Democratic Voice of Burma (ミャンマー/ビルマ秘密局)


 ミャンマー(ビルマ)には1962年の軍事クーデター以来軍事政権が続いた。1988年に民主化運動が起きて、1990年に は総選挙が行われアウンサンスーチーが率いる国民民主連盟が多数を獲得したが、軍事政権は選挙結果を認めず、アウンサンスーチーを軟禁、以後2010年ま で中国の支持を受けた非民主的な軍事政権が継続した。アウンサンスーチー等が率いる民主化運動を西側諸国は支持し欧米にはいくつかの民主化支援団体が形成 された。国民民主連盟は民主化を求める臨時亡命政府「ビルマ連邦国民連合政府」(National Coalition Government of the Union of Burma)を米国に設置し、ビルマの民主化を求める運動を展開した。1991年にはアウンサンスーチーにノーベル平和賞が授与されたが、軟禁されていた ため直接受け取ることはできなかった。

 1989年6月軍事政権は国名をビルマからミャンマーに改めた(同じ月に起きた天安門事件が契機となったらしい)が、軍事政権に反対する勢力や国(英国、米国等)はこの改名を認めず現在でも旧国名を使用している。
 Demcratic Voice of Burmaが上記のビルマ連邦国民連合政府を母体として短波放送を開始したのは1992年7月である。ノルウェーに留学していたビルマ人学生が「全ビルマ 学生民主戦線」(All All Burma Student's Democratic front)を形成し、前年のアウンサンスーチーへのノーベル賞授与を契機に母国の民主化を目指して直接放送しようとしたのが始まりであるとされている。 学生達はノルウェー政府に送信許可を取り付け、当時ノルウェーにあったKvitsoy短波送信所より短波放送を開始した。当初の番組制作は経験のない学生 4名によって行われていた。放送の資金はOslo市内にある同名の財団(Democratic Voice of Burma Foundation)から出ているが、その源は民主化支援NGOである米国の「National Endowment for Democracy」、オランダの「Free Voice of the Netherlands」、ノルウェイの「Freedom of Expression Foundation」と言われている。

 同局によれば当時から数百万人の人々が聴いていたという。Kvitsoy短波送信所はその後閉鎖されたため、送信所はアルメニア、カザフスタン等中央アジアや中東にかわり、2014年9月現在はダジキスタンのDushnabe送信所から出ている。

 当時のビルマは情報鎖国の状態が続き、信頼に足る情報が全く伝えられない状況であったため、外からの短波放送は貴重な情報源であり、軟禁中のアウンサン スーチー氏もBBCなどとともに同放送を聴いていたという。2005年にはついに衛星TV放送も開始し、パラボラアンテナを設置すれば聴取できるように なった。

 軍事政権は当初同局にジャミングをかけて妨害していたが、生活上必要な情報源で公務員や軍人も利用していたため、ついに2006年初めからジャミングを かけるのを中止したという。事実2008年の巨大サイクロン「ナルギス」が同国に来襲した時には国営放送がその予報を軍事機密として伝えなかったために膨 大な被害が出たといわれている。同局はその事実も伝えたが、それに対してwebサイトにDDos攻撃をかけられて一時機能が麻痺したことがある。中国を後 ろ盾とした軍事政権の強硬な姿勢はその後も続き2007年9月には反政府デモを取材中の日本のカメラマンが軍に射殺される事件が発生した。しかし翌10月 にテイン・セインが首相に就任(現在は大統領)し、政治改革を推進した結果2010年11月にアウンサーンスーチーが釈放され、また初めての総選挙が実施 され、同国は民主化への道を歩み始めた。

 2014年にReporters without borders(国境なし記者団)が発表した情報の自由度ランキングで同国は180ヵ国中145位となり、以前の「very serious(最悪)」(北朝鮮、中国等が該当する)から「difficult(困難)」(ロシア、インド、エジプト等が該当する)にレベルが上昇し た。ジャーナリズムが復活し雑誌類等の発行も許されるようになった。
 報道の自由化が進む中で同局の短波放送を聴く人は少なくなって行った。また母体であった「ビルマ連邦国民連合政府」も2012年には解体となった。これ らを受け同局は2013年末に本拠地をタイのチェンマイに移転し、ミャンマー国内でのメディア化(FM、TV、インターネット、携帯等)を目指すことに なった、社名も「DVB Mulitimedia Group」に改められた。同局の記者はミャンマー国内で取材ができるようになったが、現在でも妨害や拘束に遭っていることが時々報道されており、国内で のメディア化がすんなり行くかどうかは不明朗である。

 そんな中8月末に同局は短波放送の聴取者減を理由に10月末までのA14スケジュールで短波放送を終了することを発表した。同局のwebサイトには職員 採用広告が掲載されているので、組織そのものは残り、国内での合法的メディアを目指すものと思われる。秘密局がその目的を達したのであるから変身しなけれ ばならないのは当然の事であるが、21年間継続した短波放送の終焉には一抹の寂しさも感じる。最終スケジュールは23:30-00:30 11560kHz、08:30-09:30 11595kHz、何れもタジキスタンのDushanbe送信所からの100kW送信である。放送は前半がビルマ語、後半は少数民族語(アラカン語、チン 語、カレン語、カヤン語、カチン語、モン語、シャン語)。

  放送局自体2014年9月現在もOsloにあり、QSLカードを発行している。掲載のカードは放送開始間もない1993年に取得したもので、同時に当時の局長Maung Maung Myint氏から長文の手紙も受け取った。


 受信報告の宛先:  P.O Box 6720, ST. Olavs Plass, N-0130 Oslo, Norway
  E-mail:  acn @ dvb.no
  URL:   http://www.dvb.no



(左)1993年発行のQSLカード表面 ビルマの「日の出」を表彰している 太陽の中の赤色は勇気・決断、緑色は平和・自然、黄色は国民の団結を表す、現在のミャンマーの国旗にも採用されている色である 大きさ149×94mm
(右)同 裏面 発行者は当時の局長Maung Maung Myint氏 Kvitsoy短波送信所から固定的に送信していたため出力(500kW)、アンテナ(ログペリ、SW-A3)は印刷されている 当時同送信所ではAEG社製のS4005型500kW短波送信機が使用されていた

  


(左)局長から来た手紙 開局の推移が記載されている
(中)レターヘッドにある当時のロゴ 英国の植民地になる前のコウンバン朝のマークであった孔雀をロゴマークとしていた、このマークは1943年に日本によって樹立された最初のビルマ国の旗にも赤・緑・黄の3色とともに採用されていた
(右)現在のロゴ 上記と同様孔雀の羽と赤・緑・黄を組み合わせたデザインである

     



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