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エッセイ二題

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◆能古島   ◆雨の日の物語          文芸誌「海」第58号所収:2004年4月1日発行
能古島
北側に海の開けた博多湾の中に、ぼつんと能古島(のこのしま)が浮かぶ。福岡市からフェリーで約15分。四季折々の花が楽しめる広大な公園があり、 福岡市民の手軽な行楽地ともなっている。玄界灘の新鮮な魚介類や果物も豊富な小島だ。

その島に今から29年程前、一人の男が住み着いた。作家の檀一雄である。当時わたしは24歳。働いていて、福岡市内にアパートを借りて一人暮らし をしていた。仕事はうまくいっていたが、私にはある大きな悩みがあった。相談したくても、まわりにはこれという適任者がいなかった。

ある日新聞で、檀一雄が能古島に移り住んでいるという記事を見た。その時、私の悩みをわかってくれる人は彼しかいない、と何やら本能的な インスピレーションを得た。住所はわからなくても狭い島のこと。直接押しかけて、話を聞いてもらおう。大して作品を読んでいなくても、彼しか いない。そう決めた。突拍子もないことを考え、実行するのは私の癖でもある。

日曜日に行こうかそれとも年休を取って平日かと、思案しているうちに、檀氏が病気のため九大病院に入院中であることを伝え知った。後悔先に立 たず。私は檀氏に相談に行くという機会を永遠に逸したことを、そのとき感じた。はたして間もなくの昭和51年1月2日、檀一雄氏は病院で亡くなった。

檀氏は死の直前に病床での口述筆記を経て「火宅の人」を完成させており、着稿以来20年をかけたといわれるその作品は、死の数ヵ月後に刊行された。 噂に聞くその作品「火宅の人」は、小説の題名からしていかにも男性作家の書きそうなもので、私小説的な手法に対する女としての私の反発もあり、 とうとう読まなかった。

日本の小説の伝統でもある私小説の手法を、私は好まない。その伝統は、作品世界と作家の実生活とをむやみに同一視させ、虚実を混同させる悪し き癖を、読者につけてしまっていないだろうか。だから私は長い間、私小説のたぐいを避けて読まないできた。

檀氏は「我が証言」というエッセイの中で、こう書いている。

 「私は、私のとりとめのない愚痴の物語のなかで、人間の事情を、ほぼ
 あり得るがままに返還してみようとこころみただけは事実である。肉の
 煩悩も、家庭の形骸も、愛と呼ぶまぎらわしい大事も、人情も、道義も、
 さらに教育ですらも、その本源の場に出直させて、勝手に競合させて
 みるがよいと思っただけである。人間なにものか……、この必敗の無毛
 種族を、その発端の混沌とデカダンにまで墜落させてみたかった。」

その通り、檀氏らしい痴遇の男は作品世界で思うさま逸脱する。その男が自分に似てようが似てまいが、知ったことではないと檀氏はいう。しかし その結果、檀氏の周辺の実在の人々は思いがけない巻き添えを喰らって、檀氏の奥さんなどはある作品が発表されたのち「厭だ、厭だ。痛い、痛い。 きつい、きつい」を連発して、十日あまりも起きられず寝付いたままだったという。

若い頃の私は、周りの人を傷つけてまで書く小説に何の意味があるのかと、反発していた。その後、檀氏と交友関係にあった人々との縁ができて、 その同人雑誌のメンバーとなり十数年がたった。最近檀氏のエッセイ集を読んで、その言わんとするところや人となりがまっすぐ理解できて、自分 ながら驚いた。あの30年前のインスピレーションが突飛ではなかったと、改めて思えるものを感じたのである。

檀氏の住んでいた能古島からは、海を隔てて、福岡市の市街地が見える。お天気のいい日には、檀氏は「生きているアカシ」を得るため、フェリー で対岸の町へ上陸し、帰りは五時の船。必ず正面に落日を見すえる場所に坐ったという。そうしながらも乗り合わせた高校生などの、

 「見ろ! あれは檀ふみのオヤジさんゲナぞ」
 「違おうが、オジさんやろうが……」
 「いんにゃ、オヤジ」
 「映画監督やろ」
 「なんかなし、ウタ作りか、なんかやゲナ」

という噂に翻弄され「サラシ者になっている一族への自負をまじえた不安」を感じていたという。(「娘と私」より引用)

檀氏亡き後、能古島の小高い地に友人たちの手で歌碑が建てられた。碑文は絶筆となった「モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん」が刻まれている。 毎年5月第3日曜日、檀氏ゆかりの人々が歌碑の前に集い、和やかに碑文から命名した「花逢忌」が開催されている。モガリ笛は、冬の木枯らしの風が ヒューヒュー吹きすさぶ風の声のこと。真冬に亡くなった人らしい絶筆だ。

私はこれまで数多くの男性作家のエッセイを読んできたが、この秋読んだ檀一雄エッセイ集「海の泡」(講談社文芸文庫)ほど、心に染みたものは なかった。人間的魅力を再確認させられたといってもいい。そういえば、鹿児島に転居してからずっと「花逢忌」にご無沙汰している私。鬼が笑う かもしれないが、来年はぜひとも参加して、逢わずとも因縁浅からぬ檀氏を偲びたいと思う。


雨の日の物語
きょう、きのう、おととい、さきおとといと、雨が降り続いている。うっとうしいと思えばその通りだけれど、桜島の灰も降る鹿児島では、 樹木や垣根の葉っぱについた灰を、強い雨足が洗い流してくれる。一雨ごとに葉表は輝きを増し、いよいよ緑を濃くしていくようだ。

降りしきる雨音を聞きいていると、ふと高校2年のころ習った源氏物語の「帚木」の<雨夜の品定め>が思い出された。宿直所で雨夜を過ごす 宮中の男性たちが、退屈しのぎに体験談を交えて女性の品定めをする有名な部分だ。こんな日こそ読むのにぴったりと『源氏物語』を開いた。

『源氏物語』といえば、中学生の時おませな同級生がいて、私が図書室で「若きウェルテルの悩み」を読んでいると「これを読まないうちは、 女は本当の恋愛はできないんだって」と『源氏物語』を私の前に置いた。何か差をつけられたように思ったが、私が実際に源氏を読むようになった のは、ずっと後になってからだった。

梅雨のころの雨の夕方、17歳の美しい貴公子に成長した光源氏の詰所に、頭中将(とうのちゅうじょう)がやってきて、「完全な、欠点のない女性 は少ないものだと気付いた」と感想をもらす。それをきっかけに、女性に関するやりとりが始まった。

「何もとりえのないのと完全であるというのは、同じほど少ない。上流生まれの人は大事にされ欠点も目立たないので、その階級は別として、 中の階級の女性によって、はじめてあざやかな個性を見せてもらうことができる。一段下の階級には興味がない」と通をふりまく中将。

「その上・中・下の階級はどうやって決めるのだろう、家柄が良くても零落したのと、並みの身分から成り上がった家の娘などはどちらへ属す るのだろう」と源氏が質問しているところへ、左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)がやってきて議論に加わった。

風流人の左馬頭が「世間的に見たら無難でも、自分の妻にしようと思うと合格するものは見つからない。なよなよして優しいかと思うと従順す ぎて、それが才気を見せれば多情ではないかと不安になる。真面目一方でなりふりかまわず、物資的な世話だけやくというのもいただけない。

他人に話せないことでも、理解のある妻がいれば早く話して意見を聞きたいと思うだけで笑みも出るが、少しも理解できない妻に限って、話せ ずに横向いていると、何よとつっけんどんに顔を見るからたまらない」と大いに持論をぶつ。

「子どもっぽいおとなしい妻は自分好みに育てる楽しみもあり、一緒にいる時は可憐さが不足を補うが、留守をする時用事をいいつけると自分 では何もできないから、妻としての信頼は持てないからダメだ。ふだんはしっくりいかなくて少し憎らしい位でも、いざとなればしっかりして いる妻がいいのだが」とあれこれ経験豊富な左馬頭にも決定打がない。ため息をついて、とうとう

「こうなればもう階級も容貌もどうでもいいや。片寄った性格でなく、まじめで素直な人を妻にすべきだ。欠点があっても少しでも見識があれ ば申し分ないし、安心できる部分が多ければそれでいい」と良妻の結論を出す。

若い光源氏はもっぱら聞き役で、3人の男性の女性論は夜を徹して佳境にはいり、それぞれの体験談が語られる。世話女房だけども嫉妬心が強 くて指に噛みついた女の話、恋愛に巧みで男の気を引くのがうまいが信用できない風流女の話、

子どももいたのに内気で忽然と消えた常夏の女の話、博士の娘で学問があり漢字も書けて歌詠みも早いが、頭が固くて寝物語にまで官吏の心得 を聞かせる賢女の話等々、話は尽きない。

「雨夜の品定め」の部分を要約すると以上のような内容である。作者の女性(紫式部)が登場人物の男性の口を借りて言っていることだとしても、 異性の行動や性格はあんなふうに細かく分析できるものなんだ、平安朝の人々の話もいまとそんなに違わないんだなあと、高校の古文の授業で 習った時は驚きかつ感心したものだ。

学校で習うほかは、あまり熱心に『源氏物語』を読まなかったせいか、私はとうとう恋愛の達人にはなれなかった。就職して数年後、男性ばか りの職場に配置されたとき、名前や性格を早く把握したくて、私はあることをした。

職場で顔を合わせる男性をつぶさに観察して、ノートに十数名全員の名前、出身地、長所、短所、性格、容貌、クセ、話し方など、一人ひと り記録して、似顔絵まで書いたものを密かに持っていた。紫式部をまねて、まわりの男性の品定めをしたのである。

そういえば、夫はその名簿の中の一人だったことを、いま思い出した。誰をどんな風に書いたのかもうすっかり忘れてしまったが、書いたのは 23歳ころ。あのノートは捜せばどこかにあるはずだから、もう一度見てみたい誘惑に駆られる。

雨音を聞きながらすっかり源氏の世界にひたっているうちに、お、もう夕方5時。そろそろ物語から覚めて、主婦に戻らなくては・・。