Bayrak Radio(北キプロス)

 キプロスにはCyprus Broadcasting Corporationの他にもう一つ「国営局」が存在する。それがBayrak Radioである。

 キプロス島の北部には「北キプロストルコ共和国」があり、ここにはキプロス共和国の支配が及んでいない。この国を承認しているのはトルコのみで、国際的 には 承認されていない。キプロス島には古代からギリシア人が住んでいた。その後ローマ帝国(キプロスにはローマの遺跡が沢山あり世界遺産になっているものもあ る)、ヴェネチアの支配を経て、1571年にはオスマントルコの支配下に入った。20世紀に入り第一次世界大戦で勝利した英国はトルコより戦利品としてキ プロスを取得し植民地化したが、分割統治政策によりそれまで共存して暮らしていたトルコ系住民(人口の約18%)とギリシア系住民(人口の約80%)は次 第に反目し合うようになった。1960年キプロスは共和国として独立し、大統領にギリシア系のマカリオス、副大統領にトルコ系のキチュクが就任して民族間 の融和を目指した。しかし両住民の反目 は収ま らず1963年に民族間の武力紛争が勃発し、国連平和維持軍が出動する事態となった。当時の国営放送局Cyprus Broadcasting Corporationからはトルコ人職員が追放され、危機感を持った首都ニコシアのトルコ系住民は同年12月トルコ系住民向放送局「Bayrak Radio」を立ちあげてニコシア市内に向けて放送を開始した。これが現在のRadio Bayrakの始まりである。「Bayrak」はトルコ語で(トルコの)「旗」を意味する。今年(2013年)は放送開始50周年に当たる。当初ニコシア 市内2.5km四方にしか届かなかった電波は翌1964年にはキプロス全土のトルコ系住民に届くようになり、1966年にはトルコ語の他、英語、ギリシア 語で も放送を開始した。これが「Radio Bayrak International」の事実上の始まりである。なお南のキプロス共和国側から見れば「無法海賊局」ということになり、現在もその扱いである。

 1974年当時のギリシア右派政権は一気にキプロスをギリシアに併合しようとし、キプロス内の併合派と共同してクーデターを起こしマカリオス大統領を一 時追放した。これに対しトルコも出兵し北半分を占領、「北キプロストルコ共和国」を設立した。この時Bayrak Radioは国営のBayrak Radio Corporationに改組された。国連主導で停戦に話し合いがなされ、旧宗主国英国が緑色のボールペンで一気に停戦ラインを決めた。これが「グ リーンライン」といわれる境界線で、鉄条網と地雷で固められて現在に至っている。「住民交換」が取り決められ、北部に住んでいたギリシア系住民は南部に、 南部に住んでいたトルコ系住民は北部に強制移住させられた。首都ニコシアの町もグリーンラインで分断され、グリーンラインの南から北に行くには、ラルナカ →ギリシアのアテネ→イスタンブール→北キプロスと3回飛行機を乗り継いで2日以上かかるという事態になってしまっていた。トルコはトルコ人の比率を高め るために北キプロスに5万人以 上のトルコ人を本土から送り込みキプロス政府と対決した。1975年には7.5kW短波送信機が初めて導入されて欧州向に海外放送Radio Bayrak Internationalが6150kHzで開始された。紛争の最中の1976年にはTV放送を開始して、現在のByrak Radio Telvision Corporation(BRT、トルコ語ではBayrak Radyo Televizyon Kurumu)となった。その後1983年にはFMステレオ放送も開始された。更に1998年には新たに10kW短波送信機が導入さ れ、21世紀に入って25kWに増力された模様であるが、送信機が不調で周波数もふらついており、日本で6150kHzの短波放送が受信されたことはない と記憶している。

 短波・中波の送信所は観光地として有名なファマグスタ(現在は遺跡観光が主で、かって栄えた海岸沿いのリゾートは廃墟になっている)の北方、カルパス半 島(キプロス島の北東部に平家蟹の尾のように出ている)の付け根付近のYeni Iskeleにある。6150kHzの短波放送は、ここ数年故障している模様で、予算の関係から復旧の見通しは立っていないとのことで、このまま廃止され てしまう公算が大きい。

 ギリシアによるクーデーターを跳ね返したキプロス共和国の方はリゾート開発(かってリゾートは北部にあったため、それに代わるリゾートを南部に大々的に 建設した)等でその後順調に発展し、2004年には中近東の国としては初めてEUの一員となり、通貨もユーロとなった。北キプロスは発展に 取り残され本土から来ていたトルコ人も仕事がなく大半が帰国してしまった。南北両政府は反目したままだが、2005年よりグリーラインが開放されてパス ポートを持っていれば自由に往来できるようになり、北キプロスの住民が南に通勤することが可能となった。また外国人が入国することも可能となりニコシア市 内の検問所からならば歩いて北キプロス側に入国することもできるようになった。もっともパスポートなしで境界線を越えてしまうと帰ってこられなくなるので 要注意である!また現在では北キプロスでも事実上ユーロが通貨として利用できる。

 昨年キプロスを訪れた際に長年聴きたかったBayrak Radioの第一放送(トルコ語)をやっと聴くことができた。ニコシア市内では国内向の中波・FM放送、現在では国内外国人向となってしまった Radio Bayrak InternationalのFM放送(105MHz)を良好に聞くことができる。ニコシアから検問所を越えてレフコサ(北ではニコシアのことをこう称す る、南ではギリシア語でレフコシアという)に入り、左にキレニア山脈を見ながら東に数km行った地点にBRTの建物があり、そのすぐ裏にTV/FM用のア ンテナが聳えている。

 北キプロスはトルコにしか承認されていないので、当然郵便を配送する手段がない。それではあまりに不便なので、トルコのMersinに郵便交換用の専用 私書箱を作り、北キプロスとの郵便はそこを通してやり取りする事になっている。従って宛先の後に「via Mersin 10, Turkey」をつけて送付する必要がある。
 
 帰国後受信報告を出したが、一通目に対してはなしのつぶてであった。今年になって送信部長(Head of Transmission Department)がMustafa Tosun氏であり、DXingに理解があるとの情報を得た。そこで早速同氏宛に直接手紙を出したところ、3週間後にQSLカードや手紙、観光パンフレッ トが届いた。海外DX局は組織としてはQSLなど発行する筈がなく、返信にはキーマンの把握が必要であることがわかる。

 北キプロスはバブルに湧いた南キプロス(それでもかなりのんびりしているが)に比べ更にのんびりしており、風光明美な場所も多い。民族紛争は双方が疲 れてしまい一応収拾した感もあるが、「天国のはじっこ」といわれるほど美しいキプロスの地からグリーンラインが消える日は来るのであろうか?


 受信報告の宛先:  Bayrak Radio & Television Corporation, P.O.Box 417, Lefkosa, Northern Cyprus, via Mersin 10, Turkey

 E-mail:  brt @ brtk.net

  URL:  http://www.brtk.net

  
(左)Radio BayrakのQSLカード表面 大きさ141×99mm 左上にBRTのロゴ、右上は局舎の写真、Radio Bayrak Internationalの周波数を表示(短波6150kHzも入っている)、下の写真は3枚ともKyrenia近くにあるBellapais修道院
(右)Radio BayrakのQSLカード裏面  ラジオのすべての周波数が記載されている、サインは送信部長のMustafa Tosun氏

  


(左)Mustafa Tosun氏よりの手紙
(右)Nicosia市内から見える北キプロス、Green Lineで隔てられたLefkosaの町の背後キレニア山脈の中腹にトルコの旗と赤白を反転させた北キプロスの旗(bayrak)が描かれている(筆者撮 影)

  


(左)Lefkosa市内にあるBRTのTV/FM送信塔  局舎も近くにある(筆者撮影)
(右)夜のTV/FM送信塔を警備する兵士達(同局の雑誌より)

  

北キプロスで売られている絵葉書 「I'm here」





TopPage