摂理は「利他性・利他愛」です。したがって利他愛を多く持っていればいるほど、その人間の霊格は高いということになります。

霊格の高い人は無私無欲で奉仕性に富み、常に人類全体の幸福を優先して求めます。そうした人は、自分自身の利益を求めるような祈りはしません。物質的な利益を求めるような祈りや利己的な願い事は、決してしません。霊格の高い人は、霊界の高級霊と同じように、より多くの人々の幸福と霊的成長を真っ先に願うものなのです。その祈りは神の摂理である「利他性」と一致しているため、必ず聞き届けられるようになります。

祈りの効用を決定するのは、祈る人の「霊格(霊性)」です。それには地上的な肩書きは一切通用しません。大主教や大僧正といった地上では権威のある肩書きも、霊界では全く認められません。たとえ立派な肩書きがあっても「霊格」が優れていなければ、その人間の祈りは聞き届けられず、何の効用も得られないのです。

「地位には関係ありません。肝心なのは祈る人の霊格です。大主教が霊格の高い人であれば、その祈りには霊力が備わっていますが、どんなに立派な僧衣をまとっていても、スジの通らない教義に凝り固まった人間でしたら、何の効果もないでしょう。(中略)要するに大霊は肩書きや人数ではごまかされないということです。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格です。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.173