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2.霊界における宗教の状況と、スピリチュアリズムによる人類史上“最大の宗教革命”

(2)地上の宗教組織(グループ)が存在するのは幽界まで

――霊界には地上の宗教は存在しない

狂信者からなる宗教グループは、幽界に存在するだけ

今述べたように幽界下層には、狂信者の地縛霊が集まってつくり出す“暗黒のスポット”があります。地上の狂信者の多くが死後、幽界下層の暗黒のスポット(狂信者のグループ)の中で時を過ごすことになりますが、霊的意識が目覚めるにともないそこから抜け出し、まともな霊としての歩みを始めるようになります。本来たどるべき「霊的向上の道」を歩み出すことになるのです。

一方、地上には依然として狂信的な宗教組織があり、そこで洗脳された者たちが次々と幽界の狂信者のグループに入っていくことになります。地上に狂信的な宗教組織があるかぎり、幽界下層の狂信者のグループは存在し続けます。とは言っても、こうした狂信者のグループが存在できるのは「幽界」までです。幽界から先の「霊界」には、地縛霊は入っていけません。地縛状態から抜け出さないかぎり、霊界には入っていけないのです。したがって霊界には、幽界下層にある狂信者の宗教グループは存在しません。

地上には「霊的無知」から間違った教えを説き、信者たちを“霊的牢獄”に閉じ込めている宗教が多くありますが、そうした宗教組織(グループ)が存在するのは幽界だけです。死後、地縛霊となって狂信者のグループに入っていた者たちも、いつかは霊的自覚を持つようになり、それぞれバラバラに霊界に入っていくことになります。彼らは霊界に入って初めて、本当の意味での“霊的家族(グループ)”の一員になるのです。地上の宗教組織は、その狂信性によって幽界までは存在しても、本格的な死後の世界である霊界には存在しません。

幽界における狂信者の「霊的純化のプロセス」

幽界とは、地上で身につけた物質中心の考え方・生き方を捨て去って、純粋な霊的存在になっていく所です。神によって幽界が設けられているのは、新参者の霊に「霊的純化のプロセス」を歩ませるためです。もし霊的純化が進まず、地上的意識・物質的嗜好を拭い去ることができないなら、“地縛霊”となっていつまでも幽界に留まり続けることになります。

幽界下層に存在する狂信者のグループは、地上時代の間違った宗教の教義に縛られ、そこから抜け出すことができない人間の集まりです。地上的意識・地上臭に染まったままの地縛霊のグループなのです。彼らは、地上時代の宗教の教義や儀式といった地上的な要素を捨て去って純粋な霊的存在にならないかぎり、霊界には入っていけません。物欲・肉欲にとらわれている人間が霊界に入っていけないのと同じように、狂信者たちも地上の宗教の間違いに気づかないかぎり、霊界に入っていくことはできないのです。

「神の摂理」に一致した宗教組織は地上には存在しない

多くの狂信的な宗教組織(教団)では、自分たちの宗教こそが最高で、その信者になることによって死後には他の宗教では得られない特別な救いが与えられるようになる、と説いています。しかし実際にはそれとは反対に、信者たちを“地縛霊”に陥れることになっています。世界人類を救うどころか、狂信者の地縛霊のグループをつくり出すことになっているのです。

もし地上の宗教の教えが「霊界の事実」と一致しているなら、その教えは死後も存続することになります。「神の摂理」と一致している教義なら、霊界でもそのまま通用することになりますが、地上世界にはそうした宗教は一つもありません。

重要な結論を言えば、地上の宗教の教え・教義は、ことごとく霊的事実に反しています。信者たちはその間違った教えを忠実に実践することで、いっそう霊的事実から外れていくようになります。霊的救いを得るどころか、真の救いから自分自身を遠ざけることになってしまっています。

地上の宗教の教え・教義は、霊的事実からかけ離れています。部分的には一致していても、全体的には間違っています。地上の宗教の教義の多くが、人間の勝手な想像・自分たちにとって都合のいい推測によってつくり上げられた人工的な教えです。霊界から見ると、地上の宗教は霊的事実が全く分かっていません。霊的事実を教えるべき宗教自体が「霊的無知」の状態にあるのです。

霊的無知に陥っている地上の宗教は、摂理から外れたニセの教え・人工的な思想を唯一の正しい教義(真理)として信者たちに植えつけています。人工的な間違った教えを信じ込ませ、それを忠実に実践することが正しい信仰であり、真の救いを得られる道であると説いてきたのです。

「霊的純化のプロセス」が進んでいかない狂信者

大半の人間は死後の世界に入ってしばらくすると、地上で間違った信仰をしてきたことに気がつくようになりますが、狂信者はなかなかそれを自覚できず、霊的浄化のプロセスが進んでいきません。

幽界では、地上の宗教の間違った教えを捨て去り、霊的事実を素直に受け入れることが必要となります。霊的純化とは、地上的意識・地上的感覚を拭い去ることです。信仰者にとって「幽界」とは――「地上時代に身につけた間違った教えを捨て去り、霊的事実という真理に目覚める所」なのです。それによって本格的な霊的世界である「霊界」に入っていくための準備を整えることができるのです。

地上の多くの宗教には教祖が存在し、教祖が示した教義が真理として説かれています。また宗教組織(教団)や儀式があり、立派な宗教施設もありますが、霊界ではそれらは一切不要となります。どれも霊的なものではないからです。霊的事実と神の摂理に一致しないものだからです。こうした地上世界でしか通用しないものをすべて捨て去ることが、幽界における「霊的純化のプロセス」なのです。

しかし狂信者の地縛霊は、地上時代の宗教をそのまま正しいと信じ込んでいるため、いつまで経っても霊的純化が進んでいきません。

地上の血縁関係と地上の宗教組織の共通性――その本質は物質的なつながりであって、霊的なつながりではない

地上の人間の間で最も基本となるつながりは“血縁関係”です。家族は血縁(血のつながり)によって結ばれた人間社会の最小単位です。地上では血縁によって結ばれた家族・親戚関係が尊重されてきました。人間は長い間、この血縁関係を永続させようとして争いと殺し合いの歴史を展開してきました。個人の幸福よりも家と血縁関係が優先され、個の人生は血のつながりを維持するために捧げることが当然とされてきました。

しかし、それほどまでに尊重され、犠牲を払って維持されてきた血縁関係も、霊的観点(霊界人の視点)から見ると全く様相が違っています。地上世界で最も大切にされてきた家族関係・血縁関係は、霊界では通用しません。死後しばらくはその関係が保たれますが、さほど時を経ずして消滅してしまいます。それは血縁関係は物質次元のつながりであって、霊的なつながりではないからです。

地上でどれほど仲の良い夫婦・兄弟・家族であっても、そのつながりは死後、バラバラになってしまいます。地上で仲の良い夫婦や親子は、死後も生活を共にしたいと願いますが、その願いがほとんど叶わないのは、地上のつながりと霊界におけるつながりが本質的に違っているからです。多くの霊界通信によって、「地上の縁(血縁的つながり)は死後には消滅してしまう」という霊的事実が明らかにされています。

幽界では、まだ地上的要素が残っているため、仲の良い夫婦や家族が再会して一時的に地上の家族関係が再現されることがあります。しかしその家族関係は、各自の霊的意識の芽生えとともに崩れていくことになります。それぞれが霊界に入ると同時にバラバラになってしまいます。地上でいかに仲の良い夫婦であっても、2人を結びつけている絆が霊的なもの(霊的絆)でないかぎり、一緒になることはできません。単に肉体次元の関係であったり、社会的慣習に合わせて外見を取り繕っただけの関係である場合には、死後、夫婦は別々になり、二度と会うことはありません。夫婦であれ家族であれ、霊界にまで通用する絆は“霊的愛”以外にはないのです。それは物質的・肉体的・血縁的な愛ではなく、何よりもお互いの「霊的成長」を願う真実の愛であり、決して切れることのない“霊的絆”なのです。

霊界では、「霊的愛(利他愛)」と「霊的成長」がすべての霊にとっての“共通の絆”になっています。そのため霊界では、同じ霊的成長レベルにある者同士が自動的に引き合って集まるようになります。これが霊界における“霊的家族(グループ)”です。霊界では、霊的成長に応じた無数の界層が存在します。そしてその界層では、霊的成長レベルの等しい霊たちが集まって霊的家族を形成し、共同生活を送っているのです。

地上の宗教において信者たちを結びつけている絆は、教団の教義・共通の教えです。その教義が霊的事実と異なる場合には、そこで形成される関係は物質的なレベルにとどまり、霊的関係は形成されません。物質的要素がしばらく維持される幽界では、同じ宗教の狂信者同士が集まって宗教グループをつくりますが、構成メンバーが霊界に入ってしまうと宗教グループは自動的に消滅することになります。信者の間に純粋な霊的絆がないため、霊界では宗教グループは存続することができないのです。