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ビデオ『地球人類の霊性進化の道“スピリチュアリズム”』

霊的真理のエッセンス・真理編より紹介

当サークルでは、スピリチュアリズムの正しい理解のために「霊的真理」のビデオ(『地球人類の霊性進化の道“スピリチュアリズム”』)を作成しました。ビデオでは、霊的真理をレクチャー(講義)形式で説明しています。誰にでもスピリチュアリズムの真理のアウトラインを正確に把握していただけるようにと願い、ゆったりと、分かりやすく解説しています。ビデオは『真理編・前編』(2時間)と、『真理編・後編』(3時間半)に分かれています。年内には、真理編に続く『実践編』も作成する予定です。

スピリチュアリズムの霊的真理の中で、理解しがたいのは「類魂」と「再生」についての内容ではないかと思います。ここではビデオの中の、類魂と再生についての一部分を紹介します。このニューズレターでは、ビデオの解説を一部変更しています。)

1. 「類魂」について

霊界ではその人の魂の成長レベルに見合った界層に行くことを述べましたが、その界層の中では、さらに魂の類似性を持った者同士が引き付け合い、グループをつくるようになります。「類が類をもって集まる」というようなことが現実に起こるのです。そうしたグループは、小さなものでは数十人から成り、大きなものでは数千人にも上ると言われています。

その一つのグループを構成する霊達は、まさに「霊的な家族」と言うべき親密な関係にあります。彼らは「霊的親和性」によって結ばれているため、お互いが自動的に引き付け合い、一つの大きな意識体をつくり出すことになります。そのようにしてつくり出された意識体を、「類魂(グループソウル)」と言います。類魂は、それぞれの霊達の単なる集まりのことではありません。各自のさまざまな意識から成り立っている、「意識の統一体」なのです。このように述べても、何のことを言っているのか理解しがたいのが普通だと思います。なぜなら今述べたようなことは、地上には全く存在しないことだからです。

実はこの「類魂」は、スピリチュアリズムにおける最も深い霊的事実の一つなのです。類魂の事実は、これまでの人類にはとうてい理解が及ばないものとして、明らかにされてきませんでした。しかしスピリチュアリズムの歴史が20世紀に至る段階を迎え、「マイヤース」や「シルバーバーチ」などの高級霊からの霊界通信によって、初めてその実態が明らかにされるようになってきました。アメリカのニューエイジでは、1970年代に、「セス」からのチャネリングによって、こうしたグループソウル・類魂について言及されるようになりました。

「類魂」について知るということは、霊界における奥義(おうぎ)の一つを知るというほどに重要な意味を持っています。しかし、もともと地上に存在しない類魂について、地上の言葉を用いて説明するということには大変な困難が伴います。説明する側、それを受け取る側、ともに極めて難しい状況に立たされるのです。しかしスピリチュアリズムに係わる高級霊の努力によって、現在では類魂について、かなりの部分まで明らかにされるようになっています。パネルをご覧ください。

【パネル−1】 地上世界のグループ

今、地上に5人の人間がいます。このグレイの部分(丸)は、一人一人の意識、または心だと考えてください。ここでは5人の意識ははっきりと区別されています。見て分かるように、5人が集まれば一つのグループができますが、それはただ、一つの場所に5人集まっているということだけです。上の図は、このグループを「意識」を中心に描いたものです。5人の意識・心が、それぞれが別々に分かれています。

そんなことは当たり前だと誰もが思うはずです。ところが霊界では、そうした皆さんの考える常識が根本から覆され、想像もつかないようなことが生じるのです。次のパネルをご覧ください。

【パネル−2】 霊界のグループ「類魂」

これは霊界の様子です。先程述べたように、霊界では同じ霊的レベルに達した者同士が集まり、一緒に生活するようになります。そして一つの霊的な家族というべきグループをつくります。

ここに5人の霊が集まって、霊的な家族・グループを形成しています。当然一人一人の霊は、地上のグループと同じように、個としての意識・心を持っています。ところが霊界ではそれだけにとどまらず、一人一人の意識・心が引き合って融合し、一つの「大きな意識体・大きな心」をつくり出すようになります。これが類魂(グループ化した一つの大きな魂・意識)です。これがその図で、グレイの楕円の部分が、意識が融合している状態を表しています。

このように霊界では、個としての意識がありながら、同時に一つの大きな意識の中に、それが溶け込むようになります。こうした「心の融合化・共有化・一体化」という、地上では決してあり得ないことが起こるようになります。これが「類魂」であり、多くの霊の意識からつくり出された、一つの大きな魂・大きな意識体なのです。

上の図(丸)は、その「類魂」だけを図示したものです。個の意識はそれぞれ点線で区別してあります。そしてその一つ一つの個の意識は、同時に大きな魂の全体を共有する一部であることを示しています。ここには、一つの大きな心だけがあります。地上のグループの状態と比較してみると、違いがはっきりします。地上では、どこまでも5つの別々の意識が存在していますが、霊界では、まず一つの大きな意識があり、その中に5つの意識が含まれている、包み込まれているということです。言ってみれば地上の集まりは、ソウル・グループです。一つ一つのソウルが集まってグループをつくっています。それに対し、霊界の類魂(グループ・ソウル)は、一つに集まってグループ化した「大きなソウル・大きな魂」ということです。

霊界において、この類魂(グループ・ソウル)の中に入ってみると、周りの霊達があまりにも自分に似ていることに驚きます。意識や考え方・性格が、自分とそっくりなことに驚きます。

【パネル−3】

この親しさは、地上のどんな人間関係も及びません。オシドリ夫婦と呼ばれた夫婦であっても、生死を共にした兄弟や友人関係であっても、はるかに及びません。類魂のメンバー全員が、まさに自分の「心の兄弟・霊的兄弟」であると実感するのです。

さらに驚くことは、他の霊の感情までが自分の心の中に入ってきて、自分の心に溶け込み、自分の感情の一部となるのです。すなわち他の霊との間に、「感情の共有化」ということが起こるのです。他の霊の喜びが、自分の喜びそのものとなります。また感情ばかりでなく、他の霊の考えていることや思考も共有することができます。他の霊の考えていることが、自分の考えのようになるのです。

【パネル−4】

こうして他の霊達全員の感情や考えが自分のものとなり、全員で共有するという、地上では考えられないような意識状態に入るようになります。またさらには、時に自分と他人という区別が希薄なものとなり、自意識がほとんど消え去り、自分の存在がメンバー全体の中に融合し、メンバー全体と自分が一つとなったような状態、個と全体の一体化・融合化というような驚くような状況が生じます。

【パネル−5】

また類魂では、「地上時代の体験の共有化」がなされるようになります。

【パネル−6】

類魂のメンバーの地上時代の人種はさまざまです。西洋人もいれば東洋人もいます。各自が地上で生きた時代もいろいろです。400年前に地上人生を送った者、100年前、さらには10年前まで地上にいた者など、さまざまです。

地上時代の職業も種々にわたっています。僧侶だった者もいれば、商人や医者だった者もいます。また教師、農夫などさまざまです。しかし「類魂」に入ってからは、こうした人種・民族・時代・階級・文化的背景・職業などの区別は一切なくなります。地上時代の体験が、全員で共有されるようになるのです。まさに地上時代のさまざまな区別・差別が一切取り除かれた、「人類一家族」という理想的な人間関係ができ上がるのです。

心の世界を共有するなどということは、地上では考えられないことですが、類魂内では、「私の心はあなたの心」「あなたの心は私の心」、そして「自分の心はグループ全体の心」というような意識状態が生じます。自分の心という個としての意識は、類魂という一つの大きな共有意識体の中に融合しているのです。

この「類魂」という霊的事実は、高級霊によって明かされた真理の奥義です。それは地上には全く存在しないことであり、実感をもって理解することはできません。しかし類魂の存在は、「スピリチュアリズム」によって初めて明かされた紛れもない事実なのです。霊界と地上がいかに違う所かということが、この「類魂」の世界にもハッキリと示されています。以上で、類魂についての説明を終わります。

2.「再生」について

[始まり省略]

高級霊の明かしたところによれば、再生という現象は確実に存在します。そしてその再生は、先に述べた類魂との密接な関係の中で行われるものであることが明らかにされました。すなわち、「類魂と再生は一体不可分の関係にある」という重大な事実が、スピリチュアリズムによって初めて明らかにされたのです。

【パネル−7】

従来、仏教などのように輪廻転生を説くものは数多くありましたが、輪廻再生の事実を正確に説明したものは人類歴史上存在しませんでした。それは霊界に対する詳細な事実と、類魂に対する明確な認識が持てなかったためなのです。ここでは、スピリチュアリズムによって人類史上初めて明らかにされた、類魂との関係における再生の事実を見ていくことにしましょう。[中途省略]

再生の目的の一つは、個人的につくったカルマを、地上の苦しみを経ることによって償うということです。もう一つの目的は、類魂全体の進化・向上のために、新たな地上体験を求めるということです。再生には、こうした二つの目的があるのです。

スピリチュアリズム以前にもたくさんの宗教があり、再生の事実を説いてきたものも数多く存在します。しかし、これまで述べてきたような霊界の事実を十分に知らなかったために、再生の目的について明確に理解することができなかったのです。今スピリチュアリズムによって、「再生の目的」をはっきりと知ることができるようになりました。

以上で再生の目的が明確になりましたが、再生の問題を論ずるときに問題となるのは、「何が再生するのか?」ということです。再生とは、かつて地上に生きていた人間が、死後霊界で一定の期間をへて再び地上に生まれることです。したがって大半の人は、「何が再生するのか?」と聞かれれば、「そんなことは当たり前ではないか、昔の自分がそのまま次の地上人生に現れる、同じ人間が再生するに決まっている」と言うことでしょう。これまで再生については、例外なくそのように考えられてきました。

しかしそうした常識とも思われる答えが、実は事実とは言えないということを、スピリチュアリズムは明らかにしたのです。これは従来の再生観にとっては、天地をひっくり返すほどの常識を覆すようなことなのです。何が再生するかということについては、実は想像を絶するような複雑な問題が絡んでいることを、スピリチュアリズムは初めて明らかにしました。

まず、この難解な問題を理解するには、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別を明確に知らなくてはなりません。今私達が、自分であると自覚している自意識と、自覚していない自分の意識の違いを明らかに区別しなければなりません。この点を明確にしないところで再生を論じるならば、「再生はある」とも言えるし、「再生はない」とも言えることになってしまうのです。しかしスピリチュアリズムの厳密な再生観に照らして見るならば、「一般の人々が考えているような再生はない」ということになります。

こうした極めて複雑で理解しがたいのが再生の問題なのです。ここでは、それを順を追って、一つ一つ明らかにしていくことにします。

本当の再生の状況について説明する前に、まず一般の人々が考えている再生について見ていくことにします。パネルをご覧ください。

【パネル−8】 一般人の考える再生観

これは一般の人々が考えている再生観を示した図です。今ここ(左)に私がいます。この私が死んで霊界に行きます。そして一定の時をへて、地上に再生します。つまり左の私と、右の私は全く同じ人物です。再生について、多くの一般の人々はこのように考えています。今の私という意識体が、次の再生時にもそのまま存在するということです。もう一度言いますと、黒丸は、今地上で自覚している私の意識です。それがそのまま霊界に戻り、また同じ意識を持って再生するということです。

これだけ見れば、実に常識的で誰もが理解できます。おそらくその通りではないかと思われるに違いありません。ところが、これはすべて間違いなのです。現実には、この図のような、同じ私が次の地上人生に存在するというようなことはないのです。

では「再生などないのではないか」ということになりますが、霊的な事実として、ここで述べたような、同一人物・同一自意識体による再生は現実には存在しないのです。従って、世の中の大半の人々が信じているような再生はないということになります。その点においては、再生を認める人も認めない人も結局、みな間違っているということなのです。

では本当の再生とは、どのようなものなのでしょうか。スピリチュアリズムによって人類史上初めて明らかにされた再生の事実とは、どのようなものなのでしょうか。

スピリチュアリズムが教える「再生の事実」を理解するために、第一に知っておかなければならないことは、私達地上人が、今自覚している「自意識」についてです。普通、私達は、今意識している自分が自分のすべてであると考えていますが、本当は、「自分では意識していない別の自分」というものが存在しているのです。それどころかむしろ、自覚していない自分の方がずっと大きいのです。今自覚している自分は、ほんの一部の自分にすぎません。

スピリチュアリズムでは、今自覚している自分を「パーソナリティー」と言い、自覚していないさらに大きな自分の意識を「インディビジュアリティー」と言っています。パネルをご覧ください。

【パネル−9】 インディビジュアリティー

この丸(全体)が、私の霊的意識のすべてです。これを「インディビジュアリティー」と言います。下のグレイの部分が、今の自意識です。今地上において、自分だと自覚している意識、顕在している意識です。つまり今、自分だと思っている「自意識」は、このインディビジュアリティーという大きな意識の一部にすぎないのです。

地上にいる間は、私達は自分のすべてを知ることはできません。脳という物質器官を通して自意識を持つことになる地上の人間にとって、大きな自分を知ることはほとんど不可能なことなのです。死んで霊だけになれば、「脳を介さない意識・霊の意識」が、そのまま存在するようになります。するとこれまで自覚していなかった自分を自覚するようになるのです。その時初めて、地上時代には隠されていた「大きな自分」を知ることができるようになるのです。

地上人は脳というフィルターをへて出た「自意識」を、自分自身のすべてと考えています。こうした自意識の上に、性格・育ち・体質など、さまざまな要素が加わって一つの「人物像(パーソナリティー)」ができ上がります。そして、その人物像がその人自身と見なされるようになるのです。しかし今述べたように、本当はそれは、その人のすべてではありません。「地上の人物像」とは、たとえて言えば、その人の手の一部、足の一部のようなものなのです。

生まれ変わりを信じる大半の人達は、今の人物像・今の自意識をそのまま持った人物が、次の地上人生においても出現すると考えています。ところが実際に再生するのは、「大きな私(インディビジュアリティー)」の別の一部なのです。つまり再生において地上に現れるのは「別の人物像」なのです。こうしたことを地上の側から客観的に見たら、全く別人が出現するということになるのです。

これまで多くの人々は、再生について間違ってとらえてきました。地上の人物像をその人のすべてと錯覚し、再生時にも全く同じ人物像・そっくり同じ意識体が出現すると考えてきました。しかしそれは事実ではありません。再生の事実を正しく理解することは、インディビジュアリティーとパーソナリティーの区別をした上で、初めて可能になることなのです。

ここでは今述べた、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別を踏まえた上で、スピリチュアリズムが明らかにした再生の事実を見ていくことにしましょう。パネルをご覧ください。

【パネル−10】 スピリチュアリズムによる再生観

こちら(左)が今の自分です。黒丸で示しているのは「自意識」です。この(グレイ)の部分は「インディビジュアリティー」、つまり自覚していない大きな自分です。一般的に「潜在意識」と言われるものは、この中に含まれています。死んで霊界に行くと、この大きな自分を自覚するようになります。そして再生しますが、その時は、前世での「自意識」はインディビジュアリティーの中に溶け込んでいます。そして新たに、インディビジュアリティーの別の部分が「自意識」として自覚されるようになります。

便宜上これを「自意識A」とすると、再生時には「A」はインディビジュアリティーの中に溶け込みなくなります。そして別の「自意識B」が“私”ということになります。今「自意識A」を“私”と思っていますから、次の再生時には“私”はなくなってしまいます。そして今とは別の“私”が現れることになります。前世の私と再生時の私は別の人物ということです。それは地上人の側から見れば、全くの別人が現れるということになります。従って「再生はない」と言ってもよいことになってしまうのです。

しかし、それを「インディビジュアリティー」の観点から見ると、違う部分であっても同一の霊が再現することに変わりはないため、「再生がある」と言うことができるのです。これがスピリチュアリズムによる正しい再生観です。

しかし再生はこれだけに留まらず、さらに別の要因が絡んでいっそう複雑なものになります。

【パネル−11】

その別の要因とは、再生に際して1つの霊のインディビジュアリティーだけが再生に係わるのではなく、類魂を形成する大きな部分がインディビジュアリティーとして再生するということが起こるということです。こう言われても、何のことを言っているのか分からないと思います。パネルをご覧ください。

【パネル−12】 類魂の大きな部分がインディビジュアリティーとなる

この丸(全体)は類魂です。点線で示したのは個々の霊のインディビジュアリティーです。一人の霊のインディビジュアリティーということです。普通はこの一つのインディビジュアリティーが再生すると考えられます。ところが現実には、他の霊のインディビジュアリティーの部分も巻き込んで、それらが一つのインディビジュアリティーとして地上に再生するというようなことが起こってくるのです。この図のグレイの部分が一つのインディビジュアリティーとなって再生するということです。

この一人の霊のインディビジュアリティーをAとします。他の霊のインディビジュアリティーを、それぞれBCDとします。このAにカルマを清算するという目的がある場合、地上への再生は霊Aが中心となりますが、地上に再生する際には、BCDという別の霊のインディビジュアリティーの部分を総合して、一つのインディビジュアリティーとなったものが再生することになります。類魂とは一つの大きな魂・一つの大きな心であり、その類魂の一部分が分霊して再生するということになります。

こうした再生のケースは、大きな使命を与えられ、地上で重大な霊的摂理を進める責任を持ったような者において生じます。こうしたケースでは、再生霊のインディビジュアリティーの部分に加担する他の霊の知識や情報が一人の霊に凝縮され、大きな能力を持つことになります。そのために、地上において大きな仕事を遂行することができるようになるのです。

こうした「分霊再生」の実態は、私達地上人の理解の及ぶところではありませんし、また地上の言葉で正確にその実態を説明することはできません。ただ、このような分霊再生の場合は、霊BCDも間接的に地上で働くとも言えます。地上での仕事が進行中は、霊BCDのアイデンティティーは薄れて一つになっています。Aが使命を果たし、やがて霊界に戻り類魂に合流すると、ABCD4つのインディビジュアリティーが、それぞれの霊によって再び自覚されるようになります。