インドシナ旧秘密局2局
Indo-China ex-clandestines
La Voix du Pathet Lao / La Voix du Gouvernement Revolutionnaire Provisoire de la Republique du Sud Viet-Nam
 

  インドシナ半島では長らく戦争が続き反政府側の秘密放送が広く行われていた。今回は今は政権を取っているラオスとベトナムの旧革命勢力の秘密局2局の QSLである。

  パテトラオ(Pathet Lao)の正式名は「ラオス愛国戦線」、ラオスが王国であった時代に地下に潜り闘争を行っていた。しかし他の国のように政府と全面的に対立をせず当時の政 府とも通信を保っていた。1970年初めにNHKは「特派員報告」の中で、首都ビエンチャンにパテトラオの代表部があり、パテトラオの兵 士が自由に町を歩いている状況を伝えた。当時からパテトラオの秘密短波放送「La Voix du Pathet Lao」は夜間6200KHzで非常に良く入感していたため、TV番組で見たビエンチャンの「代表部」(Bureau Representatif du Pathet Lao)にフランス語で受信報告を送った。約半年後にハノイの代表部から届いたのが下記に示したQSLレターである。当時ラオスからハノイに通じる「ホー チミンルート」(今は当時のルートが観光コースとなっている!)というものが存在する事が話題となっていたが、まさにこのルートを通って 受信報告が運ばれた訳であり、この手紙が届いた時は本当にびっくりした。放送局はパテトラオ支配地域に設置されており、後に日本電波 ニュース社の取材写真が当時の「月刊プレーボーイ」誌に掲載された。放送は1975年12月にパテトラオが政権を取るまで続いた。ラオス ではこのように当時の政権とパテトラオが一定の関係にあったため、外国勢力の関与が少なく、隣のベトナムやカンボジアのような悲惨な事は 起こらなかった。


 

  一方隣のベトナムではベトコンと呼ばれる「南ベトナム民族解放戦線」と、米国に支援されたサイゴン 政権が激しい戦闘を繰り広げていたが、ベトコン側の短波放送「Radio Liberation」(解放放送)も良く受信された。当時この放送は英語で米軍向に、フランス語でその他の人向に行われていた。サイゴ ン政府と血みどろの戦いを行っていたベトコンの代表部はサイゴンには当然なく、旧宗主国フランス(インドシナ3国の旧宗主国はこの国だ、 だからこの地域では今でもフランス語が公用語である)のパリにあった。このアドレスは当時SCDX(Sweden Calling DXers)等で報道されていたため、パテトラオに続いてパリの代表部に同局の受信報告を送った答えが下記のQSLレターである。これによると当時英語放 送は1日2回、フランス語放送は1日3回であったことがわかる。また「解放放送」の正式名はフランス語では「La Voix du Gouvernement Revolutionnaire Provisoire de la Republique du Sud Viet-Nam」(南ベトナム臨時革命政府の声)、ベトナム語では「Dai Phat Thanh Giai Phong」であることがわかる。南ベトナム民族解放線も1975年4月には政権を奪取(Radio Liberationは同年6月まで続いた)し1976年7月に統一ベトナムとなり、今日に至っている。
 


 

 カンボジアでも共産ゲリラだったポルポトが政権を握り、1970年代後半に200万人の国民を殺害し た。ポルポトが率いるクメールルージュは1979年1月にベトナムに応援されたヘンサムリンによって政権を追われた後に再び地下に潜り、 「Voice of Democratic Kampuchea」の名称で短波秘密放送を行い、1991年以降は「Voice of the Great National Union Front of Cambodia」に改称し1994年まで放送を行っていた。その代表部は中国の北京にあったが、大量殺戮を是認するこの局には受信報告を送る気がしな かった。なおポルポトが虐殺を行う前のロンノル政権時代には「La Voix du Front Uni National du Kampuchea」という名称で政権を追われたシアヌーク派が秘密放送を行っていた。この局の受信証は1971年に、先頃(12月2日)死去された中西 透氏がハノイにあった代表部経由で獲得されている。
 

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