Radio Lebanon(レバノン)
  

 レバノンという国は古代フェニキア人の本拠地で、旧約聖書にティルスやシドンの地名が出てくるほど古い文化背景を持ったところ である。またアラブ世界 の中で最も欧米化が進んだ国とも言われる。しかし第二次大戦中の独立以来常に隣国イスラエルとシリアに国土を蹂躙されてきた。
イ スラエル建国でパレスチナを追われた難民はレバノンに流入しPLO(パレスチナ解放機構)を組織したが、1975年にはこれを良 しとしないキリスト教徒と の間で内戦が勃発し国土は荒廃した。 ラジオ放送は1937年に開始され、独立後は国営のRadio Lebanon(フランス語ではRadio Liban)となり短波による国際放送も行われていたが、1975年の内戦時には短波放送を一時中止せざるを得なくなった。その 後放送は再開されたが、 1978年にはイスラエ ル軍が一時侵攻し、更に1982年には武装勢力の根拠地になっているとしてイスラエル軍が再侵攻した。この時からレバノンは無政 府状態となりついに 1982年6月には短波放送を停止し、その後現在まで再開されていない。その後も2000年までイスラエル軍やシリア軍が進駐し た。2000年頃からやっ と政府が機能し始めたが、2005年には前首相が暗殺され、更に2006年7月からはシーア派過激組織ヒズボラの本拠地になって いるとしてイスラエルによ る空爆が開始され、戦禍と争乱は止むところを知らない。空爆と対象となっているヒズボラの拠点バールベックには巨大なバール神殿 の遺跡があり、旧約聖書の中で主なる神(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教ともに「啓典の民」としてこの神様を信仰している筈な のだが!)が「バールの偶像を信仰してはならぬ」 と何回もイスラエルの民に諭している数千年来の因縁の地である。しかし世界遺産にも登録されている神殿の遺跡は現在どうなってい るのだろう。

 ここに掲載したQSLカードは1968年8月26日(ワルシャワ条約軍がチェコに侵入して「プラハの春」を押しつぶした直後 だ!)に5980kHzで (この周波数は1982年6月の放送中止まで使用されていた)受信した報告に対して発行され た。当時の局舎(内戦で破壊されたと言われている)の絵とレバノン杉を描いたマークをあしらっている。このマークは現在も使用さ れている。レバノン杉はこ の地方で高級な木材として珍重され、旧約聖書に出てくるエルサレムの神殿にも使われていた。

   短波放送に当時使用されていたのはAmchit送信所に1961年 設置のシーメンス社製100kW送信機1基であった。多分イスラエル軍の攻撃で破壊されたものと思われる。Amchit送信所は イスラエルの空爆を その後も受けたが10kWの中波送信施設は残っていた。2002年に中波の送信機を100kWに増力した時環境問題から Homatに送信所が移され、現 在は予備の中波用10kW送信機があるだけである。しかし衛星通信用のアンテナ等が設置されているため2006年7月にはまたイ スラエルの空爆の対象と なった。なおAmchitはベイルートの北30km、シドンの南3kmの風光明媚な地中海沿岸にある。なお8月10日のロイター 電によるとイスラエルのヘ リコプターは同日も同送信所に2発のロケット砲による攻撃を行ったそうである。放送局のアンテナは電波が出ていなくても必ず攻撃 の対象になるようだ。

 現在のRadio Lebanonは837kHz(1000kW)の中波と96.2MHzのFM放送のみである。我々の生きている間に短波放送が復 活する日は訪れるのであろ うか?

 受信報告の宛先: Rue Lyon, Sanayeh, P.O.Box 4848, Beirut, Lebanon
  E-mail:  mykee@cyberia.net.lb
  URL:   http://www.libanvision.com/radio-liban96.2.htm



1968年に受領したQSLカード 大きさは158×109mm

   


(左)現在のHPも同じレバノン杉のマークを使用している  (右)Amchitの海岸
 



同局が20ユーロで配布しているTシャツ 「Touche pas au Liban」(レバノンにさわらないで)と書いてある



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