ニッポン放送 (Nippon Hoso, Japan)
 

 11月号で文化放送を取り上げたので、その姉妹局であるニッポン放送を取り上げない訳には行かない。

 ニッポン放送は文化放送とペアでフジ・サンケイグループに属する東京キー局であるが、宗教放送局として出発した文化放送とは異なり、日経連専務理事で あっ た鹿内信隆が中心となり財界の支援を受けて純粋な商業放送局として1954年7月に放送を開始した。既にラジオ東京(現在のTBSラジオ)が放送開始して おり、在京3AM局の中では最も遅い開局であった。開局当初の周波数は1310kHz出力50kWであった。「ポピ ポピ ポピ ピー」という鳩時計の時 報はその時から一貫して使用されている。開局4年後の1959年には他局に先駆けて24時間放送を実施、1967年には今に続く深夜放送番組「オールナイ トニッポン」をスタートさせた。また姉妹局文化放送とは1958年に立体放送(両局で左・右のチャンネルをそれぞれ放送し、2台の受信機で同時に聞く、当 時のステレオ装置には標準で2台のAM受信機が入っていた)番組も放送した。

 当初送信所は東武伊勢崎線竹の塚駅の東方約1kmの足立区東六月町に設置されていたが、この送信所位置では東京都西部や神奈川県まで電波が届きにくいと いう問題があった。また周囲に住宅が密集しており増力にも難があることから、当時の技術責任者高橋琢二氏は千葉県木更津市に送信所を移して増力することを 決断、1971年6月に木更津に送信所を移転した。そしてこの時周波数は1240kHzに変更され、出力は100kWに増力(NEC製100kW送信機2 基を設置)、サービスエリアが大きく拡大した。1240kHzへの変更は当時の郵政省(現総務省)の指示であったとのことだが、当時モスクワ放送の日本語 放送が夕方より1250kHzで放送しており、フジ・サンケイグループであることからソ連による宣伝放送を妨害するためといううがった見方もあった。事実 分離の悪い受信機では両放送が夜間に混信した。周波数は中波の9kHzおき再配置により1978年11月現在の1242kHzに変更されている。なお旧足 立送信所跡には1kWの予備送信機が設置されており、木更津送信所に不具合があった場合にはこちらから予備電波が送信されることになっている。 また足立送信所から試験電波が発射される事もある。

 1992年にはAMステレオ放送を開始(2015年現在継続中)、1994年には他局に先駆けてデジタル化送信機(NEC製50kW送信機MBT- 9050A 2基)を導入、2000年にはBSフジのサブ チャンネルを利用衛星放送LFX488を開始(2006年に終了)、そして2010年にはradikoによるインターネット配信を開始して現在に至ってい る。一時デジタル放送への進出も検討し、デジタル試験放送「D-JOLF」を開局したが2013年に断念した。この時同時にFMでのサイマル放送に注力することを発表した。

 FM補完放送は東京スカイツリーから2015年10月5日に93.0MHzで開始された。本放送は12月7日13時より出力7kWで実施されることに なっている。文化放送とともにFM補完放送には力を入れており、「Happy FM93」というニックネームを採用、また局全体のキャッチフレーズも10月より「笑顔が聴こえる HAPPY STATION ニッポン放送 FM93 AM1242」に改められた。周波数93.0MHzにちなんで毎年9月30日を「Happy FM 93の日」とする事も公式に認定された。ニッポン放送は2015年3月期186億円と在京3局中最高の売上を誇っているもののラジオ放送自体の売上はこの 1/4程度といわれ、経常利益も減少傾向にあるため、大電力送信所の維持経費を将来削減(減力、縮小など)したいというのが本音ではないだろうか。

  2005年にはライブドアによる株式買い占め事件に翻弄されることになる。当時フジテレビは事実上ニッポン放送の子会社であったことから、フジテレビの経 営権奪取を狙ったライブドアに株式を買い占められた事件である。この時の社長であった亀渕昭信氏が「放送局にはリスナーに対する愛情が必要」と力説し、社 員一丸となってライブドアに抵抗した話は有名である。この「リスナーに対する愛情」があるために人はラジオ放送を聴くのであって、単に情報を取得するだけ ならばインターネットでニュースを読めば良くなってしまう。今後もこの姿勢を大切にしてもらいたいものである。

 1970年代後半から始まった「BCLブーム」にもニッポン放送は重要な役割を果たした。このブームはCDが製品として出るまでのつなぎを当時のオー ディオメーカーがBCLラジオに求めて仕掛けたという説が有力だが、実際に動いたのはニッポン放送であった。技術責任者であった高橋琢二氏は、BCLの魅 力を伝えるために、当時WRTHに掲載されていた50kW以上の出力で放送中の放 送局すべてに手紙を出し、番組録音サンプルの提供を要請した。こうして集めた膨大な録音資料を、5本のカセットテープにまとめ、「世界の放送局」として発 売した。またBCLの手引書の刊行も企画し,1975年には野口実氏(「ラジオの製作」のライターであった)と小生(「電波技術」のライターであった)の 共著で、「世界の放送」を国際コミュニケーションズ社より発行した。同書は「編集・ニッポン放送」であり、高橋琢二氏は自らカバーに推薦の言葉を書かれて いる。

 日本の民放QSLは昔からデザインは良いが、証明事項が一切記載されていない単なる「お礼カード」(専門用語では「完全不完全ベリ」という)が多かった が、ニッポン放送は外国からの受信報告も多かったことと、技術陣がしっかりしていたことで受信事項を記載したQSLカードを発行しており、現在に至るまで その伝統が続いている。
 掲載したのはFM補完試験放送の11月4日迄(第3段階)での受信報告に対して発行された、「墨田放送局」試験放送のQSLカードと仙台の白石晋一氏よ り提供していいただいた11月5日以降(第4段階)のQSLカードである。微妙な違いを味わって欲しいものである。カードの発行の仕方からもFM放送に一 段と期待している局の姿が浮かび上がる。なお参考のため今から約52年前の1964年当時(周波数1310kHzの時代)のQSLカードも合わせて掲載す る。

 受信報告の宛先:  〒100-8439 千代田区有楽町1-9-3  ニッポン放送 技術局放送技術部

 URL: http://www.1242.com



(左)FM補完放送(93.0MHz)の試験放送に対して発行された「にっぽんほうそうすみだほうそうきょく」のQSLカード 電波形式F8E、東京スカイツリーに設置された垂直4段双ループの写真など実にマニアックなカードである 大きさ148×100mm
(右)同カード裏面 完全ベリとなっている 料金別納郵便の切手欄にも「FM93」のマークがある 10月5日は試験放送初日で110W程度の出力であった模様

  

(左)11月5日以降の第4段階での受信報告に対する墨田放送局のQSLカード表面(白石晋一氏提供) 送信アンテナの詳細が記述されている
(右)同裏面 上記のカードと微妙に異なる この段階ではフルパワーの7kWであることがわかる

   


(左)1964年2月に発行されたQSLカード表面 図は児童画家黒崎義介氏(1905-1984、長崎県出身藤沢市在住)によるオリジナル作品で、ラジオ番組の幅の広さと娯楽性を表現している 大きさ145×106mm
(右)同裏面 当時の一般的民放カードと異なり英語で受信データが記入されている 当時葉書は5円だったが何故か東京中央郵便局の10円切手印が押されている 

    


(左)1975年にニッポン放送から発売された「世界の放送局」 DX入門編・DX資料編第1-3巻・DX増補編の5巻からなる世界の放送局のカセット録音集 今となっては貴重な局も多数収録している
(中)1975年に国際コミュニケーションズ社から発行された「世界の放送 BCLのすべて」(野口実・赤林隆仁共著) 編集はニッポン放送
(右)同書のカバー裏に書かれた当時開発室長だった高橋琢二氏の推薦文

    
(左)木更津送信所の送信棟と送信塔 手前が電気興業製主空中線用122.4mトラス柱 後が補助空中線用62.9mトラス柱、その左にはパラボラ2基を備えた受信用空中線 敷地面積は約15,000坪 (Wikipediaより)
(右)東京スカイツリーからのFM93のカバーエリア (同局HPより)

   



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