Robert E. Kamosa Transmitting Station (Saipan)

  Robert E. Kamosa Transmitting Station(REKTS)はサイパン島にある米国IBB所有の短波送信所である。この送信所は複雑な経緯でIBBの送信所となった経緯がある。この機会にその詳細をQSLカードとともに説明して見る。
 サイパン島は戦前日本領土であったが、第二次大戦中の1944年6月米軍が上陸し、以降は米国領となった。米国は占領後すぐにWestern Electric社製100kW送信機(実際の運用出力は50kW)を設置し、コールサインKSAIで 日本向に1010kHzでVOAの日本語放送を中継した。当時のNHKは川口送信所等全国33カ所の放送局を動員してジャミングを発射したと言われてい る。同島が中継局として使用された初めである。日本降伏後の1945年中止され、次に同島に海外向送信所ができるのは1982年となった。 

1.Marcom社時代(1982-1986)
 1970年代後半における日本のBCLブームを見たMarcom社のLawrence S. Berger社長(当時ハワイで中波局KHVHを経営していた)は、「日本の短波マニアにロック音楽を提供するコマーシャル短波局」の設立を思いつき、 400万ドルを投じて8ヵ月かけてサイパン島のAgingan Pointに短波送信所を建設した。Continental社製418-D2型100kW送信機と、TCI(Technology for Communication International)社製カーテンアンテナ4基を設置、1982年12月17日より日本、旧ソ連、オーストラリア、ニュージーランドをターゲット に「Super Rock KYOI」のニックネームで短波によるロック音楽の放送(番組制作はLos Anglesで行われた)を開始した。当時青年DXerであった西口隆司氏は12月17日の初回放送を受信し、第1号QSLとともにBerger社長から感謝状を受取っている。
 コールサインKYOIは米国西海岸を表すKコールに日本語の「良い」を組み合わせたものであるとか、日本のBCLに「脅威」を与えるためだとか言われているが、多分双方を狙ったものだろう。
 Marcom社は日本の会社からのコマーシャル収入を期待し、日本国内でTシャツ、ステッカー、KYOI専用カーラジオ用コンバータ(今あれば結構珍品 かも!)の販売も行った。放送は日本のみならず世界各地で大変良好に受信され好評であったものの、日本ではBCLブームが下火になっていた(1983年に は日本BCL連 盟発行の「短波」誌も廃刊となった)。その上、レコードに代わる新しい媒体としてCDが発売され、音楽マニアが短波でロックに熱中することなどあり得ない 事であった。すなわちビジネスモデルが当初から誤っていたとも言える。当初SONY、パイオニア(現ONKYO)、小学館、セイコー(開局直後に間違った 時刻を放送したためすぐに降りてしまった)、コカコーラジャパン等がCMを出していたが徐々に減少し、1985年には経営難に陥り、リスナーに寄付を求め る状況になった。1986年Marcom社はついにKYOIを米国のキリスト教メディアであるChistian Science Monitor配下のHerald Broadcasting Syndicateに売却した。

2.Herald Broadcasting時代(1986-2002)
  Christian Science Monitorは当時全世界に短波でニュースを配信する事業に力をいれており、Herald Broadcasting Syndicateは米国本土にWCSNとWSHBの2短波送信所を有していた。そしてアジア・太平洋向送信拠点としてKYOIを取得したものである。但 しすぐにKYOIの放送を内容を変えた訳ではなく、1989年まではほぼ同内容でKYOIの放送は継続された。同社は旧送信機のメンテナンスを行わなかっ たようで、音質は日毎に悪化して行った。この時同社は新しい送信設備の増設を行っていたらしく、1989年に至りKYOIの放送を中止し、KHBIのコー ルサインで本土のWCSNの番組を中継するようになった。まt同時にContinental社製418AM型100kW送信機を導入して旧機と入替え、ま たカーテンアンテナも2基追加導入して送信機能の強化を行った。ところが1990年代前半になり、Herald Broadcasting Syndicateも資金難に陥った。そこで1994年より他社に送信時間を売ることになり、High Adventure Ministriesが送信時間を取得、WVHAというコールサインで放送を行った。ところがHigh Adventure Ministriesもその後資金難となり、2002年には送信時間をLea Sea Broadcasting社に譲り同社はWHRAとして放送した。1990年代後半にChristian Science Monitorは短波放送事業からの全面撤退を決意し、1998年よりKHBIの売却先を探した。受け皿はすぐに見つかり IBB(International Board of Broadcaster)が買い取ることで話がついた。

3.Robert E. Kamosa Transmitting Station(2003-現在)
 米国IBBは1990年代後半にはアジア向短波放送の強化を考えていた。そのためKHBIの送信施設を全面的に改修することとし、新たに送信棟、 Continental社製418送信機(100kW)3基、TCI社製カーテンアンテナ3基を新設した。送信所名はUSIA(United States Information Agency、1999年に現在のBBGに改組された)の長官を勤めて1999年に死去したRobert E. Kamosa氏(1943-1999)にちなんで「Robert E. Kamosa Transmitting Station(REKTS)」と命名された。REKTSは当時新設された隣のTinian送信所(現在はPhilippines中継局からの遠隔操作で 運用)もその管理下に置いている。Tinian送信所も含めた送信所のメンテナンス、運用は入札によって外部業者に委託されており、現在はRoma Research Corporation(本社New York)が担当している。
 現在Saipan送信所からはVOAのごく一部と、Radio Free Asiaが送信されているが、送信時間は減少傾向で、隣のTinian送信所も含めて今後の動向が気になるところである。他のIBB送信所と同様 REKTSもSaipan送信所からの送信に関しては独自QSL(VOAのカードの形式だが)を発行するようになっている。返信料として2US$程度の同封が望ましい(米国ではIRCは不可)。

 以下にKYOI、KHBI、RFA発行のTinianカード、REKTS独自カードを掲載する。なおTinian送信所については別の機会に紹介する予定である。

REKTSの宛先: Agingan Lane, San Antonio, MP 96950, U.S.A.
                      または P.O.Box 504969, Saipan, MP 96950, U.S.A.



KYOIのQSLカード 開局2日後の1982年12月19日の受信に対するもの Saipanに送ったが返信はMarcom社の本拠地Honoluluからであった 
「New Magic from L.A.}(L.A.はLos Angelesのこと)の文言が右下にある
この時代のアドレスはSaipanだが1984年より米国本土(P.O. Box 1629, Canoga Park, C.A. 91304, U.S.A. )となった。
電動タイプライター印字 時刻は「GMT」だ! 大きさ 89×128mm
 


KHBIのQSLカード  1990年5月19日の受信報告に対するもの 返信はSaipanから直接来ている まだ電動タプライターの時代であった!
大きさ 101×152mm
 


2013年にRadio Free Asiaが期間限定で発行したSaipan送信所カード これはWashingtonの本部から
大きさ 141×109mm
 

REKTS直接発行の大型QSLカード ごく最近の受領 VOAのカード形式となっている 夕暮れの送信所風景が美しい CNMIとは「Commonwealth of the Northern Mariana Island」の略
大きさ 179×123mm
 


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