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1)霊性教育は、理想的な育児・教育論

これまで「霊性教育」について説明してきました。霊性教育を一言で言えば――「スピリチュアリズムによってもたらされた霊的真理に基づく育児・教育」ということになります。霊性教育にはいくつかのポイントがありますが、ここでもう一度、整理します。

霊性教育は、子供への伝道

霊性教育とは、親が子供に対して霊的真理に基づく正しい考え方を教え、真理にそった生き方ができるように手引きをすることです。その意味で霊性教育は、「霊的真理の伝道(真理の普及活動)」の一つと言えます。伝道は、スピリチュアリズムにおける「利他愛実践」の一分野であり、私たちは真理を知らない人々にそれを伝え、霊的人生を歩んでくれることを願って奉仕活動をしています。

その伝道の対象が、一般人ではなく自分の子供であるという点が、普通の伝道と霊性教育の違いです。

霊性教育は、子供に対する信仰生活への手引き

霊性教育を受ける子供の立場から言えば、霊性教育は「霊的真理に基づく信仰実践」――すなわち日々の信仰生活に他なりません。私たち大人は、自ら霊的真理を学び、真理にそって歩むように努力をします。これが信仰実践・信仰生活ですが、子供はそれを親の指導のもとで行うことになります。子供は先輩スピリチュアリストである親の手引きによって、霊的真理にそった信仰生活を送ることになるのです。

霊性教育の目的は、子供の霊的成長

霊性教育とは文字どおり、子供の霊性を高め育てる教育です。人間が地上に生まれた目的は、地上人生におけるさまざまな体験を通して「霊的成長」をしていくことです。それによって人間は、死後の霊界での生活に備えることになります。地上人生は「霊的成長」を達成するためにあり、地球はそのための“訓練場所”なのです。

しかし残念なことに、大半の地球人類はそうした重要な目的を知らず、的外れな地上人生を送っています。何の価値もないこの世の富や名声に執着して、せっかくの地上人生を台なしにしています。

親子関係の本質は“霊的関係”

霊性教育は、育てる親と育てられる子供によって成り立っていますが、この親子関係の本質は“霊的関係”です。親も子供も、ともに「神の子供」として神の分霊を付与された霊的存在です。その親と子供が、地上において霊的関係を結んでこそ、互いに「霊的成長」という地上人生の目的を達成することができるようになるのです。

ところが大半の地上人は親子関係を、単なる血縁の関係(肉体と肉体の関係)と考えたり、心と血縁の双方にわたる関係と考えています。しかしそうした見方は、親子関係の一部分を示しているにすぎません。親子関係の本質はどこまでも「霊的存在」としての関係――すなわち「霊と霊との関係」であるということなのです。

親の立場と、その使命

正しい親子関係を築くためには、親の位置づけと立場が非常に重要となります。親は「神の代理者」であり、「神と子供を結ぶ媒介者」です。これが霊性教育における親の正しいあり方です。それは「子供は、神からの一時的な預かりもの」ということを意味しています。親は神から子供を預かり、その霊的成長を促す役割と責任を与えられたのです。子供の「霊的成長」を促し、一人前の霊的成人に育てることが霊性教育の目的であり、親の使命なのです。

親としての子供への願い

したがって親は、子供の「霊的成長」を一番の願いとして導いていかなければなりません。子供が大人になったとき、一人のスピリチュアリストとして立派な信仰者になっていることを理想として育児・教育に携わっていかなければなりません。親は、子供が自分と同じように地上人生を神と全人類のために捧げ、喜んで犠牲の道を歩めるようになることを心の底から願っていなければなりません。さらには地上人生を悔いのないように生きて、安心して死後の世界に旅立てるように、しっかりと準備することを希望しなければなりません。

しかし地上の大半の親は、これとは正反対に、子供に対してこの世の富や名声を期待しています。「物質的価値観」に立って育児・教育を考えていますが、それは間違いです。この点でスピリチュアリストは「霊性教育」を通して、自分の子供に最高の愛と真の幸福を与えることができるという、実に恵まれた立場に立っています。霊的人生を送るスピリチュアリストであればこそ、「霊性教育」という理想的な育児・教育を実践することができるのです。

2)霊性教育における現実の壁と困難

霊性教育における現実の壁

霊性教育という「霊的真理」にそった教育論を手にしたことは、親にとっては大きな恩恵です。霊性教育では、どのように子供を育て導いたらよいのかを「霊的観点」から明確に示しています。親としての霊的な責任の果たし方を明らかにしています。これ以上の霊的教育法は、他にはありません。

ところが現実に子供を育て導いていくとなると、なかなか思うようにはいきません。理想どおりには進まず、大きな壁に突き当たってしまいます。霊性教育の理想とは裏腹な方向に向かっていってしまうような事態も生じます。親としては子供の霊的成長を願って全力で取り組み、すべてのエネルギーを注いできたにもかかわらず、子供は思うように育ってはくれません。

こうした中で誰もが、育児・教育の難しさを実感することになります。人によっては、自分の力の足りなさを嘆いたり、まだまだ努力が足りないと考えるようになります。真面目で真剣な人ほど、霊性教育を進める中で大きな現実の壁にぶつかり、苦しみを抱くことになります。

思うようにいかなくて当然

しかし考えてみれば、どんなに優れた育児・教育法を知っていても、現実が思うように運ばないのは当然です。なぜなら子供にも、神から“自由意志”が与えられているからです。霊性教育が思いどおりに進んでいかないのは、次のようなことを考えてみればよく分かります。

私たち大人のスピリチュアリストは「霊的真理」を知っていますが、その真理を実践するとなるとなかなか難しいのが現実です。私たちスピリチュアリストは、自分を霊的真理にそわせようと努力していますが、同じ失敗を繰り返してばかりでいっこうに成長できません。知識としては努力すべき方向(正しい実践内容)を知っていても、それを実行するには大きな困難がともないます。自分を変えるのはどれほど大変なことか、誰もがイヤというほど分かっているはずです。「霊的成長」という最高の霊的宝を手に入れるためには、厳しい奮闘努力が必要とされるのです。大人でさえそうであるなら、幼い子供がすぐに変わらないのは当然です。親の思いどおりに進歩しなくても仕方がありません。

また、伝道においても同じようなことが言えます。私たちは、相手が一刻も早く真理を受け入れ、霊的成長の道を歩み出してほしいと願っています。しかし相手に時期がきていないかぎり、どんなに願ってもその思いは届きません。時には相手から拒否され非難されるようなこともあります。霊的真理の受容には、「霊性」の問題が関係しています。真理を受け入れられる時期がきていなければ、どうにもなりません。さらにそこに“自由意志”という別の要素が加わるのです。

私たちの多くが、大人になってから「霊的真理」と出会い、それを受け入れてスピリチュアリストになりました。限られた地上人生のうちにスピリチュアリストとして歩めるようになったことは、本当に恵まれていたとしか言いようがありません。しかしそうした私たちでさえ、もし真理との出会いが10年早かったなら、果たして今と同じような結果になっていたかどうかは定かではありません。時期尚早のゆえにスピリチュアリズムに反発して、真理から外れた道を選ぶようになっていたかもしれません。

一方、子供がかなり大きくなってから、親が「霊的真理」と出会うようなこともあります。そうしたケースでは、それまでの親子関係の中ですでに一定の型ができ上がっているため、それを壊して新たに霊性教育の方式に変えようとしても、なかなかうまくいきません。その点、生まれてからずっと霊性教育を受けて成長した子供の場合は、恵まれています。すべてが自然の流れの中で進んでいくからです。教育方法を途中から切り替えると、子供の心に大きな混乱と衝撃を与えることになります。子供にも自由意志があるため、反発を招くようになってしまいます。親サイドの理由でそれまでの方針を変えようとしても、思いどおりにならないのは当然のことなのです。

このように育児・教育については人それぞれの事情があり、複雑な背景が関わってくるため、霊性教育を進めるうえでそれらが常に大きな壁として立ちはだかることになります。霊性教育を知ったからといって、それを実践するには大変な困難がともないます。子供が親の願いどおりに育たないとしても、やむをえません。

3)霊性教育に対する、さまざまな妨害要因

子供のカルマと霊性

こうした問題以外に、霊性教育を困難にしている別の要因があります。その一つが子供自身が持っている「カルマ」です。子供が再生者である場合には、前世でつくった「カルマ(神の摂理からのズレ・悪因縁)」が内在しています。そのカルマが子供の肉体の成育にともない、表面化するようになっていきます。カルマは子供の霊的成長の足かせとなり、スムーズな成長を妨げます。どんなに親が必死になって導こうとしても、足を引っ張られることになります。

子供の中には、生まれつき高い霊性を持った者もいます。前世において、すでに一定の霊性レベルにまで進化していた人間が再生したケースです。そうした子供は、幼いときから信仰的世界に対して親和性を持ち、自然に霊的成長の道を歩んでいきます。しかし、霊性レベルがそれほど高くない子供の場合には、成育とともに信仰を嫌うようになりがちです。

このように「前世のカルマ」や生まれつきの「霊性レベル」によって、霊性教育の進行状況は左右されることになります。カルマや霊性の影響力は大きく、霊性教育の成否を決定するようになります。

家庭環境

また、子供の置かれた“家庭環境”も、霊性教育の成否を決定する大きな要因となります。母親が霊性教育に熱心に取り組もうとしても、父親にスピリチュアリズムへの理解がなかったり、反対するような環境では、理想的な霊性教育を実践することはできません。それどころか両親の考え方・生き方の食い違いが、直接子供に反映して、マイナスの影響をもたらすようになります。配偶者の反対や非協力的な態度は、霊性教育を進めるうえでの一番の障害となります。

両親の間で「教育観」が異なり争いが絶えない状況が続くようなら、子供のためにはむしろ離婚して片親だけで霊性教育を実践する方がずっとまし、と言えるかもしれません。

地球を支配する“物質主義と利己主義”

霊性教育を妨げるもう一つの大きな要因は、現在の地球を支配している“物質主義と利己主義”という悪の影響力です。スピリチュアリズムは地球を支配するこの“2つのガン”を取り除こうとする地球浄化のプロジェクトであり、それはスピリチュアリズムにとって“敵”と言うべきものです。霊性教育はスピリチュアリズムの一分野である以上、当然、物質主義と利己主義との戦いは避けられません。霊性教育は、子供たちを物質主義と利己主義という悪の勢力から守ることを一つの使命としているのです。

しかし地球を支配している2つのガンは、圧倒的な力を持って絶えず子供を悪の影響下に引きずり込もうとします。霊性教育によって子供の霊的成長を促そうとしても、それを妨げる方向に圧力がかかるようになります。特に親から離れ、外の世界と接触する時間が長くなればなるほど、子供はこの世の悪の影響力(物質中心主義・利己主義)に染まってしまいます。子供が「カルマ」を多く持っている場合には、悪の影響力に簡単に引きずられてしまうようになります。

今すぐ「霊性教育」を達成することは無理

霊性教育という素晴らしい教育法があっても、現実にはこうしたさまざまな妨害要因があるため、その達成はきわめて難しくなります。霊性教育が順調に進むケースは、むしろ稀と言わざるをえません。今の時代に霊性教育を実践しようとすると必ず、ここで挙げたような制約や妨害が付きまといます。現時点での霊性教育には、どうしても一定の限界があるのです。親としては、その中でベストを尽くすしかありません。

現段階では、霊性教育を実行する条件に恵まれた人によって、まず手本が示されることが必要です。そうした手本があれば、今後の「霊的真理」の広がりとともに、霊性教育は徐々に地球上に定着していくようになります。霊性教育は、「霊的真理」が地球人類の常識となったとき初めて、完全に達成されることになるのです。

現在の地球上においては、多くの障害を克服しながら、少しずつ理想に向けて努力していくことしかできません。霊的真理が地球上に普及するまでは、「霊性教育」は地球人類にとって育児・教育の理想・目標にとどまることになります。

4)親に求められるのは、理想に向けての最大限の努力

親の責任というよりも、別の要因

真剣に霊性教育に取り組んでいる親は、子供が道を外れないように気を配り、子供が将来“良きスピリチュアリスト”になることを夢見て努力を続けます。しかしそうした立派な親であっても、霊性教育の実践が必ずしも期待したような結果を生むとは限りません。むしろ反対に、悲しい結果に終わることが多いのです。

思いどおりに成長しない子供、神の道から外れてしまう子供に対して、多くの真面目な親たちは悲しみと絶望を味わいます。なかには悪い結果はすべて自分のせいであると思い込み、自己嫌悪に陥る人もいます。自分の信仰のなさが反映して、こうした結果を招くことになったと自分を責め続ける人もいます。

しかし先に述べたように、現在の霊性教育には初めから一定の限界があるのです。霊性教育の結果が期待を裏切るようなものであったとしても、それは親の責任というよりは、むしろそれ以外の要因によるところが大きいのです。

「守護霊」と同じ苦労を体験

自分の足りなさから霊性教育が失敗してしまったのではないかと落ち込んだときには、次のようなことを思い出してください。それは、霊界から私たち地上人を導いてくれている守護霊や指導霊のことです。守護霊や指導霊は、これまでずっと辛く悲しい体験をしてきました。霊界の霊たちは、一点のエゴもない純粋な利他愛と犠牲精神から地上人に働きかけてきました。何とか「霊的真理」に導いて霊的覚醒をもたらし、霊的成長の道を歩ませようと働きかけてきました。しかし地上人は、そうした霊たちの願いを知ることなく、勝手気ままな生き方をしてその期待を裏切ってきました。霊界の人々の善意一色の働きかけに応えることができませんでした。

霊性教育に携わる親は、こうした霊界人と同じ立場に立つことになります。子供を育てることを通して、誠意のかぎりを尽くして導いてきた相手から無視され裏切られるという悲しみを共有することになるのです。

霊界人を手本として

霊界人(守護霊・指導霊)は、地上人から裏切られても、導きをやめることはありません。願いどおりにならない相手に対しても、諦めることなく全力で導き続けてくれます。そうした霊界人の姿こそ、地上の親の良き手本なのです。

親は、最高の善に向けて全力で働きかけ続けることが大切です。その実りが微々たるものであっても、「理想に向けて誠実に全力で取り組む」ということが何よりも重要なのです。霊性教育の結果は、人間の力の及ばない要因によって左右されます。しかしそうした中にあっても、親は常に理想に向けて努力していかなければなりません。

子供を育てる苦しみは、親自身の霊的成長にとって必要な体験

実は育児・教育で苦しむということが、本人(親)にとって必要な体験になっている場合が多いのです。「大きなカルマ」を背負った子供を育てることで、親自身が持っているカルマを切ることができるようになります。霊性教育がうまく進まずに苦労することが、親の霊的成長にとって必要な道となっているということです。そうした苦しみの体験を、再生前に自ら選んできている可能性もあります。

カルマなどの霊的背景については、地上人が明瞭に知ることはできません。しかし今、自分が直面している現実を自らの霊的成長に不可欠な体験として受け止めることが、賢明なあり方なのです。

親に求められるのは、最大限の努力だけ

親に要求されるのは――「理想に向けて最大限の努力をする」ということだけです。それが親としての正しいあり方です。自分なりに精いっぱい努力してきたと言えるなら、たとえどのような結果になったとしても、嘆く必要はありません。結果的に霊性教育は失敗したように思えても、親のあり方としては成功であったかもしれないのです。

5)蒔いた種が、あとになって芽を吹くこともある

たとえ願いどおりの結果にならなくても

精いっぱい努力してきたにもかかわらず、願いどおりの結果が出ないことは、現在の霊性教育では当たり前と言えるかもしれません。子供の霊的成長は、子供の生まれつきの霊性レベルやカルマ、さらには地上の環境条件によって大きく左右されるからです。そうした制約下での努力には、初めから限界があります。子供の霊性レベルがよほど高くないかぎり、霊性教育が目標とするような結果に至るのは、本当に難しいことなのです。

「立派なスピリチュアリストになってほしい!」との願いも虚しく、子供がこの世の人間と同じ道を歩むようになるのを見るのはとても辛いことですが、それも「神の摂理」の支配のもとで進行していることです。親と子供が揃ってスピリチュアリストとして人類に貢献できるなら、どれほど素晴らしいことでしょう。しかしそれは現時点では、よほど霊的に恵まれた一部の人間だけに許されることなのです。

大半の場合、親子はいったんは別々の道を歩むようになります。それは一見すると、霊性教育が失敗したかのように映るかもしれません。しかし親が理想を目指して最善を尽くした結果であるなら、それは必ずしも失敗とは言えません。なぜなら親が霊性教育に全力で取り組むことによって、子供は何らかの「カルマ」を切ることになっているからです。親の働きかけの中で、子供への“悪の影響”は最小限に食い止められているはずです。そして親自身も、育児・教育の苦労を通して自らの「カルマ」を清算し、子供に対する利他愛の実践によって霊的成長が促されることになっています。

このように考えてみると、子供を思いどおりに育てられなかったからといって、必ずしも霊性教育の失敗とは言えないことが分かります。さらに次のようなことを考えると、それが明らかになります。

子供の“潜在意識”に蒔かれた真理の種

霊性教育を通して、子供の“潜在意識”の中に霊的真理の種が蒔かれ、子供が大人になってから芽を吹くようになることがあります。一見、失敗に終わったかのように思われる状況下で、実は真理が芽吹くための下地がつくられていることがあるのです。

親の手を離れた子供はその後、さまざまな苦労に遭遇する中で少しずつ「カルマ」を切り、霊性が高められていくようになります。そして一定の霊性レベルにまで達すると、潜在意識の中に蒔かれていた「霊的真理」が自然と意識にのぼってくるようになります。それにともないスピリチュアリズムへの関心が、急激に湧くようになるのです。

人間は、一生のうちに一度は“霊的人生”に目覚めるチャンスが訪れます。こうした時期に差しかかると、親を通じて「霊的真理」に触れていた人間は、必ずそれを思い出すようになります。子供時代に親から聞いていた真理が、意識の中に蘇り、親と同じような人生を歩みたいと思うようになるのです。

親の生き方が、子供にとって魅力的であるかどうかが問題

霊性教育は、こうした形で何十年か後に実を結ぶようなこともあります。ただしその際、決定的に重要な条件があります。それは子供が、当時の親の生き方を思い出したとき、そこに「敬意を感じられるかどうか」ということです。

もし、当時の親の生き方が人間として魅力的であったと思える場合には、子供の関心は“スピリチュアリズム”へと向かうことになります。自分を育ててくれた親の姿の中に本当の利他愛を見いだし、神に対する純粋さ・誠実さ・謙虚さを認めることができたとき、子供の心には親への尊敬の思いが湧き上がるようになります。そして自らスピリチュアリストの道を選択するようになるのです。

反対に、当時の親の姿や生き方を思い出したとき、自己中心性や利己性(エゴ)を見いだし、神に対する不純さ・不誠実さ・傲慢さが浮かんでくるとするなら、子供は親に対して何の魅力も敬意も感じることができません。そうした場合、子供は親とは別の道を求めるようになり、かつての霊性教育が良い実を結ぶことはありません。親の不誠実な生き方が、親に対する軽蔑だけでなく、スピリチュアリズムそのものに対する軽蔑の念を引き起こすようになるからです。そうなれば「霊性教育は完全に失敗した」ということになります。

まさに人生に対する親の真剣さ・純粋さ・誠実さこそが子供の心をつかむ不可欠な要素であり、それが将来、良い結果を招くことになるのです。

6)霊性教育のやり直しのチャンス

子供が大きくなってから、これまでの育児・教育は間違っていた、霊性教育に失敗してしまったと気がつくことがあります。そのときには子供の心はすっかり親から離れ、もう取り返しがつかないような状態にまで至っているかもしれません。

そうしたとき、親は霊性教育の失敗を挽回することはできないのでしょうか。子供がスピリチュアリズムの道にたどりつくことは、もはや絶望的なのでしょうか。あるいはスピリチュアリズムにはたどり着けなくても、せめて普通の親子関係を取り戻すことはできないのでしょうか。

霊性教育の失敗を挽回するには

霊性教育の失敗を挽回するための、唯一の方法があります。完全とは言えないまでも、大きくなった子供に対して霊性教育をやり直すチャンスが残されています。それは「親が生き方を変える」ということです。親が、純粋な信仰者としての姿勢を示す、本物の信仰者を目指して歩み直すということなのです。親は子供にしっかりと向き合い、自分の気持ちを正直に伝えることです。

「これまでお母さんは、あまり真剣に人生を歩んでこなかったけれど、今からもう一度、やり直そうと思っている。本当の信仰者を目指して、ゼロから歩んでいこうと考えている。自分を犠牲にして人々のために生きていこう、自分の人生をすべてスピリチュアリズムのために捧げていこうと決心している。これまでお前には、お母さんの愚かさから回り道をさせてきたかもしれないが、それは許してほしい。これからは、お前もお母さんと一緒に正しい人生を歩んでほしい。」

こうした謙虚な姿勢で裸になって子供に対するとき、子供は初めて親との間に“霊的絆”を感じるようになります。神の前に純粋な信仰者として立ち、真剣に我が子の成長を願っている親の姿に人間としての魅力を感じるようになります。そうした親に対して子供は人生の先輩として敬意を抱き、心を打たれ、魂の奥から感動が湧き上がるようになるのです。

自らの霊的向上を求める真剣さ、本物の信仰者を目指す情熱は、心の純粋さ・心の若々しさとなって現れます。高い目標に向かって努力し続ける人は、心が老いるということがありません。時間とともに純粋さと若々しさが増していきます。子供は親の中にそうした姿勢を見いだしたとき、無条件に感動を覚え、尊敬の念を持つようになるのです。そうなれば親の欠点や未熟さは、もはや取るに足りないものになっていきます。欠点があるからといって、親を軽蔑したり上から見下すというようなことはなくなります。

本物の親とニセの親

親は何よりもまず、自分自身が本物の信仰者になろうとしなければなりません。神の前に誠実な信仰者であるように努めなければなりません。神と真理に対して、徹底して忠実に歩む決意をしなければなりません。こうした親の純粋な姿勢が、子供の心を打つのです。きれい事を並べ立てたり、頭ごなしに説教をするような者はニセの親です。より完璧な信仰者を目指して誠実に努力をする人だけが、“本物の親”になることができるのです。

そうした純粋さがないのに、口先でいくら立派なことを言っても、子供が心から親に従うはずはありません。親に対して尊敬の念を抱くことも、権威を感じることもありません。子供は、自分の力を自慢する親よりも、自らの足りなさを反省する謙虚で純粋な親を求めるものです。神の前に謙虚に頭を垂れ、清らかさを求めて真剣に努力を重ねる親の姿を見たとき初めて、子供の心は無条件に揺り動かされるのです。親が本物の信仰者であればあるほど、結局、子供の心をつかむことができるのです。

親自身が心を入れ替え純粋になること以外に、子供の心を取り戻す方法はありません。偽りの親は、どこまでいっても子供の心をつかむことはできません。繰り返しますが、霊性教育をやり直すためには、親が本物の信仰者になることを決心し、実際にゼロから歩み直すことです。幼子のような純粋さを持って、神の前に本物の信仰者として立っていくことなのです。

親は子供に厳しく臨む前に、自分自身の足りなさを悔い改めるようでなければなりません。子供を抱きかかえながら、すべての責任を自分がとるほどの謙虚さがなければなりません。偽りの親、実行がともなわない口先だけの親は、子供の尊敬を勝ち取ることはできないのです。子供は、口には出さなくても心の中で親を軽蔑し、相手にしなくなります。