MENU

(6)祈りの結果について

もし、祈りによって何の結果も生じないとするなら、それは虚しい行為になってしまいます。祈りをする人間は例外なく、自分の祈りが聞き届けられ、良い結果が現れることを期待しています。しかし実際には、祈りが聞き届けられたというような話はあまり耳にしません。これにはどういう理由があるのでしょうか。スピリチュアリズムでは祈りの結果に関して、どのように考えているのでしょうか。

ここでは「祈りの結果」について霊的観点から学んでいきます。

1)祈りを聞き届けるのは霊界の霊たち

祈りは、「神の代理者」である霊界の守護霊や背後霊や天使によって受け取られ、聞き届けられることになります。「神の子供」である私たち人間は常に、霊的親である「神」に向けて祈るべきですが、実際にはその祈りは背後の霊たちが受け取り、摂理に適った形で結果をもたらすようになります。神が直接、手を下すようなことはありません。その意味で私たちは、霊界の霊たちに感謝の思いを持つことが必要です。

「祈りとは光明と導きを求めての魂の叫びです。その行為そのものが回答をもたらすのです。なぜならその行為が思念のパワーを生み出すからです。そのパワーが原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。霊はあなたが何を祈るかを待っているわけではありません。その必要はないのです。祈りの思念そのものが、その波動のレベルの界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。

当然その霊たちも役に立つことを切望していますから、あなたの思念のパワーにその霊たちのパワーが加わって、一段と強力となります。あなたが生み出した思念が新たな活動を呼ぶわけです。あなたの霊性のレベルに応じた段階での宇宙のエネルギーを動かすのです。と言うことは、そのエネルギーをあなたも活用することができるようになったということです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.139

「切実に祈るその心の姿勢が、待機している背後霊との連絡路を開き、その必要性にかんがみて力と慰めとを授けてくれます。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.167

『霊訓』については翻訳原文の文体・表現を改めています。

祈りは、神との直接的な対話です。祈りを受け取り、神に届けるのは霊や天使であっても、祈りの対象は当然「唯一の神(大霊)」でなければなりません。ところがこれまで日本のスピリチュアリズムには神道の影響が強く残り、神社への参拝が正しいことであるかのような間違った認識が存在してきました。

一般の人々が寺社にお参りすることについては、「いまだ玩具(おもちゃ)が必要な段階にある霊的に未熟な人間に対しては、寛容に眺め接していく」というのがスピリチュアリズムの立場です。とは言っても、すでに「霊的真理」を手にしたスピリチュアリストが、一般の人々と同じように玩具にとらわれているとするなら大問題です。一刻も早く、そうした幼稚な信仰レベルは卒業しなければなりません。スピリチュアリズムは一神教の信仰であり、神道に代表される多神教の信仰とは根本的に異なるという大原則を、しっかりと自覚しなければなりません。

一方、世界の宗教の中には、神の代理者の立場にある“霊的存在”を否定して、神とのみ直接関係を持つべきであると主張する人たちがいます(*ヨーガの一派など)。しかし、これは霊界の事実が全く分かっていない「霊的無知」から出た観念論にすぎません。地上人の祈りは、霊界の霊たち(守護霊・背後霊・天使)を通じて神に届けられ、摂理にそった形で結果がもたらされます。霊たちが存在しなければ、現実には祈りの結果は発生しません。この意味で、霊界の霊たちの介在なくして、神と直接結ばれるとする信仰は正しいとは言えません。

「待機している背後霊が、その重荷に苦しんでいる魂に同情と慰めの芳香を注ぎ込まんと努力している姿を見れば、魂が覚える何とも不思議な安らぎと、神への確信がいずこから来るかが理解できるでしょう。それをもって祈りが叶えられたというのです。魂の奥底からの叫びが背後霊団とのつながりをもたらし、苦しみと悲しみに悶える心が慰められるのです。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.166〜167

2)正しい祈りは、正しい結果をもたらす

祈りがもたらす正しい結果とは

祈りが利他的で摂理にそった正しいものであるなら、それは“善なる原因”となって、良い結果を生むことになります。

正しい祈りは霊主肉従の力をもたらし、利他愛実践の意欲をふくらませます。その結果、霊的成長が促されるようになるのです。また、正しい祈りは霊的エネルギーを取り入れ、霊的視野に立った高い心境と心の安らぎ・喜びをもたらします。さらには、守護霊や背後霊との関係を強化し、より多くの導きと守護が得られるようになります。そして伝道をはじめとする真の奉仕のチャンスが広がることになります。祈りがもたらす良い結果とは、こうしたさまざまな“霊的恩恵”のことです。それは霊的存在である人間にとって“最高の宝”が与えられるということなのです。

利他的祈りは、必ず良い結果をもたらす

自分の利益を忘れ、他者と人類全体の進化・幸福を優先した祈りは、必ず聞き届けられます。そうした利他的祈りは「神の摂理」に完全に一致した行為となっているからです。それとは反対に、物欲を満たすことを願い、自分の利益と幸福を優先的に求めようとする利己的祈りは無視されます。そうした祈りは摂理に反しているからです。

「利他的祈りは必ず聞き届けられ、利己的祈りは必ず無視される」――これが祈りの鉄則です。

「いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。動機さえ真摯であれば、つまりその要求が人のために役立つことであり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば、決して無視されることはありません。」

『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.56

「知識の領域を少しでも広めようとする努力、病める人を一人でも多く治してあげたいと思う心、死別の悲しみに暮れる人をもっと慰めてあげたいと思う気持ち、人生に疲れた人があなたという灯台を見つけられるようにいっそうの輝きを増したいという願い――いずれも私たちが携わっている仕事なのですが――こうした真摯な祈りが何の反応もなく見過ごされることは絶対にありません。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.112

正しい祈りであっても、なかなか聞き届けられない……

利他的な正しい祈りであるにもかかわらず、はっきりと分かるような形で良い結果が現れないことがあります。霊的真理の普及活動(伝道)やスピリチュアル・ヒーリングといった利他愛の実践においては、しばしばそうした状況に遭遇します。無私無欲の精神に徹し、人類のために全身全霊で取り組み、相手のために誠心誠意祈ってきたにもかかわらず、なかなか良い結果が生じません。時期のきた人に出会いたいと願い祈り続けてきたのに、いつまでたってもそのチャンスが訪れません。

そのような時、誰もが大きな孤独感を抱くようになります。「神や霊界の人々は、本当に自分の祈りを聞いてくださっているのだろうか」「自分の祈りなど初めから聞いてもらえなかったのかもしれない」と思うようになります。実はこうした体験は、真剣に歩んでいるスピリチュアリストの誰もが味わうことなのです。そうした辛い世界を忍耐強く乗り越える中で霊界との絆が強化され、魂が鍛えられ、信仰心が深まり、霊界に対する信頼が強固なものになっていくのです。

正しい祈りは、摂理にそった形で実現していく

正しい祈りであっても、その結果は摂理にそったうえでしか現れません。地上人の正しい祈りは、霊界の人々を喜ばせ、その人間を「霊界の道具」として最大限に活用しようという意欲をかき立てることになります。

こうして地上人の祈りに呼応して、霊界では必死の働きかけが開始されますが、それが物質次元において結果として現れるには、一定の時間が必要となります。摂理的な条件が満たされたとき初めて、地上人に分かるような形で実現することになるのです。伝道やヒーリングの場合の条件とは――「相手の人間に霊的真理や治療エネルギーを受け入れる時期がきている」ということです。そのため地上人にも霊界人にも、常に多大な忍耐力が要求されることになるのです。

たとえ目に見えるような結果が現れないとしても、霊界では“ベストの道”が進行しています。良い結果が現れる前段階を着実に進んでいます。「霊界の人々によって最善の導きがなされている」ということを信じるのです。それが本当の忍耐力、大局に立った忍耐力というものです。「祈りの結果は常に、摂理にそった形で現れる」ということを忘れてはなりません。どれほど深い犠牲精神・無私の精神から発した祈りであっても、摂理という神の定めた規則のうえでしか結果はもたらされないのです。

「祈りは自然法則の働きを変えることはできません。原因と結果の法則に干渉することはできません。ある原因に対して寸分の狂いもない結果が生まれるという因果律を変える力は誰にもありません。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.222

「いかなる祈りにもその力はありませんし、絶対的な因果的連鎖関係を寸毫も変えることはできません。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.218〜219

「祈ることによって受ける援助は、その時点までに到達した精神的ならびに霊的発達段階に応じたものとなります。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.115

正しい祈りの実現には、時間がかかることが多い

正しい祈りは必ず聞き届けられるようになりますが、それがはっきりと分かるような形として現れるには時間がかかることが多いのです。その理由は明白です。祈りの結果はすべて、摂理にそった形でしか展開しないからです。したがって摂理的な条件を満たしていないかぎり、いかに正しい祈りであってもすぐには結果は現れません。

それは次のような事実を考えると、はっきりします。イエスをはじめとする霊界の億万の高級霊たちは、何百年も前から「すべての地球人類が霊的真理を知って霊的成長の道を歩み、真の幸福に至ってほしい」と祈ってきました。「地球上から悲劇をなくし、明るい世界を招来したい」という最高次元の利他的祈りを実践してきました。ところが、いまだにそれは実現していません。イエスや高級霊たちの祈りは、今後何百年もの時をかけて徐々に実を結ぶようになるのです。これは“祈りの結果”というものは、長い年月をかけて実現していくものであることを示す実例です。

これと同じことが、私たちの祈りについてもそのまま当てはまります。他人の霊的成長を願い必死に祈ったからといって、それがただちに実現するわけではありません。相手の人間の霊性が「霊的真理」を受け入れるだけのレベルに達していないかぎり、どんなに祈っても、すぐに良い結果は得られません。とは言っても、何十年という単位で見れば、間違いなく正しい祈りは良い結果をもたらすことになるのです。

3)間違った祈りは無視される

地上人の祈りの多くが間違っている

地上人がしている祈りは、そのほとんどが“神への願い事”になっています。時には神に対して、自然法則を超えた“奇跡”を要求するようなこともあります。こうした祈りをする人間が関心を持つのは、「神が自分の祈りを聞き届けてくれるかどうか」ということです。「神が自分の不幸を直接取り除いてくれるかどうか」という結果だけに関心が向けられます。そうした人間は、願い事が叶えば神に感謝し信仰に励みますが、そうでないときには神への信頼を失い、信仰が揺らぐようになります。

残念ながらこれまで地球上でなされてきた大半の祈りは、こうした間違ったものでした。地上の宗教において延々と行われてきた神への祈りは、(たしかに純粋であり真剣なものでしたが)常に神に対する一方的な願い事にすぎませんでした。「霊的真理」を知らないところでの祈りはエネルギーの無駄づかいとなり、祈る人の魂を貶めることになってしまいます。地球人類の多くがいまだに正しい祈りができていないという事実は、地球がいかに霊性レベルの低い惑星であるかを物語っています。

摂理に一致しない祈りは聞き届けられない

正しい祈りは、長い時間がかかることはあっても、最終的には必ず聞き届けられるようになります。“祈りの結果”について考えるうえで大切な点は――「祈りの結果はどこまでも霊的恩恵としてもたらされるものであり、摂理にそった形で実現する」ということです。それに対して物欲追求を目的とした利己的な祈りや、一方的で身勝手な願い事が聞き届けられるようなことは決してありません。

神が造られた世界では、自然法則を無視した現象は一切生じません。摂理(法則)に反した出来事は起こりません。「霊的真理」から外れた祈りは決して聞き届けられません。どんなに必死に祈っても、自然法則を変えることはできないのです。いかなる人間も、原因と結果の法則に干渉することはできないのです。地球上の人々が捧げる祈りの多くが、霊的真理にそったものではありません。それゆえ常に「無視される」という結果に終わっています。

間違った祈りが無視されるのは、ありがたいこと

この世的・物質的な利益を求める祈りは、すべて無視されます。そうした祈りは、摂理に反しているからです。もし、摂理に反した祈りが叶うとするなら、地球人類は霊的成長の道を歩むことができなくなります。ますますエゴ性を増大させ、醜い世界をつくり出すことになってしまいます。

この意味で、間違った祈りが無視され聞き届けられないことは、人間にとってよいことであり、ありがたいことなのです。

「人間の祈りを聞いておりますと、その願いどおりにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものがよく見られます。」

『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.168

「人間から、時おり自分の魂の成長にとってためにならないもの、かえって進化を遅らせることになるものを要求されます。それは、かなえてあげるわけにはいきません。また時おり、それを手にするに値するだけの努力をしていないものを要求されます。それも与えられません。」

『スピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)  p.18

間違った祈りが無視され聞き届けられないことは、結果的に見れば、人間の「霊的成長」にとって一番よいことです。祈りが無視されることは、本当はその祈りに対する最もふさわしい回答と言えるのです。

「もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.58

「祈りをあえて無視して、その状態のまま放っておくことが実はその祈りに対する最高の回答である場合がよくあります。こちらからあれこれと手段を講じることがかえって当人にとってプラスにならないという判断があるのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.170

「人間の祈りの中には、それを完全に無視することが最高の回答であるものがたくさんあります。言うとおりにしてあげることが、かえって当人にとってプラスにならないとの判断があるのです。」

『スピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)  p.27

時に、間違った祈りが聞き届けられるようなことがあるのは……

利他的で摂理に一致した正しい祈りであっても、なかなか目に見える結果は現れません。そうであるなら、物欲的で自分中心の間違った祈りが聞き届けられないのは、当然のことです。もし、間違った祈り・利己的祈りが実現しているように見える事態が発生したなら、それは“低級霊”が地上人を騙そうと画策しているものと思わなければなりません。低級霊が地上人を“罠”にかけて、悲惨な状況に追い込もうとしていることを見抜かなければなりません。

世間のご利益信仰の中ではしばしば、「自分の祈りが聞き届けられて大金が舞い込んでくるようになった」「欲しいものが次々と手に入るようになった」「運勢が良くなって何をしても上手くいくようになった」といった話が飛び交っています。そして、こうした話につられて多くの人々が騙されています。この種の話のほとんどが“人騙し”のための作り話にすぎません。

しかし時には、本当に祈りが聞き届けられて運が良くなり、大金が入るようになったと思われるケースが存在します。それは本人には大きな喜びをもたらしますが、霊的に見れば「最悪の結果が現れた」ということなのです。

間違った祈りは、無視されることによって大きな問題には発展しません。ところが間違った祈りが“低級霊”を引き寄せ、積極的な関与を招くようになると、事態は悪い方向に進んでいくようになります。祈りが聞き届けられたかのような状況を前にして、祈った本人は大喜びしますが、そうした「神の摂理」に対する違法行為を演出しているのは低級霊です。低級霊は地上人を騙して有頂天にさせ、最後にはどん底に突き落として苦しませ、それを見て楽しもうとするのです。そのために、わざわざ手の込んだ騙しを画策するのです。物欲的・利己的祈りが叶えられたような場合、あとになって必ずとんでもないトラブルや苦しみが襲ってくるようになります。

間違った祈りが聞き届けられると、地上人は際限なく物欲を増幅させていくようになります。そして大きな「カルマ」をつくり出し、それを清算するために、長い苦しみの期間を経なければならなくなります。人によっては死後、“地縛霊”となって低級霊の仲間に入り、さらにカルマを積み上げるようなことになってしまいます。

4)まとめ(6通りの祈りの結果)

これまで述べてきた“祈りの結果”についての内容を整理します。祈りの結果には、6通りのケースがあります。その1つ目は――「祈りが正しくて良い結果が現れる」という理想的なケースです。誰もが願う「祈りが聞き届けられる」というケースです。しかしこうした理想的なケースは、それほど多くあるわけではありません。霊的真理を知らず、摂理について何も分からない人々にとって、こうした祈りの結果はめったに起こりません。

とは言え、「霊的真理」を手にしたスピリチュアリストの場合は、理想的な結果を生むのに最も近い立場にあります。私たちスピリチュアリストは、人々に正しい祈りの手本を示し、「真の祈りは実現するものである」という事実を証明していく責任を担っているのです。

2つ目は――「祈りの言葉(内容)は正しいのに、本人の動機が不純であったり、形式的で誠意がないために聞き届けられない」というケースです。表面的には正しい祈りであるかのように映っても、実は動機が不純であるというものです。例えば、伝道のための祈りをしているものの、祈る人間の心は“実績をあげたい”という自己中心的な願望に支配されていることがあります。こうした場合、その祈りが聞き届けられることはありません。祈りは、どこまでも純粋な利他的行為でなければならないからです。

不純な動機から発した祈りは、いくら“スピリチュアリズムのため”という言葉を並べても、神や霊界の人々をごまかすことはできません。その言葉は正しくても、誠意のこもらない口先だけの祈りが聞き届けられることはないのです。

3つ目は――「祈りは正しくても、相手の人間に摂理的な条件が満たされていないために聞き届けられない」というケースです。伝道やスピリチュアル・ヒーリングは、相手の霊性レベルやカルマの清算状況と密接な関係があり、それが祈りの結果を決定することになります。相手の人間に真理(治療エネルギー)を受け入れる条件が整っていないかぎり、祈りが良い結果を結ぶことはなく、無視されたような状況に置かれます。相手には、さらなる苦しみの体験によるカルマ清算と霊的成長が必要なのです。

時には、祈りをしてあげた相手から非難されたり反発され、悲しい思いをすることがあります。相手に対する好意から祈りをしているのに、非難や反発が返ってくるようなときには、忍耐と寛容さが要求されることになります。それは高級霊や守護霊がこれまでずっと味わってきた悲しみであり、彼らと体験を共有しているということなのです。霊的に上位に立ち、他人を導びこうとする者にとって、こうした悲しみの体験は宿命的なものであり、それによって信仰心が鍛えられることになるのです。辛い体験ではあっても、祈りという利他的行為を実践した本人には、大きな霊的恵みがもたらされることになります。相手の内容ゆえに祈りが良い結果を結ばなくても、霊的成長にとってプラスとなる多くの学びを得ることになるのです。

4つ目は――「祈りが正しくて、もう少しで良い結果が現れる直前に至っている」というケースです。相手の摂理的条件が満たされるすぐ手前の段階で、良い結果が現れる時期を待っている状態です。地上人はとかく、早く良い結果をみたいと思い焦りますが、祈る人間には心のゆとりと霊界に対する信頼が必要となります。霊界の導きを信じて努力を継続する中で、やがて良い結果が現れるようになるのです。

5つ目は――「祈りの内容が間違っているために聞き届けられない」というケースです。この世的な利益を願う祈り・自己中心的な祈りは、祈り自体が摂理に反しているため、すべて無視されることになります。そうした祈りをすればするほど、ますます利己性が増大し、醜さが増していくことになります。残念ながらこれが、現在の地球上における大半の人々の祈りの実態です。

6つ目は――「祈りは間違っているのに、一見すると聞き届けられたかのように思われる」ケースです。霊的真理を知らない世間の人々は、この世的な利益(モノ・金・出世・人気・恋愛・結婚など)を求める祈りをします。こうした自己中心的な祈りが、時として実現するようなことがあります。そして本人は“祈りが聞き届けられた”と有頂天になります。

しかし物欲的・利己的な利益がもたらされるようになった背景には、地上人を騙して苦境に立たせようとする“低級霊”の悪意による働きかけがあるのです。その結果、地上人はさらなる不幸を招き寄せ、ひどい苦しみを味わうことになるのです。

祈りの結果についてのさまざまなケースを整理すると、次のようになります。

■6通りの祈りの結果

  • ①祈りが正しくて(動機が純粋で祈りに誠意がこもっているため)、良い結果(霊的恩恵)が現れるケース。祈りが聞き届けられるという理想的なケース。
  • ②祈りの言葉は正しいが、祈る人の内面に問題(動機が不純・祈りに誠意がこもらず口先だけ)があるため、祈りが無視されるというケース。
  • ③祈りは正しいが、相手に問題があるために良い結果が現れないケース。相手に摂理的条件が満たされていないために聞き届けられないケース。
  • ④祈りは正しいが、結果が現れるにはもう少し時間がかかるケース。しばらくして聞き届けられる可能性があるケース。
  • ⑤祈りの内容が間違っているために聞き届けられない(無視される)ケース。最も多いケース。
  • ⑥祈りは間違っているのに、一見すると聞き届けられたかのように思われるケース。低級霊の働きかけによる最悪のケース。