DW Kigali Relay Station (ルワンダ)


 ドイツDW(Deutche Welle)の最後の中継局であり、アフリカ12億人のリスナーに放送を届けてきたルワンダKigali中継局がついに3月29日で廃止され50年の歴史を閉じた。最後の中継局となっただけでなく、実はDW最初の中継局でもあった。

 1960年代の初め、短波放送の中継拠点を探していた当時のDWは、1962年に独立したばかりの新興国ルワンダと、短波中継局の設立と引き替えにドイ ツが同国の放送Radio Rwandaの設立に協力することで1963年に協定を結び、1965年10月24日当時最新鋭の技術を導入した短波中継局が完成し運用に入った。当時は 衛星回線はなく、ドイツの送信所から送信された短波放送を受信・増幅して再送信を行っていた。開設当時の陣容はドイツの技術者15人、現地採用の従業員60人であった。開設当時の送信機はPhilipps社製8FZ514/01(50kW、Radio Rwanda用)、Marconi社製BD272(250kW、中継用)であった。中継用送信機は1969年にMarconi社製 B6122(250kW)が追加され、250kW×2基の体制で中継が行われた。当時の送信先はアフリカだけでなく、アジア、豪州にも及んだ。日本ではド イツ本国からの送信よりも良好に受信された。1980年代までは番組開始時にDWのISとともにフランス語で「Ici le Deutche Welle station relais Kigali, Rwanda」という中継局独自のIDが出ていた。

 DWはKigali中継局を皮切りに、アンティグア、マルタ、スリランカ(Trincomalee)に次々と短波中継局を建設し、全世界放送網を築き上げた。1992-93年には当初の250kW送信機を2基を廃止し、Brown Boveri社製SK53C3-2P(250kW)4基とSK51F3-2P(100kW)1基に置き換え現在に至っている。

 Kigali中継局も順調な発展をとげたが、ルワンダでは1990年代前半に100万人が虐殺された内戦(フランスに支持されたフツ族と英米に支持され たツチ族の民族紛争)が勃発した。中継局では危険を防ぐために高さ2.5mの塀を周囲に築いた。ルワンダ人のスタッフは家族もろとも中継局内に避難。周囲 の住民の中にも避難してくる人がいた。これを察知したフツ族中心の当時のルワンダ軍は1994年4月中継局内に侵入した。11人のドイツ人スタッフは避難 したが、残された現地人スタッフ等は中継局内で殺害され約100人が犠牲となった。同年8月に中継局再開のために再び現地に入ったドイツ人スタッフは虐殺 でバラバラにされた(かって同僚であった)現地人スタッフの手足や胴体の片付から初めなければならなかった。このような困難の元中継局は再開された。

 Kigali中継局は首都Kigaliの中心街から15kmほど離れた郊外に位置している。内戦終結後のルワンダは発展し、宅地化が中継局の近くまで 迫ってきたため地価が上昇した。ルワンダ政府は中継局の存在を快く思わなくなり、DWに対して膨大な借地料を請求するに至った。そのため DWの中継局維持費用は年間330万ユーロに達していた。費用節減のためDWでは中継局の時間貸しを行う等の努力をしていた。しかし今回の中継局廃止は DWの意向よりもむしろルワンダ政府の意向が強かったようで、DWの幹部Guido Baumhauer氏は「存続を望んでも、ルワンダ政府に協定を延長するつもりがなかったので無理だっただろう」と語っている。事実ドイツ政府は同国の FM放送網整備計画に対する支出も打ち切った。また同送信所から6055kHz(50kW)で行われていたRadio Rwandaの短波放送も同時に中止された。閉鎖後の中継局は解体作業に入り、2016年8月には更地となってルワンダ政府に返還される。なおDWではこ れとは別にKigali市内でFM中継(96.0MHz、2kW)も実施している。
 
 DWは中継局開設後しばらくは送信所によってKigaliとドイツ本国のJuelichに分けたQSLをカードを発行していた。その後DWは一時データ の一切ない「お礼QSLカード」しか発行しなくなったが、最近は記入してくれるようになった。同中継局のQTHは「420 Kinyinya, Rwanda」であるが、中継局に直接受信報告を送っても返信はドイツのDW本局からの例が多い。但しレアケースながら中継局から直接返信を受け取った例 が存在する(下記参照)。

 掲載したQSLカードは開設1年後の1966年に獲得したKigali中継局用のQSLカードである。中継局に直接受信報告を送付し、ドイツから返信を受けたように記憶している。

 石川県の茶木直之氏は2010年に中継局から直接QSLカードを受け取った。本欄を見て早速画像を送って下さったので掲載する。中継局のゴム印、ルワンダの消印は今となってはかなり貴重なものである。 

 Kigali中継局の時間を借りて送信していた米国のAdventist World Radio(AWR)は送信所廃止の記念として、Kigaliからの送信の受信報告に対して特別シールを貼付したQSLカードを3月に発行したので、これも合わせて掲載する。なおAWRもKigali市内で独自にFM中継(106.4MHz、300W)を行っている。

 色々な事情もあるだろうが、受信状態も良く、整備されまだ十分使える短波送信施設がこのようにスクラップ化されるのは実に「勿体ない」ことである。DWの中継局で現地政府に引き継がれたのはスリランカのTrincomalee中継局だけである。

 以前のログが残っている場合は以下のアドレスに受信報告を送付すればまだQSLは取得できるであろう。

 受信報告(以前のログ)の宛先;  DW Customer Service, Kurt-Schumacher-Str.3, D-53113 Bonn, Germany 
  AWRのKigali中継受信報告(以前のログ)の宛先; Adventist World Radio, International Relations, Box 29235, Indianapolis, IN 46229, U.S.A.


(左)1966年に獲得のDW-Kigali QSLカードの表面 光沢紙を使用した美しいデザインである  中央左は昔のDWのマークである 左下部には「DEUTCHE WELLE -AFRIKA」その下には「ドイツの波」ではなく「ドイツの声」という意味の英語・スワヒリ語・キニャルワンダ語・フランス語の局名が地図で分かるよ うにKigali送信所は赤道直下の南緯1度55分 東経30度7分に位置する 大きさ 149×105mm
(右)同裏面 ほぼ開設1年後の1966年10月17日発行で、発行場所も「Kigali」と明記されている 文面は原則ドイツ語 サインは印刷 変色とタイプ打ち、周波数のkc/s表示、時間のGMT表示に時代が感じられる!
   


(左)茶木直之氏が2010年にKigali中継局から直接受け取ったQSLカード裏面 Deutche Welle Station Relais Kigaliのゴム印が押してある。QTHはB.P.420, 1327 Rwandaと読める 右上にはルワンダの消印が、左下には現地スタッフのサインがある 
(右)表面は普通のDWのカード(ベルリン市内の夜景) 大きさ 148×105mm

    



(左)閉鎖直前の今年3月に発行されたAWRの特別シール付QSLカード裏面 表面の送信拠点に加えて「KIGALI」のシールが貼られている 発行者はDX EditorのAdrian Petersen氏
(右)同表面 AWRの歴史的送信拠点(1923年創設時のWEMC、スリランカのEkala、Guam)のシールを描いた「QSLSTAMPS」カード 大きさ 160×109mm

     


(左)「Relay Station Kigali」と書いた立入禁止看板とアンテナ群 (中)中央部の事務棟 (右)1965年の開設を祝う現地スタッフ 
何れもDWのHPより
  

上空から見たKigali中継局の中央部分 (DWのHPより)



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