Český Rozhlas (チェコ)

 65年間DXerに親しまれたRadio Prahaの短波放送も(WRMIからの中継を除いて)ついに1月末で終了してしまったが、Radio Prahaは親局Český Rozhlas(rozhlasの意味は後述参照)の一部門で、短波時代は第7放送(Cr07)という位置づけであった。短波放送なき後、電波で直接チェ コを 聴くにはČeský Rozhlasの放送を直接聴くしか無くなってしまった(WRMIの中継が残ってはいる!)。
 短波だけでなくAM放送(中波、長波)も殆ど廃止してしまった北欧諸国と異なりČeský Rozhlasにはまだ高出力の長波放送が残っているので受信チャンスは少しはある。現在高出力の長波放送はチェコ東南部のTopolna送信所から出力 650kWで出ており、国内向第一放送(Cro1)であるRadiožurnálが24時間放送されている。
 出力が大きいことと、欧州には270kHzで他の放送局が出ていないため、夜間には欧州全域で受信することができる。状態が良ければ日本まで伝わって 来るが、欧州に行く機会があればチェコに行かなくても夜間普通の長波ラジオで聴くことができるので是非受信しておきたいものだ。その名称の通りニュース・ 情報中心の放送で、局名も「Radiožurnál」とアナウンスされている。

 長波のRadiožurnálは欧州で最も古い放送の一つである。チェコ(1993年まではスロバキアと合わせて チェコスロバキア)は共産主義化する以前は欧州の先進国であり、最初にPraha-Kbelyにある仮放送局から電波が出たのは1919年10月28日で ある。半官半民のRadiožurnál社が設立され、日本のNHK東京放送局の放送開始に先立つ2年前の1923年5月18日には Radiožurnálの名称で欧州で2番目の定期放送を長波(当時は155kHzであったと思われる)で 開始した。この放送は欧州で広く受信されたため、翌1924年1月には英国向に世界初の海外放送を英語とエスペラント語で開始した。従ってこの長波放送は 世界の海外放送の元祖でもある訳だ。欧米ではこの頃放送をbroadcasting(中国語の「広播」はこの直訳)とかradiophonyと称してい たが、1924年チェコ人は「rozhlas」という言葉を造語して以後これを使用した。日本人が「放送」という言葉を考えたのと似ている。
 1920〜1930年代はチェコスロバキアで20世紀の文化が最も花開いた時代で、画家ミュシャが活躍し、1926年にはRadiožurnál  Orchestraが組織され(後にプラハ放送交 響楽団となった)、1933年には現在も本部となっている放送ビルが当時のFoch通(現在のVinohradská通)に竣工した、そして1936年に は 短波による海外放送も開始された。しかし1938年以降はドイツに占領され、第二次大戦に巻き込まれた。特に第二次大戦最末期の1945年5月には放送ビ ルがドイツに対する反抗拠点となりここに立てこもった多数の人命が失われた。現在でも局の玄関にはこの時命を落と した人々の名前が刻まれている。また1968年のソ連軍侵入の時も 「チェコスロバキア自由放送」が最後までこの建物から放送された。1945年にドイツから解放されたのもつかの間、1948年にはソ連の属国となり共産主 義化された。放送もすべて国営化されČeskoslovenský Rozhlasとなり、その後は共産主義のプロガンダ手段としてジャミング用も含めた送信施設の増強が続けられた。また局舎のある通りの名前も 「Stalinova」(新スターリン 通) とPrahaには似つかわしくない非文化的な名前に改称させられた。通りの名前が現在の「Vinohradská」(「ワインの城」という意味、通りを まっすぐに行くと葡萄畑が今で もある)になったのは1962年のことである。

 共産主義の時代には長波放送も強化され、1951年プラハのはるか東南でスロバキアとの国境に近いUherské Hradiště(チェコスロバキア時代は国土の中央に位置した)郊外のMorava河畔にTopolná長波送信所が建設された。この時代送信所の所在 地は軍事機密とされ、送信所 は単に「Ceskoslovensko 1」と呼ばれていた。2基の257m接地鉄塔が建設され、かご形アンテナにより東西方向の合成ビームを出すようになっており、当時のチェコスロバキア全土 をカバー 範囲とし ていた。周波数は現在とほぼ同じ272kHz(当時は国内向第2放送が出ていた)、出力は当初は120kW、すぐに200kWに増力され、更に1970年 代半ばに大規模な改修が行われ出力は 当時欧州最強の1500kWにまで増力されたが、1990年代以降は現在の650kWに削減された。
 共産主義の時代が終わった1991年にはČeskoslovenský Rozhlasは元の公共放送に戻り、1993年のチェコ、スロバキア分離によりČeský Rozhlasとなった。なお現在スタジオは局舎から通りを一つ隔てたRimska通にある別ビル(2000年建設)にある。
 局舎に行くには地下鉄のMuzeum駅で下車し、現在は国立博物館になっている旧国会議事堂(一時RFE/RLの本部が置かれていた)に向かって左横の 通りが Vinohradská通であるので、これを東(観光地になっているプ ラハ旧市街方面の反対側)に歩いて行けば良い。

 1月31日に短波放送を廃止した後もRadio Prahaは6カ国語で30分番組を当面制作し続ける。米国のリスナーは引き続き制作される海外向番組を長波の270kHzで放送したらどうかと提案した が、局長のMiroslav Krupicka氏はこれを否定。現在は国土の隅に位置することになってしまったTopolná長波送信施設の維持も短波送信所の維持と同じくらい財政上 の重荷になっており、短波の次は長波送信の廃止が俎上に上がる 状況なので長波での放送は考えられないとした。従って長波の270kHzもあまり余命がないと思われ、機会があれば受信しておくことが望ましい。

 欧州の他局も同じだが、受信証は海外放送用のみで国内放送用は用意していないところが多い。 Český Rozhlasも普通はRadio Praha用のQSLカードを使用するのだが、PFCでも返信をしてくれる。ここに掲げたPFCは昨年夏にPrahaを避暑(猛暑日の続いた東京に比べ8 月 でも昼間の気温が10度ほどと実に涼しかった!)で訪れた際の受信に対するものである。今後短波の廃止が相次ぐ欧州国営局は親局をこのように受信する他は なく なって行くのであろう。



 受信報告の宛先: Vinohradská 12, 120 99 Praha 2, Czech Republic
 
  E-mail: info @ rozhlas.cz

 URL:  http://www.rozhlas.cz

 

(左)PFC利用のQSLカード サインは達筆で読めない  (右)同時に送られてきた同局のスポンジたわし 「電波に乗りにいらっしゃ い」と書いてある
     



Český Rozhlasの本部ビル(プラハVinohradská通) (左)全景 (中)入口 (Wikipediaより) (右)別ビルにあるスタジオ内部 (同局パンフレットより)
          
     


Topoln
á長波送信所 (左)2本の257m鉄塔  (中)太いフィーダー線 (右) 欧州全体に伝わることを描いた絵葉書 (Radioklub OK1KGTより)
    



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