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1)祈りの対象について――誰に向けて祈るのか

祈りとは、「魂の親」である神に向けての率直な語りかけです。祈りは、他の人間に話しかけるのと同じように、神という一人の相手に向かって話しかける霊的行為です。したがって、祈りの対象は「神(大霊)」だけということになります。

私たちの祈りは、霊界の天使や守護霊たちを通じて神に届くことになりますが、それはどこまでも「唯一の神(大霊)」に向けての働きかけです。この意味で多神教の信仰は間違っています。多神教で見られるような、さまざまな霊的存在(天使・守護神・背後霊・イエスやマリアといった人物など)や自然界の力を対象とする祈りは、正しい祈りではありません。霊界の霊たちは、自分に向けて祈りが捧げられることを決して喜びません。それどころか、自分が信仰の対象とされるのは神の摂理に反していることを知っているために、とても嫌がります。

「すべての祈り、すべての憧憬は神へ向けるべきです。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.168

(質問)――祈りの対象は自然の摂理であるべきでしょうか。

「いえ、対象は内にも外にも存在する大霊であるべきです。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.113

「イエスを祈願の対象とするのは間違いです。祈願は大霊に捧げるべきであって、大霊の使者(イエス)に捧げるべきではありません。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.159

「いわゆる指導霊信仰というのがそれです。指導霊というのは崇拝の対象とされることを望まないものなのです。唯一崇拝の対象とすべきものは宇宙の大霊、すなわち神です。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.18

浅野和三郎によって唱導された神霊主義(和製スピリチュアリズム)は、スピリチュアリズムと神道を折衷してつくられたものです。そのため神道の神々を信仰対象とするようなところがあり、氏神である産土神(うぶすながみ)に参拝することを勧めます。しかしそれは、シルバーバーチが述べている“指導霊崇拝”に他なりません。産土神は下級天使であり、祈りの対象とすることは間違いです。肉体を持ち霊性の低い地上人には、人間的なカルマのない天使は光り輝く存在として映りますが、祈りの対象にすべきではありません。

霊的真理に照らしてみると、浅野式“和製スピリチュアリズム”には多くの問題点が見られます。今や日本は、過去の未熟なスピリチュアリズムの段階を越えて、「本物のスピリチュアリズム」を普及させる時代を迎えているのです。

2)祈りの時間と場所について――いつ、どこで祈ったらよいのか

祈りをするときには、誰もいない、自分一人だけの時間と場所をつくることが必要となります。時間について言えば、祈りやすい時間帯とそうでない時間帯があります。また、祈りやすい場所と祈りにくい場所もあります。いつがよいのか、どこがよいのかは、自分の霊的感覚で判断して決めなければなりません。

時間帯としては、人々が活動する昼間よりも、早朝や夜間の方が深い祈りができます。場所としては、一般的に多くの人々が集まる場所は霊気が汚れ、祈りが通じにくいものです。それに対して人里離れた海や山などの自然界は霊気が澄みきっていて、祈りやすい場所と言えます。しかし理想としては、いつ、どこであっても、深い霊的世界に入っていけるようになるのがよいのです。忙しい日常生活の中にあっても、自分が今いる場所を、あまり時間をかけずに聖別された空間にすることが大切なのです。

一方、祈祷会などのように複数の人たちと一緒に祈りをするときには、前もって集まる時間と場所を決めておくことが必要です。地上人の決意に応じて、霊界の人々がその時間と場所に対する準備をしてくれるからです。これは交霊会を開くにあたって、あらかじめ時間と場所と参加メンバーを決めておくのと同じことです。それによって霊界の援助と導きを得やすくなります。

世間では“心霊スポット”とか“パワースポット”といった言葉が流行しています。ニセ霊能者はテレビや雑誌で、「あの場所には霊が多く出現する」とか「霊的パワーがみなぎっていてエネルギーで満たされている」といった、いい加減なことを言います。そのため低俗な好奇心に駆られた人々が、興味本位で足を運ぶようになるのです。パワースポットとして、しばしば寺社や修行場や祈祷場などが挙げられますが、実際にはそのほとんどが何の根拠もないウソ・出まかせです。

低級霊が集まる場所がパワースポットとしてよく取り上げられ、そこを訪れた人々に“憑依現象”を引き起こしています。

3)祈りは一人ですべきか、皆と一緒にしてもよいのか

祈りは、神との一対一の交わりである以上、一人で行うことが原則です。しかし、同じ思いを抱いた信仰者(スピリチュアリスト)同士が集まって祈祷会を設けたり、礼拝をする場合もあります。そこでは必然的に、皆で揃って祈りを捧げることになります。その場合、全員の中の一人が代表して祈ったり(代表祈祷)、各自がそれぞれの祈りを一斉に捧げる形式をとったりします。また、チャンティングとして同じ祈りの言葉を全員で唱和するという形式をとることもあります。

集まった人間が皆、高い理想に燃え、純粋な奉仕精神に満ちているときには、揃って捧げる祈りは大きな力を発揮することになります。しかし、それについては注意すべき点があります。世俗的で霊性の低い者たちが集まって利己的な願い事をするなら、どれだけ大勢の人間が一斉に祈っても、その効果は全くないということです。

祈りは純粋な霊的行為であり、祈る人間の「霊格」がすべてを決定します。一人の霊性の高い人間の祈りは、1000人の霊性の低い人間の祈りよりも良い結果をもたらします。常に「霊的真理」の実践を心がけ、全人類の霊的向上を願う人間が「摂理」にそった祈りをするとき、それは大きな威力を発揮するようになるのです。祈りの威力は、祈る人数とは無関係です。

シルバーバーチは次のように述べています。

「いけないのは、集団で行う紋切り型の祈りです。意外に効果は少ないものです。要するに大霊は、肩書きや人数ではごまかされないということです。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格です。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.173

(質問)――宗教集団で行う日課の祈祷は、霊界に何か影響を及ぼすのでしょうか?

「ほんのわずかな間でも、波動が一つにまとまれば影響が出るでしょう。が、祈りとは、本来はやむにやまれず発する魂の叫びです。組織的な体制で、機械的に行う行事は祈りではありません。」

『スピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)  p.25

一方、マイヤース霊も、シルバーバーチと同じような内容を述べています。

「集団での祈りは一人での祈りより、さらに難しいものです。一緒に祈っている他の人々の声によって気が散漫になり、全体の雰囲気に引き込まれてしまうからです。

しかし、一堂の者の心が一つになり、魂の奥から祈っている時は強烈な霊力を生み出します。大霊のもとに届くだけでなく、暗い世相の中でインスピレーションの火花となって、祈りなど思いも寄らない無明の人々の心を明るく照らし出すのです。(中略)それゆえ集団で祈る時は全身全霊を込め、よほどの必要性、よほどの目的をもって祈れば、それは時が至れば豊かな実りをもたらすタネ蒔きをすることになるのです。

しかし改めて注意を促しますが、機械的な祈り、型にはまった口先だけの読経では、誠意もなく、魂の輝きもなく、慣れ過ぎているために生命が通っていないので無意味です。」

『マイヤースの通信 個人的存在の彼方』(スピリチュアリズム普及会)  p.178〜179

『マイヤースの通信』については翻訳原文の文体・表現を改めています。

4)祈りは声に出してすべきか、心の中ですべきか

祈りに際しては、声に出すべきか、声に出さずに心の中だけでした方がよいのか、という問題があります。シルバーバーチは――「声に出して祈ることで自分の考えが明瞭になるため、声に出す方がよい」と述べています。とは言っても、そうでなければならないと言っているわけではありません。

しかし実際、声に出すと、祈ってよいことと悪いことの区別をしなければならなくなり、おのずと自分の姿勢もしっかりして、真理にそった祈りをせざるをえなくなります。そうした中で、自分の心の内にあった不純さが払拭されるようになります。一方、声に出すと、深い祈りがしにくくなるというマイナス面もあります。どちらにすべきかは、ケースバイケースで判断すればよいのです。

もし、意識の集中がすぐに途切れてしまうようなときには、用意した祈りの言葉を心をこめて何十回、何百回と繰り返し唱えるのもよい方法です。

「大霊には無数のメッセンジャー、無数のチャンネルがあります。神意を行きわたらせることを任務とした高級神霊(天使)の一大組織が張りめぐらされております。ですから、もしもあなたが大霊に向かって語りかければ、黙って念じるだけでも、精神統一でも、あるいは声に出して祈ることによってでも、あなたの意志が大霊に届けられます。声に出すということは良いことです。念じるだけではとかく乱れやすい思念を明確にまとめ、具象化することになるからです。しかし声に出す出さないに関係なく、衷心からの切望は大霊に知られると同時に、神意の行政を司る任にある高級霊(天使)に届きます。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.95〜96

「ただ、祈り方についてこちらから注文させていただくとすれば、黙祷よりも声に出した方が、その人が本当に目指しているものは何かが明確になるという利点があります。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.115

5)神の呼称について――祈りでは神を何と呼んだらよいのか

シルバーバーチは祈りの中で、神を「大霊」と呼んでいます。これはシルバーバーチ独特の呼び方です。他の高級霊は、“神(ゴッド)”と言ったり“天の父”と言ったりしています。日本人の感性や馴染みやすさを考えたときには、「神様」や「天の親様」といった呼称のほうがしっくりするかもしれません。もちろん「大霊」や「大霊様」と呼びかけるほうがふさわしいと思われる方は、それでよいのです。霊的真理にそった正しい神認識に立った祈りなら、呼称は何でもよいということになります。

ただし、霊的真理が示されて「神」が男女の性を超越した存在であることが明確にされた以上、従来のような男性格(天の父、父なる神、天のお父様)で呼ぶことは卒業すべきです。

多くの人々がシルバーバーチの祈りに感動し、それを称賛してきました。シルバーバーチは、祈りの雰囲気をとても大切にしています。シルバーバーチは祈りの中で、しばしば古典的な英語を用いていますYouをThou(汝)、YourをThy(汝の)、YoursをThine(汝のもの)などです)

ある日の交霊会でシルバーバーチは、「あなたはなぜ、バイブルの中の古くさい英語を用いるのですか?」と質問され、次のように答えています。「私は古い時代に生きた人間、古い霊ですから、古い言葉がとても好きなのです。それは美しさを持っています。(中略)魂は大霊の一部分、大霊の分霊であるため美に満たされています。それを地上の言語で表現しようとするとき、最も適切な表現を探し求めることになります。私はバイブルの古い言葉の中に、シンプルにしてなおかつ威厳のある最もふさわしい表現を見いだすのです。」

シルバーバーチは自らの祈りについて、このように説明しています。

6)祈りの内容について――どのような言葉を述べたらよいのか

神も守護霊も、祈る私たちの心の内をすべてご存じです。私たち一人一人の魂の成長にとって必要なものや、最低限の生活必需品についても知っています。さらには、私たち一人一人が抱えている前世のカルマや、今後の人生についても明確に見通しています。そうした相手に向かって、いったい何を祈ったらよいのでしょうか。自分のすべてを知り尽くしている相手に、わざわざ語りかける必要があるのでしょうか。

しかし、それでも祈りは必要です。なぜなら、祈りを通して神との触れ合いを重ねることで“霊的絆”がよりいっそう深まるからです。それによって魂に力を得て、霊的成長が促されるようになるのです。

ここでは「祈りの内容(言葉)」について、具体的に見ていきます。

神に語りかける際の最低限のエチケットを守る

祈りの内容(言葉)は、祈りを実践するうえで最も重要な要素であることは言うまでもありません。祈りの内容によって、正しい祈りであるか、間違った祈りであるかが明確に区別されます。祈りは「霊の親」である神への語りかけという純粋な霊的行為である以上、当然のこととして、口に出してよいことと悪いことをわきまえなければなりません。

この世の人々(宗教家・信仰者)がしている大半の祈りは、神への願い事・神への要求になっています。しかもその内容は、物質的利益や名誉といったどうでもいいことばかりです。また、自分たちの教団を大きくしてほしいとか、自分たちに敵対する勢力を滅ぼしてほしい・敵を懲らしめてほしいといった、一方的で身勝手な願い事がほとんどです。神が万人にとっての霊的親であり、すべての人間の霊的成長を願っていることや、この世のあらゆる出来事が摂理によって機械的に支配されており、それゆえ完全平等・絶対公平の世界となっている事実など全く念頭にありません。

そうしたご利益信仰レベルの利己的要求を、神と霊界の人々がまともに受け取るはずはありません。“低級霊”のからかい・いたずらを引き起こすだけです。魂の成長とは無関係な祈り、摂理(因果律)を無視した祈りは、その人間にとってマイナスになるだけでなく、何よりも神に対して失礼に当たります。

これまで、大半の地上人は間違った祈りをしてきました。現在まで、大多数の宗教がきわめて身勝手で失礼な祈りを延々と続けてきました。正しい祈りは「霊的真理」を真に理解したうえでのみ、初めて可能となるものなのです。

「本当の祈りとご利益信仰との違いを述べれば、祈りが、本来、どうあるべきかがおわかりいただけると思います。ご利益信仰は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶわけにはいきません。ああしてほしい、こうしてほしい、お金がほしい、家がほしいといった物的欲望には、霊界の神霊はまるで関心がありません。そんな欲求を聞いてあげても、当人の霊性の開発、精神的成長にとって何のプラスにもならないからです。」

『スピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)  p.26

繰り返しますが、祈りには“大原則”があります。それは摂理の働きを無視した自己中心的な祈りや、この世の富や名声を求めるような祈りをしてはならないということです。「霊的真理から外れた人間中心の願い事(要求)をしてはならない」ということです。こうした祈りは“百害あって一利なし”です。

これが神に語りかける際の最低限のエチケットと言えます。

「ひたすら祈るのです。(中略)ひたすら魂に関わる問題にのみ心を向けるのです。他のことは収まるべくして収まります。(中略)あなたの魂の安寧に関わる核心的真理に集中しなさい。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.169

『霊訓』については翻訳原文の文体・表現を改めています。

摂理に一致した祈り

霊的真理から外れた祈りをしないということは、「神が造られた摂理(法則)にそった祈りでなければならない」ということです。こうした祈りの大原則を守りさえすれば、あとは自分の思いを率直に自由に述べればよいのです。語り方についての決まりはありません。

「霊主肉従を実行するための霊力」を求めたり、「利他愛実践のためのエネルギー」を与えてほしいと願い出るのもよいでしょう。「スピリチュアリズムに参加する自分の決意」や「これまでの導きに対する感謝・お礼」を述べるのもよいでしょう。そして時には、未熟さゆえに犯してしまった「罪に対するお詫び」も祈りの言葉になるでしょうただし、それで“罪”が許され消えることにはなりませんが……。「逆境に負けない強い心」を求めることも、「世界中の人々の救いと幸せ」を願うことも祈りの言葉になります。

霊的成長と利他愛に関係することならすべて「神の摂理」に一致していますから、そのまま祈りの言葉になるのです。

正しい祈りの項目とは

シルバーバーチは正しい祈りについて、具体的に次のように述べています。「自分を人のために役立てたいと願う祈り」「真理、光明、導きを求める祈り」「大霊の心と一体となり、大霊の道具として有意義な存在でありたいと願う祈り」「大霊に近づきたいとの魂の切実な願望からの祈り」「より多くの知識、より深い悟り、善を行うためのより強い心を求める祈り」「万物の背後に控える霊力との融合を求める祈り」――こうした内容であれば、どれも「神の摂理」に一致した正しい祈りと言えます。

ここで「霊的真理」に照らして、正しい祈りの項目と祈りの言葉を列挙しておきます。これを参考にして、祈りの実践に臨んでください。

■自分の霊的成長に関する祈り
●自分の醜い心をなくし、弱い心を強くしてほしい。(霊主肉従)
●魂を成長させるための苦しみに耐える力を与えてほしい。(苦しみへの正しい対処)
■利他愛実践と伝道に関する祈り
●もっと深く人を愛せるように、自分の心に広くて純粋な愛をやどらせてほしい。
●周りの人々に一刻も早く時期がきて、霊的真理を受け入れられるようになってほしい。
●時期のきた人と出会わせてほしい。(伝道)
■道具意識に関する祈り
●もっと人々のために働かせてほしい。霊界の道具として役立ててほしい。
■犠牲精神と使命に関する祈り
●人類のために、犠牲の道を歩ませてほしい。
■霊的視野に立って自分の心を広くするための祈り
6章(4)「霊的視野」の箇所を参考にしてください。
■神の愛と摂理の支配を賛美する祈り
※シルバーバーチの祈りを参考にしてください。シルバーバーチの交霊会は、神と神の摂理を賛美するシルバーバーチの祈りで始まり、神への感謝の祈りで終わっています。
■スピリチュアリズムを進める高級霊に対する感謝の祈り
■スピリチュアリズムの展開に関する祈り
■人類全体の霊的向上と霊的同胞世界の確立を願う祈り
■触れ合う人々の霊的成長と真の幸福を願う祈り

こうした純粋で「霊的真理」にそった祈りなら、神と霊界の人々は確実に聞き届けてくださることでしょう。

“祈りノート”をつくる――力を発揮する個人用の祈り集

自分のための祈りノート(祈り集)をつくっておくと、意識が集中できないとき、祈りができないときにとても役に立ちます。心境が高いときには、深い祈りの言葉が浮かんできます。それをノートに記しておくのです。そうした自作の言葉を心を込めて唱えると、徐々に深い祈りの世界に入っていけるようになります。祈りノートは、一生の霊的宝となることでしょう。

祈りノートは、ケースに分けて記録するようにします。祈りの言葉をケースごとに分類して書き留めておくということです。ケース分けとは、具体的には次のようなものです。

  • ●朝起きた時の祈り・夜寝る前の祈り・人と会う前の祈り・人と会っている時の祈り・仕事を始める前の祈り
  • ●神の愛と摂理に対する賛美の祈り・スピリチュアリズムを進める霊界の高級霊たちへの感謝の祈り
  • ●霊的世界と地上世界に関する祈り・地球人類全体に関する祈り・周りの人々に関する祈り・家族に関する祈り
  • ●霊主肉従に関する祈り・利他愛に関する祈り・伝道に関する祈り・辛い時の祈り

こうした自分だけの“祈り集”を活用することによって、一日を祈りで始め、祈りで過ごし、祈りで終えることができるようになっていきます。スピリチュアリストは常に祈り、“祈りの人”として神と語らいながら日々を過ごしていかなければなりません。