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1)スピリチュアリスト・サークルと、スピリチュアリズムの草の根運動の展開

霊界の大霊団と、地上のスピリチュアリストの集まり

地球人類の救済計画は、イエスを総指揮官とする霊界の高級霊を総動員した巨大組織のもとで進められています。何百億という霊たちが、一糸乱れることのない完璧な協調体制で、「地球人類救済」のためのビッグプロジェクトを推進しています。

こうした想像を絶するような組織活動が可能となっているのは、霊界では一人一人の霊格の違いが誰の目にも明らかであり、お互いの心の内が周りの人々に知られ、嘘や隠し事が一切できないからです。そして心の中で思うことが、一瞬のうちに、余すところなく伝達されるようになっているからなのです。

霊界の大軍団によって推進されている“スピリチュアリズム”の目的は、地上に「霊的真理」をもたらし、地球人類の悲劇の元凶である「霊的無知」を克服し、「物質第一主義と利己主義」を追放することです。それによって地球人類は悲劇から解放され、地上人生において「霊的成長」をなすことができるようになります。これが霊界人の主導によって進められている地球人類救済プロジェクトであり、今、地上で展開しているスピリチュアリズム運動なのです。地球上に「霊的真理」をもたらすことが、スピリチュアリズム運動の最も重要な目的となっています。

シルバーバーチは、スピリチュアリズムの本質と霊的真理の伝道に関して次のように述べています。

「霊的知識が広がり、その結果として無知が少なくなるにつれて、人間同士の対立が減り、戦争が減り、強欲が減り、光明の地域が増えていくということです。私たちが人間に代わって地上環境を改めるわけにはいきません。受け入れる用意のある人間に霊的真理を教え、その人に生き方を正してもらうことしかできません。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.185

霊的真理を手にしたスピリチュアリストは、霊界の人々による「人類救済計画」の恩恵に真っ先に浴した最も恵まれた地球人と言えます。そうしたスピリチュアリストは自動的に、霊界の軍団の一員として、他の地球人を救う立場に立つことになります。他の地球人を救うとは、言うまでもなく「霊的真理を伝える」ということです。

私たち地上のスピリチュアリストは、霊界の軍団の一員として、イエスならびに高級霊たちと目的を共有しています。すなわち――「地球人類に霊的真理を伝え、地上世界から霊的無知をなくし、地上のガンである物質第一主義と利己主義を追放し、悲劇を消滅させる」ということです。これが私たちスピリチュアリストに与えられた使命であり、私たちの地上人生の目的なのです。

そうしたスピリチュアリストが集まってグループ(サークル)を形成するなら、そのグループの目的は必然的に――「霊的真理の普及と霊界の軍団の一員としての貢献」ということになります。霊界の道具であるスピリチュアリストが協力して、霊的真理を受け入れることができる人に真理を手渡していくこと、それが「スピリチュアリスト・サークル」の目的です。この目的を最優先しないスピリチュアリストの集まりには、何の価値もありません。

スピリチュアリズムの普及活動は“草の根運動”

シルバーバーチは、「霊的真理の普及」が私たちスピリチュアリストにとっての使命であることを教えていますが、誰かれ構わず真理を伝えなさいと言っているわけではありません。「霊的真理を受け入れることができる一定の霊性レベルに至った人に伝えなさい」と言っているのです。スピリチュアリズムでは、世の中の宗教のように信者の数をやみくもに増やそうとはしません。霊的真理の内容と価値を正しく理解できる人間だけに伝えようとします。

霊界主導のスピリチュアリズム運動は、一定の霊性レベルに達した「時期のきた人」を対象としています。霊的真理を受け入れられる「時期のきた人」が増えることによって、スピリチュアリズムは進展していきます。大がかりな組織的活動によって信者の数だけを増やしても、何ひとつ本当の実績はあげられません。結果的に、時間とエネルギーの無駄づかいになってしまいます。時期のきた一人一人の人間を対象として広めていくのが、スピリチュアリズムの展開方法なのです。

テレビなどのマスメディアを利用して、一度に多くの信者を獲得しようとすることは間違っています。メディアを上手に用いれば伝道が効率的に進むと考えるかもしれませんが、それは最終的には何もよい実を結ぶことのない間違った方法なのです。「霊的真理の伝道」はどこまでも、時期のきた一人一人の人間を対象として進めていかなければなりません。

いずれの宗教もメディアを活用して自分たちの教団の勢力を拡大しようと躍起になり、組織を挙げて大衆伝道・大衆布教に奔走していますが、こうした宗教における布教方法とスピリチュアリズムの伝道方法は根本的に異なっています。スピリチュアリズムの伝道は組織活動ではなく、どこまでも“草の根運動”です。スピリチュアリズムは、時期のきた人だけを相手にコツコツと根気よく真理を伝えていく地道な活動、世間一般の賞賛や人気にとらわれることなく淡々と進めていく活動なのです。

スピリチュアリズムにおける霊的真理の普及活動は、徹底した“草の根運動”です。その草の根運動の主役がスピリチュアリストであり、少人数のスピリチュアリストが集まる「スピリチュアリスト・サークル」です。スピリチュアリストもスピリチュアリスト・サークルも、捨石となってスピリチュアリズムを進めていく草の根運動の主役なのです。

2)スピリチュアリスト・サークルは、少人数の「大人の霊」の集まり

少人数のスピリチュアリストの集まり

スピリチュアリスト・サークルは、スピリチュアリストの少人数の集まり(グループ)です。スピリチュアリスト・サークルでは、縁があって知り合った少人数のスピリチュアリストが定期的に集まり、共に学び、励まし合い、協力してスピリチュアリズムの発展に貢献していきます。

グループである以上、そこには当然、全体をまとめるリーダー(世話人・まとめ役)がいますが、リーダーの影響力はそのサークル内にとどまります。特定の人間がスピリチュアリズム界全体、他のスピリチュアリスト・サークルを直接的に支配するといったことはありません。スピリチュアリズムには、少人数のサークルのリーダーはいても、世の中の組織宗教のような教祖・教主はいないのです。もちろん芸能人などのファンクラブのように、多くのファンが特定の人間を取り巻き崇拝するといったこともありません。

スピリチュアリスト・サークルでは「霊的真理(高級霊の教え)」がメンバーにとっての絶対的な拠りどころであり、共通理念・共通精神となります。サークルのメンバー全員が「霊的真理」を指導者(教師)として敬意を払い、謙虚に真理に従って前進していきます。サークルの中心には、常に「霊的真理」がなければなりません。サークルの指導者は人間ではなく、霊的真理なのです。

スピリチュアリスト・サークルのメンバーは「霊的大人」に限られる

地上でスピリチュアリズムを推進するスピリチュアリスト・サークルの特徴は、全員がスピリチュアリストであって、しかも少人数であるということです。スピリチュアリスト・サークルは、自分たちのサークルの拡大を目標とはしません。スピリチュアリスト・サークルは、スピリチュアリズムの目的を知り、そのために無償の奉仕をしたいと願う「霊的大人」の集まりです。

スピリチュアリスト・サークルを構成するメンバーは、スピリチュアリズムの歴史的価値を正しく理解し、霊界の道具として一身を捧げようと決心した霊的真理の純粋な実践者(信仰者)でなければなりません。霊界の道具に徹しきれる「霊的大人」であることが、メンバーとしての条件です。スピリチュアリズムを通して物質的・地上的な利益を得ようとするような不純な人間は、メンバーにはなれません。スピリチュアリスト・サークルのメンバーは、この世の欲得に翻弄されない人間であることが不可欠なのです。

サークル全体に、「スピリチュアリズムへの貢献こそが最大の目的」であることが徹底され、自分たちをそのための「霊界の道具」として位置づけする意識が共有されていなければなりません。当然、サークル内の特定の人間を崇拝したり特別視するようなことがあってはなりません。また、サークル活動は物欲・金銭欲の追求とは一切無縁です。スピリチュアリスト・サークルは、世間の利益追求団体とは対極にある、常に無私無欲の精神に貫かれた集まりでなければならないのです。

3)従来のスピリチュアリズムの組織と、その問題点

欧米のスピリチュアリズムの組織

イギリスに代表される欧米のスピリチュアリズム先進国ではこれまで、ISF(国際スピリチュアリスト連盟)、SNU(英国スピリチュアリスト同盟)、NFSH(英国心霊治療家連盟)、SAGB(大英スピリチュアリスト協会)といった幾つかの世界規模、あるいは国家規模の組織がつくられ、スピリチュアリズムの普及に大きな貢献を果たしてきました。日本には、唯一の公式なスピリチュアリズム機関として「日本心霊科学協会」があります。

こうしたスピリチュアリズムの組織は、一般の宗教組織とは根本的に異なり、教祖やドグマは存在せず、強制やノルマもありません。スピリチュアリズムを信奉する人々のゆるやかな横のつながりが存在するだけです。もちろん集まる人間の霊性レベルは一人一人異なっている以上、さまざまな問題が生じることは避けられず、分裂や解散といった事態も発生します。しかし内部対立があると言っても、それが一般の宗教組織のように醜い泥仕合にまで発展するようなことはありません。

従来のスピリチュアリズムの組織における一番の問題点は、「霊的真理の理解が不十分である」ということです。大半の組織は『シルバーバーチの霊訓』が登場する以前に設立されたものであり、それはスピリチュアリズム界全体において“心霊研究を中心とすべきか、心霊思想を中心とすべきか”が明確になっていない時期でした。当時は、スピリチュアリズムとは心霊研究や心霊思想研究ではなく、純粋な信仰実践であるとの認識には程遠い状況にありました。「スピリチュアリズム初期」という時代的ハンディを背負って設立されたものであるため、現在のレベルから見るときわめて未熟な段階にとどまることになったのです。

こうした未熟さゆえに組織全体が的確な方向性を見いだせず、低い次元のまま活動を展開することになってしまいました。現在のような真理の実践を中心とするスピリチュアリズム展開の時代にあっては、従来の組織は時代遅れになりつつあり、霊界の期待に応えることができない状況に置かれています。

今後のスピリチュアリズムは、『シルバーバーチの霊訓』に代表される高級霊界通信によって示された「霊的真理の実践」をメインとする方向に向かっていかなければなりません。これまでのような心霊現象や心霊的知識を中心とするスピリチュアリズムは、一刻も早く卒業しなければなりません。そうでないかぎり従来の組織は、いずれ霊界から淘汰されることになってしまいます。

欧米のスピリチュアリスト・チャーチの現状

スピリチュアリズム先進国であるイギリスなどでは、全国各地に多くのスピリチュアリスト・チャーチが存在しています。そこでは、スピリチュアリストたちが集まって神に祈りを捧げたり、交霊会を開いたり、霊能者によるデモンストレーションが行われています。これまで欧米のスピリチュアリスト・チャーチは、スピリチュアリズムの草の根運動を推進する役割を担ってきました。

しかし現在の欧米のスピリチュアリスト・チャーチには、さまざまな問題が山積しています。交霊会を中心とした過去のスピリチュアリズムの流れを抜けきれず、いまだに心霊現象や霊との交信に過度の関心を寄せています。「霊的真理」を知って死後の世界の実在を確信した者は、いつまでも低い次元における霊との交わりにとらわれていてはなりません。それが必要とされるのは、霊的世界の存在に確信を持てない人間だけなのです。

これからのスピリチュアリズムは、心霊現象や交霊会による死後存続の証明の段階を卒業して、「霊的教訓に基づく実践の時代」に入っていかなければなりません。過去の流れを引きずったままのスピリチュアリスト・チャーチは、今後のスピリチュアリズムの発展にとって、むしろマイナスの影響を及ぼすことになります。従来のスピリチュアリスト・チャーチは「大人の霊」の集まりではなく、「子供の霊」の集まりだったのです。最近では、スピリチュアリスト・チャーチの内部からも、チャーチのメンバーの霊的レベルの低さに対して批判の声があがるようになっています。

英国スピリチュアリズムの最高責任者(SNUの会長)であったヒギンソン氏は、シルバーバーチの交霊会で次のように述べています。

「現在のスピリチュアリズムは正しい方向へ向かっていると思われますか。私には非常に混乱したイメージしかありません。どこへ足を運んでも、そこにはまた違った考えを持った人たちがいます。正しい理解が行きわたるまでには、どれくらいの年月がかかるのでしょうか。進むべき道はどちらにあるのでしょうか。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.45

「スピリチュアリスト・チャーチを訪ねてまわることがあるのですが、こんな程度のものなら閉鎖してしまった方がいいのではないかと思うことがあります。要は霊力を顕現させるための場であることが本来の目的だと思うのです。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.49

スピリチュアリズム界のリーダーであったヒギンソン氏の率直な言葉は、現在のスピリチュアリスト・チャーチが置かれている混乱状態と低迷ぶりをよく示しています。

4)スピリチュアリズムを悪用した偽善的グループ

霊能力や心霊現象を“謳い文句”にした人集め

世の中では、霊能力や心霊現象を謳(うた)い文句にした人集めやサークル活動・セミナーなどが盛んに行われています。“霊能力を養成する”と銘打ったセミナーには、高額な講習料にもかかわらず多くの人々が集まっています。こうした集まり(グループ)は、金銭や名声・人気といったこの世的な欲望を刺激することによって成り立っていることは言うまでもありません。それは人々の好奇心と自己顕示欲「他人にはない霊能力を身につけたい」など)に訴えるだけの、きわめて低俗で物欲的なものであることは明らかです。

精神世界やニューエイジがブームとなった時期には、霊能力や心霊現象やチャネリングを売りにしたグループや組織が国内外に次々とつくられ、金儲けや組織の拡大が活発に行われました。その様子は、新興宗教や新新宗教と何も変わりません。そうしたグループや組織には、背後から“低級霊”が群がって押し寄せますが、グループの主催者も参加者も、自分たちの周りで低級霊が暗躍している事実を全く知りません。

スピリチュアリズムを悪用する“ファンクラブ”の本質

スピリチュアリズムという人類にとっての最高の聖域を、金銭や人気・権力といった私利私欲のために利用することは最も悪質な利己的行為です。神の摂理に反逆する大きな罪・霊的犯罪と言えます。

最近では、スピリチュアリストを名乗る“ニセ霊能者”がスピリチュアリズムの霊的真理を悪用して人々を騙すような動きが現れています。テレビで有名になったニセ霊能者が会員制の“ファンクラブ”をつくるといった、忌々しき事態が発生しています。それは一人の人間を“カリスマ教祖”とする新興宗教や新新宗教と同じであり、その本質はスピリチュアリズムを悪用した利己的な組織づくり以外の何ものでもありません。

本物のスピリチュアリスト・サークルが徹頭徹尾「霊的真理」を中心とし、スピリチュアリズムの発展を目的としているのに対して、ニセの集まりは特定の人間と取り巻きを中心とし、個人の利益を最優先しています。それは最もエゴ的で、「神の摂理」からかけ離れたあり方であることは言うまでもありません。

スピリチュアリズムを悪用するグループは、本当のスピリチュアリスト・サークルとはあらゆる点で正反対です。本物のスピリチュアリスト・サークルには、スピリチュアリズムの歴史的使命を理解し、そのために自分自身の利益を度外視して、人類のため・スピリチュアリズム普及のために人生を捧げようとするスピリチュアリストが集まります。スピリチュアリスト・サークルは、大人の霊である「真のスピリチュアリスト」の集まりであり、この世の利益を求める集まりとは根本から違っています。スピリチュアリズムを悪用するニセの集まりとは、その目的も集まる人間も活動内容も、すべて正反対なのです。

今後、スピリチュアリズムが普及し「霊的真理」を知る人間が多くなるにともない、スピリチュアリズムを悪用した、あるいはスピリチュアリストを名乗るニセ霊能者やニセのグループが次々と現れることになります。もっともその不純さは、さほど時間が経たないうちに誰の目にも明らかになり、そうしたニセのグループには私利私欲に駆られた低俗な人間しか集まりません。そこに集まるのは、「子供の霊」にも至らない未熟な人間だけなのです。

摂理から逸脱した集まりは“低級霊の餌食”になるという悲惨な結果を招き、当事者たちは苦しい償いの道を歩まされることになります。ニセ霊能者や心霊的なものを売りにしたセミナーの主催者は、低俗な好奇心や物欲を煽って人を集めようとします。当然のこととしてそこには、低俗なものにしか関心を向けられない人間が集まります。しかし所詮、“ニセモノ”は時間とともに消滅していくことになるのです。

とは言え、スピリチュアリズムの「霊的真理」が地球上の常識となるまでは、次々と“ニセモノが現れては消え去る”といった状況が続くことになります。地球上には、心霊的なものに好奇心を持ち、低俗な関心を抱く人間があまりにも多くいるからです。

低俗な人間だけが集まる「シルバーバーチの読書会」もある

霊的なことを謳ったニセのグループや組織には、好奇心に駆られた低俗な人間が集まるようになります。まともな人間(真のスピリチュアリスト)はその偽善性に気づき、そこから離れていくようになります。

実は低俗な人間が集まるのは、ニセのグループだけではありません。「シルバーバーチの読書会」と銘打ったグループにも、それは起こり得ることなのです。読書会を主催する人間が、人を集めてその中心者になることに異常に執着している場合、結果的に低俗な人間だけが集まるようになります。言うまでもなくその原因は、主催者自身の“自己愛と自己顕示欲”という不純な動機にあります。

自己顕示欲の強い人間はとかく、十分に霊的真理を理解しないうちに“人集め”に奔走するようになります。そして霊的真理普及のために始めたはずの集まりは、個人の自己満足のための活動に成り下がってしまいます。そうした人間は信仰者ではなく、単なる活動家にすぎません。本人は“スピリチュアリズムのために一生懸命やっている”と主張しますが、その実、自分自身のためにやっていることに気がつかないのです。スピリチュアリズムを利用していることが分からないのです。「スピリチュアリズムの主役は霊界の人々である」という大原則を踏み外して、独善的な行動に突っ走っているということです。それでは当然、霊界からの援助や協力・導きは得られません。

残念ながら現在の日本には、霊界からの援助を受けられない低次元の「シルバーバーチの読書会」があちらこちらに見られます。こうした読書会は、当事者の霊的成長にとって障害となるだけでなく、スピリチュアリズムの発展にとってもマイナスとなる、存在してはいけない読書会と言えます。