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1.霊界の大組織と、地上のスピリチュアリズム・サークル

霊界の大組織――イエスを頂点としたヒエラルキー

地球の霊的浄化は、イエスを総指揮官とする霊界の高級霊を総動員した巨大組織のもとで進められています。何百億という霊達が、一糸乱れることのない完璧な協調体制で、地上人類のための「救済ビッグプロジェクト」を推進しています。

こうした想像を絶するような組織活動が可能となっているのは、霊界が地上と違って、一人一人の霊格の違いが誰の目にも明らかな世界であり、お互いの心の内がまわりの人々に知られ、嘘や隠し事ができないからです。そして思うことが一瞬に、しかも余すところなく相手に伝達されるようになっているからなのです。

欧米のスピリチュアリズムの組織

イギリスや欧米などのスピリチュアリズム先進国には、これまでISF国際スピリチュアリスト連盟、SNU英国スピリチュアリスト同盟、NFSH英国心霊治療家連盟、SAGB大英スピリチュアリスト協会といった幾つかの世界規模あるいは国家規模の組織がつくられ、スピリチュアリズムの普及に大きな貢献を果たしてきました。日本には唯一の公式のスピリチュアリズム機関として、日本心霊科学協会があります。

こうしたスピリチュアリズムの組織は、一般の宗教組織とは根本的に異なり、教祖もドグマも、強制やノルマも存在しません。スピリチュアリズムを信奉する人々のゆるやかな横のつながりが存在するのみです。もちろん集まる人間の霊性のレベルは一人一人異なっている以上、いろいろな問題が生じることは避けられませんが、それが一般の宗教組織のように醜い泥仕合にまで発展することはあまりありません。

欧米のスピリチュアリスト・チャーチの現状

一方イギリスなどでは、各地に多くのスピリチュアリスト・チャーチが存在しています。スピリチュアリスト・チャーチでは、スピリチュアリスト達が集まって神に祈りを捧げたり、交霊会を開いたり、霊能者によるデモンストレーションを行なったりしています。現在のスピリチュアリスト・チャーチは、交霊会を中心とした過去のスピリチュアリズムの流れを抜けきれずに、いまだに霊的現象や無意味な交霊会に、必要以上にこだわり続けています。ニューズレターの先号(19号「交霊会や霊能力への過度の関心は邪道です」)でも述べたように、霊的真理を手にして死後の世界の実在を確信できた者は、いつまでも交霊会に関心を持ち続けるべきではありません。それが必要とされるのは、まだ霊的真理と出会っていない人だけなのです。

現在のスピリチュアリズムは、霊的現象や交霊会による死後実在の証明の段階を卒業して、「霊的教訓に基づく実践の時代」に入っています。いつまでも過去の流れを引きずったままのスピリチュアリスト・チャーチは、今後のスピリチュアリズムの発展に、むしろマイナスの影響を及ぼすことになりかねません。最近では、スピリチュアリスト・チャーチの内部からも、チャーチのメンバーの霊的レベルの低さに対して批判の声が上がるようになっています。

少人数のサークルは、スピリチュアリズムの前線基地

シルバーバーチは、すべての地上の宗教組織は失格であると厳しく糾弾しています。そのためスピリチュアリズムでは、一切の集まりを持ってはならないと考え違いしている人もいます。しかしスピリチュアリストが少人数の集まりを持つことは、マイナスでないどころか、むしろ霊的に大きなプラスをもたらしてくれます。不思議に思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、この後で述べるようにシルバーバーチは、少人数の集まり、すなわちサークルについては積極的にその意義を認めています。

今後、地上世界にスピリチュアリズムが展開していくとき、「スピリチュアリズム・サークル」の存在が大きな役割を担うようになると思われます。「霊的サークル」は、スピリチュアリズム普及の前線基地として、中心的役割を果たすようになると思われます。今後は世界の各地において、質の高いスピリチュアリズム・サークルの展開が見られるようになることでしょう。日本のスピリチュアリズムが、真実のサークル展開を確立することができるとするなら、世界人類に対して大きな貢献をすることになります。こうした霊的サークルは、従来のスピリチュアリスト・チャーチをより高次元に高めたものと言えます。

今回は、そうしたスピリチュアリズムの将来を念頭において、スピリチュアリズム・サークルのつくり方や、サークルの展開の仕方について学ぶことにします。サークルづくりは各自がそれぞれ工夫して進めていくもので、これといった定石(じょうせき)はありませんが、ここでは主として、私達のこれまでの体験の中から得てきた内容を披露します。サークルづくりをしようという方の参考になれば幸いです。

2.スピリチュアリズム・サークルの意義

まず、スピリチュアリズム・サークルやスピリチュアリスト・チャーチといった、少人数の霊的集まりの意義について見ていきましょう。

霊的意識を取り戻してくれるサークル

人間は一日のうち、ほんのわずかでも、一人で静かな時間を持つことが必要です。自分の心を高めようと努力したことのある人ならば、瞑想の重要性を身に染みて感じていることでしょう。日常の喧噪(けんそう)から身を引いて、霊的に静寂な世界に入り、霊界の息吹に触れることがぜひとも必要なのです。それを怠ると私達の心は、物質の牢獄の中に閉じ込められてしまうのです。

昼休みに一人公園で瞑想の時間をとったり、夜眠りにつく前の一時(ひととき)を瞑想に充てたり、あるいは誰もいない早朝のすがすがしい霊気の中で深呼吸を繰り返すなどの工夫が必要です。そうして霊界の霊達と深く交わる時間を持たなければなりません。いつも身近にいて私達を導いてくれている背後霊の存在を思い出すだけでも、日々の霊的歩みは全く違ったものになります。わずか5分、10分であっても、霊的エネルギーに満たされることによって、霊的感覚を取り戻すことができるようになるのです。

しかし肉体を持っている私達地上人は、たった10分そこそこの祈りの時間をとることさえ、なかなかできないのが実情です。肉体を持った地上人が、自分の心を「霊主肉従の状態に保つこと」は本当にたいへんなことです。あまりにも慌ただしい現代社会にあって、自分一人の力で心を高く引き上げられる人は、めったにいるものではありません。

こうした現状があるため、同じ霊的真理を受け入れた者同志の集まりである「スピリチュアリズム・サークル」が必要となるのです。日常の物質世界の中にどっぷり浸かって霊界のあることさえ忘れてしまっていた心が、霊的集まりに参加することによって、一気に霊界と触れ合う高い世界にまで引き上げられることになります。一人ではなかなか持つことができなかった高い心境を、他のスピリチュアリストとの交わりの中で得られるようになります。

シルバーバーチは、次のように言っています。

「こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも役立っております。人間にはこうしたものがぜひとも必要です。なぜなら人間は、毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしているうちに、つい、その物的なものが殻(から)に過ぎないことを忘れてしまいがちだからです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)  p.36

実際、少人数の霊的集まり(サークルやチャーチ)に参加すると、自分の心が無条件に引き上げられます。何とか霊主肉従の状態に至りたいともがいても、なかなかふっ切れなかった低い心が、サークルに出ただけでたちまち消滅し、すっきりするようになることを体験します。この世の物欲にとらわれていた先程までの自分が、心の底から馬鹿馬鹿しく思えるようになるのです。

このようにサークルは、日頃積もった日常の物質意識を拭い去り、物質によってぼかされてしまった魂を引き上げ、霊的意識を取り戻させてくれるのです。

霊的な礼拝所

スピリチュアリズム・サークルは、大半の地上人が欠乏させている霊的エネルギーを補給する礼拝所とも言えます。サークルに参加することによって、ふんだんに霊的エネルギーが与えられ、意識や霊体の浄化(聖別化)がなされるようになります。また自分達が霊的存在であったことを思い出させ、現実的に霊的世界との触れ合いを確認することができるようになります。

スピリチュアリズム・サークルは、物質世界に閉じ込められ息絶え絶えになってしまった霊と霊体にエネルギーを与え、心に安らぎと休息を与え、傷ついた魂を癒します。サークルは、まさに定期的に開かれる「霊的な礼拝」そのものなのです。

地上における「霊的家庭」――本当の霊的人間関係を築く場所

同じ霊的真理を受け入れた者同志の間では、より深い愛の交わりが可能となります。一般社会や家庭では得られない次元の高い愛の交わりを体験できるようになります。高い目標を理想として努力するスピリチュアリスト同志の集まりは、この世のいかなる血縁関係よりも深く、地上の家庭を超越しています。

こうしたスピリチュアリストの集まりが、霊的人生を歩む上での大きな励ましとなり、利他的活動の活力源となることは言うまでもありません。スピリチュアリズム・サークルは、まさに地上における「霊的家庭」と言うことができます。

3.サークルにおける霊界との絆の強化

スピリチュアリズム・サークルが他の世間一般の集まりと違うのは、それが単なる地上人だけの集まりではないということです。スピリチュアリズムの理念を中心にメンバーが集まるとき、そこに霊界の霊達も同時に加わるようになるのです。サークルの様子を肉眼で見るならごく少数の人間が存在するだけですが、霊眼で見ると、部屋の壁を突き抜けて、あふれんばかりの多数の霊界人が集結している事実を見ることができます。サークルは、地上人と霊界人が心を一つにして、霊的な絆を強化する時でもあるのです。参加者の心境が高く、世俗から切り離された時間を保つことができるならば、霊界との距離はさらに近くなります。

霊界との一体関係を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。サークルの背後で、霊界からの働きかけが着々と進展し、霊界との絆が強化され、参加者の霊的感受性が鋭くなっていきます。地上人が霊的世界を重視し、スピリチュアリズムに対する献身性と霊界の導きに対する信頼性を高めれば高めるほど、霊界との絆はいっそう強くなります。霊界との絆を強化するために、長時間にわたる瞑想が必要とされるわけではありません。何よりも高くて純粋な心境が必要とされるのです。メンバーが心を一致させ、高い世界で霊界の人々と共鳴することによって、そこでつくり出されるエネルギーが、新たな人々をスピリチュアリズムに導くことになるのです。

「大霊への畏敬の念を胸に皆さんがこの部屋に来て、私たちと一時間そこらを共に過ごすというそのことが、ここに霊的神殿をこしらえる上で大きな力になっているということです。(中略)調和の心で集う時に蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築く上で役に立つのです。その架け橋を通って新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けんとする霊が大挙して降りて来ます。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.262

4.サークルメンバーの選別――どのような人とサークルをつくったらよいのか

よく、どのようにしてスピリチュアリズム・サークルをつくったらよいのですか、という質問を受けます。シルバーバーチは――「2人ないし3人の者が集う所には、大霊が賜(たまもの)を授けてくださる」『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.261)と意味深長な言葉を述べています。

では、私達はどのような人間との集まりを求めるべきなのでしょうか。スピリチュアリズムに関心のある人なら誰とでも、すぐにサークルをつくることができるのでしょうか。この質問に対する答えのヒントを、シルバーバーチは次のように述べています――「嫌な思いをすることのない、本当に心の通い合える人々が同じ目的をもって一つのグループをこしらえます」『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.247)

シルバーバーチはサークルのメンバーの条件として、「心の通う人間」と、そして「同じ目的を持った人間」の2つを挙げています。このことはサークルをつくるに際しては、メンバーを選別しなさい、ということを意味しています。すなわちサークルづくりは、誰とでもいいというわけではないのです。

ここでシルバーバーチが述べている「同じ目的」というのは、言うまでもなくスピリチュアリストとしての共通目的を指しています。シルバーバーチは、そのスピリチュアリストとしての共通目的を――「まず自らが身を修め、それから他人のために自分を役立てる仕事に着手する」と述べています。したがってサークルのメンバーとして求めるべき相手は、すでにスピリチュアリズムを受け入れ、スピリチュアリズムの霊的真理にそって自己コントロールの努力(自己努力)をし、その上で自分の人生を奉仕に捧げ、スピリチュアリズム普及のために参加したいと思っている人ということになります。シルバーバーチは、こうした内容を持った人とサークルをつくりなさいと言っているのです。

このような条件を満たすことができる人ならば、連絡を取り合えば翌日から即、2人の霊的サークルを出発させることができるようになります。そして深いところで心を通い合わせることができるようになります。

決して安易な集まりをつくらない

サークルをつくる場合、特に注意しなければならないことは、決して安易な集まりをつくらないということです。焦って安易なサークルづくりに走らないということです。単なる知的好奇心レベルの人、あるいは心霊現象や霊能力への関心だけにとどまっているような人とは、パートナーを組まないということです。そうした人は、とかく傲慢で謙虚さも乏しく、スピリチュアリズムの普及よりも自分の満足や利益・名声だけを優先しようとします。スピリチュアリズムの普及を共通の目的とした純粋な歩みも、心の底からの深い交わりもできません。そして後になって必ず問題を起こすようになるのです。

また、単にスピリチュアリズムに関心があるというだけの人、シルバーバーチが好きだというような人とも、安易にサークルをつくろうとすべきではありません。世の中の多くの人々は、気軽な集まりや交流の場所を持ちたいと思っています。そして自己努力や自己犠牲を頭から嫌っています。ただおしゃべりのできる気ままな時間を欲しています。必死に霊的真理にそわせる努力をすることより、まず仲間を求め、楽しく気ままな時間を持とうとします。何度も霊訓を読み返し、自分の心を鼓舞して挑戦していこうとするより、どこかに手頃なセミナーはないものかと、それだけに関心を持つのです。

あまりにも他人に頼ろうとする人や、まわりの人々から優しくされることだけを求める人も注意が必要です。癒しブームの世の中では、他人の優しさだけを求める人々があふれ返っています。そしてそうした風潮に迎合して、偽(いつわ)りの愛を安売りする宗教やニューエイジなどの思想が、多くの現代人を虜(とりこ)にしています。

自らがまず与え愛するのではなく、先に与えられ慰められ、癒され愛されることを願うところからは、真の霊的成長も幸せも得られません。そうした人々の集まりは、時間の経過とともに間違いなく破綻が生じるようになるのです。優しさの安売り・癒しの安売りをすれば、一時(いっとき)人々は集まってきます。しかしそうした集まりは、結果的に醜い争いを残すだけになってしまうのです。自分に厳しくできる人であってこそ、霊的歩みの一歩が踏み出せるようになります。いつまでも甘えを抜けきれなかったり、人から愛されることだけを望む未熟な人間は、一般人の人間関係の中で多くの体験を積み、大人になることが必要なのです。

サークルづくりでは、パートナーを選ぶべき

伝道における真理の種蒔(たねま)きでは、相手を選ぶというようなことがあってはなりません。しかし、すでに基本的な真理を手にした人間同志が、さらに高度な霊的レベルでの交流を目指そうというときには、本当にそれにふさわしいパートナーかどうかを選別しなければなりません。心から霊的成長を願い、純粋に自己コントロールの努力を心がけ、スピリチュアリズムのために奉仕したいと思っている人(大人の霊)との交わりを求めるべきなのです。サークルづくりにおいては、そうした意志を明確に示すことが必要です。サークルが単なる無意味な議論や慰めの場所ではないことを表明することが大切なのです。

シルバーバーチは――「初心者を相手にする伝道のケースとは違って、すでに基本的真理を手にした人々、霊性開発への準備が整った人々が、さらに高度な霊的レベルとの交流を目指すときには、相手を選ぶことが必要である」といった意味の内容を述べています。(『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版))

孤独な期間に耐える

サークルをつくりたいと考えるならば、純粋な思いでスピリチュアリズムのために生きたいと願っている人、あるいは内省的努力に意識を向け、誠実で謙虚な歩みをしている人との出会いを待つべきです。そうした人との出会いを求めて、毎日祈り、種を蒔き続けることが必要なのです。時には条件に適った一人のパートナーと出会うために、3年から5年もの間、孤独な時を耐え忍ばなければならないことになるかも知れません。素晴らしいパートナーとの出会いの時は本当にくるのかしらと不安に駆られたり、焦るような思いを持つかも知れません。

しかし皆さんの決心が本物ならば、いつか必ず高い世界で交わることのできる人との出会いが与えられることになるのです。真剣な思いのあるところには、霊界にいる多くの霊達が、時のきた人との出会いのために全力で応援してくれるからです。霊界の導きのあることを忘れてはなりません。霊界の人々の応援と導きを信じるのです。今すぐ目に見える結果が現れなくとも、自分はベストの道を歩んでいることを信じ続けるのです。それは、まさに「忍耐が試される時」なのです。皆さん以上に長い間、時のきた地上人を求めて働き続けてきた霊界の人々の苦労に思いを馳せ、スピリチュアリズムの重要性と意義をしっかりと確認する時でもあるのです。

こうした孤独の歩みはとても辛いものであるため、つい誰もがてっとり早く安易に仲間を求めようとします。しかし霊界の導きをひたすら信じ、この孤独な時をじっと耐えて乗り越えるか否かで、その人の人間性の深さに格段の差がつくことになります。孤独な期間を通じて、霊性が高められ、信仰が強められることになります。また人間の心の複雑さ・頼りなさ・弱さを知ることができるようになり、人間に対する洞察力が身につくようになります。そして霊界の人々との絆がいっそう強化されることになるのです。

私達「心の道場」は、サークルづくりのために協力いたします

心の道場には、これまで全国各地の方々から、入会の申し込みや学習会への参加・講演の依頼などの問い合わせをいただいております。しかし私達は、そのすべてをお断りしています。もともと私達は心の道場を大きくしたり、メンバーを増やそうなどとは思っていません。

さらにお断りするについては、今述べたような理由があるからです。もし安易に心の道場のメンバーになることができるなら、その方が自分で孤独の時を乗り越え、魂を成長させるチャンスを失うことになってしまいます。すぐに集まりに入ろうとしたり、何でもいいから交わりを持ちたいという人の場合、いつまでたっても霊的な成長や心の深まりが得られないのです。

霊界の導きを信じ、サークルをつくるにふさわしい“真の友”との出会いを希望として歩む期間は、確かに辛く寂しいものです。私達もその孤独の辛さは、痛いほど理解しているつもりです。しかしそうした歩みこそが、霊的に充実し、霊的成長がもたらされるありがたい時なのです。孤独の中で力を失い、絶望感にとらわれそうになったときには、どうか必死に導きを祈ってください。それでもさらに力が欲しいときには、遠慮なく私達のところに連絡をください。スピリチュアリズムの同志として、何らかの励ましを差し上げることができるものと思います。

夫婦そろってスピリチュアリズムのために人生を捧げ、スピリチュアリズムの普及をライフワークとし、そのためには家族を犠牲にすることさえ厭(いと)わないスピリチュアリストである場合は、素晴らしいサークルが出来上がることになります。夫婦そのままで、強力なスピリチュアリズム・サークルが形成されることになります。定期的に2人で聖別された時間を持てば、それが即、霊的サークルとなるのです。とは言え、そのような家庭がそのままスピリチュアリズム・サークルになるといったケースは、何十年、何百年か先の地上では当たり前のものとなるでしょうが、現在ではめったにあるものではありません。今の地球は「スピリチュアリズムの開拓期」であるからです。

サークルづくりの第一歩は「読書会」から

さて、これからスピリチュアリズム・サークルをつくりたいという場合には、まずシルバーバーチの霊訓の「読書会」などを設けて、積極的に外部にPRするのがよい方法だと思います。インターネットや広告・ミニコミ誌など、あらゆるメディアを活用して呼びかけたらよいと思います。「シルバーバーチの読書会」を開けば、そこにはすでにシルバーバーチの霊訓を読んだ人々が集まるようになります。シルバーバーチを自分で読んできたような人々は、ある面では時のきた人と考えられます。そのような人は、シルバーバーチの読書会のPRを目にすれば、向こうからやって来ることになります。

読書会は、霊的真理を学ぶ最初の集まりですが、当然そこにはいろいろな人々が寄ってきます。集まる人々の中には、霊的向上や自己反省、さらにはスピリチュアリズムのための自己犠牲などは全く眼中にないような人もいるはずです。この世の程度の悪い議論好きと何も変わらないような人間は、せっかくの読書会を台なしにしてしまいます。そうした人は、読書会への参加をやめてもらうべきです。常に自分が話の中心となりたがり、集まりを自己満足の場として利用したいだけの人間は遠慮してもらわなければなりません。

低俗な自己満足のためだけの読書会になっていないか、無駄話や無益な議論に時を費やす遊び半分の学習会になっていないか、厳しくチェックする必要があります。そして心霊アップならびに奉仕精神の喚起のための学習会、少しでも霊的成長を促すための学習会であるように、絶えず見直していかなければなりません。

現在は霊界から地上に向けて、すさまじい働きかけがなされています。したがって意欲のあるところでは、どんどん時期のきた人との出会いがなされるようになっています。読書会に集まった人々の中から、本当にスピリチュアリズムに人生を捧げ、心から信じられる同志を見つけ出していくのです。そのような人との出会いが得られたとき、いよいよ本当の「スピリチュアリズム・サークル」を出発させることができるようになります。

5.サークルの進め方――サークルでは何をしたらよいのか

サークルの時間・場所

真の同志とも言うべき相手、スピリチュアリズムをライフワークと考えることのできる相手との出会いが得られたならば、2週間から1カ月に一度くらいの割合で定期的にサークルを開くようにします。サークルの時間は1〜2時間くらいで十分です。大切なことは、あらかじめ日時を決めて、定期的にサークルを設けるということです。サークルを開く場所は、最初は公共の施設を利用してもかまいませんが、もし可能であるなら、一般の人々の出入りのない場所(家庭の一室など)を確保する方がずっと好ましいでしょう。サークルを開く場所自体が聖別されることになるからです。時間と場所が決まっていれば、霊界サイドも働きかけやすくなります。サークルを開く回数については、最初は1カ月に1〜2度が適当と思われます。そしてサークルのメンバー同志の関係が密接になり、内容が充実するにつれて回数を増やしていったらよいでしょう。)

何より大切なことは、参加者の一人一人が、サークルを最も価値ある時間と位置づけし、「サークルへの参加を実生活の中で最優先する」ということです。

聖域をつくり守る

サークルは、世俗から切り離された聖なる特別な時間ですから、読書会では大目に見ていたような世間話や日常的な話はしないようにします。世俗の話題に参加者が巻き込まれるならば、この世の井戸端会議と全く同じレベルにまで堕ちてしまい、せっかくの聖別された時間が台なしになってしまいます。サークルの間は、スピリチュアリズムに関すること以外はあまりしゃべらないようにします。久しぶりに会った人とは、つい世間話をしたくなるものですが、それは謹むべきです。まず神・霊界と触れ合う聖別された時間を優先すべきなのです。

スピリチュアリズム・サークルは、世間一般の仲良しグループでないことを肝に銘じておかなければなりません。

サークルのカリキュラム

サークルは、瞑想から始めるようにします。それから霊訓を輪読したり、各自で読み進めたり、さまざまな形で霊的真理の学習をします。時にはスピリチュアリズムに関する体験談などを語り合うのもよいでしょう。またヨーガなどをして、心身のリフレッシュを図るのもよいでしょう。終わりは瞑想で締めくくるようにします。そしてその日は、そのまま解散します。

先に述べたように、サークルの後、ワイワイガヤガヤとなるような食事会などを設けることはあまり好ましくありません。せっかく高まった心霊が、たちまち失われてしまうことになるからです。サークルの余韻(よいん)を、その日は少しでも長く保つようにしたいものです。

良い真理の学習会と悪い学習会

真理の学習は、サークルにおける必須カリキュラムと言えます。読書形式・輪読形式・講義形式・議論形式と真理の学習の方法はいろいろあります。大切なことは、形式そのものよりも、参加者の姿勢です。「どのような目的意識で霊的真理を学ぶのか?」ということです。それによって、同じ学習会が良いものになったり、悪いものになったりするのです。

そもそも真理の学習は、日常における意識の持ち方を反省したり、より深く真理を理解して霊的向上に役立てるために行うものです。それは霊的意識を高め、日常生活における実践意欲を高めることを目的としています。神と高級霊の前に、心を純粋にすることを目的としているのです。常に霊的真理の実践を心がけ、スピリチュアリズムの普及を第一の目標に掲げて歩んでいる人々の集まるサークルでの学習は、必然的に目的に適った正しいものになっています。

しかしそれとは反対に、神や高級霊が心を見通している現実を無視し、スピリチュアリズムへの貢献もどちらでもいいというような人々の集まりでは、自分達の知的関心を満たすだけの無意味なものになっています。知的満足を求めるだけならまだしも、議論や自己主張の刺激と自己満足だけを求めるようになるなら、集まり自体がスピリチュアリズムから最も遠い、全くマイナスと言った方がいいような結果になってしまいます。

「スピリチュアリズム・サークル」と、広く門戸を開いた「読書会」では、真理の学習の内容が違って当然なのです。

サークルに対する評価・自己チェック

サークルが終わったときは、霊的エネルギーに満たされ、スピリチュアリズムに導かれたことへの感謝と喜びの思いで心が一杯になっていることが大切です。サークルに参加することによって、人間は物質的な存在ではなく霊的な存在であるというスピリチュアリズムの原点を確認して「日常意識」を払拭し、一時(いっとき)であっても本来の「霊的意識」を取り戻すことができなければなりません。神と高級霊が、いっそう身近にならなければなりません。それができたとき、サークルの集まりは成功であったということになります。サークルに参加して心が引き上げられたかどうか、霊的意識を呼び戻すことができたかどうかを毎回、確認すべきです。

またサークルに参加する際には“心霊ノート”を持参し、感想を書き留めておくようにするのもよいと思います。サークルによって心霊アップしたときの、自分の心の状態や心境を記録しておきます。サークルや祈りなどによって霊的エネルギーが満たされたとき、自分の心がどの程度まで引き上げられるかを記録しておくことで、自分の心霊の上限レベルを知ることができるのです。それによって自分自身の心を客観視する力を養うことになります。

日常生活に埋没して心霊が下がってしまったとき、心霊ノートを見ると、自分の心がいかに低い状態に落ちているかがよく分かるようになります。それと同時に、サークルに参加することで体験する高い心霊状態を取り戻すことさえできれば、自分の心にただちに、明るさ・すがすがしさ・広さが蘇(よみがえ)ってくることも実感できるようになります。

6.サークルにおける問題・トラブル

サークルは「愛の訓練場」

心の道場へ入会を申し込んでこられる方々の中には、心の道場には何の問題もなく、初めから素晴らしい人間関係があったかのように錯覚している方がいらっしゃいます。しかし現実は、一人一人が自分の足りなさを自覚し、少しでも理想に近づきたいと奮闘努力しているところです。まだまだ未熟であることを痛感しています。

深い人間の結び付きは、サークルメンバーのそれぞれが「霊的真理」を指針として、現実の問題やトラブルを乗り越えたときに実現するものです。スピリチュアリズム・サークルは、まさに「高次元の愛の訓練場」です。単なる茶のみ仲間の集まりや、軽いおしゃべりサロンとは、根本的に違っています。人生を懸けた重みと真剣さが支配すべき場所なのです。

一人一人が自らの欠点をコントロールし、自発的に霊的成長のための努力をするとき、はじめてより高い霊的関係・霊的愛で結ばれた人間関係ができるようになります。メンバー各自の必死の自己努力があるときのみ、高次元の人間関係を築くことができるのです。自己コントロールの努力がともなわない人間関係、理想だけに走った人間関係は、時間の経過とともに必ず破綻をきたすようになります。スピリチュアリズム・サークルは、どこまでも自己努力を前提とする人々の集まりなのです。理想を目指して、足りない人間・欠点を持った人間が努力する訓練場なのです。

必ず生じる人間関係のトラブル

サークルを維持していく上での最大の問題は人間関係です。スピリチュアリズムが最高であると思える人々の間においても、一人一人の霊的成長レベルは異なります。さらに性格やこれまでの人生経験・育った環境・習慣も異なっています。そのため各自の心の世界は全く違ったものになっているのです。現実問題への対処の仕方・判断の仕方が、さまざまになるのです。

夫婦関係を見れば明らかなように、人間は身近な関係になればなるほど、相手の欠点や粗(あら)が目につくようになり、心を一致させることがとても難しくなります。これは霊的成長の違う人間が、同一の世界に住むところから生じる避けられない宿命です。

サークルのメンバーは霊的家族の一員であり、きわめて深い関係・身近な関係にあります。そしてとてもデリケートな霊的背景を背負っています。サークルが目標としている世界は、この世の一般的な家庭や組織と違って、きわめて純粋で繊細で霊的なものなのです。したがってこの世の単なる友達や親族以上に、お互いの違いや欠点がストレートにぶつかり合い、愛し合いにくい状況が生じることになります。

「団結というのはそう簡単には成就できないものです。命令によって強制できる性質のものではありません。理解力の発達とともに徐々に達成していくほかはありません。問題は、人類の一人一人が知的にも道徳的にも異なった発達段階にあることです。一つの共通した尺度というものがないのです。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)  p.159

「同じ目的、同じ大義によって団結すべき人たちの中にあってすら、摩擦と誤解の犠牲となることがあります。が、たとえすべての人間が同じ仕事に従事していても、たった一つの視点から眺めるということは、所詮、無理なのです。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)  p.98

各自が「霊的真理」に立った努力をするかどうかが決め手

恋愛感情に身を任せ、結婚に至ることは何も難しいことではありません。それは動物と等しい本能に支配された行為であるからです。しかし恋愛感情が冷め、相手に対する嫌気が差すようになった夫婦が根本から考え方を改め、もう一度ゼロからやり直そうとするのは並大抵のことではありません。男女それぞれが、自ら意識を高める厳しさを持たなければならないからです。

これと同じく「サークル」という密接でデリケートな人間関係を維持するためには、メンバーの一人一人が自分に厳しさを課すことが不可欠となります。安易に他人に頼ったり、真っ先に他人からの援助を期待したり、自分の感情をすぐに表に出すような人間は問題です。そのような人は、自分の人間性の未熟さを打ち破るために、さらなる孤独の歩みが自動的に準備されるはずです。

人間関係にトラブルが生じたとしても、どちらか一方の人が、自分の心を高いところに置き、寛容さと忍耐を持って相手に接することができるなら、不一致から決定的な分裂状態に至るのを避けることができます。しかし互いが低いところに立って自己主張をするなら、たちまち人間関係は暗礁に乗り上げてしまいます。まさに自己主張よりも、霊的真理に基づいた真の謙虚さと寛容さが必要とされるのです。

より良いサークルの人間関係をつくるための努力は、地上世界における最高に厳しい霊的修行です。人が集まるところ、魂の成長レベルの違いから必ず問題が生じるようになりますが、そのときは各自が「霊的真理」に立ち返って、自分自身の心を真理に添わせようと努力することが大切なのです。“謙虚さ”と“寛容さ”を持とうとする内面的努力が必要なのです。そうした努力をすることなく感情の赴くままに振る舞うならば、せっかくのサークルも、この世の人間関係と何も変わらないことになってしまいます。

「真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合えるということです。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)  p.191

「われわれはこれまでに得た知識を土台とし信頼し合わなくてはいけません。基盤に間違いがないことを確信した上でなくてはいけません。そこから、ゆっくりと着実に、より高い道を目指して、手を取り合って開拓していきましょう。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)  p.134

「人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。(中略)それは致し方のないことです。幸いにして自分の方が進化の階梯(かいてい)の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.152

サークル活動に、ゆき詰まりを感じたときには

サークルのメンバーは、サークルが霊的に停滞したり、当初の目的から外れ、あまりにも低いレベルの歩みしかできなくなったと思ったときには、そこを去るべきかも知れません。より高い霊的世界を求め、さらなるスピリチュアリズムへの貢献をしたいという動機が確かなものであるならば、これまでのサークルを去り、自分の霊性に合った別のスピリチュアリストとの交わりを求めることは間違いではありません。

霊界においては、霊的成長にともない、それまで所属していた“類魂”から抜け出て、より高い別の類魂に入っていくことになります。地上の霊的グループ(スピリチュアリズム・サークル)の間でも、同じような移動が行われてしかるべきです。それは霊的成長にともなう当然の結果と言えるでしょう。言うまでもないことですが、他のサークルへの移動は“純粋な動機”に基づくものであることが重要です。利己的な動機・不純な動機からの場合、すべての責任は自分で負わなければならなくなります。

サークルの解散

霊界からの導きによって地上で霊的真理に出会うという幸運に浴し、スピリチュアリズムの普及をライフワークにしようと決意しながらも、時間とともにその感動が薄れ、大義を忘れてしまうようなこともあります。地上生活は感動とマンネリ、緊張と弛緩のサイクルの繰り返しの中で進んでいきますが、「スピリチュアリズム」という肝心な世界を見失ってしまうことは、人生最大の損失であり失敗です。スピリチュアリズムのために喜んで自分の人生を捧げたいという決意が失われるならば、自動的に物質欲に翻弄(ほんろう)され、この世の人々と大差のない状態に堕ちてしまいます。

時としてサークルのメンバーが、お互いの意見の食い違いを埋め合わせることができず、険悪な人間関係に発展して、スピリチュアリズムへの貢献や自己の霊的成長に対する熱意を失ってしまうことがあります。もしそうした事態を迎え、もはやサークルとしての存在自体が魂の成長にプラスにならないと思われるような場合は、サークルを解散すべきでしょう。各自がいったん自分の世界に戻り、じっくり考え直すことが必要となります。

最終的な決断は――「各自の霊的成長にプラスとなっているか」「人々への貢献にプラスとなっているか」「霊界の良き道具となっているか」どうかを基準として下すべきです。サークルの維持が重要なのではなく、一人一人の霊的成長とスピリチュアリズムへの貢献が大切なのです。サークルを一度解散して、時期のきた別の人との出会いを求め、新たなサークルづくりに乗り出すことは、さらなる進歩の扉を開くことになるかも知れません。

7.リーダーの役割と、サークルとしての進歩・向上

孤独で辛いリーダーの立場

サークルを立ち上げようと決意した人は、メンバーが増えるにともない、自動的にサークルの中心的立場・リーダーとしての立場に立つことになります。サークルのまとめ役として、会場の予約をしたり、学習会の準備をしなければなりません。また毎回、サークルの進め方をあれこれ考えたり、今後のサークルの予定を立てなければなりません。時にはメンバー間の人間関係の調停の役割を果たさなければならなくなります。一人の人間(リーダー)に、サークルに関するすべての仕事が集中するようになります。サークルのリーダーには、常にこうした大変な仕事と責任が負わされることになるのです。

サークルのリーダーは、肉体ばかりでなく、精神的にも霊的にもくたくたになり、遅かれ早かれ、自分にはとてもこの役目は務まらないと思うようになります。サークルのリーダーになると、誰もが自分自身の力に限界を感じ、「もはや自分一人の力では、これ以上やっていけそうにない」という壁に突き当たるようになります。そのような時、ふっと空しさを覚え、サークルをやめて、一人のスピリチュアリストに戻ってしまいたいと思うようになります。サークルのリーダーは、一度はこうした孤独で辛い世界を体験することになるのです。

リーダーとしての務めは、スピリチュアリズムへの大きな貢献

リーダーとしての役割を果たすためには、このように大変な苦労と孤独がともないます。何のために自分の時間と生活を犠牲にし、家庭も財産も犠牲にしなければならないのかと、考えてしまうかも知れません。しかし、それはすべてスピリチュアリズムのためにしていることなのです。見方を変えるならば、その犠牲の分だけスピリチュアリズムに大きな貢献をしているということなのです。

スピリチュアリズムのために自らを犠牲にするところには、霊界から多くの霊達が援助のために集ってきます。リーダーは一人で戦っているのではなく、ずっと霊界の霊達の応援を受けてやっているのです。地上人には目の前のメンバーの姿しか見えませんが、その背後で常に多くの霊達が群がり、全力を挙げて援助してくれています。それによって、時期がきて今後、出会うことになる人との距離がどんどん縮まっているのです。霊界の人々との絆は確実に太くなっていきます。こうした霊的な事実を忘れてはなりません。

サークルのリーダーは、まさに歴史的なパイオニアとして戦いの最前線にいます。スピリチュアリズムのために苦労し、犠牲になることほど価値ある地上人生はありません。サークルのリーダーとして味わう(一般の人では味わうことのないような)孤独・苦労・疲労・悲しさ……、これらはすべてスピリチュアリズムのための犠牲であり、ありがたいものなのです。

皆さんがリーダーとして苦労すればするほど、誰も手にすることができない貴重な霊的宝を得られるようになります。犠牲的歩みの中で、人間性が磨かれ、広く深い心を持つことができるようになります。また人間の心の複雑さを理解できるようになり、今後のスピリチュアリズムに対する貢献のための、さらに大きな力を養うことになるのです。

リーダーの内容によって決まるサークルの発展

サークルの発展は、リーダーの内容と力量によって決定される一面を持っています。リーダーにとって最も重要な資質は、霊的な純粋さです。霊界の人々の応援を引き寄せられるだけの霊的内容があるかどうかということです。「無私で謙虚な道具意識」「見返りを一切期待しない犠牲精神」「スピリチュアリズムへの貢献性」「霊的導きに対する信頼」「いかなる困難にもめげない忍耐力」「他人の足りなさに対する寛容性」といった内容が必要とされます。

リーダーにこうした霊的資質があるか否かで、サークルの発展が決定されることになります。これに加え、優れた人間性(明るさ・気さくさ・上品さ・面倒味のよさ・ユーモアセンス)と豊富なスピリチュアリズムの体験があるならば、サークルはいっそう発展する可能性を持つことになります。限界状況の中で神にすがるしかないような体験、もはや人間の力には頼れないといった体験が多ければ多いほど、いかなる困難に遭遇しても、正確な判断力を働かせることができるようになります。リーダーとしての的確な判断力・洞察力が身につくようになるのです。

さらにリーダーには、霊的知識の力が必要となります。霊的真理の深い理解は、リーダーの力量の一部です。リーダーは学習会を意義ある方向に導き、メンバーからの質問に答える力を持たねばなりません。とは言っても、現在十分な知識がないからといって悲観的になる必要はありません。知識については、真剣に学ぶ姿勢さえあれば、今後の歩みの中で確実に力をつけることができるからです。

リーダーのトータル的な力量によってサークルの発展は決定されますが、最も重要なリーダーの資質は、何と言っても「純粋な道具意識と犠牲精神」であり、「徹底した奉仕精神」です。それに比べれば、人間性や体験の有無・知識の多さはそれほど決定的な影響力を持つことはありません。

もしリーダーの動機が不純である場合、やがてそれがエゴ的世界を増幅し、スピリチュアリズムから逸脱していくことになります。当然、その人間は霊界において、自分自身を裁くという哀れな事態を招くことになるのです。動機こそが、リーダーにとって一番重要な要素なのです。

メンバーを育て、サポートする

リーダーは、好むと好まざるとにかかわらず、新しいメンバーの霊的な教育に係わらなくてはなりません。またメンバーの中に、全体の調和を乱すような者がいるならば、誠意を持ってじっくり話し合い、間違いを気づかせてあげなければなりません。親や先生のような立場で、スピリチュアリズムの正しい在り方を教えてあげるのです。そして日常生活に飲み込まれて霊的力を失ったり、失敗から絶望的になっているメンバーには、霊的真理によって視野を広げたり、優しく励まして、やる気を取り戻させてあげることも必要です。

「同志の中に手を焼かせる者がいたら、その人のことを気の毒に思ってやることです。道を間違えているのです。そういう人間を激しい口調で説き伏せようとしてはなりません。素朴な真理を教えてあげるだけでよろしい。そのうち分かってくれるようになります。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.216

「その種の人間に個人的見解の相違を忘れさせ、基本の原理・原則に立ち帰って、最初にこの仕事に情熱を燃やした時の目標に向かって無心に努力するように指導することです。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.214

ここで注意しなければならないことは、「優しさの安売りをしない」ということです。スピリチュアリズムと出会ったメンバーといえども、未熟さも欠点も数多く持っています。それを指摘し、注意することは、リーダーにとっても注意される相手にとっても嫌なことです。しかし相手の霊的成長を考えたとき、言いたくなくとも敢えて心を鬼にして言わなければならないこともあります。

現代社会では、親と子・教師と生徒・上司と部下という上下関係が崩れ、間違った平等主義が広まっています。その影響で、親や教師・上司は厳しさを捨て去り、優しさだけを与えるようになっています。相手の問題点や欠点を知っていながら、黙って見過ごすようなこともあります。そしてそれに対して、相手はそのうち分かるようになるから長い目で見ていようと自分自身に言い訳をするのです。注意するのが当たり前なのにそれをしないで相手の顔色を窺(うかが)い、嫌われないように努めるのです。

そこには、もはや本当の愛情はありません。単なる表面的な愛情があるだけなのです。本当の愛情があるならば、相手のためを思って注意したり、嫌がることも言うことができるはずです。自分が嫌われたくない、子供や生徒・部下から好かれたい、愛されたいと思っているのです。“優しさと厳しさ”がともにあってこそ、「本当の利他愛」と言えるのです。サークルのメンバーは、スピリチュアリズムという共通の理念・生き方を共有する人間関係であって、一般の人々の関係とは違っているのです。神・霊界の前に正しくあろうとする、共通の深い絆があるのです。

さて、メンバーの教育において心しなければならないことは、相手の成長を願うあまり、相手を自分の思うようにしたいという方向に道を間違えないことです。リーダーとして相手の成長のために熱心に働きかけ、可能なかぎり指導はしても、最後は本人の問題であるということを忘れてはなりません。霊的成長は最終的には、すべて本人自身の責任なのです。教育熱心が高じて、いつの間にか相手を自分の思いどおりにしたいという、そんな世界にはまってしまうことが往々にしてありますが、その点は厳に謹まなければなりません。熱心さから、「霊的成長は自己責任である」という摂理を踏み外すようなことをしてはならないのです。

リーダーは常に神と霊界を拠りどころにすべき

リーダーは絶えずメンバーから頼られ、メンバーの面倒を見なければなりません。リーダーはサークルのために、いつも一番の犠牲を払うことが要求されていますが、それでいてメンバーやまわりの人々から、真っ先に批判の対象とされるという弱い立場に立っています。リーダーは、常に孤独の世界を体験することになるのです。

こうした厳しい状況の中で役目を果たしていくリーダーには、神と霊界に対する深い信仰心が必要とされます。人間である以上、辛い時にはついサークルのメンバーに頼りたくなりますが、そうしたときこそ弱い心をぐっと抑えて、神と霊界だけを心の支え・拠りどころとして乗り越えていかなければなりません。

リーダーには、ひたすら自分の人生をスピリチュアリズムのために捧げ、一人でも多くの人に永遠の霊的救いをもたらしたいとの強くて純粋な思いが必要です。可能なかぎりスピリチュアリズムのために奉仕したい、スピリチュアリズムのために自分の人生をすべて捧げたいという、一点の曇りもない純粋な動機が必要です。そうした「神と高級霊の前に恥じない誠実さ」があればこそ、霊界の全面的な応援を得られるようになるのです。高級霊の応援のみが、リーダーの本当の心の支えとなり、力となるのです。

サークル全体としての進歩・向上

健全なサークル活動が行われ、一人一人のメンバーが霊的成長の道を歩むにつれ、サークル全体の霊的レベルも上昇することになります。より純粋な人間関係・より密接な霊界との関係がつくられるようになります。そしてスピリチュアリズムのための、さらなる貢献の道が開かれるようになります。

リーダーは常に、今より高いサークルの目標を設定し、全体を導いていくことが必要です。サークル全体として常に高い世界を目指さないかぎり、サークルの生命力は失われ、マンネリ化し、やがてサークルの存在自体が意味を失ってしまいます。一人一人は、より高いレベルと、さらなるスピリチュアリズムへの貢献を目標としなければなりませんが、サークルもそれと同じで、いっそう高い世界と多くの貢献を目指し続けなければならないのです。

時には、長年来のメンバーが、サークル全体の進歩向上に決定的なマイナスとなるような行為に走るといった事態を迎えることがあります。また貢献への情熱を全く失って、日常生活に完全に舞い戻ってしまうようなことも起きるでしょう。そうしたときリーダーは、そのメンバーを、サークル全体のために後回しにしたり、袂(たもと)を分かつようなようなことになるかも知れません。厳しいようですが、それでいいのです。道を外れたメンバーの運命は、“守護霊”に任せておくしかありません。回り道をしたり後退することが、長い目で見たとき、その者にとってふさわしい歩みとなるはずだからです。

いったん神・霊界との磁気的つながりを持ち、スピリチュアリズムとの深い係わりがある以上、また人生の次の転換期には新たな自覚を持つようになることでしょう。

「時として、悲しいことですが、この道に携わっている人が本来の目的を忘れて我欲を優先させ、一身上の都合の方が大義より大切であると考えるようになったりします。万が一そういう事態になった時は、それは本来の道を見失ったわけですから、その人のために蔭で涙を流しておやりなさい。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.209

「袂(たもと)を分かつべき人とは潔く手を切り、その人の望む道を進ませてあげればよろしい。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.47