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東郷幸夫<プロフィール>
2001.6/8(fri.)-6/22(fri.)

美術家東郷幸夫は、1983年以降、世界中の自然水を採取し、時間をかけて水をろ過、水の実相をフィルターに痕跡として記録するという「水のフィルター」の美術活動を続けています。それは自分の住んでいる町の身近な池や河の水であったり、生活に使用した水または旅先で訪れた場所の自然水あったりします。
まず四つ折にした紙のフィルターの口を丸く広げ、ロートにセットします。ビーカーにロートを乗せ、採取した2リットルの水をフィルター越しに少しずつ静かに注ぎます。濁った水は徐々にろ過され、不純物をフィルターに留めながらビーカーには透き通った水が落ちてゆきます。溜まったビーカーの水を捨て、また静かに水を注ぎます。一見理科の実験にも似たこの作業を水を採取した川辺で没頭していると、朝の穏やかな日差しを映す川面の風景が、やがていつのまにか夕暮れのオレンジ色に包まれていることもあります。2リットルの水を注ぎ終えるとこの作業は完了です。水の不純物の量によっては、この作業が何日も続くこともあります。作業を終え、フィルターを開いて見ると、濡れたフィルターは細かい砂や塵のような混入物また鉱物の光や小さな植物がもろもろに連なって繊細な模様となって表れています。 それはその美しさともに、水があらゆる場所に偏在し、自らの形をもたずあらゆるものを受け止め、包み込む容器としての姿を垣間みせてくれるものです。フィルターに残された水の痕跡、それはそのまま川の起源をたどる水の記憶となり、また観るものに現在から過去への視線を喚起させてくれるでしょう。 東郷幸夫はこの作品によって声高に環境問題を訴えているのではありません。彼は「空気や水の汚染は生物や自然環境にとって良くない事は言うまでもないが、しかし時には汚染の原因になっているミクロの厄介者がフィルターの上では美しく見えることがある。厄介と考えるのも美しいと感じるのもいずれも人間の側のエゴの上に成り立っている。作品フィルターそのものは批判や美意識から無縁のニュートラルなものとしてある。 水を飲んだり利用して日々生きていることを思えば、改めてこのような作業がナンセンスであるか。このナンセンスもまた、人間にとって水や空気のように不可欠なものであるという迷路に陥ってしまう」と語っています。 彼は作品「フィルター」を環境問題や美意識の中だけで捉えることはありのままの水の姿が見えなくなることだと考えています。フィルターに現れた「水の痕跡」を通して見える世界は、今、地球にある「水」、あるいは「水」を取りまく様様な事態を示すものであると同時に、自然界のミクロの美しさと、採取した人々の内なる風景が重なり親しみを持ち、あらためて個々の日常を再認識するとともに、人間と環境の関係を問う作業となるのではないでしょうか?
美術作品は単に鑑賞・所有するだけではなく、美術との関わりを通して、現代の社会や生活について共に考えることができるもの。作り手と受けて(鑑賞者)がコミュニケートする出会いをもたらしてくれるものと考えます。 これは現在の新しいアートとのかかわり方を示す展覧会です。