GTRK "Dalnevostochnaya" (ロシア)
ГТРК "Дальневосточная"
現在は極東ロシアの玄関口はウラジオストックだが、ソ連の時代は開放されておらず、日本からの船はナホトカ
に着き、乗客はすぐに列車に乗せられてハバロフスクに直行した。当時極東の都市ではハバロフスクだけが外国人に開放されており、玄関口として初めて見る大
都市はここであった。1918年からは一時日本に占領され、また戦後はシベリア抑留者が都市建設に従事させられる(この時のことを歌ったのが戦後はやった
「ハバロフスク小唄」である)など日本とは関係が深い都市である。日本との間にはソ連時代でさえも航空路があったが、最近の日露関係の悪化で今年になって
完全に廃止さ
れ、現在は日本とは疎遠な都市になりつつある。
ハバロフスク(Хабаровск、17世紀にこの地を発見した探検家ハバロフ Ерофей
Павлович
Хабаро́в-Святитскийにちなんでつけられた地名である)は戦前よりロシア極東地区の行政の中心であり、
この地でラジオ放送が開始されたのは1927年9月19日と比較的早い時期であった。当初は
アマチュア的なものであったが、2年後にはプロのアナウンサーが登場して放送を行うようになった。そしてソ連時代は国家放送委員会の支部である
「ハバロフスク地方ラジオTV委員会」(Хабаровский караевой Комитет по радиобещанию и
телебидечню)により放送が行われていた。この地ではTV放送も比較的早い時期にアマチュアによって開始されたという。ソ連時代放送局のデー
タは軍事機密であったため戦前の詳しい経緯は不明である。戦後の1946年には
極東地区におけるプロパガンダ拠点として当時のRadio
Moscowの支局としてのハバロフスクスタジオが併設され、中国語や日本語の海外向番組の制作が開始された。後に岡田嘉子の夫となる滝口新太郎
はこの時
ハバロフスクのスタジオから日本語放送を行っていた。ハバロフスクのスタジオからの放送はVORに引き継がれ昨年まで続けられていたことは記憶に新
しい。
ハバロフスクの短波周波数が初めて明らかにされたのは1949年で9378、6020、4275kHzが報告されている。その後1951年には出力が
20kWであることが明らかにされ、5940、6020、7100、8820、9378kHzが報告されている。そして1956年には短波周波数は10波
に増加している。これらの短波周波数は国内向放送の他にRadio
Moscowの海外向にも使用された。また送信所は北に200km離れた(ロシアでは郊外といって良い距離である)Komsomolsk-na-
amure
にも設置され、こちらからは短波の他中波、長波の放送も出ていた。ソ連時代はRadio Khabarovsk(Хабаровское
Радио)と称しており、1960〜80年代には4610kHzや7210kHzの短波放送が良く受信された。掲載したのは今から46年前の1965年
に4610kHz
(当時
は22:00にs/offしていた)で受信した受信報告に対して送られてきた絵葉書利用のQSLカードである。その後1980年代までは中波の周波数が整
備され、1980年代初めには国内向AM放送の周波数
は155(Komsomolsk-na-amure、現在は153)、621
(Khabarovsk)、711(Nokoleyevsk)、1152(Komsomolsk-na-amure)、4610、7210kHzの6波となった。
短波以外
の周波数は現在も引き続き使用されている。当時一般のソ連人が敵性資本主義国の外国人
と連
絡を取ることは禁じられていたが、極東の僻地までは徹底していなかったようである。当時の放送局はハバロフスク市人民通り80番地
(ул.Народная
80)にあった。QSLカードに描かれているのはレーニン広場であるが、50年近く経った今日でも建物はほとんど変化していない。
放送局はソ連崩壊後は改組されてGTRK
"Dalnevostochnaya"(ГТРК
"Дальневосточная"、ГТРК は国
営TVラジオ放送会社государственная
телевизионная и радиовещательная компанияの略、 Дальневосточнаяは極東のこと)となり独立色が強くなった。しかし国内向短
波放送は廃止されてしまい、日本からは馴染みの薄い局となってしまった。その後2007年に中央集権化傾向が強まり再び全ロシア国営TVラジオ放送会社
VGRTK(ВГТРК: Всероссийская государственная
телевизионная и
радиовещательная компания )の一支社
となったが、ГТРК
Дальневосточнаяの名称はそのまま残された。国内向短波廃止後は153kHzの長波が最も聞きやすい波となった。153kHz
(1200kW)はKomsomolsk
-na-amureからの送信で、番組の大半はRadio
Rosiiの中継だが、時々ローカル番組も出る。特に00:00の終了時にはローカルアナウンスやジングルが出るので確認し易い。従来冬期の終了時間は
01:00であったが、今年から一年中夏時間となったため00:00終了のままとなった。今年の夏に153kHzを受信しIRC1枚とロシア語PFCを同
封し
た受信報告(ロシア語)を出したところ届いたのがGTRK
"Dalnevostochnaya"のQSLである。
なおハバロフスク送信所には100kW短波送信機7台等計15台、Komsomolsk-na-amureには100kW短波送信機5台等計9台の短波
送
信機が稼働しており、VORの他に外国放送の中継にも一部使用されている。
VORのハバロフスクスタジオの所在地は長いこと国家機密として明らかにされていなかったがレーニン通り4番地(ул.Ленина 4)とGTRK
"Dalnevostochnaya"と同一建物内にあったことも判明した。TV局は同じレーニン通りの71番地にあるらしい。
なおロシアでは政令で宛先をキリル文字で書いた外国宛郵便は禁止されているため、自分の住所・氏名はローマ字で書いておく必要がある。宛先シールを同封
しておくのが良い。
受信報告の宛先: ul.Lenina 4, Khabarovsk, Russia 68000
Россия
68000, г.Хабаровск, ул.Ленина 4
(左) 2011年に153kHzでの受信に対して発行されたPFC利用のQSLカード サイン(キリル文字の達筆で読めない)と局印が押
してある 局のマークはアムール川の鶴、この鶴たちは冬は日本に飛来する
(右) ソ連風の局舎(Wikipediaより)
(左) 1965年に4610kHzでの受信に対して発行された絵葉書利用のQSLカード表面 ハバロフスク市内レーニン広場(Площадь Ленина)の写真だが当時のソ連の民生技術水準が分かる
稚拙な印刷である 大きさ150×110mm
(右) 露文タイプライター(今は滅多に使われなくなった)で美しく打たれた証明文書 証明者の氏名は書かれていない
現在のレーニン広場 50年前と建物は変わっておらずソ連時代の雰囲気をそのまま残している 資本主義国となったため当時はなかった私企業の看板がビルの
上
に目立つ
(Wikipediaより)
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