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(6)誕生から霊的自立までの、子供の霊的成長のプロセス

(1)から(5)までは、「霊性教育」に関してそれを実践する側(親)の立場から見てきました。ここでは「霊性教育」を受ける側(子供)の立場から理解します。霊性教育を通して、子供がどのように霊的成長の道をたどっていくのかを見ていきます。

1)「霊的自立」に至る人間の霊的成長のプロセス

霊性教育の役割と子供の霊的自立

霊性教育の目的については何度も述べてきましたが、それは「子供の霊的成長を促す」「子供の霊的成長の道筋をつける」という一言で言い尽くされます。人間がこの世に誕生するのは、地上という物質世界での体験を通して霊的成長をするためです。育児・教育は、地上人生における霊的成長の初期段階を受け持ちます。

親にとっての最大の使命・責任は、育児・教育によって子供を立派な一人前の人間に育てることです。神から預かった子供を霊性教育によって導き、霊的に自立する段階まで育て上げることなのです。子供が霊的に独り立ちするまでが霊性教育の役割であり、それは子供の霊的自立をもって終わることになります。

親子関係の変化にともなう神への接近

子供の霊的成長については、2つのプロセスから説明することができます。その1つは――「親子関係の変化にともなう、子供と神との関係の変化のプロセス」です。子供は最初、神の代理者である親を通して神と間接的な関係を持ちます。やがて成長するにともない徐々に肉の親との間に距離を取り始め、最後は自力で神と一対一の関係を持つようになります。子供はこうしたプロセスを歩むことによって、最終的に親離れして霊的に自立します。これが子供の霊的成長のプロセスに関する1つの説明です。

人間関係の変化にともなう愛の世界の拡大

子供の霊的成長のプロセスについてのもう1つの説明は―肉体の成長にともなって「子供を取り巻く愛の世界(環境)と愛の人格性が拡大していくプロセス」です。霊的存在である人間は、“愛”という霊的栄養素を得ることによって霊的成長をしていきます。この霊的栄養素となる愛には、さまざまな種類があります。

子供は地上世界に誕生してから、多くの人々と人間関係を結びます。その人間関係を通して多種類の愛を体験し、霊的成長を達成していきます。親子愛・兄弟愛・友人愛・人類愛・男女愛といった愛を体験することによって、子供は「霊的自立」の準備を整え、一人前の霊的成人になっていきます。そして今度は“親”として子供をもうけ、霊性教育を施す側に立つようになるのです。

以下ではこうした2つの観点から、子供の霊的成長について理解します。子供の誕生から霊的自立までの霊的成長のプロセスを「親子関係の変化と神への接近」という観点から、そして「人間関係の変化にともなう愛の人格性の拡大」という観点から見ていくことにします。

2)親子関係の変化と神への接近――子供の霊的成長のプロセス①

親子関係を通して、神と触れ合う世界を“疑似体験”

霊性教育では、子供の魂を成長させて霊的に自立するように導きます。子供が神の前に独り立ちし、神と一対一の交わりができるように育てます。それが親にとって一番重要な役目です。霊性教育は、子供が霊的自立の時を迎え、一人前の霊的成人として神の前に立つことができるようになった時点で終了します。

子供の霊的成長にとって“親子関係”は、最も重要な土台となります。それはまさに子供の霊的成長の出発点であり、子供は地上の親子関係を通して、将来の神との触れ合いを“疑似体験”することになります。その体験によって、子供の「霊性」の核心部分がつくられていきます。すでに述べましたが、子供にとって親は“肉体を持った神・第二の神”とも言うべき存在です。地上の親と愛の関係を築いていく中で子供は、大人になったときの神との直接的な触れ合いを学ぶことになるのです。

親子関係の変化と、神との関係の変化

親子関係を通して子供の魂は成長していきますが、その親子関係は、子供が生まれたときから霊的に独立するまで、ずっと同じ状態を維持するわけではありません。“親子”という関係は同じですが、子供の年齢に応じて両者の関係のあり方(様相)や結びつき方は変化していきます。そうした親子関係の変化にともない、神との霊的関係も変化していくことになります。

肉体年齢と霊的年齢の不一致

子供の成長は、肉体年齢をもとに考えられるのが普通です。肉体が成長するにともない、心も成長するものと思われています。しかし人間が「霊的存在」であるというその本質から考えると、肉体年齢と霊的成長は必ずしも一致するものではないことが分かります。

霊的成長に関する重要な点は、一人一人「霊性レベル」と「霊的成長のスピード」が異なっているということです。なかには、肉体年齢と霊的成長度(霊的年齢)が大きくかけ離れている人もいます。肉体的には成人していても、霊的には児童期にも至っていないというようなケースが、しばしば見られます。本来は肉体年齢と霊的年齢が一致するのが理想なのですが、現実はそのようにはなっていません。残念ながら地球人類の大半が、肉体年齢と霊的年齢の間に大きなギャップがあります。肉体年齢と霊的年齢が一致していない人が大勢いるのです。

霊性教育では、肉体の成長に応じて霊的成長を促すことを目標にしています。それが霊的存在である人間としての本来のあり方であり、自然な霊的成長のプロセスだからです。

霊的年齢の進行段階

子供が順調に霊的成長の道を歩むとき、肉体年齢と霊的年齢は一致するようになります。霊性教育では、肉体年齢と霊的年齢が一致していることを理想とします。子供の霊的成長の過程を霊的年齢(時期)によって区分すると、次のようになります。

「霊的乳幼児期」「霊的児童期」「霊的自立準備期(霊的青年期)」「霊的自立期」――子供はこうした5つの段階をたどって霊的成長の道を歩んでいきます。“霊的年齢”を決める要素は、親との霊的関係の内容と、それを通しての神との霊的関係の内容です。最終的には、神との霊的距離によって人間の霊的年齢が決まります。

5つの段階をたどって霊的成長

「霊的乳幼児期」における親子関係と神との関係

霊的乳幼児期の子供は、肉体を持った神である親との間に絶対的なつながりを持ち、親を通して神と間接的な関係を築くようになります。子供は、親を通して神の内容を受け取り吸収し、自分の「霊性」を形成していきます。乳幼児期は、親の保護下において絶対的な存在(神)と結びつき、親(神の代理者)に身を委ねて安心することができるようになっています。子供の「霊性」は、親と一つになることによって、神とつながることを知っているのです。

この時期の子供は、大人のように神について知的に理解する必要はありません。「神の代理者」である親を信じ、親と一つになるだけで神と触れ合うことができるからです。子供は、大人のように神との直接的な触れ合いを求めなくてもいいのです。親が子供を抱きしめるとき、子供は神に抱きしめられることになります。親が添い寝をするとき、神が添い寝をしてくれることになります。寂しいときは親を呼びさえすれば、神が愛を与えて慰めてくれるようになっているのです。

この時期の子供にとって、親は絶対者です。子供はこの絶対者にすがってさえいれば、霊的成長にとって必要なものはすべて与えられるようになっています。したがって常に親に密着して神の絶対性の中に身を委ねることが、この時期の子供の霊的成長にとって最も重要なことなのです。親との深い結びつきこそが、子供の霊的成長にとっての“生命線”と言えます。

「霊的児童期」における親子関係と神との関係

霊的乳幼児期に続く霊的児童期も、親との間に絶対的なつながりを持ち、親を通して神の前に出ていくことはそれまでと同じです。しかし霊的児童期に入ると、それ以前とは異なる面が現れ始めます。それは“心”は親のもとに置きながらも、今までのような密着した親子関係を卒業して、親から離れた所で行動するようになっていくということです。少しずつ自分で考え、自分で行動するようになっていきます。

友だちをつくって自分たちの遊びに没頭するようになります。心のベースは親に置きながら、親とは別の所でさまざまな体験を積み重ね、それを通して自主的な行動性の基礎をつくっていくことになります。絶対的なものに結びつく一方で、自分自身の独自の世界をつくっていくということです。絶対者に結びついている安心感の上で、自己の主体性・創造性を発揮する喜びを知っていくようになります。

「霊的自立準備期(霊的青年期)」における親子関係と神との関係

今述べてきた霊的乳幼児期と霊的児童期は、あくまでも親との絶対的な関係の上に成り立つプロセスです。一見、親から離れて自立したかのような行動をとったとしても、それはどこまでも親との絶対的な一体関係があって成り立つものです。親という土台に立って自主性・創造性を伸ばし、自由な行動をとっているのです。

ところが思春期をもって始まる「霊的青年期(霊的自立準備期)」においては、今まで絶対的な拠りどころであった親を離れて、心の中心を少しずつ親の背後にいる「神」に移していくようになります。それによって「神」のもとで自立する準備をしていきます。

一般に思春期は、親から精神的な乳離れをして自我の独立をなす時であると言われています。確かにその通りですが、そうした現象の本質的な意味は――「肉体を持った神(親)から離れて、心の拠りどころを絶対的な霊的親(神)に移す時期」ということなのです。そうして徐々に神の前に独り立ちするようになっていきます。それまでは有限の親を通して結ばれていた神と、直接的なつながりを持つようになっていきます。子供は神との直接的な関係を確立するにともない、「霊的自立」を果たすことになります。これが「霊的成人になる」ということです。子供が霊的自立の時を迎えて初めて、親子は神のもとにあって同格・対等の“霊的兄弟関係”に立つことになるのです。

■親子関係の変化と神との関係の変化――まとめ

モーリス・バーバネルとハンネン・スワッハー

3)人間関係の変化にともなう愛の人格性の拡大――子供の霊的成長のプロセス②

愛の世界の広がりと魂の成長

霊性教育では、子供が神の前に独り立ちするようになるまでが、親の責任期間となります。親は、子供が神と一対一の交わりを持てるようになるところまで導かなければなりません。したがって霊性教育は、子供が霊的成人として神の前に独立する時をもって、その役目を終えることになります。

人間は「霊的存在」であり、地上人生は「霊的成長」のためにあります。その霊的成長は、地上での具体的な人間関係を通してどれだけ本当の愛(利他愛)を身につけたか、という点において決定されます。子供の霊的成長のプロセスは“親子関係”から始まります。これは愛の観点から言えば――「親子愛が子供にとって霊的成長の出発点となる」ということです。子供は“親子愛”を魂の土台として、そこに兄弟愛・友人愛・人類愛・異性愛を付け加えていきます。親子愛以外のさまざまな愛を体験することによって、“愛の人格性”を拡大させていくことになります。子供は年齢が進むにつれて、徐々に人間関係を広げていきます。そしてその人間関係が正しい愛によって営まれるとき、子供は愛の人格性を高めていくことができるのです。

以下では、子供の霊的成長期ごとの愛の世界と霊的成長について見ていきます。

■霊的乳幼児期における愛の世界と霊的成長

子供を育てるための苦労・犠牲と、親の喜び

この時期は、言うまでもなく“親子愛”をつくり上げることがすべてとなります。その愛の関係は、親が一方的に愛を与えていくことによって成立します。親は常に子供を愛し、子供のために犠牲を払い、一方的に与え続けます。

それは一見、不公平な関係のように映りますが、当事者である親は、ほんの少しでも子供が成長した様子を見るたびに、自分の愛が実ったことを知り、大きな喜びを味わうようになります。その瞬間、それまでの苦労が、すべて喜びに変わるのです。親は、子育ての苦労・犠牲と引き換えに、子供の成長の中に凝縮した喜びを感じることができるようになっています。子供のための苦労・犠牲は、親にとっての喜び・満足に変わっていくのです。

「多く与えれば、多く与えられる」という神の摂理

親は子供を育てることを通して、多く与えれば与えるほど、それに比例して多くの喜びと満足が与えられるようになるという「神の摂理(利他愛の法則)」を実感することになります。

親が神の代理者意識に徹し、子供の霊的成長を何よりも願い、子供のための犠牲を喜んで受けていくなら、子供からのわずかな“愛の反応”が大きな喜びとなります。客観的に見れば、親が与える愛に対し、子供から返ってくる愛はごくわずかなものですが、その少しの愛が親の心を完全に満たすことになります。親がひたすら「無償の愛」を実践することによって、親子の間に愛の関係が成立していくようになるのです。

親の無償の愛によって築かれる“魂の土台”

子供は親から一方的に愛される中で、親を無条件に信頼し、すべてを委ねることを通して「神の愛」に触れることになります。これが乳幼児期における親子愛です。親がもし、「自分は与えてばかりでつまらない、損だ」というような思いを持つとするなら、親子の愛は成立しません。

人間の“魂”にとって土台となる絶対愛・絶対信頼の情愛は、子供のために喜んで犠牲を払うことができる親のもとで形成されていきます。親から無償の愛を与えられる中で、子供は魂の最も深い部分を形成していくことになります。

子供の成長過程での愛の独占傾向

この時期の子供は、親から「絶対愛・無償の愛」を受ける中で、魂の土台をつくるためのプロセスを踏んでいきます。それが「神の摂理」に合った歩み方なのです。したがって子供は、ひたすら“親の愛”を求めるようになっています。親の姿が見えないときには、必死になって親を捜します。もし他に兄弟がいる場合には、子供は親の愛を受けたい一心で、他の兄弟を排斥しようとしたり嫉妬するかもしれません。しかし、それは親の愛を求めるところからの正常な反応と考えるべきです。利己性が強い、意地悪だなどと思ってはなりません。「摂理」に合ったごく自然な反応なのです。

子供は成長過程の中で、親の愛が自分だけに向けられることを望む時期がありますが、それは利己性とは違います。将来、利他的な愛の人格をつくるために必要な一つのプロセスなのです。親から一方的に多くの愛を受ける中で子供の魂の土台がつくられ、将来、多くの愛を与えることができる愛の人格性の“基礎的器”が形成されていきます。成長するにつれて兄弟意識・友だち意識を持つためには、親との間に一対一の愛の世界を築くことが不可欠なのです。満足するまで愛を受ける中で子供の心は成長し、変化していきます。この時期の子供は皆、“親の愛”を必死になって求めているのです。

したがってわずかな年齢差を理由に、上の子をたしなめるようなことは慎まなければなりません。皆が同じように幼く、同じように「親の愛(神の愛)」を求めており、愛がなければ誰もが不安におびえるようになる、と受け止めなければなりません。

そうした中でやがて、自分だけが愛されたいという世界を抜け出て、少しずつ自分から与えることを身につけていくようになります。こうした時期の対応を間違わなければ、愛されることだけを願う心は、自然と乗り越えられるようになります。これが正常な「霊的な乳離れ」のプロセスです。

■霊的児童期における愛の世界と霊的成長

自主的・自立的意識の芽生え

ある程度子供が成長して、親の目が届かない所で遊ぶようになったり、兄弟や友だち同士で仲間をつくって遊ぶようになると、自主的・自立的意識が芽生えてきます。子供にとっては、親と遊ぶよりも、兄弟や友だちと遊ぶ方が楽しくなります。この時期における兄弟や友だちは、喜びと楽しさをもたらしてくれる大きな存在と言えます。

しかしその一方で、子供の心は絶えず親とのつながりを求め、それを確認して安心するようになっています。外見上はそれまでの幼児期とは違って親にベッタリではなく、自分の判断に基づいて、ある種の独立した行動をとるようになりますが、心は依然として親と強く結びついています。親は常に自分の後ろに控えていて、「いざという時には親の懐に駆け込める」という意識を持っているのです。もし子供が親の方を振り返ったとき、そこに絶対信頼の世界がなくなっているなら、子供は突如大きな不安の中に落とされることになります。子供はおびえて、身動きがとれなくなってしまいます。兄弟や友だちよりも、やはり親が一番大切な存在であることを、魂はよく知っているのです。

それがこの時期における子供の正常な状態です。親との関係が薄くても平気でいられる子供は、自然な霊的成長のプロセスに異常が生じている可能性があります。また、従来の西洋社会に見られるように、あまりにも早くから子供の自立を期待することは、子供の正常な霊的成長を阻害しかねません。あとになって問題を発生させることになります。

“横の愛”の芽生え

霊的児童期は、自主性・自立性の芽生えとともに「横の愛の関係」が少しずつつくられていきます。兄弟や友だちとの間に、徐々に愛の世界が築かれていくようになります。しかし、それは放っておいて自然にできるものではありません。親や周りの大人の賢明な導きがあって初めて可能となります。

兄弟愛・友だち同士の愛を正しくつくり上げていくことは、将来、神のもとにあってすべての人々を等しく愛する“人類愛・隣人愛”への準備となります。真の人類愛は思春期以降の真理との出会いの時を待たなければなりませんが、この時期における「愛を与える体験」によって、人類愛の基礎がつくられていくことになります。これまでは愛を受けることだけを求めていた子供が、今度は愛を与えることを学んでいくようになるのです。与えることをいつまでも身につけられない子供は、将来“利己的人間”になる可能性があります。

兄弟愛・友だち同士の愛には、親子の愛と違って明瞭な上下関係はありません。親子の愛を「縦の愛の関係」とするなら、兄弟愛・友だち同士の愛は「横の愛の関係」ということになります。しかしたとえ横の愛の関係であっても、上下関係はあります。親子ほど上下関係が固定していないということです。

兄弟の中で、兄や姉は上の立場から下の者(弟や妹)を愛します。それによって上の者は愛する喜びを、下の者は愛される喜びを体験することになります。そうした関係がさまざまな友だちとの間に築かれることによって、「横の愛の世界」が広がっていきます。子供であっても、自分より幼い者の面倒をみたり愛を与えることを通して、「利他愛」の基礎をつくっていくことになります。自分の方から先に与えることができてこそ、横の愛をつくる主役の立場に立てるのです。この時期に「与えること」を身につけることによって、横の愛の基礎づくりができるようになるのです。

周りを思いやる愛の下地づくり

そうした中で、これまで一方的に与え尽くしてくれた親に対しても、逆に愛を与え、奉仕することができるようになっていきます。“親孝行”の始まりです。親が病気のときなどは、献身的に看病してくれるようになります。このように子供は、自然な形で親に尽くすこと、親に孝行することを覚えていきます。親に対する孝行は、神への孝行・神に対する奉仕へと広がっていくことになります。こうして神や霊界の人々を思いやる愛の下地がつくられ、情愛を中心とする信仰の基礎がつくられていくようになるのです。

児童期は、親との絶対的な結びつきのうえで兄弟愛・友人愛という“横の愛”の世界をつくり上げていく時期です。そして神・霊界人・他人・動植物に対する愛の世界の基礎をつくる時期ともなっています。

■霊的青年期における愛の世界と霊的成長

神との親子関係をつくり始める

この時期に至ると子供は、肉の親との親子関係以外に、「霊の親」である神と直接的な関係をつくり始めるようになります。信仰者として最も重要な世界・信仰的人格の基礎が築かれていくようになります。それと同時に、すべての人々が自分と等しい「神の子供」であり、神のもとにあって全人類は「霊的兄弟」であることを自覚するようになっていきます。

これまで肉の親との間につくり上げてきた親子愛は、神との親子愛にまで高まることによって、一気に飛躍するようになります。これまでの親子関係は、神との親子関係・親子愛を知るための“疑似体験”だったのです。

大切な地上の親との親子関係

この時期において「神」に対して“魂”を開花させるためには、それ以前の親子関係が重要な要素となります。地上の親との関係を通して、絶対的に委ねる心・絶対信頼の心・絶対受容の心が養われているか否かが問題となるのです。

もしそれまでの親子関係が冷たいものであったり、親の厳格さだけが前面に出たり、親が子供に無関心であるとするなら、子供は神に対して心を開くことができません。神に対してどのように心を開いたらよいのか、どのような心持ちで臨んだらよいのか、分からないからです。子供が自分の心を伸び伸びと、しかも全面的・無条件に開くことができるようになっていてこそ、神を正しく受け入れることができるのです。

神と人間のつながりの本質は“親子関係”であり、“親子愛”こそが神と人間を結ぶ絆であるため、人間サイドの“魂”が開かれていないかぎり、神は実感できないようになっています。そうした人間に無理矢理、神の存在を信じ込ませることはできません。魂の中身が乏しいため、どうしても実感を持って神を受け入れることができないのです。

「神中心」の人生への自覚

この時期に「神」を正しく理解し、神が真実の「霊的親」であることを心から受け入れられるようになるなら、子供は自分の一生を神のために捧げ、神とともに地上人生を歩みたいと思うようになります。また、人類のために尽くす人生が、自分の心に喜びと充実をもたらすことを知るようになっていきます。神に捧げる人生こそが、最も価値ある歩みであることを心から理解するようになるのです。

神の前における、親と子供の同格・対等性

青年期に至った子供は、これまで絶対的な存在であると信じてきた親の中に、自分と同じ人間性を認めるようになります。そして人間に対して絶対性を期待するのではなく、神に対してこそ絶対性を求めるべきであることを知るようになります。それと同時に、人間的な弱さや欠点を広い心で許すことの必要性も理解するようになります。今まで絶対的な存在として無条件に信じてきた親の中に不完全さを見いだしたときの子供は、ある種のショックを受けることになりますが、時期を同じくしてそれに代わるより高い絶対者(神)を見つけることによって、そのショックを乗り越えていけるようになります。

神を中心とした考え方ができるようになるにともない、親も自分と同じ「神の子供」であり、自分も親に倣って一人の人間として神の前に立っていかなければならないことを自覚するようになっていきます。神の前には、親も自分も大きな隔たりはなく、互いに絶対者である神への信仰心を持ち、誠実に謙虚に霊的人生を歩んでいくのが正しい道であることを理解するようになるのです。

普遍的な人類愛への目覚め

神との結びつきが深まるにともない、これまでの対人関係と人間愛にも質的変化と向上が見られるようになります。普遍的な“人類愛・隣人愛”に目覚め、それを少しずつ実感を持って理解することができるようになっていきます。神のもとにあってすべての人間は「霊的兄弟・霊的同胞」であるという、より広くて普遍的な人類愛へ向けて意識が飛躍していきます。今まで自分の周りの人間だけに向けられていた愛(兄弟愛・友人愛)が、より開かれた無限の愛へと変化していくようになるのです。

それまでの人間関係の中で「与えること」を身につけてきた子供は、霊的真理によって「全人類は神の子供である」ということを理解しさえすれば、観念的になることなく人類愛を実践できるようになっていきます。

正しい夫婦愛・家庭愛への準備

また、思春期には性的機能が現れ始め、成人した男性・女性に向けての心身両面にわたる準備が進められることになります。これまでの子供としての立場から、親となって子供をつくるための準備段階に入ります。真の成人とは、心身ともに成熟し、子供をもうけることができる内容を確立した人間のことです。思春期以降の時期は、正しい夫婦愛・家庭を持つための準備期間なのです。このように青年期は、直接的な「神意識」をつくり上げると同時に、霊的成人に向けての基礎的世界を育む期間になっています。

この時期の重要な問題は“セックス”です。すでに述べたようにセックスが許されるのは、男女がともに「神の子供」として独り立ちし、「神の代理者」としての内容を整えた時です。「生まれてくる子供を神の代理者として立派に育てる」という決意があるときのみ、子供を持つことが許されるのです。恋愛感情があるからといって、セックスが許されるわけではありません。人間のセックスは、動物のような単に生殖のためのものではなく、「神から預かった子供の魂を育てる」という大前提に立ったものなのです。霊的青年期は、良き信仰者となることを目指す一方で、将来の良き家庭づくりを目指して、心身を清らかに保って歩む期間でもあるのです。