RFE/RL (米国・チェコ)

 現在はRFE/RLに一体化しているが元々RFE(Radio Free Europe)とRL(Radio Liberty)は別局である。歴史的にはRFEの方が若干早く1949年6月に米国のThe National Committee for Free Europeの放送部門として本部がドイツ(当時は西ドイツ)のMunich(ミュンヘン)のEnglischer Gartenに設置された。目的は第二次大戦後当時のソ連の占領下に入った 東欧諸国及びソ連に併合されたバルト3国をソ連の共産主義から解放する(これは当時のアイゼンハワー大統領により「自由十字軍」運動と名付けられた)ことにあった。最初の 放送は1950年7月よりドイツLampertheim送信所より開始されたチェコスロバキア向短波放送であった。 1950年代には短波放送と併行して風船による宣伝ビラも活用され、約3億枚を散布したといわれている。

 一方RLの方は1951年にAmerican Committee for the Liberation of the Peoples of Russiaの放送部門として設立された。本部はMunichのLilienthal通りに設置された。ロシア及びウクライナ・ベラルシ・グルジア・ アル メニア・アゼルバイジャンの国民を共産主義(当時スターリンの独裁体制下にあった)から解放して資本主義化することにあった。番組作成には旧ナチのプロパガンダ要員も採用 された。最初の放送は Lampertheim送信所から1953年に開始された。その後1955年より台湾、1959年にスペインのPlata de Pals送信所が追加され、3方向からソ連に向けての短波放送が行われることになった。

 両放送ともに国営の会社で、資金は 1971年まで米国CIAより拠出されていたが、1972年以降はBIB(現IBB: International Broadcasting Bureau)の管理による非営利法人となった。また両放送ともに目的が同じで対象地域も近接していたため1975年に両組織は統合され、本拠地はRFEのある Munichの Englischer Gartenとなった。

 報道機関として事実をありのままに伝えるVOAと比べ、思想を広めるためのプロパガンダ放送であったため挑戦的・謀略的な放送内容 (「抵抗のための火炎瓶製造法」の放送もあったと言う)であったため、ソ連及び東側諸国からは「共産主義国家の破壊を目指す謀略放 送」と目の敵にされ、放送に対する ジャ ミング、聴取者に対する弾圧、局員・関係者の暗殺、本部の爆破などあらゆる形で攻撃を受けた。1970年代ルーマニアの独裁者チャウシェスクは刺客を送り当時のルーマニア 語部長3人を暗殺した。局側から見れば攻撃を受けるほど放送の効果があったということである。

 1991年にソ連が崩壊し、東欧諸国が解放され、ソ連圏内の国が独立を取り戻すたことで当初の目的は達成された。そのため予算は削 減された が、 米国にとっては一部のイスラム諸国(イラン、イラク、アフガニスタン)や東欧・旧ソ連に残る非民主的な独裁国家が新たな民主化の対象として現れてき た。RFE/RLは1995年にMunichを撤収 し、本部を当時のチェコスロバキア(現在のチェコ)の首都Prahaに移した。何と移転先はPrahaの中心ヴァーツラフ広場にある共産主義時代の国会議事堂の建物(現在 国立博物館となっているが建物は2011年より閉鎖中)であった。チェコの国民がソ連の崩壊をいかに待ちわびていたかがわかる。

 イスラム圏向放送は1998年にイラク向がRadio Free Iraqとして開始され、911後の2002年にはアフガニスタン向Radio Free Afghanistan(実は同名の放送は1985年に同国のソ連からの解放を目的として1993年まで一度行われたが、2002年からはイスラム原理主 義からの解放を目的とした放送である)が開始された。2000年にはRadio Free Iraqの放送内容に激怒した当時のイラク・フセイン政権が秘密工作員を送り込みチェコの本部の爆破を試みたが事前に発覚し失敗に終わった。
 その後2005年にセキュリティを強化した本部建物が同じPraha市内Vinohradská通りに完成し現在に至っている。 2014年 現在 ジャーナリズム等を学ぶ学生は予約すれば集団見学(60-90分程度、英語・ロシア語・チェコ語で対応)を行うことが出来る。旧市街を貫く地下鉄A線 のŽelivského駅の前なので交通の便は比較的良い。

 現在中波・短波の放送はイラク(Radio Free Iraq、中波のみ)、パキスタン北部(Radio Mashaal)、イラン(Radio Farda)、ロシア(Радио Свобода、チェチェ ン等のコーカサス地方向を含む)、ベラルシ、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンである。衛星・インターネットによ る放送はカザフスタン、キルギスタン、旧ユーゴ諸国(ボスニア、モンテネグロ、コソボ、セルビア、マケドニア)、モルドバ、ウクライナ向が残って いる。

 短波放送は縮小傾向だが、ロシアの再強大化によって放送自体は今後強化される可能性もある。米国政府は「報道の自由」にうるさい VOAを廃止して、政府の意向が反映され易い(「政府が『右』と言えば『右』と放送する)RFE/RLを残したい意向のようである。なお東で強大化する中国については RFE/RLとは別に1994年に設立されたRadio Free Asiaが対処している。

 同局のロゴは2005年3月に以前の「自由の鐘」から「トーチ」に変更された。「自由の鐘」は「自由十字軍」にちなんでデザインさ れた (統合後若干デザインが変更されたが)ものだが「キリスト教会の鐘」を連想させる。放送対象にイスラム圏が加わったことで「キリスト十字軍」のイメージを払拭させるためだ と言われている。

 1975年以前はRFE、RL別にQSLカードが発行されていた。以後はRFE/RLの統一カードとなり、チェコに本部が移った後は旧局舎(旧国会 議事堂)の部分写真が現在に至るまで使用されている。米国の大本部に送付しても返信はチェコから来るので、チェコに直接受信報告を送った方が良い。

 ここではRFEとRLが別組織であった1967年に取得した両局のQSLカードと最近のQSLカードを掲載する。
 

  受信報告の宛先(チェコ本部): Vinohradská 159A, 100 00 Praha 10, Czech
            (米国大本部):   1201 Connecticut Avenue NW, Washington, D.C. 20036, U.S.A.

 E-mail: knappj @ rferl.org

 URL:    http://www.refrl.org


(左) 1967年取得のRadio Free EuropeのQSLカード表側 リンカーンの言葉「THAT THIS WORLD UNDER GOD SHALL HAVE A NEW BIRTH OF FREEDOM」で囲まれた自由の鐘がロゴマークであった 周波数の記入はなく波長(mb)のみ 大きさ 149×105mm
(右) 同裏側 当時リスボンにいた発行責任者Harry N. Black氏のゴム印が押してある
   


(左)1967年取得のRadio LibertyのQSLカード表面 右上にRLのロゴマーク(送信アンテナ) 3方向(ドイツ・スペイン・台湾)から短波でソ連を攻略している図である  大きさ  150×105mm
(右)同裏面 17765kHzは台湾送信の周波数であった 「RLC」はRadio Liberty Committee Inc.の略  ソ連から来た報告にはその地域向けの他のスケジュールを紹介するようになっている

   




(左) 2014年発行のRFE/RL QSL表側 扉に写っているのは旧国会議事堂の建物の一部なので旧本部の時代の写真であ る 大きさ  148×104mm
(右) 同QSLカードの裏側 2011年の受信報告に対して3年ぶりに返信された
 消印は局内にある郵便局 らしい
   

(左) 2005年以前RFE/RLのロゴ 「自由の鐘」のデザイン
(中左) 2005年からの新ロゴ 米国Chermayeff & Geismarのデザイン
(中右) 
Vinohradská通りの新本部 (Wikipediaより)
(右) 新本部内を見学する米国の学生たち(RFE/RLのHPより)

 
   


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