IBB Greenville Transmitting Station (米国)
米国のInternational Broadcasting Bureau(IBB)の運営になるGreenville送信所は、かっては西(カリフォルニア州)のDelano、東のGreenvilleと並び称され、米国を象徴す る短波の大送信所であったが、Delano送信所が廃止された以降は米国本土に唯一残る国営の短波送信所となってしまっ た。
第二次大戦が終結し、当時のソ連との冷戦が激化していた1950年代、ソ連のモスクワ放送(現「ロシアの声」、3月いっぱいでついに短波放送が無くなってしまった!)の プロパガンダ攻勢に対抗するために対外短波放送の強化が叫ばれていた。当時東海岸にはニュージャージー 州にWayne送信所、ニューヨーク州にBrentwood送信所とSchenectady送信所があったが、短波送信所としては能力不足であった。そこ で米国政府は短波 送信所の大幅強化を計画し38の候補地の中から北カロライナ州Greenvilleが最適地との判断を 下した。最適地とされた理由は、他の通信に対する影響が最小、電力供給が容易、北極圏のオーロラの影響が少ない地理的位置、乾燥して雨の 少ない気候、設備・建物が建設しやすい地形、地価の安さ等であった。そして当時のカネで約2,400万ドルを投じで1960年に建設に着手し、1962年12月に完成、 1963年2月8日より運用に入った。Greenville送信所の完成で東海岸からのVOAの送信能力は一挙に2倍となり、ソ連のプロパガンダに対して 優位に立てるようになった。
Greenville送信所は約2500ha(東京ドームの約2000倍)という超広大な敷地を有し、内部は
SiteA(1142ha)、SiteB(1099ha)、SiteC(256ha)の3地区に分かれていた。SiteAとSiteBに
は短波送信施設、SiteCには受信施設が当初設置された。
同送信所が本格的運用に入ったのは1964年にGate社製50kW短波送信機HF-50C3基、General
Electric(GE)社製250kW短波送信機4BT250A13基、Continental社製500kW短波送信機420A3基がそれぞれ
Site A、SiteBに導入された時で、正に世界最強の短波送信所であった。そして1980年代にソ連との間の「Power
Game」(当時は「国際放送の出力や時間が国力を決定する」とさえ言われた!)が進展していた1986年、更に500kW短波送信機各2基が両サイトに導入され、「短波
黄金時代」を迎えたのであった。送信所には、著名なジャーナリスト(マッカーシズムの批判を行った事で有名)で開所当時同送信所を管理し
ていたUSIA(United States Information Agency)の長官Edward R.
Murrow(1908-1965)にちなんで「Edward R. Murrow Transmitting
Station」の別名も与えられ、100名を超える従業員を擁していた。
しかし1991年にソ連が崩壊して共産圏が消滅すると、プロパガンダ合戦の必要性はなくなり、米本土の大送信所の必要性も徐々に低下して行った。 2001年にはまず SiteCが東カロライナ大学生物学部の演習地として売却された。現在ではSiteAも全面的に運用を停 止し、競売に出されるに至り、北カロライナ州野生動物協会(敷地内には鹿などの野生動物が多い)が取得を目指しているとのことである。運用されているのは SiteBのみで、しかも電力を食う 500kW送信機は 全面休止し、50年前に導入されたGE社製の老朽化した250kW送信機3基により主としてキューバ向 Radio Martíの送信(他にVOAのごく一部)に利用されているのみである。この状態では先細りが必須なためIBBでは余った50kW送信機 を活用して短波を 使用した文字・画像放送「radiogram」も同送信所から定期的に行うようになった。しかし老朽化した送信施設の入れ替え時期に当たっており、更新予算が認められなけ れば重大な存続の危機に陥ることになる。もっとも過去に「廃止すべき」という報告書が出されたが、米本土に送信所が無くなることを懸念した議会の反対で存 続が認められているという経緯があるため、最小限度の機器更新で生き残る可能性はある。
送信所独自のQSLを発行することは長らくなかったが、2011年より発行されるようになった。震災直後の2011年5月、 9805kHz(現在も使用されている)のRadio Martíの放送を受信し、「Greenville, North Carolina」宛に受信報告を送ったところ「宛先不明」で戻ってきてしまった。そこでGoogle Mapで送信所の建物の位置を確認して自治体名(Grimesland)と近くの道路名(VOA siteB Road)を調べて再度送って見た。約1ヵ月後Chief EngineerのMason M.Dail Jr.氏から丁寧な受信報告への感謝と震災へのお見舞いの手紙を受け取った、また同時にメールで「近日中のQSLカードを作る」との連絡も来た。そして 2011年末になってQSLカードが同氏より送られてきた。「The SWLing Post」に2012年12月24日付で掲載された「A tour of the Edward R. Murrow Transmitting Station」によると、Mason氏(ハムWB4PMQでもある)は「日本から直接Radio Martの受信報告を受け取り、目的地域外のとんでも ない所にも電波が飛んで行く短波の神秘さに改めて感動し、独自のQSLカードを発行することを決めた」とある。同氏からの手紙に「日本から直接受信報告を 受け取ったのは珍しい」とあったのと符合する。小生からのものを含む日本からの受信報告が独自 QSLカード作成のきっかけになったらしいのである。もしそうであれば日本のBCLとして大変光栄なことである。こういう活動から同送信所が米国内・世界 で注目を浴び、設備を更新して存続することを切に望みたい。
受信報告の宛先; IBB Greenville Transmitting Station, 3919 VOA site B
Road, Grimesland, NC 27837-8977, U.S.A.
電話: +1 252 758 2171
(左) 独自QSLカード サインはchief engineerのMason M. Dailb
Jr.氏 最も初期の発行である 背景はカーテンアンテナ 光沢紙にプリントアウト 大きさ153×102mm
(右) QSLに先立ちMason氏から送られてきたレター BBG
のレターヘッッドを使用
(左) 小生からの受信報告(元の大きな写真では分かる!)を示して説明するMason氏(The SWLing
Postより)
(中) SiteBの送信管理棟 右後方に受信用パラボラアンテナが見える(Wikipediaより)
(右) SiteBで使用中のロンビックアンテナ(Wikipediaより)