Voice of Vietnam - Overseas Service  (Vietnam)

   
 ベトナムのVoice of Vietnam(略称:VOV、ベトナム語:Tiếng nói ViệtNam)は海外放送の名称のように聞こえるが、実は国内放送も含めた国営放送全体の名称である。今回は海外向放送の部分を取り上げる。海外向放送 はVOV5と呼ばれる外国放送部門で制作されており、短波・中波で国外向に12カ国語で放送されている他、ベトナム国内でも外国人向に、ハノイ 105.5MHz、ホーチミン105.7MHzで実施されている。

 同局は1945年9月2日のホーチミン(
胡志明)によるフランスからの独立宣言の5日後の9月7日に現在と同じ局名で放送を 開始した(この時点で日本語放送もあったとされている)と言われている。しかし当時の宗主国フランスは独立を認めず、サイゴンに「Radio France Asie」という大短波局(この局も日本語放送も行っていた)と国内向の「Voice of Vietnam」を設立し、ハノイはサイゴンを本拠地とする「Voice of Vietnam」の支局という扱いにしていた。ハノイの「Voice of Vietnam」は短波で放送し、結果として近隣諸国にも届いたので国内向と海外向を兼ねた放送であったのだろう。 フランス軍との戦闘が激化しその後数年間は地下放送的な動きをしていたため詳細は定かでない。古いWRTHによれば1952年には9670kHzでベトナ ム語・英語・フランス語の放送を行っており、1953年には更に中国語が加わっている。この当時の局名は「Radio Hanoi (Dai Phat Than Hanoi)」または「Station Nord de la Radiodiffusion National du Vietnam」(北のベトナム国営放送)と称していた。1954年にディエンビエンフーの戦いでフランス軍に勝利した後は北緯17度線以北は「北ベトナ ム」となり、放送の整備も進んだ。1958年にはMe Tri短波送信所がハノイ市内に完成した。日本語放送が現在のような形で開始されたのは1963年で、当初は1日1回22:30-23:00に12000、9840、 11840kHzで行われていた。この時点では現在と同じ「Voice of Vietnam」と称していた。
 VOV5のFM放送は内容は同じ だが放送時間は異なり、日本語放送は現地時間の11:30-12:00及び18:00-18:30に放送されている。ベトナムに滞在していると日本語メ ディアに触れる機会が少ないために重宝するものである。放送では日本からのベトナム訪問団の事が結構詳しく報道されるので、その日観光地で出会った日本人の団 体がどこから来て、いつ政府の誰に会ったかが分かることもあり、これも面白い。

 放送局は長らくハノイのQuan Su通58番地にあった。「Quan Su」は漢字で書くと「遣使」、すなわち(たぶん中国からの)外交使節のことである。ハノイの中心観光地ホアンキム(還剣)湖の南西を南北に走る通りで、 昔外交使節が通った通りなのであろう。国内向放送局は現在もQuan Su通にあるが、国際放送部門は2012年より数百m東のBa Trieu通45番地に移転した。「Ba Trieu」は漢字で書くと「婆趙」という女性の名前である。3世紀に中国の東呉がベトナム北部を侵攻した時に 中国と戦った英雄とされている。Ba Trieu通りはホアンキム湖の南端から南にQuan Su通りとほぼ平行に走る南北方向の通りである。移転先の通りの名前さえも何か現在の越中関係(ベトナムは漢字で書くと越南、ベトナムのことを略して越と いう)を彷彿とさせる。陸続きの国境を有するベトナムと中国は紀元前から対立関係にあり、ベトナム戦争終結後も中越戦争、国境紛争、カンボジア侵攻、南シナ海 の領有権問題等で対立が続いている。反面日本との関係は深い。世界遺産となってい る中部のホイアン(
会安)にはかって日本人街があり「日本橋」が残っている。フランスからの独立時には第二次大戦の仏印進駐で 敗戦した日本軍兵士の一部が独立運動に参加した。日本は戦前戦後と一貫して「無煙炭」としてホンゲイ鴻 基)炭を輸入し、1975年の統一後は同国の再建・復興を積極的に支援した。日本企業も多数進出しており、対日感情は良い。
 
 ハノイは商業的活気こそ南部のホーチミンに及ばないが、常夏の南部と異なり四季の移ろいが感じられ、またホーチミン廟等社会主義国としてのベトナ ムの顔が感じられる「北の都」である。超高層ビルも都心部にはあまり建っていない。

 Voice of Vietnamの短波放送の大半は日本語放送も含めて、ハノイの西郊部35kmのSon Tay(山西)短波送信所(100kW短波送信機が11台ある)から行わているが、中国以外の近隣諸国向けの一部はハノイ市内のMe Tri短波送信所(現在50kW送信機1台、ベトナム戦争中は北爆の対象となり1972年末に一時破壊されたがすぐに送信を再開した)から行われている。現状 ではMe Tri送信所はSon Tay送信所の補完用という感じである。なおカンボジア向クメール語放送の一部のみ南部のO Moo中波送信所より1242kHz(公称出力2000kWだが、実際の出力は100kWと言われる)で出ている。

 1970年代初めには一時北朝鮮から中継していた事があり、日本語放送も北朝鮮から中波で中継されていた。日本語放送はすべてSon Tray送信所からの送信であるが、2014年現在欧州・北米向放送の一部は英国 Wofferton、オーストリアMoosburunn、米国Furman送信所(WRHI)から短波で中継されている。またモスクワではロシア語放送が中波 738kHzで中継されている。

 掲載したのは49年前の1965年、42年前の1972年に何れも日本語放送を受信して獲得したQSLカード、2012年ベトナムを訪問した折にハノイ でFM放送を受信して獲得した最近の日本語放送のQSLカードである。この局は2つ折のQSLカードが好みらしく、1965年、2012年のものともに2 つ折である。他の言語のものも同様な傾向にあるが、英語放送用には1枚もののQSLカードも発行されている。

 受信報告の宛先:   45 Ba Trieu Street, Hanoi, Vietnam
 
  E-mail:  vovworld @ vov..org.vn   日本語部   japanese @ vovo.gov.vn

  URL:    http://vovworld.vn     



(左)1965年獲得の2つ折りQSLカード表面左側 図柄は現在世界遺産となったハロン湾(侵略者からベトナムを守る龍の内母龍が 降り立った「下龍」 の地なのでこの名前がついている) 50年の歳月で紙の色が茶色くなっている 大きさ100×150mm(2つ折状態) 米国との「ベトナム戦争」はこの 前年の1964年トンキン湾事件を契機に始まり1965年のこの時期には北爆が開始されていた
(右)同上2つ折りカード表面右側 「VERIFICATION」という文言と英語によるお礼が記入されている

       


(左)1965年獲得2つ折りQSLカードの裏面上部 共用カードだが下半分のみに日本語放送のスケジュールが英語で印刷されている  この頃は1日2回 計1時間であった
(右)1972年獲得の薄い1枚紙のカード 海外向各国語共用カード  ベトナム戦争下の逼迫した事情が感じられる この3年後にはサイゴン陥落の歴史的な放送が行われた
 大 きさ190×136mmm
   

(左)2012年獲得の日本語放送専用QSLカード2つ折り表面上半分 当時変わったばかりの新住所が印刷されている 大きさ 131×98mm(2つ折り状態)
(右)同上カード2つ折り表面下半分 日本語放送スタッフの写真

    


(左)同上カード2つ折りの裏面 ニャチャン(芽荘)ビーチ(中南部にあるベトナム屈指の海岸リゾート)の写真と日本語による受信証 明 受信周波数はFMの 105.5MHz(ハノイ市内)
(右)2013年に発行された日本語放送開始50周年記念シール
  


(左)ハノイ市内のMe Tri送信所 現在はTV/FM用の大鉄塔が建ち短波のアンテナは良く見えない
(右)Quan Su通にあるVOV本部 国際放送部門はBa Trieu通に移転した

  


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