MENU

1.迫りくる日本国家の破産

迫りくる国家財政の破局

最近になって、多くの経済学者や専門家が、日本の国家財政破綻の警告を発するようになってきました。「国家が破産する」などというようなことは、大半の人々にとっては予想を超えた出来事で、自分とは関係ないと思っています。国家の危機が迫っていると聞かされても、政府が何とかやり繰りして、これまでどおりの生活が無難に送れるものと考えています。しかし現在の財政事情を客観的に見るならば、日本は刻一刻と、破局に向かってばく進していることは明らかなのです。

2001年9月11日のアメリカにおける同時テロ事件で、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊するショッキングな現実を、世界中の人々が目にすることになりました。当日の朝まで、世界有数の超高層ビルが崩れ落ち、跡形(あとかた)もなくなることを予想した人は一人もいなかったはずです。ところが想像を絶するようなことが実際に起こりました。

それと同じように、ある日突然、日本の国家破産が起こるかも知れないのです。そしてその可能性は、貿易センタービルの崩壊と比べたとき、はるかに高いと言わなければなりません。もし「国家破産」が現実のものとなるならば、その影響は、またたくうちに日本全土を巻き込み、世界中に深刻な衝撃を与えることになるでしょう。

日本人ならば、誰も愛する祖国の崩壊など見たくはありません。無理にでも明るい日本の未来の姿を思い描きたいものです。しかし現実の日本は、すでに後がない崖(がけ)っぷちに立たされているのです。絶望的としか言いようのない事態に、遅かれ早かれ遭遇することになるのです。

天文学的に膨張(ぼうちょう)した国家の借金――絶望的な借金返済

経済の専門家によれば、現在の日本国家が抱えている累積公的債務(借金)は、実質的には1000兆円を超えていると言われます。国と地方の合計借金は約700兆円で、これに公務員の退職金や年金などの隠れた借金が加わることになります。)

小泉政権は、新たな国債発行額を年30兆円の枠内に収めようとの公約を掲げて登場しました。しかし来年度の予算では、その枠を上回ることが確実になりました。小泉政権がこれまで守ろうとしてきた30兆円枠とは、30兆円分の借金返済をしようということではありません。新たに借金する金額を前年度に比べ、わずか数兆円減らしたいという程度のことなのです。“焼け石に水”とはまさにこのことです。借金は減るのでなく、来年度も新たに多額分が上積みされることになるのです。実際には来年度の公的な借金は、国債・地方債・財投債を合わせて60兆円にのぼります。来年も60兆円の借金が上積みされることになるのです。)

現在の日本国家は借金の利息を払うために、さらに借金を重ねなければならない“借金地獄”に陥っています。普通の家庭ならば、とっくにやっていけない深刻な状態にあります。借金の利息が雪だるま式に増えていく中にあって、これまでの借金(元本)を返済するどころの話ではないのです。海外からは度々、日本国家の危機的状況について危惧(きぐ)する声が発せられてきましたが、それにもかかわらず日本政府は、いっこうに借金を返済するための政策を打ち出そうとしませんでした。

個人であろうが国家であろうが、他人から借りたお金はいつか必ず返さなければなりません。しかし日本国家の実状を見るかぎり、とても借金の返済はできそうにありません。小泉内閣は歴代の政権の中で、初めて日本の危機的状況を認識し、何とか手を打とうと取り組み始めました。その点で小泉内閣は、今までの政権の中で最もましと言えるでしょう。ところがその小泉政権であっても、依然として本質的な問題解決には踏み込むことができずにいるのです。いまだに借金返済のための根本的な対策を打ち出せずにいるのです。小泉政権における財政構造改革は初歩の初歩、あまりにも小さな一歩に過ぎません。

これまで政府は、日本には1400兆円もの個人金融資産があるから、国家が破綻するようなことはないとの強気の発言を繰り返してきました。これは日本国民が必死になって貯(た)めた個人資産を、政府の借金の担保として考えているということを意味しています。個人資産で国の借金を帳消しにすれば、財政危機は免れることができるという極論です。しかし、そうした極端な仮説に立った場合でも、恐ろしいことに実質的な余裕はあと2〜3年分しかないと言われています。その一方で1400兆円の個人資産のかなりの部分一説には3割)が、すでに郵貯から財政投融資を通して公共事業に回り、不良債権化していると言われます。したがって国民の資産を政府の借金の担保と見なしたとしても、すでに担保割れを起こしていることになります。国民の資産は勝手に使われ、しかも焦げついて返ってこないものになっているのです。

政府がどこからもお金の工面ができなくなると、そのとき財政破綻が現実のものとなるのです。そうなれば国家の予算さえ立てることができないような事態を招くことになりかねません。昨年(2002年9月)には、長期国債がとうとう売れ残るような状況に至っています。資金調達の道が、徐々に閉ざされつつある兆候が見られるようになってきました。

もし国家財政が破綻したら?

もし数年後に国家財政が破産状況を迎えるとするなら、どのような事態が生じるのでしょうか? そのとき私たち国民の生活は、どのようになるのでしょうか? 現在の日本のような経済大国が破産するなど人類歴史上前代未聞のことであり、専門家といえども具体的な予測を立てることはできません。

予想されることは、国債の暴落に端を発して、財政危機が一気に表面化するということです。通貨(円)の価値が急落し、金融不安が発生します。国民は銀行に殺到し、預金を下ろそうと血眼(ちまなこ)になるでしょう。政府は防衛策として、突然“預金封鎖”という強硬手段に出るかも知れません。もしそうなれば自分のお金であっても、銀行や郵便局などの金融機関から自由に引き出すことができなくなります。時をおかずして「悪性のインフレ(超インフレ)」が起きるようになります。預金封鎖と極端なインフレによって、国民の資産(預金・現金)はどんどん目減りします。インフレがさらに加速し最悪の事態に至れば、国債はもちろんのこと、預金の多くが紙くずのような状態になってしまいます。

以上は最悪のシナリオですが、これに近いようなことが現実となり得る可能性があるのです。

終戦直後(昭和21年)の日本では、そうしたことが現実となり、大半の国民の資産があっと言う間に消滅してしまいました。今後、日本国家が破綻するならば、これまで日本が世界に誇ってきた一億総中流階級社会も根底から崩れ、一部の金持ちと大多数の貧困者に二分されることになるでしょう。当然のこととして国民は大パニックに陥り、全国各地で暴動が発生するようなことにもなりかねません。

最近では、2001年12月にアルゼンチンで、国家破産にともなう銀行封鎖という事態が現実のものとなっています。そしてアルゼンチンの次は「日本が危ない」と懸念されています。日本とアルゼンチンでは経済規模が全く比較になりません。日本のような経済大国が破産するような事態になれば、世界中がどのような混乱に巻き込まれてしまうのか、具体的なことは予想がつきません。しかし世界中の国々の経済をメチャクチャにすることだけは、はっきりしています。

国家の破産とそれにともなう悪性インフレによって、日本国民の財産が失われる可能性は、きわめて高いのです。多くの国民の生活水準は30年前のレベルに逆戻りし、車も家も手放さざるを得ないようなことになるかも知れません。現在では誰もが簡単に行ける海外旅行も、そのときになれば夢のまた夢といったことになるでしょう。一番深刻なのが、仕事もなく年金に生活のすべてを頼っている人々です。国家から給付される年金額は大幅に減額された上に、インフレによって実質的には、さらに何分の一かに目減りすることになるのです。年金生活者にとって、きわめて厳しい状況が生じることになりそうです。多くの中小企業は息の根を止められ、次々と倒産することになるでしょう。こうした形となって、国家破産の深刻さが国民の中に実感されることになるのです。

一方、国民から膨大な借金を重ねてきた国家にとっては、超インフレによって借金そのものが目減りし、一見都合のいいことになります。国民から借りた莫大な借金が、実質的には無きに等しいものになるからです。国民からの借金は、帳消しのような結果になるのです。しかし、そうした国家・政府に対し、国民は一切信用しなくなります。もちろん国債を購入して、政府にお金を貸すような人はいなくなります。政府はもはや国家としての最低の運営さえもできなくなるのです。

2.金銭に魂を売り渡した日本人

贅沢(ぜいたく)と物欲の虜(とりこ)になった日本国民

日本は、どうしてこれほどまでに天文学的な借金をつくり上げることになってしまったのでしょうか。これについてはすでにニューズレター(15号「スピリチュアリズムから見た地上の政治・経済」)で述べていますが、その原因を一言で言えば――「日本国民が過剰な物質的豊かさを政府に要求し、それを政府が安易に受け入れてきた」ということです。これまで国は、国民からあまり税金を取らずに、どんどん贅沢をさせてきました。そうしたやり繰りを支えてきたのが、国民からの借金なのです。その結果、国民は物質的に恵まれた暮らしができるようになりました。世界の中でも、類(たぐい)まれなほどの豊かな生活が保障されることになったのです。

贅沢ができれば国民は喜び、政府も人気を維持することができます。一方、一部の政治家や高級役人(国家官僚)には、多額の甘い汁が提供されることになります。こうして物質的快楽を追求する「衆愚(しゅうぐ)政治」が続いてきたのです。国民に分不相応な贅沢をさせることによって、政治家や官僚は都合よく私腹を肥やすことができますが、国家が抱えた借金は、最終的には貸主である国民自身が負うようになっているのです。本当に馬鹿げたことなのですが、政府は国民から莫大な借金をし、そのお金で国民に贅沢をさせてきたのです。

今、国家の首を絞めようとしている膨大な借金は、国民から借りたお金です。それなのに国民は、さらなる贅沢をさせてもらうための資金を、預金という形でせっせと政府に差し出しているのです。その国民からの借金が、国家破産によって踏み倒されようとしています。まさに自分の手足を食べて飢えを凌(しの)ぐような事態になっているのに、ほとんどの国民はその事実に全く気がつかずにいるのです。

「収入の少ない者が、収入をはるかに超えた出費をする。それを続けるために、さらに莫大な借金を重ねる」――こんな愚かなことを、日本はずっとしてきました。あちらこちらのサラ金から借金をしながら、高級外車を乗り回すのと同じようなことを続けてきたのです。政府は国民の際限のない物質的な欲望に迎合し、国民をひたすら甘やかす政策を推し進めてきました。限度を越えた贅沢な要求を、政府は抑制するどころか、国民と一緒になって進めてきたのです。それによって今や、絶望的な借金の悪循環・借金地獄にはまってしまいました。そして、もはや借金を返すことができない破局状態の直前にまで至ってしまったのです。

「金(かね)こそがすべて」という考え

戦後の経済成長の中で、国民は物質的な豊かさをひたすら追い求めてきました。その結果、経済的な繁栄こそが国家の進歩と文化水準を示すものであり、国民に幸せをもたらすものであるといった幻想を抱くようになってしまいました。政府も国民も、物質的な豊かさを追い求めることが共通の目標となり、経済的に豊かであることが“最高の善”であると思い込むようになってしまったのです。「金こそがすべて」という考え方が支配的になり、「物質主義・経済至上主義」に完全に洗脳されてしまいました。

国民は経済大国となったことに誇りを感じ、さらなる物質的な豊かさを求めて奔走し、物と金にすべての価値と人生の目的を置くようになりました。いったん贅沢の味を知った日本人は、もはや質素な生活、物より心を大切にする世界に後戻りすることができないようになってしまいました。そして、まさに国家の危機が身近に迫ってきているこの時に及んでも、どこまでも欲望を追い求め、享楽の中に酔いしれているのです。

経済発展しか考えなかった日本人

景気が上向き、経済が発展すれば、国民はさらに物質的に潤うことになります。政府は常に経済的な成長を政策の中心目標に掲げ、国民に物質的な豊かさをもたらそうとしてきました。こうして経済至上主義がエスカレートし、国民あげての「金権主義・拝金主義」を生み出すことになりました。

そして1985年の“プラザ合意”をきっかけに、国内に資金がだぶつき、それが株や土地に向けられ、気違い染みた“バブル経済”を到来させることになりました。それまで勤勉に働いてきた製造業までもが、働かずに金を儲ける財テクというマネーゲーム、つまり博打(ばくち)で金を儲けることに血眼になってしまったのです。そのあまりの異常さは、当然“バブル破綻”という結果をもたらすことになりました。そして今もその後遺症に、日本中が苦しめられているのです。

物質的な豊かさこそが幸せであると考える政府と国民にとっては、不景気はまさに不幸な出来事であり最大の悪なのです。政府は国民の信頼を維持するために、何としても不景気を克服したいと考えます。バブルが弾(はじ)けるまでは、日本はずっと経済成長の道を歩んできました。しかしバブル経済崩壊以後、政府がさまざまな景気回復の手段公共事業など)を講じても、あまり効果が上がらないようになっています。その結果、さらに借金を膨らませることになってしまいました。この10年間で、日本はもはやかつてのような経済成長は望めないことがはっきりしてきたのです。

私利私欲に走った国家の指導者達と、無責任なマスコミ

政治家や官僚達は、国家に膨大な借金をさせてきたにもかかわらず、その事実を国民に知らせようとしてきませんでした。これ以上の借金は、国家そのものを破滅に導くことになるという危険性を訴えてきませんでした。日本国家の天文学的な借金も、利権の絡んだ政治家や役人(官僚)にとっては所詮、他人の金(国民の金)であり、自ら痛みを感じるものではありません。国家や国民のことより、私腹を肥やすこと・自分の利益を守ることしか考えない彼らにとっては、日本の将来のことなど、どちらでもいいのです。国家に返済不能ともいえるような莫大な借金をさせてきた当事者は、こうしたエゴ的な政治家であり役人だったのです。

彼らのあまりにも利己的な姿勢は厳しく糾弾(きゅうだん)されるべきですし、当然、将来においてはその償いをしなければなりません。しかし彼らの存在を許してきたことについては、国民全体にも責任があるのです。なぜなら国家の借金の根本原因は、国民の飽(あ)くなき物質的欲求にあるからです。物の豊かさこそが幸福であるとする国民の物質主義的な考え方が、彼らのエゴを引き出し、国家を崩壊にまで陥れるようになった最大の原因なのです。

一方マスコミも、国家が置かれている事態の深刻さを、真剣に国民に訴えることをしてきませんでした。マスコミは、これ以上借金をしてはならないこと、大幅な増税や支出の削減などの大胆な借金返済の政策を早急に実行しなければ日本の将来がないことを、国民に知らせなければなりませんでした。それなのにマスコミは、自身の認識不足と使命感のなさから、政府の愚策に警鐘を鳴らすどころか、「衆愚政治の片棒をかつぐ」ようなことをしてきたのです。

3.失われた日本精神と真の国家危機

失われた伝統的な日本精神

経済成長の中でひたすら金儲けに奔走するうちに、いつしか多くの日本人が、物質と金だけに価値を見い出すような精神状態に堕ちてしまいました。政府は経済発展を何より優先し、国民は金儲けを人生の目的とするようになってしまいました。そして「心より物、万事は金次第」という私利私欲に極端に偏った考え方を生み出すことになってしまったのです。

日本人は本来、心を物より重視する精神性を持っていました。金銭にのみ心が奪われることを“恥”とするような、清廉潔白(せいれんけっぱく)な精神世界を持っていました。物や金のために忠義を裏切ったり大義に背くことを恥と考えていました。それが、日本が世界に誇ることのできる「武士道」やさまざまな「道」となって結実したのです。

滅私奉公や大義のための自己犠牲といった、物より心を重視する日本の伝統的な精神性は――スピリチュアリズムの「霊優位(霊主肉従)の生き方」「利他的な生き方」に通じるものです。戦前までの教育を受けた人々には、こうした精神がしっかり根付いており、戦後の物質主義の嵐の中にあっても、日本の精神的支柱となってきました。伝統的な日本精神を受け継いだ人々が、会社や公(おおやけ)のために自己犠牲を厭(いと)わず人生を捧げてくれたお蔭で、敗戦後の奇跡的な復興と経済発展を成し遂げ、世界有数の技術立国の地位を確立することができたのです。

しかし、そうした日本人が伝統的に持っていた精神性は、世代の変化とともに徐々に失われていくことになりました。優れた精神性も物質主義の奔流の中で片隅に追いやられ、物質重視の考えに席巻(せっけん)されることになってしまいました。戦後生まれの日本人は、戦前の日本人が身に付けていた徳性や精神性にほとんど触れることなく育ってきました。また同時に戦後の民主的な学校教育によって、利他的・滅私奉公的生き方を間違ったものとして植え付けられることになりました。その結果、次代を担う多くの日本人は、優れた伝統的な精神を引き継ぐことなく大人になってしまいました。今の日本には、日本全体を支える精神的支柱がほとんどなくなりかけているのです。そして次の世代の若者層に至っては“精神的荒廃”という、さらにマイナスの状況をつくり出すことになっているのです。

伝統的精神を崩壊させた戦後の教育――戦後の教育の失敗が、日本人の徳性を失わせた

戦後の日本政治の大きな失敗は、「経済政策」と「教育政策」でしょう。これまで述べてきたように経済政策の失敗によって、戦後40年間、日本人が必死になって築き上げてきた莫大な富を急激に失おうとしています。今や国家の経済的基盤は根底から崩れ去り、世界第2位の経済大国としての地位も名誉も、かつてのはかない栄光になろうとしています。経済政策の失敗によって、日本は世界の中で全く魅力のない二流国家に成り下がろうとしているのです。

しかし、こうした経済政策の失敗よりもはるかに深刻な問題が、戦後の教育政策の失敗なのです。戦後の教育政策の間違いは、それまで日本国家を支えてきた日本人の精神そのものを根本から否定し、捨て去ることになってしまいました。日本が世界に誇ることのできた優れた精神性こそが、これまで国家発展の原動力となってきたのですが、教育の失敗によって、その大切な精神性が失われようとしているのです。間違った個人主義的教育・自由主義的教育・平等主義的教育が、動物的な本能人間を大量生産させることになってしまいました。

自己主張と勝手気ままさが、滅私奉公や自己犠牲に取って代わりました。自己の利益を優先する利己性が、公共の利益を優先する利他性に代わってしまいました。「物より心」の精神は、「心より物」の考えに堕ちてしまったのです。日本人は坂道を転がり落ちるように、神の摂理から急激に離れたところに向かおうとしています。

国民の精神性の崩壊は、真の国家の危機

戦後の日本人は、「霊主肉従」から「肉主霊従」の在り方に変わってしまいました。明らかに霊的に後退してしまったのです。人間性の後退は、経済的な後退とは比べものにならない大きなダメージを国家に与えることになります。若者の精神的退廃は、国家の将来を間違いなく危機に至らせることになります。まさに現在の日本は――経済的な崩壊の危機以上に、さらに深刻な「精神的な崩壊の危機」を迎えているのです。

優れた精神性を持った国民と政治家のいるところでは、それが実質的な国家の支えとなります。そこでは経済政策の失敗が深刻な後遺症を残すことはありませんし、経済的な痛手からも、短期間のうちに立ち上がることができます。これまで日本は敗戦のどん底から奇跡的な復興を成し遂げてきました。また石油ショックの危機的状況を見事に乗り越えてきました。しかし優れた精神性を失ったこれからの日本人に、果たしてそうしたことができるでしょうか。精神的に荒廃し、物質的な欲望と本能的享楽だけを求める国民が大半を占めるような状況にあっては、国家を危機から立ち直らせるエネルギーは、どこからも湧き起こってはきません。

日本人は落ちるところまで落ちて初めて方向転換をし、そこから這(は)い上がることができるようになるとの楽天的な見方をする人々もいますが、それは国民に確たる精神性が存在している場合に限ります。これからの日本を担うことになる若者に、本当にそうした力が残されているでしょうか。

神の摂理に支配される国家の栄枯盛衰

歴史を見るとき、物質的・経済的に恵まれていなくとも、国家の指導者が高い精神性を保っていた国がありました。明治時代の日本がまさにその代表と言えます。

一方、それとは逆に、経済的な発展だけを目指してひたすら走り続けてきたような国もあります。そこでは経済発展という明確な目標があるために、国家にはパワーがみなぎり、国民は活気に満ちあふれています。パワ−のあるところ、しばらくは物質的な発展と繁栄がもたらされることになります。戦後の高度成長期の日本や、現在高度成長期の真っ只中にある中国がこの代表と言えます。

しかし、その活気やエネルギーの本質は、物質的な利益を求める“エゴイズム”に他なりません。従ってそうした国々では、必ず行き詰まりがやってくるようになります。精神的なものを無視し、物欲追求を精神の向上よりも優先することは「神の摂理と一致しない」からです。“エゴ”という摂理に反した部分は、いつか痛みや苦しみという形で返ってくるようになっているのです。エゴは内側から新たなエゴを生み出して国家の内部分裂を引き起こし、国家そのものの屋台骨を揺るがすことになるのです。

人間の営みのすべては、神の摂理に支配されています。国家の栄枯盛衰も、すべて神の摂理によって支配されています。国家は“利他性”という宇宙の法則と一致したときのみ、発展がもたらされることになるのです。そして、この法則から外れた国家は、決まって破綻をきたすことになるのです。今、多くの日本人が中国の経済発展に脅威を感じていますが、それを恐れる必要は全くありません。すべてが神の支配の下にあって、摂理通りに事態は展開していくからです。国家と国民の高い精神性と利他性、そして具体的な奉仕的行為こそが、国家の発展と繁栄を最終的に決めることになるのです。

そう考えると、日本が経済的な破綻状態を迎えたことよりも、日本人が伝統的に持っていた優れた精神性を失いかけている事実こそ、最も憂えるべきなのです。

4.破産後の日本国家の行方

日本は破産し、そして世界から軽蔑され見捨てられる

現在の日本において唯一の救いは、海外から借金をせずにきたことです。もし現在のような財政の末期状況において、外国から借金の返済を迫られるとするなら、日本政府は、国家としての打つべき手立てを失うことになります。破綻は一気に加速することになります。

しかし海外からの借金がないことがせめてもの救いであるとしても、いずれにせよ日本は、国家破産に向かって突進していることは事実なのです。今となってはすべてが手遅れの状況にあり、早晩破局を迎えることは避けられないでしょう。国民の資産による支えが不可能となった時点で「国家破産」が表面化することになるはずです。現実には、すでに日本国家は破産しているとも言えます。)

そして、その後「悪性のインフレ(超インフレ)」が生じることになります。インフレによって国民が受けることになる衝撃は、先ほど述べたとおりです。急激なインフレの発生によって国家の借金は帳消しになりますが、それは国民の預金(貯金)を帳消しにし、国民の資産を紙くず同然のものとすることに他なりません。老後のために蓄えた預金や国債は、すべて価値を失うことになる可能性が大きいのです。もらえるはずだった年金も、掛け金の半額が返ってくれば上出来と言えるでしょう。通貨(円)の価値は暴落して、もはや誰も円を持とうとはしません。先を競ってドルを持とうとします。まさに最貧国のような事態が到来することになるのです。

日本国家の破産を察知した一部の目ざとい人間は、早々とすべての預金を引き出し、金(ゴールド)に換えたり、海外の銀行に預金し始めています。また海外の国債や資産購入に動いています。

今すぐにでも大改革に乗り出さないかぎり、日本は近いうちに経済破綻という恐ろしい事態に突入することは避けられないでしょう。その時、日本人の多くは希望を失い、絶望のどん底に突き落とされることになるのです。そればかりでなく世界中の国々からは、自らの無能さによって財政破綻を招き、世界中の経済を混乱と不安に陥れた日本に対し、一斉に非難の声が浴びせられることになるでしょう。日本は世界中の人々から軽蔑されることになるかも知れません。物欲に狂って際限なく借金を続け、破綻にまで至ってしまった日本に対し、世界の誰も同情するようなことはないでしょう。救いの手を差し伸べる国もないでしょう。日本は経済大国から魅力の乏しい取り柄のない国家に転落し、世界の中で全く存在感も重要性もない国になってしまうのです。

そのときには“日本”という呼称は、軽蔑の代名詞のようになってしまうかも知れません。莫大な借金をインフレによって帳消しにした愚かな国家として、何十年もの間、世界中の笑い者になるかも知れません。海外で生活する人々は、日本人であることを恥じ、日本人であることを隠して暮らすようなことになるかも知れないのです。私達の子孫は、世界の誰からも手助けを受けることなく、軽蔑の中で、ひたすら借金返済のために働き続けなければならなくなるのです。

財政破産とともに、日本の未来は暗澹(あんたん)たるものとなるはずです。そうした破局が、近い将来(数年のうちに)引き起こされる可能性が大きいのです。

5.真の希望の光「スピリチュアリズム」

暗黒の日本から“光”を放つ

財政破綻が現実のものとなったとき、日本中が暗雲に覆われることになります。かつての大英帝国が、国家破産を機に一気に衰退の道をたどったのと同じように、日本も坂道を転がり落ちるように没落していくことになるでしょう。おそらく地獄のような悲惨な状態が、15〜20年にわたって続くものと思われます。そしてその後は、かつての経済大国とは程遠い二流国家として存在していくことになるはずです。このような惨めな将来の日本では、人々が希望を見い出すことは不可能となるのでしょうか。

結論を言えば、それでも“唯一の希望の光”が残されています。世界中の人々から蔑(さげす)まれ、どん底の状況に立ち至っていても、彼らの尊敬を勝ち取ることができる唯一の道が残されているのです。それがまさに「スピリチュアリズム」なのです。日本人が、スピリチュアリズムの真の見本となるような伝統をアジアや世界の人々に先駆けて確立し、スピリチュアリズムの世界普及に大きな貢献をするとき、世界の人々から感謝と尊敬を受けることができる可能性があるのです。日本人は「スピリチュアリズム」を通じて、暗黒の日本から、世界に向けて強烈な光を放つことができるのです。

地球規模でのパラダイムの転換

現在までの地球では、経済力や政治力・軍事力が、国力を示す指標となってきました。それは地球が物質支配の世界であったからです。これまでの日本は、経済的な力を持っていたために、世界の中で存在感を示すことができたのです。金持であったために、世界の人々から注目されてきたのです。

今後、地球は現在のような「物質支配の世界」から、徐々に「精神支配の世界」へと上昇していくことになります。霊界からの働きかけによって、そうした地球規模での変化が着実に進んでいるのです。そして将来は、さらに「精神支配の世界」からスピリチュアリズムの支配する世界、すなわち「霊支配の世界」へと進化していくことになります。地球規模でのパラダイムの転換が、現に今、進行しているのです。

精神支配の世界では、現在のように物質や軍事力が力を持つことはありません。経済力が物を言うのは、もうしばらくのことであって、やがてそれは時代遅れの権威となるのです。代わって精神の深さ・広さが威力を持つようになるのです。今後、地球は歴史上初めて、そうしたレベルに入っていくことになります。それは遠い将来のことではなく、間違いなく今、起こりつつあるのです。そしてその動きの原動力となっているのが、「スピリチュアリズム」に他なりません。

日本人スピリチュアリストの使命

今、私達が係わっているスピリチュアリズムは、まさに地球レベルで最先端の精神世界の道を開拓しています。現在のスピリチュアリズムは、今後の地球全体の進化の道程(みちのり)における開拓者なのです。そうしたとき日本人スピリチュアリストが霊界の高級霊の軍団の一員となり、人類救済のために開拓者としての道を歩むことができるとするなら、地球人類の進化のプロセスの中で重要な立場に立つことになります。世界全体の霊的進化と霊的救いに対する最高の貢献をすることになるのです。

私達日本人スピリチュアリストが、スピリチュアリズムの道具としての良き見本となり、スピリチュアリズムの普及において自己犠牲を払うとするなら、日本は世界に対して大きな奉仕をすることになるのです。日本国家が財政破綻によって没落し、世界中の人々から軽蔑され、経済大国の座から転がり落ちるようなことになったとしても、日本のスピリチュアリストが世界に対する最高次元の貢献・奉仕をすることができるならば、将来的に日本は、世界の人々から感謝されることになるのです。

この意味で、現在の日本のスピリチュアリストは、我が国の未来にとって“真の霊的な希望の光”と言えるのです。私達スピリチュアリストに日本の将来がかかっている、と言っても過言ではないのです。

財政破産は、国家の霊的チャンス

日本国家の物質的(経済的)ピンチは、「国家の霊的なチャンス」となるはずです。絶望の淵から、日本にとっての新しい進歩の道が開かれることになるのです。経済破綻は、神の法則の支配によって引き起こされたものであり、物欲に翻弄された日本国民にとって自業自得の結果と言えます。しかし、それを別の視点から見るとき、物質的繁栄のみを目指し、私利私欲に翻弄された経済至上主義に終わりを告げ、新しい精神世界に向かっていくきっかけをもたらす出来事とも言えるのです。「次なる高いステップに向けての出発点となる」ということです。実はそこにこそ、霊界サイドの深い配慮があるのかも知れません。

際限のない経済成長は必要ありません。人間が地上で生活するだけのものがあれば十分なのです。必要以上の金銭は“精神的堕落”をもたらすだけで、決して素晴らしいものではありません。現在の地球人は、自らの欲望によって自分の首を絞め苦しんでいます。その意味で、日本人が物質的な窮地に追いやられ、否応なく質素な生活に戻らざるを得なくなるとするなら、それはむしろ良いことなのです。現在の日本人にとって一番嫌なことが、本当は最も必要なことなのです。

肉体をまとった地上人が精神的・霊的方向に向かうようになるためには、苦しみや困難が必要であったように、国家が全体として進歩・向上するためにも、大きな苦しみや困難が必要なのです。それがまさに「経済破綻」という形でもたらされるということなのです。そう考えれば、これから日本が迎えようとする事態は、決して悲劇とは言えません。

霊界から、50年後の日本を眺める

あと50年もすれば、現在の日本のスピリチュアリストの大半は霊界に住むことになります。私達は霊界で引き続き、スピリチュアリズムのために一生懸命働いているはずです。そのとき私達の意識は、地球全体に向けられ、日本に対する意識はかなり薄らいでいるはずです。日本という一つの国の運命より、人類全体の運命に心が向けられていることでしょう。

そして霊界において、かつて自分が日本人スピリチュアリストとしてスピリチュアリズムのために貢献できたことに大きな意義を見い出し、自分の地上人生が最高に価値あるものであったことを改めて確認することになるはずです。自分のかつての地上人生を間違いなく喜び、感謝することになるでしょう。

これまでは日本国家を中心に見てきましたが、実は崩壊寸前の状態にあるのはアメリカ経済も同じです。アメリカも多額の借金を抱えた上に、さらに借金を重ねて浪費生活を続けてきました。そのツケがとうとうくるところまできて、破局が目前に迫っています。2000年にITバブルが崩壊し、さらに株バブルが崩壊し、今後アメリカは日本のように不況の中に入っていくでしょう。アメリカが景気を維持するために唯一残された手段は戦争しかないと言われています。

今やアメリカ経済は、万策尽きて息切れの状態にあります。超大国として世界をリードしてきたアメリカが、世界経済の主役の座から転落することは避けられません。日本にせよ、他国にせよ、これまで何とか経済を維持することができたのは、借金をしてまで世界中から物を買い漁るアメリカの好況(浪費)に支えられていたからです。その肝心なアメリカが破局を迎えるならば、全世界が大不況のどん底に叩き落とされることになり、世界同時不況を招来します。そうなればもちろん日本は真っ先にその影響を受け、共倒れすることになるでしょう。日本にとって最悪のシナリオが展開することになります。

日本の国家破綻がいつ起きてもおかしくないのと同じように、アメリカのドル暴落に端を発する破局も、いつ発生してもおかしくないのです。日本やアメリカだけでなく世界中の国家が、崖っぷちに立たされているのです。今は唯一好況に沸く中国も、そのときには大不況に巻き込まれることになるでしょう。政治の力学ではもはや経済をコントロールできなくなり、資本主義は市場の原理によって自らを崩壊させようとしています。20世紀の地球は、アメリカを中心とする資本主義によって牽引(けんいん)されてきましたが、そのアメリカ中心の資本主義の枠組みが崩れ、従来の資本主義そのものが大きく変わらざるを得ない方向に向かっているのです。

地球規模で、経済・物質レベルでの大きな転換が引き起こされようとしています。まさに新しい時代に先立つ「古いシステムの崩壊・新しい時代を迎える胎動」と言えるのです。