MENU

3.宗教組織による洗脳と、棄教・改宗の難しさ

(6)宗教組織から離れる難しさ

宗教的情熱の喪失と、教団に対する絶望

信仰を始めたばかりの人間は、教団の洗脳によって「自分たちこそが一番の正義であり、神から特別大きな使命を与えられている。自分たち以外の宗教は劣っている」という間違った自負心・優越心を抱いています。それが宗教的情熱となって、心を熱く燃え立たせています。

しかし時間の経過とともに、そうした宗教的情熱は薄らぎ、心は以前のように燃え立たなくなっていきます。さらに「自分たちだけが正しくて、他の宗教はすべて間違っている」という教団の教えにも、疑念が生じるようになります。ネットや書籍を通して、他の宗教の中にも、自分たちと同じような教えを説いているところがあることを知るようになるからです。そして、これまで自分たちの教団が唯一絶対の存在であると思っていた信念が揺らぎ始めます。時には外部の情報によって、自分たちよりも優れた教えがあることを知り、自分が長い間、唯一の真実として信じてきた教団の教義に間違いがあることに気がつくようになります。

こうして教団に対する疑念と不信感が増大し、最後まで残っていたわずかな信頼感も消え失せ、「もうここではやっていけない」と思うようになります。絶望の中で、改宗を考える人もいます。ネットなどを通してスピリチュアリズムの霊的真理を知ることになり、大きな転機を迎える人も現れます。

真剣に信仰してきた人間ほど、教団からの離脱は難しい

宗教的情熱が冷め、意を決して教団から離れようとしても、いざ実行に移そうとするとさまざまな困難に遭遇することになります。そして自分の思いに反して、ずるずると教団との関係を続け、表面だけを取り繕って信仰生活を送ることになります。

もっとも宗教組織を離れるといっても、いくつもの宗教を次々と渡り歩く宗教ジプシーのような人間にとっては、一つの教団を辞めて他の教団に移るのはそれほど難しいことではありません。生きがい探しの一環として教団に足を運んでいたような人間や、仲間が欲しいというだけの動機から入信していたような人間にとっても、教団から離れるのはたいして難しいことではありません。離脱が難しいのは、長年にわたって教団に属し、誠実に歩んで仲間から信頼されてきたような人間です。

そうした人間にとって、自分が属していた教団を去ることは人生最大の出来事であり、身を切るような一大決心が要求されることになります。真剣にそして誠実に教団の中で信仰を続けてきた人間にとって、教団を離れることは、それまでの人生をすべて捨て去りゼロから再出発することを意味しています。

教団を離れることへの不安と恐怖

教団に長くいる人ほど“洗脳”が進んでいます。洗脳が心の深いところにまで浸透しているため、教団を離れることに対して不安や恐怖心が湧いてくるようになります。「もしかして、教団が言うように地獄に堕ちることになりはしないか?」「自分だけでなく、家族や友人も地獄へ道連れにすることになりはしないか?」「ひょっとして、これが教団が言っていたサタンの誘惑ということではないのか?」といった思いが心を占めるようになります。こうした形で、教団を離れようとする際に、それまで受けてきた洗脳が足どめをすることになるのです。

教団サイドも当然、「教団を裏切れば地獄に堕ちる」とか「取り返しのつかない不幸が降りかかる」、あるいは「サタンに誘惑されている」といった言葉で脅しをかけてきます。そうした脅しに対抗するためには、相手以上に霊的知識を持っていなければなりません。そうでなければ相手に反論することができず、やり込められてしまいますスピリチュアリズム普及会ではこうした時のために、ネット上で真実の霊的情報を公開しています)

信仰の仲間との情的なしがらみ

また、長い間、ともに世間からの非難や反対に耐え、人生を捧げてきた信仰の仲間を裏切ることになるという情的なしがらみが、離脱の決意を鈍らせることになります。「教団を離れたあと、こんないい仲間と出会えるだろうか?」「心が通じ合い、思いを共有することができる仲間をつくることができるだろうか?」といった不安が湧いてきます。

なかには、「家族や友人からの反対を押し切って貫いてきた信仰を、今さら間違っていたとは言えない」と考えるような人もいます。教団に裏切られたと感じ、「これまで人生を犠牲にしてきたことは、いったい何だったのか」と悔しさ・虚しさに襲われながらも、面子から意地でもやり通そうとする人もいます。あるいは、自分を介して教団に入った人のことを考えると、「たとえ教団が間違っていても、自分ひとりだけが脱け出していいのだろうか」といった迷いが生じてくる人もいます。

こうしたさまざまな思いによって心が揺れ動き、ずるずると教団に留まり続けることになってしまいます。

哀れな教団幹部の立場

宗教組織の中で出世し、幹部にまで至った人間にも、限界と行き詰まりが訪れます。そうした人間ほど教団内部の醜い人間関係や不正の実態を知っているため、すでに当初の純粋な信仰心を維持できなくなっています。教団の中で最も形式的な信仰をしているのが、組織の指導者や幹部たちなのです。

教団の指導者や幹部になると、教団の専属職員として生活費を支給してもらっています。そうした人間は、組織によって生活の面倒をみてもらっている立場上、教団から離れたくても離れられません。教団を離れることになれば、生活費も子供の養育費も一切入ってこなくなり、路頭に迷うことにもなりかねないからです。何らかの専門技術を身につけている者なら、教団を離れても生計を立てていくことができますが、それがない人間の場合には、教団を辞めた後の生活の保障がすべて失われることになります。そのため多くの人間が、しぶしぶそれまで通りの生活を続けることになります。宗教的情熱が失われた中で形だけ教団に所属し、幹部として歩んでいくことになるのです。その姿は、本当に“哀れ”としか言いようがありません。

以上のように、教団から離れようとすると、さまざまな妨害や困難と遭遇することになります。そうした中で多くの人々は“魂の牢獄”から脱け出すことをあきらめてしまうのです。

「自ら選んだ暗闇の中で、自由になれるのに鎖につながれ、奴隷のような生き方をしている魂が数多くいます。(中略)鳥カゴの中で長いあいだ飼われていた小鳥は、鳥カゴから放たれたときに、もしかしたら飛べないのではないかと心配になるものです。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.51

宗教組織と手を切る勇気を持つ

教団から脱け出すためには、本人が教団と決別する勇気を持ち、毅然とした態度で臨むほか方法はありません。人生を決定するのは、神でも霊界でもなく本人自身なのです。長いあいだ所属してきた宗教組織から脱け出すについては、今述べてきたようなさまざまな困難との闘いは避けられません。宗教(信仰)とは、人生をかけたものである以上、そこから離れるのに大きな困難がともなうことは当然です。

「教団を去る」ということは、教団の教えを否定することであり、棄教することです。棄教にともなう困難を克服するための一番の方法は、教団の教義以上の「霊的知識」を持つことです。スピリチュアリズムによってもたらされた霊的知識は、まさにそれを可能にします。スピリチュアリズムの霊的知識を身につけることで、地上のいかなる宗教の教義も、高みから眺め下ろすことができるようになります。教団の教義のどこが正しくて、どこが間違っているのかを、明確に判断することができるようになります。これまで教団の“洗脳”によって、いかに間違った教えを植えつけられてきたのかを、はっきりと知ることができるようになるのです。

本物の霊的知識による“理論武装”のみが、教団の間違った教義を打破する力となります。スピリチュアリズムの「霊的真理」によって、最強の理論武装が可能となります。真実の霊的知識は、教団を去ることが正しい選択であることを、心の底から納得させてくれるのです先に述べたように、私たちスピリチュアリズム普及会では、こうした人のために「霊的知識」のすべてをネット上で公開しています。真実を求める人には、自由に学ぶことができるようになっています)

「私たちがお届けするメッセージに困惑する人々、教義に縛られているために逃れようにも逃れられず、それでいて“自由”の呼び声が聞こえて必死にもがいている多くの人々がいることを思い起こしてください。私たちのメッセージは、そうした人たちを意図したものです。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.46

「心の中で間違っていると感じていること、理性が得心していないことを潔く捨て去ったとき、その時こそあなたは自由になるのです。あなたの知性が反乱の雄叫びを上げたのです。新しい真理の光によって自分の間違いに気づき、ひるむことなくそれを捨て去ったとき、あなたは本当の意味で“自由”を手にすることができるのです。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.131

「真理の指し示すところならどこへでも突き進み、間違いと分かったものは、いかに長いあいだ“金科玉条”とされてきたものであっても捨て去る勇気がなくてはなりません。(中略)幼少時代に教え込まれ大切にしてきた信仰を捨て去るのが容易でないことは、私もよく承知しています。しかし、魂が真に自由になるためには、理性が納得しないものは潔く捨て去ることができるようでなくてはなりません。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.131〜132