IRIB (イラン)


 米国に「悪の枢軸」と名指しされ、核開発等で何かと世界的な評判の悪いイランであるが、実際には国民生活は豊かで国民を餓死させたり、戦争に巻 き込む他 の「枢軸」の国と同列に論じるのはいかがなものかと思う。そのイランの国際放送がIRIB、正式にはIslamic Republic of Iran Broadcasting(イランイスラム共和国放送)という。勿論これは1979年のイスラム革命後の名称でそれ以前のパーレビ王朝の時代には Radio Iranと称していた。王政時代も現在も民間放送はなくすべてIRIBによる放送である。世界的に独自の立場をとるイランであるが、1953年英 国の石油 封鎖の中で出光興産の日章丸が危険を冒してイランの原油を買い付けた事もあり、現在ではトルコと並び世界有数の親日国である。この関係は今後も大 切にした いものである。日本との間には直行便も飛ん でおり、米国との関係悪化前に購入した古いB747が就航している。イスラム世界というと何か危険な感じを持つ人が多いが、現在世界のイスラム教 国の中で は最も安全に旅行のできる国である。シーア派のイスラム教は外国人に対して寛容であり、異教徒の日本人でも聖廟やモスクを自由に見学することがで きる。

 IRIB国際放送は世界に向けてイランを紹介する重要な窓口となって来たが、1999年7月、中村美香、穴田慶子の2氏によって日本語放送が開 始され た。最初のQSLカードは日本語放送開始直後の受信報告に対するもので、表面はIsfahanのスィー・オ・セ橋の写真、裏面には当時の日本語放 送課長の ジャッリアーン・ナセル氏のサインがある。現在もほぼ同様の形式のものが発行されている。一番上に「IN THE NAME OF GOD」としてQSLを発行するという点がいかにもイスラム国家らしい。ここでいう「GOD」はアラーの神の事であるが、キリスト教でいう「主」 と同じ神 様である。Isfahanは「夜鳴き鶯の里」として有名な古都で、旧市街はすべて世界遺産となっている。夏は40度を超えるがザーヤンデ川にかか るこの橋 は夕方になると涼しく、大勢の市民で賑わう。

 もう一枚は40年前の1966年、Radio Iran時代のQSLカードである。表面はこれまた世界遺産となっているペルセポリス(現在は見 学者用通 路が整備され、様相が変わっている)の白黒写真、裏面は当時の王室のシンボルの獅子(国旗にも採用されていたが、現在はイスラムのシンボルに代 わってい る)が描かれているが、日付以外一切記入のない不完全ベリである。

  実際にイランに行って見ると、首都Tehranは高層マンションの建設ラッシュ、車社会(日本車とドイツ車が多い)で朝夕は渋滞の渦、人々は昔な がらの スーク(市場)よりもスーパーマーケットでお買い物(イランは数字がアラビア文字だが、覚えてしまえば買い物に支障はない)、スカーフをかぶって いる(外国人の女性にも義務づけられている)ものの女性が多く働いている等、トルコを除く他のイスラム諸国よりはずっと欧州的な感じを覚える。事 実イラン人は欧州 と同じアーリア人(イランという国名は「アリーア人の国」という意味で昔のペルシャという国名から改名した、日本ではイラン人を古来「胡人」と 言った)であることを誇りにしており、近隣のアラブ人と同列に見られる事を嫌う。アラビア文字を使用しているが、ペルシャ語はインドヨーロッパ語 に属する。だから隣のイラクとは昔から犬猿の仲であるし、民族的には近いアフガニスタンもスンニー派であるため関係は良くない。

 受信報告の宛先: P.O.Box 19395-6767, Tehran, Iran
 URL:  http://www.irib.ir/worldservice


IRIB External Serviceの建物 TehranのVali-e asr通りとJame Jam通りの角にある ペルセポリスを復元したような建物だ!



日本語放送開始直後のQSLカード 大きさ171×117mm (左)表面はIsfahanのスィー・オ・セ橋の写真 (右)裏面 は「ア ラーの恩名の元」の受信証明
 


日本語放送開始を伝える1999年8月3日の読売新聞



1966年 Radio Iran時代のQSLカード 大きさ 151×88mm (左)ペルセポリスの写真 (右)王室のマークの入った裏面

 


 イランの地方局の中波は日本でも受信の可能性はあるが、QSLを得るのは容易な事ではない。そこで2004年に、Isfahanに泊まった時現 地で IRIB- Isfahanの837kHzの放送を受信しPFCと現地の切手同封で受信報告を送ったところ、返信が来た。更に大判の写真まで送ってくれた。イ ラクでは 文化財は殆ど失われた模様だが、戦乱のBaghdadからわずか500kmのこの地では平和と文化が保たれている。


(左) IRIB-Isfahanから来たPFC利用のQSLカード アラビア文字の局印が押してある (右)IRIB- Isfahanの 建物 チェヘル・ソトゥーン宮殿の 裏にある
 


(左) 夕暮れのスィー・オ・セ橋 (右) チェヘル・ソトゥーン宮殿の夜景(20時まで入場でき る) 何 れ も17世紀アッバース朝の建物
 


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