IBB São Tomé Relay Station (サントメ)
サントメは正式国名をRepúlica Democrática de São Tomé e
Príncipe(サントメ・プリシーペ民主共和国)と言い、赤道直下のアフリカ西海岸ガボン沖に浮かぶSão
Tomé島とPríncipe島からなるアフリカでは数少ない島嶼国家(他にはマダガスカルとセーシェル)である。国名がポルトガル語であることから分か
るように旧ポルトガル領で、1975年に独立した。「民主共和国」と称する国は経済的に苦しいところが多いが、この国もアフリカの中で最も貧しい国の一つ
である。独立前から短波放送(1kW)がありこれはかなりの珍局であったが、独立後は1980年代まで国営局Radio Nacional de
São Tomé e
Príncipeが首都のあるサントメ島より10kWで短波放送(4807kHz)を行っており、日本でも受信された事があった。しかし同局が短波放送を
止めてしまった(現在はこの中継局内の設備を使用して945kHz 20kWで出ている)後は一時DX的には殆ど日本と縁のないカントリーとなってし
まった。
VOAは従来Liberia中継局からアフリカ中南部向の中継放送を行っていた。しかしリベリアの内戦で1990年に同中継局が使用不能となったこと
で、新
たな中継局の場所を探す事となり、1992年になってサントメを候補地として選定しサントメ政府と協定を結んで、VOA São Tomé
Relay
Station(現在はIBB所轄となっている)が開設された。そして1993年にはHarris社の100kW送信機VP100Bにより中波でVOA放
送の中継を開始し、続いて短波放送の実施も決定され、入札の結果スイスのABB社(現在Thomcast社に合併)が4台の100kW短波
送信機を落札した。そして1996年より同送信機を使用したアフリカ向中継が開始され、以後は日本でも良好に受信されるようになり、早朝のアフリカ方面の
パイロッ
ト局として活用されている。送信所は首都São
Tomé市の東南Pinheiraにある海に突き出した小さな岬にあり、346エーカーの広大な土地を有する、この土地は元々Radio
Nacional de
São Tomé e
Príncipeの送信所があった場所である。スタッフは30名で、内3名は米国人である。送信所の電力をまかなうために、8ヵ月に一度30万ガロンの重
油が米国から輸送され海上から補給されている。なお中波放送は現在600kWに増力さ
れており、また島内向のFM放送(105.5MHz)も行われている。
ボツワナと並び短波放送はVOA中継局しかない国であるため「珍カントリー」とされ、直接QSLを得ようとするDXerのリクエストが多かったため、初
代と二代目の中継局長はBCLに理解を示して独自のQSLを発行した。しかしその後は局長によってポリシーが変わり、最近は直接返信はなかった
ようである。局長の名前から見ると米国から赴任した米国人である場合と、ポルトガル的な名前の現地人である場合がある事が判明したため、現地人の局長であ
る場合には公用語であるポルトガル語が有利と見て、今年春返信料として$1を同封してポルトガル語で直接受信報告をPFCとともに送付して見た。見通しは
一応当たったようで、20日
後に返信が直接サントメから来た。発行者はDirector Interino(局長代理)のHenry I. Briley
三世(名前からは米国人か現地人か分からない)で、PFCに電動タイプライタで几帳面に記入した上、IBB São
Toméの局印も押してくれた。現在の同カントリーからのものとしては貴重なQSLである。
さて初期のこのページを見た本場ポルトガルのCarlos
Gonçalves氏より、ポルトガル語の使い方について、このQSLは本来このように書くべきだとのご指摘を頂いた。定冠詞の使い方、前置詞の使い
方、
UTCのポルトガル語での言い方などである。
Confirmamos a sua recepção da nossa estação retransmissora da "IBB" em
São Tomé e Príncipe, em (data)..., na freqüência de ... kHz, às
...horas HUC
HUC は "hora universal
coordenada"の略でUTCの事である。この記事を元にポルトガル語のPFCを作成する場合の参考にしていただきたい。
愛媛県の武内伸夫氏からは2006年に直接出した受信報告に対して送信所側(発行者は当時局長であったCharles
Lewis氏)から返信があっただけでなく、Washingtonの本部からも送信地の地名入りQSLカードが発行されたとのお便りをいただいた。
Charles
Lewis氏は中継局の建設当時は送信副技師長(1992-1997年)、2006年には局長(2002-2007年)であった。現地でアマチュア無線局
S9SSを運営しており、当然BCLにも大いに理解が
あっ
た、またVOA側のQSLマネージャー(発行者と
は限らない)もアマチュア無線家(WB9AVI)のJohn
Vodenik氏で、送信地にこだわる等BCLに理解があった。この2人の絶妙のコンビで「一粒で二度美味しい」時代もあったが両氏の退任
とその後の予算削減(リストラ)で状況は変わってしまったようだ。なお武内氏はCharles
Lewis氏に中継局の写真を沢山紹介されたとのことであるが、これらの写真はhttp:
//picasaweb.google.com/s9ss160m/StationSlideShowに納められており現在も閲覧可能である。沖合のタン
カーから30万ガロンの重油を給油する風景等が多数掲載されており興味深い。
埼玉県の渡辺秀貴氏は1997年に中波の1530kHzで同局を受信した報告に対して、帰米寸前のCharles
Lewis氏から長文のベリーレターを受け取られた。その文面を送っていただいたのでここに公開する。レターには当時の送信施設の詳細、サントメの紹介、
同国のハムの状態、同氏のリグ等が詳
しく記述されており、送信副技師
長として張り切っていたLewis氏の意気込みが感じられる貴重なものである。
受信報告の宛先: IBB Estação
de Transmissão, C.
P. 522, São
Tomé, São
Tomé
e
Príncipe
PFC利用のポルトガル語QSLカード 発行者Henry I. Briley
三世のサイン、IBBの局印あり
(左)São
Tomé中継局の全景(VOAの送信地シリーズQSLカードより) (右)中継用パラボラアンテナと送信用鉄塔・局舎(BBGの年次報告書より)
中継局の鉄塔群遠景(Adamさんの公開Slide Showより)
渡辺秀貴氏が1997年にCharles L. Lewis氏から受け取ったベリレター 中波1530kHz(当時の出
力は
600kW)による受信 当時の送信設備等についてかなり詳細に記述している
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