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シルバーバーチの一言の祈り

シルバーバーチの霊訓の中に、次のような特別に格調高い一節があります。

「祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」――この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.134

これは言うまでもなく、霊的真理を知った私達に向けて語りかけられた言葉です。「自分を、神と人類のために役立たせてください」という祈りの中に、スピリチュアリストとして持つべき最も深い願いが込められています。スピリチュアリストとしての神に対する最高の姿勢が示されています。

なかなか祈りができないときには、シルバーバーチが示してくれたように――「どうか、自分を人々のために役立たせてください。その方法を教えてください」と祈ることにしましょう。このシンプルで最も深い一言の祈りを、これからの人生で、繰り返し繰り返し口にしていきたいものです。

さてシルバーバーチは、神と人類に自分の人生を捧げることは、私達がなし得る最高の愛の実践であり、最高の宗教的生き方であると述べています。「神と人類のために一身を捧げたい」との願いの中に、利他愛のすべてが集約されています。利他愛の最も純粋な形が示されています。

皆さんが、シルバーバーチを手本としてより高い生き方を目指そうと思われるなら、自分の人生を、神と人類のために捧げようとしなければなりません。スピリチュアリズムの教えを忠実に実践しようとするなら、自分の一生を、神と人類のために捧げなければならないのです。

ところで皆さんが、もしシルバーバーチから直接――「あなたの人生を神と人類のために捧げてください」と言われたなら、どのように思われるでしょうか。おそらくそのとき皆さんは、この祈りの持つ深刻で重い内容を身に染みて感じることになるでしょう。

なぜなら自分の人生を捧げるということは、状況によっては、自分の人生・将来・家族を犠牲にすることになるからです。“一身を捧げる”という言葉をその通り実行するには、たいへんな犠牲がともなうことを覚悟する必要があるからです。

スピリチュアリストにとっての、一身を捧げる行為とは

イエスを中心に高級霊界あげて展開しているスピリチュアリズムは、人類に最高の救いをもたらす大プロジェクトです。そしてこの「人類史上最大の救済活動」に直接呼応できる地上人は、私達スピリチュアリストをおいて他にはいません。スピリチュアリズムに貢献することは、マザーテレサやガンジーといった聖人でさえもできなかった“最高の奉仕”に携わることなのです。

歴史上のいかなる聖人も、今の私達のように「霊界の真実」と「霊的救い」を人々に示すことはできませんでした。マザーテレサは、キリスト教レベルでの最高の実践の域・最高の利他愛の域に到達しました。それゆえ彼女は今、霊界で高級霊としてスピリチュアリズムの普及に携わるようになっています。しかし、そのマザーテレサも地上時代には、私達のように、本当の救いを人々に示すことはできなかったのです。

スピリチュアリズムが人類にもたらそうとしている救いは、キリスト教をはじめとする他の宗教の救いとは次元が違います。これまでの宗教では、地上人に最終的な救いの道を示すことができなかったために、霊界の高級霊達によって“スピリチュアリズム”という霊界あげての大プロジェクトが興されたのです。

こうしたスピリチュアリズム成立の原点を忘れてはなりません。その視点を見失うと、スピリチュアリズムと他の宗教や思想との立場の違いが分からなくなってしまいます。スピリチュアリズムもキリスト教も同じというようなことになってしまうのです。

シルバーバーチが述べている「神と人類のために一身を捧げる」という内容は、具体的には、スピリチュアリズムという最高の救いを人々に伝えることに他なりません。言い換えれば、シルバーバーチは――「スピリチュアリストであるあなた方の人生を、スピリチュアリズム普及のために捧げてください。私達霊界の者達と同じように、スピリチュアリズムのためにすべてを捧げてください」と言っているのです。スピリチュアリズムの普及に人生を捧げることによって、最高の利他的生き方・最高の宗教的生き方をしてくださいと訴えかけているのです。

自分のことを忘れて他人のために

先ほどの一言の祈りの言葉のすぐ後で、シルバーバーチは、次のように言っています――「自分のことより他人のためを優先し、自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します。」『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.135)

またシルバーバーチは、別のところで――「あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出すとき、あなた方を通して大霊が働くのです。(中略)それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、私は可能だと申し上げます。それが人間としての正しい生き方だからです。」『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.68)

今まで述べてきた「神と人類に一身を捧げる」「人々のために自分を役立てる」という内容を、ここでは別の言い方で説明しています。シルバーバーチは、「自分のことより他人を優先して」「自分のことを忘れて、他人のために精を出す」と述べています。すなわちスピリチュアリズム普及のために、「自分のことを忘れて打ち込んでください」と言っているのです。「滅私奉公的な姿勢で取り組んでください」と言っているのです。

ここには奉仕を実践する上での厳しい基準が示されています。自分や自分の家族だけの幸せを先に考えてはならない、自分の利益・家族の利益を優先して求めてはならないと言っているのです。何と厳しい教えでしょうか。

“滅私奉公”は最も賢い生き方

他人への奉仕のために、自分や家族を後回しにするようなことは、この世がすべてだと思っている人には絶対にできないことです。しかし私達スピリチュアリストは、一般の人々とは違っています。「霊的真理」を通じて、死後にも人生が続くこと、本当の人生は霊界であり、地上はそのための一時的な訓練場所であることを学んでいます。霊界こそ本来の世界であることを知っています。

自分の物質的利益を後回しにして、時には犠牲にして、人々のために歩むことは神の願い・利他愛を実行することです。より多くの人々の幸せのために自分を犠牲にするところに、マイナスの結果が生じることは決してありません。それどころかいっそう大きな霊的恵みと喜びが、神と宇宙から返ってくるようになるのです。実際に思い切って実行すると、その通りの結果になるのです。

自分を忘れてスピリチュアリズムのために貢献することは、最も賢い生き方であり、最も多くの愛を神から受ける方法であることを実感するようになります。

シルバーバーチの喝(かつ)!

スピリチュアリストである私達にとっての最終的な問題は、「スピリチュアリズムへの貢献を本当に滅私的に実行しようとするのか」「自分の利益追求を思い切って後回しにしようとするのか」ということだけなのです。そしてそれこそが、一般の人々と私達スピリチュアリストを区別する分岐点になります。

シルバーバーチは、地上人が自己の利益を犠牲にし、滅私奉公的な利他愛の実践をすることが、いかに難しいかをよく知っています。さらにはスピリチュアリストの内部にも、自己犠牲的な生き方を狂信と間違う人間がいることを知っています。「そんなことはできない、無理です」と言うスピリチュアリストがいることを予想しています。そのためシルバーバーチは機先を制して――「それは無理ではない、絶対にできる」とカツを入れているのです。

皆さんは、シルバーバーチの気迫に満ちたこの言葉を、どのように考えるでしょうか。シルバーバーチを気違いじみていると思われるでしょうか。一方的で強引で、狂信を強いるのには、とてもついていけないと思われるでしょうか。もう『シルバーバーチの霊訓』を読むのはやめようと思われるでしょうか。

もし私達がそのように考えるとするなら、スピリチュアリストとしては失格です。シルバーバーチの霊訓を人生の指針にしたいと願う者としては失格です。私達がそんないい加減な姿勢しかとれないとするなら、シルバーバーチの霊訓は読まない方がいいということになります。

自分を犠牲にする覚悟

シルバーバーチの教えは、私達地上人にとっては、本当に厳しい内容ばかりです。その厳しさを前にして、ついたじろいでしまいそうになります。自分を後回しにするという滅私奉公的な生き方には、必然的に“自己犠牲”がともなうことになります。自己犠牲のない利他愛など存在しないからです。

自分がこれまで行ってきた奉仕が本物かどうか、真実の利他愛になっていたかどうかは、どれだけ自己犠牲を払ってきたかによって明らかになります。自己犠牲が多ければ多いほど、その行為は霊的価値を持つことになります。

シルバーバーチは――「自分を犠牲にする覚悟のできていない人間に、いい仕事はできません」『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会))  p.243)と、ずばり利他愛の本質を突いた言葉を述べています。シルバーバーチの教えに忠実であろうとすることは、スピリチュアリズムの普及のために自己犠牲を払うということなのです。自己犠牲を避けたスピリチュアリズムへの貢献はあり得ないのです。

口先だけのシルバーバーチファンにならない

どれほどシルバーバーチは素晴らしいと称賛しても、自分の人生をスピリチュアリズムのために捧げることなく、一般の人と変わりない気ままな生き方をし、自分の利益追求を優先しているならば、口先だけのシルバーバーチファンということになってしまいます。そうした人は霊界に行ってシルバーバーチと会ったとき、シルバーバーチから、「あなたと私は何も関係がない」と言われることになるでしょう。

シルバーバーチは度々――「私に向かって主よ、主よという者が天国に入れるのではない。天にまします父の意志を実践する者のみが入れるのである」というイエスの聖句を引用して、クリスチャンを厳しく非難しています。自分ではイエスに忠誠を尽くしていると思っているクリスチャンに対して、イエスを欺(あざむ)き続けていると鋭く批判しています。

しかし、それはイエスとクリスチャンの間においてのみ言えることではありません。シルバーバーチと私達の関係においても、そのまま当てはまることなのです。

私達はいつの間にか、口先だけで「シルバーバーチ、シルバーバーチ」と言うようなスピリチュアリストになってはいなかったでしょうか。スピリチュアリズムのために自分の利益をすべて犠牲にして働いている高級霊達を欺いているようなことはなかったでしょうか。『シルバーバーチの霊訓』は最高と言いながらその実、シルバーバーチの必死の訴えかけを無視するような生き方をしてはこなかったでしょうか。シルバーバーチを利用して、自分の名声や世間受けを求めるような愚かなことはしてこなかったでしょうか。

今度こそ本物の決心をしましょう

私達はシルバーバーチと出会い、人生最高の真理を見い出しました。シルバーバーチの言うことは間違いないと確信するようになりました。そのシルバーバーチは、次のように語りかけています。

「わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。自分の利得損失を忘れ、霊的なものをこの世的な打算に優先させ、お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいのです。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.119

シルバーバーチは「スピリチュアリズム普及」のために、自己の利益追求を捨て、自分の人生を捧げて欲しいと訴えています。私達はそのシルバーバーチの願いに、最大の誠意を持って応えていかなければなりません。シルバーバーチの切々たる訴えに、全力を傾けて応えていかなければなりません。

これまでの歩みがどうであれ、今この時、スピリチュアリズムのために自分の人生を捧げる決意を新たにしましょう。高級霊が必死であるように、私達も「人類救済のプロジェクト」に全力で取り組むことにしましょう。

もし、そのことによって人々から気違い扱いされるようなことになっても、それをむしろ誇りと思うことにしましょう。スピリチュアリズムのために人生を捧げることで人々から嫌われるようなことになるなら、それを喜ぶことにしましょう。

人類救済のために一身をなげうって働いたイエスは、迫害され、虐(しいた)げられ、辱(はずかし)めを受け、十字架にかけられて殺されました。スピリチュアリズムの開拓時代には、先輩達は迫害され、非難されてきました。シルバーバーチをはじめ高級霊達は、例外なく“サタン視”されたのです。

私達が今かかわっているスピリチュアリズムは、そうした歴史の上に立っています。世俗受けを狙い、世間の評判や評価を求めるような次元の低いものではありません。かつての純粋にして一途な先輩達や、高級霊達の前に恥ずかしくないような歩みをしていきましょう。