論文

「国力」の変遷史 1998年晩秋  城南支部 山本公二


■「不況」と言われてから、もう九年になります。「この不況は何か変だ。過去の不況とは違っている。」私自身がそう思い始めてからも、三年が経ちました。ただ、国内総生産.GDPは、バブル期前の1985年から一昨年の1996年まで確実に上昇しています。85年が320兆円で昨年度が490兆円です。バブル絶頂期の89年でさえ396兆円です。


■しかし、「不況」という事実の前では、どんな道理も引っ込むしかありません。私のような弱者は、世の流れに迎合した意識を持っていた方が傷付くことがないという習性から、「バブルがはじけたからね。冷戦構造の終わりと共に高度成長は終わったんだよ。国家財政の赤字は国民の借金だからね。バブルの不良債権処理が生んだ金融不安が原因だよ。官僚主体の護送船団方式はもう終わり。」と。


■ただ。お偉い方々の話しも一貫性がなく「千円も、無駄遣いは出来ない。」と言いながら天文学的な金をばらまく、といった感じです。とにかく、バブル後の十年間の日本の巨大組織の限界資本産出比率(投資の効率)は最悪で、バブル期以上の無駄遣いをしているのです。これを簡単に表現すると、巨大な利益で人手の要らない超近代工場をコッソリ作って、ビニールを被せて動かさず。「赤字だ。リストラだ。」と人員を整理する。そんな時代錯誤の経営手段と変わりがないのです。


■もっとも、それが【国家の方針】で行われているなら、それはそれで深い意味があるのでしょうが。どうも私などは整理される側にいるようなので、しっかりとした説明が聞きたい気がします。その時、私はどこへ行くのでしょうか。…「マア、世界一の商業都市東京で店を構えているのだから。なんとかなるさ。景気も戻る。」と、逆に楽天的にもなれる。…そんな、どっちつかずの焦燥感が、私の中でストレスを生んでいる気がします。テレビのスポーツ番組で応援に熱狂している若者を見ていると、私もあの中に入れたら、否、入ってしまったらどんなに楽だろうと。ただ、あの光景は前に映画で観た古代ローマの闘技場で熱狂する市民に似ているような。


■「まてよ。…なぜ、昔の帝国は全て滅び去ったのだろう。そう。全てが消えてしまった。ギリシャやローマも、往年の栄華ではない。空飛ぶ絨毯のペルシャ帝国。蒼き狼達の大モンゴル帝国。もしかすると、国家にも寿命があるのかもしれない。」


■私は、国家を支える「国力」の変移を歴史の中に見てみようと、本を集めました。勉強というほどではありません。何しろ素人。単純に「なぜ、滅びたのか。」「戦争に負けた。」「なぜ、負けた。」「なぜ、国力が低下したのか。」と。そんな水準でページを捲っていったのです。そして、意外に簡単にそのポイントを発見しました。以下が、その説明になります。ただ、古代からでは長くなるので、私が考える古代と近代の分岐点から説明したいと思います。


■ここで説明するのは「国力」の基本となっていた【金貨】【軍隊】【交易・物流】【産業】の歴史的な変移変遷です。とにかく、分岐点は1600年です。では。…但し、素人の調べです。文も少し長くなりそうなので、閑な方だけお付き合いください。


■「悪貨は良貨を駆逐する。」イギリスの官僚、T・グレシャムの言葉と言われています。時は1500年代の終り頃後。日本では豊臣秀吉が全国統一を果たした頃です。キャプテン・ドレイクという海賊を味方にした英国のエリザベス一世が、スペインの無敵艦隊を海の藻屑と化して、世界の主役の座を手に入れます。エリザベス一世という女王、父親は変人のヘンリー八世、母親は平民上がりのアンですから、単なるお姫様タイプではなく、かなり曲者の女王だったと想像できます。その尻馬に乗ったのがフランスとオランダです。しばらくはイギリスを中心に話を進めましょう。


■さて「悪貨は・・・。」私はこの言葉が、近代国力史?の始まりだと思っています。もっとも、グレシャムを世に出したのは1800年代の経済学者マクロードです。実際のグレシャムは下級貴族、商人、役人と三足の草鞋を履く宮廷出入りの単なるオッサンであったようです。何しろ当時の経済規模は現在の数%といったものですから。日本の人口も現在の一割弱1200万人程でした。「歴史を考える上でその当時の人口は非常に重要です。」それにしても、黄金の含有量の少ない粗悪なお金が、純粋な金貨に勝つということですから革命的な言葉だと思います。


■とにかく、古代からこの時代まで、国家・国力の主役は、【①金貨】と【②軍隊】の保有量でした。事実、イギリスに世界の主役の座を奪われたスペインは、全世界にエルドラド(黄金郷)を求めて【軍隊】を動かしていました。過去の大国がそうしたように。しかし、その過去の大国や文明がすべて滅び去っていったことにスペインは気付きませんでした。エジプトも、ギリシャも、ペルシャも、ローマも。そうです。黄金と軍事力の帝国には限界があったのです。


■ところが、英国は国力の源泉を【①物流・交易】【②金貨】【③軍隊】と考えたのです。多くの物流を支配する国が世界の覇権を手にすると考えたのです。古く、物流や交易は金貨や軍隊の動きに付随していたもので、目的ではありませんでした。当然の結果がもたらすもので、商人の領域だったのです。その領域に英国は注目し、国力増強の第一位にしました。国家が商人の領域に参加したのです。


■しかし、物が動くには等価の品物か、または通貨が必要です。ところが、動かしたい物量に匹敵する通貨が無かったのです。通貨が不足している。このことに英国は気付いた・・・というより気付かされたのです。そこで、英国は銀を価値の中心とするインドや中国に注目し、交易を拡大します。そして、金と銀の二つの通貨を旨く操るのです。1600年、英国は東インド会社を設立します。それでも、まだ通貨は不足します。


■中世以降世界の交通網は飛躍的に進歩していました。世界は物を動かしたくて仕方のない時代になっていたのです。スペイン艦隊を撃破した英国は海運業を発達させ、保険機構を作り、為替を体系化し、自国の為替レートを守っていました。信用を培っていたのです。信用さえあれば悪貨だろうが良貨だろうが問題ではないのです。1000年代にイタリアで生まれた「バンキエリ」と言われる両替商が「バンコ」「バンク」「銀行」となり、銀行貨幣が登場することになります。兌換貨幣といっても、金貨ではない信用通貨の登場です。


■【金貨】は完全に国力の主役から降ろされます。主役は【①交易・物流】です。ここで特筆すべきは建国間もないオランダという国です。オランダはこの時共和国で、約150年間共和制の下で、英国をしのぐ経済活動を展開します。西インド会社の設立はオランダですし、銀行も早くから設立しています。


■アメリカ?。まだ姿形も見せていません。メイフラワー号着が1620年。独立が1776年です。歴史年表には、1603年にフランス人がセント・ローレンス河を探険したとあります。


■それでも、1500年代から1700年代の半ばまでは、交易・物流によって金貨を貯えることが国力の基本であるという考え方が一般的です。これが、重商主義と呼ばれるものです。この150年間で英国、オランダ、フランスは超貿易黒字大国になりました。


■万万歳?。ところが、国内をよくよく見ると知らず知らずのうちにスペインや過去の帝国と同じ道を歩んでいることに気が付くのです。貿易で儲けた大量の金銀がインフレをもたらし、国内の産業はことごとく疲弊し始めていたのです。貧富の差がひどく、失業者が溢れ、伝染病まで発生します。【①交易・物流】が旨くいって【②金貨】が貯まっているのに、なぜか国力が無くなっているです。


■「経済が高度化すると第三次産業の割合が増える・・・云々。」というクラークの「ペティの法則」で有名なW・ペティは1700年代の人ですから、いかに農業や製造業の就業人口が減りだしていたかが判るでしょう。産業構造による就業人口の変移というものです。


■やがて、1720年南海泡沫会社事件というバブル株の崩壊が起き、フランスを巻き込む銀行等の金融事件が多発します。信用にあぐらをかいた銀行通貨の出し過ぎです。フランスとオランダでは、その混乱が政変となります。追い掛けるように植民地だと思っていた米国が独立すると言い出します。


■ここで登場するのが「国富論」で有名なアダム・スミスです。経済史中では大物です。ただ、アダム・スミスは経済学者というよりも哲学者でした。自由主義経済の原点とでも言うべきこの人を私流に雑に言うと「国民全員に仕事をさせろ。必需品ぐらいは国民に作らせろ。人と土地と金の効率を考えろ。」だと。しかし、経済理論としては難があり、道徳的で社会主義の匂いさえします。何しろ、アメリカ独立のことにまで触れているのですから。しかし、そのことが多くの修正理論を生み出し、すぐにやってくる産業革命と折り合いを付けます。事実、アダム・スミスより少し前にフランスでフランシス・ケネーなる学者が理論としては高度な「経済表」なるものを作り、大蔵大臣のような地位について改革を行なおうとしましたが失敗しています。結局、フランスは革命の嵐の中へ進んで行きます。ケネーは「自由放任、自由往来」という言葉を残しています。これが重農主義と呼ばれる経済思想です。


■とにかく、1700年代半ばに本格的な経済学が確立します。そして、「資本・人・土地」という三要素を持った産業が国力の基本になるのです。1600年頃に金貨から主役の座を奪った【交易・物流】が、その座を明け渡す時が来たのです。【①産業】【②交易・物流】【③金貨】【④軍隊】の順位です。


■なぜ。その背景には自然科学の発達があります。最高の産業。中世、それは錬金術でした。その錬金術が自然科学に姿を変え、急速に発達していたのです。交易の利権争いから多く国の間で戦争が起こります。全ヨーロッパ、全世界で小競り合いが繰り返されます。その結果、金銀があっても軍隊がなければダメ。否。軍隊があっても兵器がなければ勝てない。当然。食料に医薬品。要するに【自国に総合力】がなければ勝てないことに全世界が気付くのです。その中心こそ自然科学による技術力でした。1789年フランス革命が起こり、小さな伍長ナポレオン・ボナパルトが動き始めます。次々に本格的な戦争が起こります。神聖ローマ帝国が終わり、オランダも王制になりますが、すぐにフランスに飲み込まれます。ロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリアの国々が頭角を表します。これらの国々は交易では二流でしたが、その代わり【国内産業】を発達させていたのです。


■1750年を境に、【①産業】が国力の源泉となります。そして、それを支えるものが金属技術でした。コークス製鉄法1735年。るつぼ製鋼法1740年。100年後の1850年頃までに、ドイツは三つの大製鉄工場を有しています。


■1801年。十九世紀の声と共に国力の舞台には産業だけが登場しているといっても過言ではなくるのです。脇役の金銀も、主役だった物量も、当然花形スターの近代産業国家に集まります。


■日本はまだ【①金貨】の時代です。天明の飢饉の後遺症もあり、不景気が続いています。歌麿の絵や一九の小説が憂さ晴らしといった時代です。但し、鎖国時代といっても情報は集めていました。オランダ・清・朝鮮・ロシアから。また、東南アジア諸国に張り巡らした情報網については、かなり高度なものであったようで、英清アヘン戦争などは実に早いスピードで的確な分析の内容の報告書を幕府が手にしています。とにかく、次々に世界の国々の使節が通商と開国を求めてやって来ます。それでも、1868年の明治維新までは仕方のない時代が続くのです。何しろ英国連邦薩摩国、等が誕生しては困る訳ですから。


■とにかく、1750年から1850年の100年間は産業革命による産業の時代であると共に、過去の交易を利用した産業の素材や原料を求める「植民地拡大の時代」と言っていいでしょう。新しい思想も多く生まれました。戦争は結果として技術産業を育成させ、兵隊に参加することで庶民の知的レベルも上がりました。・・・が国民としての自覚や権利意識も生まれ、これが人権運動へ革命へと発展します。


■この時期に一番力を付けたのが、やはりイギリスです。北海の小さな島国でありながらなぜでしょう。私は第一にあのエリザベス一世という曲者オバさんに注目したいのです。彼女の功績はスペイン艦隊を壊滅させたことだけではないのです。大体、スペインを滅ぼした訳ではないのですから。彼女の第一の功績はローマ法王庁と離脱し、イギリス国教会を作ったことです。一見、経済とは無縁のように思われますが、学問・自然科学と宗教は相容れないものがあるからです。ヘタをすると火あぶりの刑にされるのですから。「それでも、地球は動いている。」ローマ法王庁の迫害を恐れ、否定書を書かされたガリレオ・ガリレイは同時代の人です。イギリス国教会は自然科学に寛容でした。私の敬愛するF.ベーコンは同世代の英国人ですが、実験の基本理念とでもいう帰納法の理論を確立しました。イギリス経験論です。学問の自由があったのです。それから約150年後の1750年頃から始まる産業革命において、理論的な知識の蓄積と科学の発達は、大きく開花します。


■フランス革命の嵐とナポレオンの暴挙は海峡が守ってくれました。とにかく、自国は大きな戦争に巻き込まれることなく植民地が広がっていきます。植民地アメリカ独立阻止の動きも実はフランスとの確執で、結果としてアメリカはフランス色を消して独立します。そのまま、あの小さなオバさんヴィクトリア女王の時代。大英帝国へまっしぐら。?。


■・・・さて。今度こそ万万歳。主役の座にいる【①産業】に弱点はなかったのでしょうか。近代知識の90%以上は1750年から1900年の間のものです。フランクリンの雷実験(電気)からキューリー夫人のラジウムの発見までです。ついでに、カントからニーチェ。バッハからワーグナー。ゲーテからモーパッサンまで。文明(物質)から文化(精神)まで百花繚乱の時代ですから。当然【①産業】は花形スターだった筈です。弱点無し…?


■ところが、1800年代の中頃。ヨーロッパは不況に襲われています。イギリスとアメリカは1837年頃。弱冠28才でヴィクトリアが英国女王の座に付いた年でもあります。他のヨーロッパ各国は少し遅れて1857年頃です。確かに列強の王や皇帝が次々に死に、全ヨーロッパにゴタゴタが起きます。何しろ王家が親戚同志ですから。そんな偶然があったにしても。なにが原因だったのでしょう。


■経済書によっては「恐慌に陥った。」と書いてあります。出てきました「恐慌」。恐ろしく慌てる。さて、恐慌を大きな不景気と思っている方は考えを改めてください。現在より過去200年間の恐慌は、すべて【生産過剰による経済破綻】のことを指しています。英語では「クライシス」と言い、資本主義経済固有の現象としています。ですから、この時の不景気も生産過剰が原因です。日本人は恐慌=不景気=食えない=物が無い。と連想する人が多いのでは。


■但し。これより前の恐慌は少し違います。1637年にオランダで起きたチューリップ恐慌や1720年の植民地貿易による南海泡沫会社事件は単なる投機による恐慌です。馬鹿々々しくも価値と価格の判断ミスによるものです。関係ないのですが・・・なぜか。ここ、チェックして置きたいですね。


■では、なぜ「恐慌=生産過剰」が起きたのか。起きるのか。あっさり言いますと資本主義の必然です。経済学上では大体10年毎に起こることになっています。もっとも、これが他国から世界へ連鎖したものが「大恐慌」で、本当に恐ろしいものです。


■【①産業】という国力の主役の弱点は、その構造が三つの要素であるばかりではなく、体型も三本足だったのです。農業、製造業、サービス業。この三本足のために前進する時にすぐバランスが崩れるのです。当時は経済学者だけではなく、すべての知識人がこの問題に取り組みます。「問題があれば必ず解ける。」そんな知識欲旺盛な時代でした。政治家はもとより、科学者、哲学者、小説家といった芸術家まで参加します。


■しかし、その弱点は矛盾に充ちたものであることが判りました。後に残されたのは弱点を修正しながら進む道と、主役の名前を代えるという道で、今までの名前を【資本主義的自由経済】とし、新しい名前を【社会主義的計画経済】とするものです。後者が社会主義から共産主義への道です。【産業】はここで二つの名前を持ちます。違いの説明は思想の話になるので。どっちにしても【産業】が主役であることに変わりありません。


■なぜ、弱点は完治しないのか。実は決定論が登場してしまうのです。それがT.R.マルサスの「人口論」です。K.マルクスではありません。マルサスは当たり前のことから産業経済の限界を指摘します。「人口は掛算で増えていくが、土地は足算でしか増えていかない。」というものです。資本・人・土地が産業の三要素ですが、足算と掛算は方程式上で折り合わないのです。現代社会でマルチ商法が禁止されたのも、このことを基準にしています。産業限界論です。


■【産業】に限界があることが判ると、今度は多くの修正意見としての実践論が登場します。【①産業】は、新しい経済学の元で再び政治や金融の洗礼を受けながら、それでも主役の座を守り1900年代へ。20世紀を迎えるのです。1901年。英国は世界最強の国家になっていました。日本は明治33年。1894年日清戦争。1902年日英同盟成立。1904年日露戦争です。


■今世紀、日本は物凄いスピードで世界の列強国を追い掛けます。そして、一気に列強の仲間入りを果たします。「勤勉で器用。文化指向も高い。」浦賀に現れた米海軍提督M・G・ペリーは「日本遠征記」に、そう記して日本の台頭を予測しています。優秀なる国民国家。しかし、それだけでしょうか。


■1600年以降、列強国の植民地政策は大きく変化してきました。過去の殺戮や略奪ではなく【交易】の相手国として、そして【自国産業】の原料調達国として、農業・鉱業の技術援助や指導をする政策へと変化させてきたのです。日本が同盟を結んだ英国も、19世紀のインドでの反乱や英清アヘン戦争への国際批判など、反省点の多い時期でした。日本は、その柔軟・温和政策の波に乗ったのです。1867年、明治維新の前年。すでに英国は日本にお金を貸してくれています。「富国強兵」。日本の全力疾走の始まりです。



■・・・ここで、前段を終了し、後段は来月号へ。


『前編が新年号に掲載され恐縮しています。本来は記事の少なくなる二月号・

三月号用の原稿のつもりでした。新年号は多くの方が目を通されるようで、色々な御批評を頂きました。そこで、後編の前に改めてこの文章が素人の著作であることを念頭に入れて頂きたいと思っております。但し、データ(数値や引用)は

再確認をして記載しています。ただ、その解釈の仕方は非常に私的なものだと思っています。一般論や学術文ではなく、随筆のような文章としてお読みください。』


■私はここまでイギリスを中心に話を進めて、現在の雄アメリカの説明をしませんでした。私自身、本来のアメリカ史、アメリカ経済史はどんなに魅力に充ちているのかと思っていました。新世界と呼ばれる位ですから、歴史自体も日記帳のような形で残っています。ところが、なぜかつまらないのです。インディアンへの信じられない暴挙。黒人奴隷貿易。人種差別。とにかく、変な国です。実は国名が無い国なのです。USAを直訳すると「アメリゴ・ベスプッチが発見した大陸の合衆国」となります。命名はドイツ人ミューラー。衆は漢語訳からきているので合州国で、連合国家の意味です。しかし、日本が国名を「アジアの連合国」としたら、近隣国は気味悪がるでしょうね。


■要するにアメリカは大西洋を隔てた産業経済の温室だったのです。資産の隠し場所であり、公害大工場の建設地であり、逃げ場所、ゴミ捨て場でもありました。一種の実験場です。何しろ1920年から13年間も禁酒法を施行する国ですから。とにかく産業経済のプラスになるのなら清濁すべて有り。帝国主義も、独裁専制主義も、実は共産主義さえ内包しているのです。よく観察するとアメリカという国が正体不明の国家であることが判ります。アメリカが恐れるのは自国を脅かす大国の誕生だけなのです。そのくせ、多民族国家なので常に仮想敵国を必要としています。ソ連崩壊後はS・フセインと宇宙人が敵?。とにかく、1902年。テキサスで大油田が発見されます。


■アメリカを悪口風に説明しましたが、では我日本はというと困ってしまうのです。私を地球の裏側のアルゼンチン辺りの人間に仮定して日本を説明すると。まず20世紀と共に世界の第一線に登場した偏狭の島国国家。教師はイギリス。イギリスが経験してきた事をすべて40年程でやってしまい、帝国建設をアメリカに邪魔され、戦争を仕掛けるものの敗戦し、今度はアメリカを教師にして20年で世界の第一線に復帰し、アメリカと共に繁栄を続ける。1500年程の文化的歴史による精神構造を持ち、しかも、ほぼ単一民族。不思議な、そして興味ある、その反面非常に恐ろしい国家でもある。…と説明するでしょう。


■さて、【産業】を文章の主役に戻しましょう。国力の主役である【産業】は「生産過剰」という宿病を負いながらも、主役のまま20世紀に突入します。ここで脇役の順位に変動が起きていました。帝国のシンボル【軍隊】です。遠い過去。軍事力の行使は、相手側の権利を奪取する最も簡単な方法で、また、余剰人口(失業者)の吸収先としても便利でした。主に、この二点が【軍隊】の最大の利点でした。日本で喧伝される防衛力については、他国との同盟など多くの方法があり、軍隊の利点として高いとは言い難いものです。また、【軍隊】は両刃の剣でもあります。国民の権利意識の目覚め。恐ろしいのは内乱や軍事クーデターで、歴史的にみても真の戦争の数を上回っています。しかし、1600年以降、軍隊は支配地域や交通拠点の警察力を代行していました。同じ国家権力でも、警察の法的権力に比べ、軍隊は専制を基本していので動き易いのです。裏では世界の資源探査などもしていたようです。


■とにかく、19世紀から20世紀にかけて【軍隊】は新しい利点を持って、国力の下位から上がってきました。それは、複合したものですが、第一の利点は病的な消費をしてくれる事でした。【①産業】の弱点である「生産過剰」を緩和してくれるのです。これにより、軍隊自体の性格や目的も大きく変化します。【軍隊】自らが物資を消費しながら、収奪地としての植民地でなく、消費地としての植民地を獲得するために動き始めるのです。ベトナム戦争などがその代表です。


■また、今世紀は新しい役者も登場します。その名は【エネルギー】です。単純には「燃料」なのですが、木。石炭。石油。原子力までですから。産業革命による最大の進歩は「内燃機関・エンジン」と「電気」・「モーター」です。その燃料が一挙に国力の上位に登場するのです。機械を動かすための「燃料」が、材料や資材と同等になる、そんなことは歴史上始めてのことだったと思われます。当初、石炭の液化を目指していた先進国家において石油の登場は衝撃的でした。世界に生臭い風が吹き始めます。米・ソの対立構造の主体は思想ではなく【エネルギー】でした。ベルリンの壁・ソ連邦崩壊は自由主義思想が勝利したのではなく、資本主義的産業のエネルギー生産供給システムが勝利したのです。


■新しい役者がもう一人います。【金融】です。金融は役者というよりも、本来は演出家で舞台の外にいました。一般的には「資本家」や「銀行」です。しかし、産業の力による国家利益の拡大が「余剰利益」を生み出し、19世紀・20世紀に資本家や銀行の力を増大させていたのです。彼等は政治力も手に入れて、演出家としてだけではなく、役者として「国力」の舞台に出てきたのです。あくまでも脇役のフリをしているものの、舞台の上で演出を始めるのです。演出の方法は主に役者にスポット・ライトを当てるというだけですが、当て方によっては、脇役が主役を食うことも起こります。


■この二役は談合・独占(自由阻害)につながる、自由経済のルール違反です。しかし、これも資本主義の矛盾した必然で仕方のないことなのです。当然「金融恐慌」などと呼ばれる弱点が現れます。再び、この弱点を修正するために学者達が考えます。経済学の新しい展開です。マルクス主義の流れではM・H・ドッブ。資本主義ではD・リカードの思想を受け継いだA・マーシャルなどです。


■【金融】は、その根に商業的詐術や権謀術数を持っているので、始末に負えないのです。力の無い銀行がやたらに紙幣を発行したり、根拠のない利率で通貨が動き始めるのです。ですから「弱点」がひどく現れると、問答無用の処置が採られます。1929年、米ウォール街から始まった恐慌がいい例です。また、遠因に思いがちですが、ナチスのユダヤ人虐殺なども、最悪なる方法による弱点修正の一事件です。


■とにかく、経済学の目が【金融】に向けられ、過去の理念が修正されます。また、多くの新しい経済理念も生まれます。しかし、「矛盾」を解くことはできません。簡単なはずの経済学が難しく思えるのはこのためです。経済書を一度でも開いたことがある方は、X軸とY軸の座標の中にある「×バツ形」の表を見たでしょう。言い方を変えると川面の上で船を静止させる…と考えてください。理屈は簡単で、川の流れと同じ速度で船を川上へ進めればいい訳ですが、数式や学術文にして説明すると、ややこしいことになります。日本人はジャンケンのような「三すくみ」の考え方を簡単に理解するくせに、この「二すくみ」の考え方は苦手のようです。法律もこの考え方が多いので若い人は慣れる必要があると思います。


■また、ハウツウ本を読んだだけの私に、大経済学者の説明は無理です。現在の日本経済に関係がある数人の名前だけ列挙して置きましょう。リカード。ウェーバー。ヴィクセル。マーシャル。ハイエク。サミュエルソン。よく話題になる学者の説明も。まずは、J・M・ケインズで「1を公共整備に投資すると、1は5倍近くの投資と同じになる。」というものですが、長期的にはインフレ覚悟のものです。相反するのが最近注目のM・フリードマンで、彼はリカードやハイエクの流れをくみ「貨幣中心主義・マネタリズム」と、呼ばれています。反インフレの理論です。供給側経済学(サプライサイド)も、マネタリズムの流れです。勉強するならハイエクの「貨幣中立論」がいいと思います。最後にこの数年流行しているのが、J・シュンペンターで「イノベーション・革新」理論などと耳障りの良い言葉のため、いい加減な使われ方されて流行したようです。彼は経済動学を確立し、企業や起業の重要性を説いたのです。


■とかなんとか、決定版は無いのです。効用大であったのはケインズくらいですが、彼は英ケンブリッジ大学。シュンペンターはウィーンと米ハーバード大学。M・フリードマンは金融最先端のシカゴ大学と。どこか学閥の流れも関係している気がします。とにかく経済学者とは、いい加減な連中です。色々と名前を挙げましたが、偉大な魂を持った人はいません。そんなもんです。


■それでも知っておいた方が…。それはバブル期から1998年現在。ケインズ主流だった日本経済に、M・フリードマン流のマネタリズムの指向がとても強くなったということです。業界企業人を自認している方は是非研究してください。まあ、私自身が尊敬に値いすると思った学者はT・マルサスとケインズ。そして、K・マルクスです。この三名。


■現在。「国力」の主役は相変わらず【①産業】です。そして、これからも産業は主役の座に君臨し続けるでしょう。その答えは【産業】が常に「技術力や発明」を吸収し、脱皮と変体を繰り返しているからです。世界の研究開発費をみると米168。英21。仏33。独51。日本は144(千億円)で最高水準です。また、世界の産業用ロボットの59%が日本に集中しています。哲学的に【産業】はその目的をプラグマティズム(功利主義)に置いています。そうです。人間が「人の役に立つもの?」を求め続ける限り、産業の主役は揺るがないのです。


■以上が、私の【国力の基盤となるものの変遷史】です。とにかく、この世は矛盾に充ちているのです。 


■「この不況は何か変だ…。」という単純な疑問で始まった私の勉強?は終わりました。途中、近世の不況がすべて「生産過剰」の結果である、という経済辞書の紋きり型の記述や、1995年の統計資料に世界先進25ヶ国の中で、日本が最も貿易に依存していない国であったりと驚くことの連続でした。


■これから、世界は。日本はどうなるのでしょう。19世紀に【産業】が資本主義と社会主義に分離した際、社会主義側から指摘された資本主義の弱点は「生産過剰」だけではありませんでした。もう一つ。それは「人間性の疎外(譲渡)」と呼ばれるもので、目的意識がない労働は、人間の社会性や友情そして愛情といったものを失わせるという指摘でした。(詳しくは哲学書を。)


■また、1987年10月の株の大暴落、ブラック・マンデーなどは国家が【金融】に参加したことを窺わせるものです。忘れ去られようとしているバブル崩壊も「貸出しの総量規制」という、国会決議とは無縁の、単なる銀行への大蔵省通達が始まりです。また「金融不安から恐慌へ」を理由に、日本政府もアメリカ政府も、金融賭博をした組織への救済を是認しています。このことは何を意味するのでしょうか。もしも、政府が【金融】の監視的立場から、自ら【金融事業】に参加し、自由主義経済のルールを破るなら、前述のように金融には商業的詐術や権謀術数が付きものですから、国家の経済政策報道はまったく信用できないということになります。しかし、そのことも国力や国体の護持の為に仕方なく・・・という矛盾に充ちた問題なのでしょう。結果として資本主義自由経済自体が、資本主義「計画経済」へと変化している気がします。


■今世紀の経済学は一般人を相手にしていません。一般人には「矛盾」のような「二律背反」は理解できないと思っているようです。経済学は底が浅い学問のくせに、幅が広く、認識が厄介なのです。専門家も「矛盾」を避けて言葉を省略するために、数式を多用します。そのことが余計に一般人から経済学を遠ざけているような気がします。経済計量学の本などは、まるで数学の本のようです。現在、「矛盾」は二重構造となり、またミクロとマクロの二つの顔を持っています。


■前編を読んで「山ちゃん。実際のところ、この不況がどこまで続くの?これから、どうしたらいいだろう。」という質問に、私は答えられません。データは日本が世界最良の国家であること示しているからです。「日本は大丈夫。しかし、俺達のような零細業者は、変革の波に飲み込まれるかもしれないね。とにかく、無駄遣いは出来ないよ。」と。私の自己判断によると日本が安定して優良国家なのは優秀な国民と源泉徴収という収税制度にあり、その優良な日本が現在のような不況現象を見せてまで変革を求められているのは、【国民一人当りの年間総生産額が世界第一級になってしまったこと、そして日本の総人口がほぼ静止状態に入ったためです。】


■今回の勉強で一番驚いたのは、日本の貿易依存度ですが。他にも。今世紀、人類は二回の大きな戦争をしています。私がこの大戦を記述しなかったのは、それが決して不思議なものではなかったからです。その理由は人口です。日本の場合、1600年1100万人強(太閤検地より推測)。1868年4000万人強。1950年8400万人。現在1億2500万人。世界もこれと同じ比率、それ以上に増えています。1840年12億5000万人。1950年25億人。1996年58億人です。2050年には確実に80億人を超えるでしょう。高位予測では110億人とも。第一次大戦は帝国主義のぶつかり合い。第二次大戦は世界大恐慌の最悪処理。とか言われていますが、この人口増加の流れをみると【人間恐慌】としか言いようがありません。【恐慌】には二つの意味があります。英語で言うクライシス・危機とパニック・混乱です。状況と状態の差でしょか。私は、この認識の差による違いに驚いたのです。


■私が15歳の時、ベトナム戦争(北爆開始)がありました。終わったのが25歳の時ですから、長い戦争でした。当時は共産主義の脅威から云々を理由にしていましたが、アメリカが負けました。今のベトナムの「ドイモイ政策」を考えると、笑い話のようです。しかし、この戦争を認識の視点を変え、経済的に見ると前述の通りです。現在も、宗教・人種を原因に戦争が起き、大量の兵器と【人】が【消費】されていきます。二十世紀は【人】さえ【消費】する時代なのです。


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【人】が【消費】されるとするなら、「芸術」も「スポーツ」も。そう、「宗教」

「人種」さえも、経済の領域内。近い将来「福祉」も加わるでしょう。これは嫌味などではないのです。この現象の是非は?。是非ではなく是なのです。現実として、この事実を受け入れなくてはならないのです。ショーと判っていても、プロレスに熱狂したように。そして友情や愛情も。これがK・マルクスの主張した【人間性の疎外・譲渡】というものですが・・・。そこまで人口が増えてしまったのです。このことは理屈抜きに仕方のないことなのです。非だと執着したい方は坂口安吾の「堕落論」を読むと慰めになります。


■さて・・・この文章の命題は「国力」です。そして、【産業】が現在の主役でした。しかし、最後の主役は産業ではありません。最後の主役は【国民】でなければならないのです。その日はいつ来るのでしょうか。私は意外に近いと思っています。私の死後の2200年頃だと。その頃、世界の人口は減り始めると予測されているからです。ただ、その時の人間は回帰しないで、新しい「人間性」を模索する気がします。人間は前進する動物ですから。


■最後に、この拙文が悲観論に終始したことをお詫びします。本当は不況からの脱出方法などを書きたかったのですが、やはり【地価と人件費が徹底的に下がるまで】不況は続くでしょう。ただ、良い話もしておきましょう。日本最悪の日、1945年8月15日。焦土と化した東京から「赤いリンゴに唇よせて〜」の歌声が聞こえ出したのは、同年の10月です。映画「そよ風」(主題歌・リンゴの歌)の封切は10月11日です。最悪の日から二ヶ月後には、希望の歌が流れ始めていたのです。翌年、1月19日には「のど自慢」が放送されています。マア、落ちる所まで落ちれば景気回復も、アッという間だと思います。


■私が私個人対して書いたような拙文に付き合って頂き、ありがとうございました。心から感謝の意を表して終わりにします。 完



・・・・・・・・・丁度。12年前に、「製本界」に、載せて頂いた拙文です。



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掲示板 ・・・の旅人 書き込み・・・・・「自分を魅力的に」

人間は、集団の動物である。

人間は、他人の気を惹くために生きている。

上手く他人の気を惹けない人間が精神のバランスを崩す。

子供の場合は、引き篭りとなり、ゲームなど

 架空の世界に埋没する。


では、なぜ、他人の気を惹きたがるのか、

それは、孤独が怖いからである。

孤独は「死」を連想させる。

 人間は他人の気を惹くためなら、何んでもする。

・・・殺人さえ、起こす。

通り魔事件・猟奇事件の本質を辿ってみれば判る。


一般的・平均的には、どんな方法で気を惹くのか。

●第一に、見た目。家・棲家。

お洒落・・・服飾。物を持つ・・・車・時計。

自らのセンスを他の「物質」によって、表現する。


●第二に、あげる。利益供与。

相手の欲しがっている物をプレゼントする。

物を買うという行為も、このことの一部である。


●第三に、技を磨く。心身の優位性を誇示する。

スポーツ全般。歌舞音曲を自演する。

知識を持つ。役に立つ知識も優位性がある。

詩・文を書く。絵を描くなど、

芸術面の一部も、この分類に入る場合が多い。

金を儲ける。権力を得るも、この分類だろう。


ここまでで、人間も動物も、あまり違いがないことが判る。

凝縮すれば、動物の求愛活動と一致する。

と言うか、人間も動物なのだ。


面白いことに、親離れ、性の目覚めと「死」への自覚は、

同世代に交換するように起きる。

このことからも、「性」と「死」が、同じ土俵にいることが

想像できる。


人間・動物は「死」を、自覚できない。「孤独」を以って認識する。

要するに客観としての「死」は、「孤独」の延長線上にある。

逆に言えば、「孤独」こそ、「哲学・思想」の鍵とも言える。

なぜなら、捕食・給食に余力の出来た人類は「思い出」「空想」

「思考」と、「孤独」に向き合えるからだ。 時に人間は、

「自己」を確立するために、自殺さえする。・・・そして殺人も。

ただ、「思い出」「空想」「思考」は、ある程度の経験が必要である。

それを内面から取り出すには「理」の組み立てが必要となる。

結果。「孤独」に向き合うには、高度な「理性」が必要だと言える。

当然、例外はあるだろう。しかし、それもインパクトのある事件の

ような「トラウマ」の裏打ちがあると思う。


では、実際に「孤独」に向き合える人は、例外の人を入れて何%

居るかといえば、1%・2%であろう。


夫婦という制度は、「性」と「孤独」の両方を受け入れてくれると

いう点で当然の制度といえる。


では、現代社会では、どうかと言えば。独身者が増えている。

これは「孤独」の要素より、「個人」要素が勝っているという事だ。

ここでは、多種多様な分析・解析が必要と思われるが、省略する。


原因は、社会制度、強いて言えば「経済制度」にあると言える。

私は、それがマルクスの言う「人間疎外」だと断言できる。

「労働」が、主体性を失って、「時間」を売ることになり、

「物」を担保する「金銭」が、「労働」を担保することで「利益」を

生み出す社会では、「自助努力」は、自分に使う「時間」であって

「金銭担保」されない「無駄・損」の「時間」でしかないのだ。


結果。「時間を掛けない事」が、「得・利益」となり、人間の人間

たる本質は低下して、魅力のない人間になっていくのだ。

「国民総自己嫌悪時代」ここ数代の総理大臣の顔を見れば、国民の

魅力も低下しているのが判る。そして、それを払拭する手段が

やはり「金銭」なのだから、この悪循環は拡大していく。

 

「利益」という概念が、「孤独」の本質を凌駕したのだ。

まして「飽食」なのだ。 「利益概念」と「孤独」に、

引き裂かれる現代人。子供までが。

自分に時間を使えない人間が、他人に時間を使える訳もなく、

結果、信頼に基づいた人間関係は成立しない。

たとえ「欲望」が共通だとしても、そこで行われるのは、
計算高いエゴの押し付け合いに過ぎない。その根本にあるのは「損得」で、

時間をかけない薄っぺらで、中途半端な「物の交換」ばかりだ。


斯くして、怖ろしい「孤独」と「金銭的欲求不満」の二つが増大し、

人間は人間性を失いバランスを崩して行く。

これが、経済学上の「負」だとするなら、「正」は何処に。

それが「社会が豊かになった」ということらしい。

高層ビルに新幹線。スカイ・ツリーに新空港。パソコンに携帯電話。

確かに「文明の進歩」は顕著だ。彼の小説「モモ」の言う「時間

泥棒」が闊歩し、人間は灰色になって行く。


人間は、他人の気を惹くために生きている。

人間は「魅力」を持たなければならない。

自分と他人に「時間」を使わなければならない。

それが、個人個人に「利益」もたらすのだ。 以上。

※掲示板に書き込むには、文字数が多くて、ここに入れました。
元々、書き込み文なので、かなり、雑です。 すいません。