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(3)親は神の代理者

――霊的観点から見た「親論」

ここでは育児・教育の主役である“親”について、霊的観点から理解します。「親とは何か?」というテーマは、親子関係同様、あまりにも常識的な問題のように思われるかもしれません。しかし「親になる」ということを霊的観点から見ると、実に深い意味があります。親になるということには、想像以上にたいへん重要な霊的背景があるのです。

1)親は、神の代理者

神が「本当の親」で、肉の親は「仮の親」

育児・教育の主役は、言うまでもなく“親”です。子供は親から一方的に愛され、与えられる中で成長していきます。親は愛を与え、子供は愛を受けるという明確な立場の違いがあります。その際重要なことは、子供は神からの一時的な預かりものであって、決して地上の親(肉の親)のものではないということです。

人間は「霊的存在」であり、霊こそがその本体です。子供の「霊」は神によって付与され、地上の親は霊の道具である「肉体」を提供するにすぎません。したがって神こそが「霊の親(本当の親)」であり、肉の親は「仮の親」なのです。

親は「神の代理人」であって「子供の後見人」

これを別の言葉で表現するなら、地上の親は神から「神の代理人」として立たせられているということになります。『霊の書』では、これについて「子供の後見人」になると表現しています。

(質問)――親となることも使命であることがありますか。

「ありますとも。しかも重要このうえない義務でもあります。その義務の遂行は人間が想像するより遥かに大きく、将来に重大な影響を及ぼします。そもそも神が両親に子を授けるのは、後見人としてその子がまっとうな人生を送るように指導と監督をさせるためです。子供が、か弱くデリケートにできているのは親の関与を多く必要とさせるためで、それだけ子供は親を通して新しいものを得るわけです。」

『霊の書/スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.227

親は、肉体をまとった神・第二の神

霊性教育において最も基本となる真理は――「子供にとって本当の親は神であり、地上の親は神の代理人(代理者)である」ということです。子供は、神の代理者である親を通して神とつながり、神の愛を受けることになります。霊的に自立して自ら直接神とつながるようになるまでは、肉の親を代理者として間接的に神と結ばれるようになっているのです。

親が神としっかり結びついて一体となっているなら、子供はその親と一つになることによって神との関係を保ち、神の愛を受けられるようになります。子供は、神に対する意識がなくても、また神がいるかどうか分からなくても、神としっかり結びつくことができます。子供にとって親は、まさに肉体をまとった神であり、“第二の神”と言うべき存在です。

親は、肉体をまとった神・第二の神

親は、「神と子供の媒介者」

親が神の代理者であるということは、親は「神と子供の媒介者」であるということを意味しています。親が神としっかり結びつき、自らを神と子供の媒介者・仲介者とするとき、神の完全性と絶対性、そして神の愛は、親を通して子供に伝わるようになります。親が子供に、より高次の内容を与えようと思うなら、神と子供を結ぶ完璧な媒介者であるように努めなければなりません。そのためには親自身が自分の“魂”を神の前に全開し、神と一体となった状態を維持することが必要です。そのうえで子供に接してこそ、より高次元の霊的要素を子供に与えることができるようになるのです。

親は、「神の代理者」であると同時に「神と子供の媒介者」であるという意識を常に持っていなければなりません。この“媒介意識”に反するのが“所有意識”です。自分が生んだのだから当然、自分のものであるというような所有意識で子供を見るなら、親が子供に与えられるものは、人間の枠内だけのちっぽけなものになってしまいます。また、子供を自分の“所有物”と見なすかぎり、子供の中に神からの預かりものとしての“尊厳性”を見いだすことはできなくなります。

“媒介意識”を持って子供を眺め、子供に接していくとき、結果的に本当の育児・教育(霊性教育)が可能となります。親に神と子供の媒介者としての意識があるなら、子供の中に神の尊厳性を認め、子供を通して神に対する畏敬の念を持つことができるようになります。子供を通して神の威厳と神への畏敬の念を感じられるようになって初めて、神の代理者としての資格を持ったと言えるのです。「神の代理者」としての意識、ならびに「神と子供の媒介者」としての意識こそ、まさに「霊性教育」を可能にする、親にとって不可欠な要素なのです。

「神の代理者」になれるかどうかが、霊性教育の成功・失敗を決定

神の代理者であるはずの親が神の存在を信じず、子供を自分の所有物のように考えるなら、子供がどれほど親を慕い親と一つになっていても、神と結びつくことはできません。また、親を通して神の愛を受けることもできません。

育児・教育(霊性教育)の成功と失敗は――「親が神の代理者としての資格を持つことができるかどうか」という一点において決定されます。親が神の代理者としての役目を果たすことができるなら、育児・教育は「霊的成長」という最善の結果をもたらすことになります。子供は親に対して、常に受身の立場に立っています。したがって親の内容によって“子供の運命”が決まることになります。親の姿勢いかんで、子供は神とつながり神の愛を受けられるようになる一方、神から遠ざかってしまうことにもなるのです。

このように「霊性教育」の成功・失敗は、ひとえに親が「本当の神の代理者」になれるかどうかにかかっています。

2)霊的上下関係の重要性

人間の親子の上下関係を通して、神との上下意識が養われる

子供が将来、神との関係を築き、立派な信仰者になるためには、親と子供の霊的上下関係がしっかりしていなければなりません。“親子”という人間レベルでの上下関係の体験を通して、子供は神との上下意識を身につけるようになっていきます。

もし子供が、親との間に霊的上下意識を持てないとするなら、その子供は成長したとき、神の前に自らを低き者として立たせることができなくなります。神に対して“畏敬の念”を持つことができなくなります。“愛”とは、霊的上位者から下位者へ向けて流れるものです。したがって神の前に自らを低くすることができない者、神との間に上下意識を持てない者は、神の愛を受け入れることができないということになります。

人間は“親子”という上下関係の体験を通して、神との霊的上下意識を身につけ、最も次元の高い“霊的感性”を育むことになります。こうした高次の霊的感性こそ、人間が霊的存在であることを示すものなのです。子供は、親との間に霊的上下関係を確立することによって「神(霊的親)」との関係を少しずつ築いていくことができるようになります。それが子供にとって、最も重要な霊的成長のプロセスです。

神の摂理にそった親子関係と、摂理に反した親子関係

子供は霊的自立の時期を迎えるまでは、親を介して神と関係を持ちます。したがってその期間は、親を無条件に仰ぎ見ることが必要となります。親を心から慕い、親に素直に従うことが、この時期の子供の霊的成長を促すことになります。それが健全な親子関係、摂理にそった親子関係です。

しかし親と子供の上下関係が希薄となり、親子が友だちのような同等な関係しかつくれないなら、子供の霊的成長にとって大きな障害が発生することになります。親に威厳を感じられない子供は、大きくなってから「神」に対して畏敬の念を持つことができなくなります。親を軽蔑する子供は、大人になってから「神」との直接的な霊的関係をつくることが難しくなります。神を仰ぎ見る“霊的感性”は、幼児期からの親子の上下関係を通して形成されていくものです。親と子供の上下関係がしっかりと確立し、親子がともに畏敬の念を持って神を崇拝し、神の愛を受け入れることは「霊性教育」の根幹であり、一番の基本なのです。

現代の人間社会では、上下関係よりも横の平等(対等)関係が重要視される傾向にあります。従来の宗教の権威が後退するにともない、神の存在と神との上下関係が否定され、人間だけの平面的な平等関係をつくり上げようとする風潮が支配的になりました。しかし、それは「神の摂理」とは一致しません。現代では、こうした摂理から外れた風潮を育児・教育にそのまま持ち込もうとしています。

縦の関係(上下関係)を失い、横の関係(人間同士の平面的関係)だけに走ると、人間は必然的にエゴ的個人主義・快楽主義へと堕ちていくようになります。神に対して上下意識を持ち、神を「霊の親」として触れ合う世界を築けるという事実こそ、人間が「霊的存在」である証なのです。自らを低くして神を仰ぎ見る霊的感性は、人間の親子関係を通して養われるものであり、それが将来その人間を深い信仰の世界に導くことになるのです。

“人間愛”の形成にも、霊的上下関係は不可欠

すべての愛が、「愛し愛される」という上下関係から出発します。人間同士の愛の世界も、平面的で対等な関係からはでき上がりません。したがって親に育てられる過程で、霊的上下関係を体得できなかった者は、大人になってからスムーズな人間関係を築くことが難しくなります。個人の権利が重要視され、自己主張に価値を見いだす現代社会では、自分が上下関係の中で下に置かれることに屈辱を感じ、極端に敬遠します。しかし愛の関係(愛のサイクル)をつくるためには、この「愛し愛される」という上下関係が出発点となるのです。

スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]ですでに述べましたが、人間の愛情関係は、どちらか一方が愛する側(霊的上位)に立ち、他方が愛される側(霊的下位)に立つところから出発します。こうした愛の上下関係は、親子関係のように固定している場合と、絶えず変動して入れ替わる場合(兄弟・友人・夫婦などの関係)があります。

固定的な関係の場合はそれほど問題はありませんが、後者のように上下関係が変化するケースでは、当事者双方に上下の立場を適確に判断する感性が必要となります。この摂理にそった判断力を身につけてこそ、デリケートな愛の関係をスムーズに発展させることができるようになります。“霊的上下関係”に対する感性があって初めて、正しく愛する立場に立ったり、正しく愛を受ける立場に立つことができるようになるのです。その結果、心が通い合う細やかで生き生きとした愛の世界を確立し、立体的な愛の喜びを満喫することが可能となるのです。

人間愛を深めるためには、幼児期からの正しい親子関係を通して、霊的上下関係に対する感性を養うことが大切です。“親子”という人間レベルでの霊的上下関係を確立してこそ、さまざまな人間関係における上下の感覚を実感的にとらえることができるようになるのです。

3)親は、霊性教育の主役

大きい親の影響力

育児・教育の主役は、言うまでもなく“親”です。親は子供に愛を与え、霊的成長に向けて働きかけます。子供は親の愛を受ける中で、霊的成長をしていくことになります。幼い子供は常に受身の立場に立っているため、親が与える内容にそのまま染まってしまうことになります。親の考え方や人格が、子供の心や性向を形成していきます。

このように子供は、親の内容によって、また親が与える内容によって右にも左にも変わっていくことになります。親がより良いもの、より霊的に高いものを与えれば与えるほど、子供はより良い人間へと成長していきます。結局、育児・教育の主役の立場にある親が、子供の人生を大きく決定することになるのです。

親は、霊性教育の主役・責任者

親が子供の人生を決定するということは、霊性教育における大部分の責任は親にあり、その結果に対しても親は責任を負わなければならないということを意味しています。親には「神の代理者になる」という使命が与えられていますが、その使命は神から預かった子供を立派に育てることで達成されます。神の代理者としての親の責任は、子供の霊性を高める努力を通して果たすことができるのです。そうしてこそ親は、霊性教育における主役としての責任を全うしたと言えます。

世間で教育問題が発生すると、社会や学校の責任が指摘されますが、育児・教育の問題は、親にその大半の原因があります。霊性教育の主役である親の役割は、これまで述べてきたように自らが神の代理者となり、神と子供を結ぶ媒介者となることです。さらには(5)で述べるように、子供に正しい霊的栄養素を与え、霊的な基礎訓練を施し、神の摂理にそった指導をすることで、親はその役目を果たすことができるようになります。「霊性教育」とは、どこまでも親の責任においてなすべき「利他愛の実践」の一つなのです。

4)育児・教育を通して“神の創造の業”に参加――霊性教育は、神の創造の業の一コマ

親は神から預かった子供を立派に成長させることによって、地上世界における神の創造の偉業に参加することになります。“神の創造の業”の一部を分担することになります。神は霊界と宇宙を造り、さまざまな生命体をそこに住まわせました。そしてすべての存在(霊界・宇宙・全生命体)が、永遠に進化の道をたどるように計画されました。その計画にそって万物は進化し、あらゆる生命体が低い次元から少しずつ上昇する道をたどっています。

「子供を育てる」という行為は、そうした壮大な神の計画の一部を担うことです。霊性教育は「神の摂理」に従って、無限に続く進化のプロセスの一コマを担当するという偉大な行為なのです。子供の霊性を引き上げるための努力は、「永遠の進化の法則」に一致したものであり、どこまでも霊的成長の道をたどっていく子供(1人の霊)に対して、地上生活という一時的な期間だけ、肉の親として責任を負うということなのです。それはまさに「神の代理者」として、神の永遠の創造の業の一部を担当する偉大な行為と言えます。

5)親は、育児・教育を通して霊的成長

人間は親になることによって神の創造の営みに参加し、それを通して自らも進化の道を歩むようになっています。地上の親は、神の代理者としての役目を果たすことによって子供の霊的成長を促し、同時に自らの霊性を進化させていくことになります。

育児・教育を通して、親自身が霊的成長

正しい育児・教育(霊性教育)を通して、子供は霊的成長の道を歩むことになります。霊性教育とは、親が子供を導いて“霊的人生”を歩ませることなのです。親の正しい教育を受けて子供は、「神の摂理」にそった霊的成長のプロセスをたどることになります。

一方、霊性教育の主役である親も、霊性教育に携わる中で霊的成長の道を歩むことになります。育児・教育は、広い意味での「利他愛の実践」に他なりません。人間の霊的成長は、利他愛の実践を通してなされるようになっています。したがって育児・教育が利他愛に立った「真の霊性教育」となったとき、親はそれを通して自らも霊的成長をなすことができるようになるのです。

育児・教育の困難を通して、高級霊や先輩たちの苦労を体感・共有

親は育児・教育の苦労や困難を通して、自分の子供一人さえ思うように導くことができない現実の壁に突き当たることになります。それによって霊界から地球人類を導いている高級霊たちの苦労を体験し、その思いを共有することができるようになります。親は育児・教育という利他愛の実践を通して、スピリチュアリズムを進める厳しさと、それにともなう孤独感を味わうことになるのです。

“魂”が鍛えられる――忍耐力と寛容性が養われる

育児・教育の苦労は、スピリチュアリズムの開拓者として前線に立ち、伝道に携わるための能力をアップさせる訓練になっています。親は育児・教育の主役として、最後まで責任を負わなければならない厳しい世界に身を置く中で、自らの魂が鍛えられるようになります。思うに任せない現実を前にして、神にしか頼れない状況に何度も立たされることになります。

親は、育児・教育にまつわるさまざまな困難を乗り越えることによって、本当の忍耐力と深い信仰心が養われるようになります。また、願いどおりに子供が育っていかない中で、広い視野を持って相手を眺め接していくことの大切さを学び、人間愛に関する心の寛容性を身につけることができるようになります。

“人間”についての理解が深まる

育児・教育を通して、人間の心の複雑さ・デリケートさを知り、人間に対する認識と洞察力が高まります。人間について、より深く理解できるようになります。子供の姿を見る中で、人間とはまさに霊的存在であること、愛なくしては存在できないこと、真理と愛こそが魂の栄養素であることを実感するようになります。

こうした人間に対する認識の深まりが、霊的真理の伝道において力を発揮することになります。人間を相手にする際の能力が高められるのです。

6)親に要求される内容――「神の代理者」としての資格

神の代理者と霊性教育の成立

霊性教育が成立するかどうかは、親が神の代理者になれるかどうかによって決まります。親が「神の代理者になる」ということが、育児・教育において最も重要なポイントとなります。霊性教育の成功・不成功は、ひとえに親の内容が決め手となるということです。

神の代理者になるための“2つの条件”

「神の代理者になる」ということは言葉のうえでは簡単ですが、実際にはなかなか大変なことです。親が神の代理者になるためには、それにふさわしい内容が要求されます。神の代理人に必要な条件を満たしたとき初めて、親は子供を霊的成長へと導くことができるようになるのです。

神の代理者になるための条件とは、次の2つです。1つは「育児・教育に対する正しい目的・方向性を持っている」ということです。具体的に言えば、親が子供の霊的成長を一番の願いとし、それを目標としているということです。もう1つは「子供の霊的成長を促す霊的栄養素を与えられる」ということです。これは、霊的成長に向けた具体的な働きかけができるということです。

この2つの条件を満たしたとき、親は「神の代理者」としての資格を持つことになります。「子供の霊的成長」という、神から任せられた重大な役目と責任を果たすことができるようになります。この2つの条件をクリアしてこそ、親は神の代理者として子供の前に立つことができ、「霊性教育」が成立することになるのです。

■「霊性教育」を成立させるための2つの条件

霊性教育を成立させる(神の代理者になる)ための2つの条件

育児・教育に関する正しい目的と方向性を持ち、それを実現するための具体的な実践ができるなら、親は神の代理者としての資格を有することになります。そして本当の意味での霊性教育が成立するようになります。

以下(4)では、霊性教育を成立させるための第1の条件である「育児・教育の目的と方向性」について述べます。そして(5)では、第2の条件である「霊性教育の具体的な実践内容」について説明します。