Radio Denmark

 欧州の一流局がこうも簡単に消え去ってしまうとは! 2004年最初のQSLは去る12月31日に閉局したRadio Denmarkの思い出のカードである。同局のQSLカードで有名なのは1950年代から使用されていた地図を描いたカードとその後使用されていたアンテナを描いたカードである。
 昭和30年代の義務教育では愛知県の安城と刈谷は「日本のデンマーク」と教えられた。単純に暗記させられたものだから、「デンマーク」というと「酪農地帯の中を赤い電車が走っていて遠くに無線の鉄塔がある」ような風景と勝手に思っていた。赤い電車の名鉄は今も走っているが、依佐美送信所の無線鉄塔はもう無い。そんな中でRadio Denmarkを聞き、酪農や無線の鉄塔のカードを受け取った時は何となく思い描いていたイメージと一致した感じで実に嬉しかったものである。特に左の酪農と地図を描いたカードは「最もデンマークらしいカード」として世界的に人気が高かったものである。Radio Denmarkの放送と相まって同国のイメージを高めるのに役立ったに違いない。
 余談だが「日本のデーンマーク」という言葉は地元ではまだ生きており安城市には「デンパーク」というテーマパークもあるし、新幹線三河安城駅(「定刻で通過しました、あと10分で名古屋です」のあの駅)はデンマーク風の建物、駅弁は「デンマーク弁当」である。主題と関係ないが地図カードが発行され始めた1956年盲目の天才作曲家宮城道雄が急行「銀河」から転落死したのもこのあたりであったと記憶している。
 2004年版のPassport to World Band Radioには大武逞伯氏撮影のチボリ公園の写真とともに「Radio Denmarkを訪れた人はみんなチボリ公園を訪れる」との説明を掲載している(!)が、日本のチボリ公園は安城・刈谷ではなく何故か倉敷市にある!
 話がそれてしまったが、人気局であったRadio Denmarkにも秋風が吹き始めたのは1980年代終わりに短波送信機の新設を行おうとした時、環境問題から地元住民の反対を受け計画が頓挫し、結局1990年にHerstedvester送信所を廃止せざるを得なくなってしまった頃からである。同局はやむなく隣国ノルウェイの送信機を借用して放送を行った。その後英語放送が廃止され、すべて在留デンマーク人向デンマーク語放送のみとなった。それでも良好に受信され、同局のErik Koie氏の理解もあり短波リスナーには友好的な局であった。ところが昨年の夏、文化相が急に廃止提案を出し、短波団体の反対は無視され、国会で承認されあっけなく廃止されてしまった。デンマークは西欧の比較的大きな国では唯一短波放送の無い国となった。
 デンマークは「小さな政府」を国の方針としており、民営化を徹底的に推進し、政府の経費も徹底的に見直して削れる所はとことん削る政策が取られている。この事自体は日本ももっと見習わなければならないが、その矛先が受信料収入の期待できない短波放送に向かってしまった訳である。自国からの短波放送は海外に出ている国民にとっては有事の際のライフラインとなり得るものであるし、また必要に応じて他国民向にも放送を行うこともできるため最低限は残しておくべきと思うのだが。国際関係に応じて「○○語放送の廃止」というのは仕方がないかも知れないが、短波放送局自体を廃止してしまうのは行き過ぎである。安城・刈谷と同じ三河出身の徳川家康曰く「及ばぬは猶過ぎたるに勝れり」。
 最近までQSLカードのデザインにも熱心で、一昨年はスノーボード、昨年はヨットのスポーツを主題とした写真にBCLラジオの図案を組み合わせたシリーズを発行していた。今となっては現地で国内向放送を受信するしか獲得方法はない。
  HPからは既に短波関係の英語ページがすべて削除されている。12月31日迄の受信報告は以下のアドレスへ。

 QTH: Radiovisen, Rosenorns Alle 22, DK-1999 Frederiksberg C, Denmark
  HP: http://www.dr.dk/rdk
 
 

左: 1967年に獲得した「デンマーク」らしい酪農の地図カード(1950年代半ばから1960年代末まで発行)
右: 1960年代末から1981年まで使用された無線の鉄塔のカード

 

左: 2003年3月発行の最後のカード
右: 同カードの裏面 Norwayからの送信であることが印刷されている サインはErik Koie氏

 
 
 

最後のスケジュール表の表題 Koie氏の手書きで「12月31日閉局」とある

 
 

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