Voice of Indonesia (インドネシア)

   Voice of Indonesia(VOI)はRadio Republik Indonesia(RRI)の国際放送の名称である。ところが奇異なことにVOIの方がRRIよりも設立が早いのである。オランダの植民地であったイン ドネシアは第二次大戦中日本に占領されたが、日本は当時独立運動を進めていたスカルノ(初代大統領)、ハッタ(初代副大統領)らに対して独立を約束し 1945年8月7日には独立準備委員会が発足した。しかし同年8月15日日本が無条件降伏したため、インドネシアは再びオランダの植民地に戻ることになっ た。それに危惧をいだいた独立派は8月17日に独立を宣言した。その後スカルノらは日本軍の残した武器を活用して4年間のインドネシア独立戦争を戦い 1949年オランダに独立を認めさせた。

  独立派が独立宣言を行う場合、国内外にそれを一早く伝える必要がある。通信が発達していなかった当時に唯一活用できた手段が短波放送であった。そこで独立 宣言直後の8月23日にはVosuf Rododipuro(後にRRI初代局長となる)らにより海外放送「Voice of Free Indonesia」が設立され、8月25日にはスカルノが、29日にはハッタが直接出演してインドネシアの独立を世界に伝えた。送信はオランダから奪っ たYogyakartaの短波送信所(周波数は5060kHzか?)から行われた。母体となるRadio Republik Indonesiaが設立されたのは9月11日で、同日以降はRRI配下の海外放送となった。その後インドネシアで独立運動を支援していた米国人K'tut Tantri女史により最初の英語放送も行われた。これとは別にオランダがインドネシアの独立を認める1949年まではオランダ側の海外放送Radio BataviaがTangjong Priok送信所及びKebayoran送信所から行われていた。インドネシアの独立が国際的に認められた後の1950年に局名は「Voice of Indonesia」に改められて現在に至っている。
 
 1950年の改名時からはRadio Bataviaから引き継いだジャカルタ南部のKebayoran送信所が使用された。当時送信機毎にコールサインが降られており YDB(300W)/YDC (3kW)/YDD(3kW)/YDE(3kW)/YDF(100kW)が使用されていた。この内YDFで運用されていたGeneral Electric社製の送信機のみが100kWの高出力で、他は低出力(3kW及び300W)であった。1965年の930事件以降はスハルトにより外交 的な孤立(1965年1 月には国連を脱退していた)から抜け出す政策がとられ、1967年Kebaroyanより更に南のCimanggisに大規模な短波送信所が設立され、 VOIの送信はそちらから行われるようになった。Cimanggis送信所の設備増強はその後も継続され、1982年には100kW短波送信機3基、 1992年には 250kW短波送信機4基が一挙に導入された。最後に導入されたのは1995年でMarconi社製250kW短波送信機B6131が3基導入された。 2010年にインターネット等のメルチメディア化の方針が示されて以来運用されているのはこの3基のみとなった。しかも実質上は9525kHz用の1基の みでしかも調子が悪い状況である。他の2基は予備用(15150、11785kHz)とされているが、9525kHzが出なくなっていた時期(2014年 秋から事実上聞こえなくなり、2015年3月には公式に停波、2015年8月12日に復活)にも予備用と して使われた形跡はない。従って1基使用されているB6131送信機が完全に故障して修理不能となった場合には廃止されてしまう懸念がある。

 VOIの放送ターゲットは当初①在外インドネシア人、②亡命インドネシア人、③外国人とされていた。次第に③の比率が高まり最盛期は11カ国語(英、 仏、西、独、アラビア、中、韓、日、マレー、タイ、インドネシア)で放送していたが、2010年迄に整理され2016年現在は8カ国語(英、仏、西、独、ア ラビア、中、日、インドネシア)に減少している。
 日本語放送(毎日21:00-22:00)は1977年6月1日に開始されている。当初は日本人アナウンサーも活躍していたが、現在はインドネシア人スタッフ中心で運用されている。 放送内容はよく吟味されているのだが、短波放送の受信状態が良くないのとインドネシア訛りが激しく、インターネットで聞いてもなかなか内容が理解できない場合があるのが難点である。折角予算を使っているのだからこの点は改善して欲しいものである。

 QSLカードは1970年代半ばまではインドネシアの観光地を描いた図案が使用されていた。その後はカラー写真を使用したものになり現在に至っている。


 受信報告の宛先; P.O.Box 1157, Jakarta 10110, Indonesia

  URL: http://www.voi.co.id  日本語 http://jp.voi.co.id (podcastあり)




(左)2015年のQSLカード 左上にRRIの現在のロゴと、モットー「Informing Connecting Dignifying」(情報で人々をつなぎ尊厳を与える)、右上にインドネシア観光のろご「Wonderful Indonesia」、図柄はジョグジャカルタのワヤン・クリッ
(右)同裏面 住所はRRIビルの所在地が書いてある、時刻の記入はJSTのまま 大きさ 151×95mm
  


(左)1964年受領のQSLカード 大きさ 151×110mm 3色刷りで、茶色に見える部分は金色で印刷されていた バリ島の棚田とヒンズー教寺 院、ハスの花の上にボロブドール遺跡を描いており仏教的(インドネシアはイスラム教国なのだが)な感じがする 右下にはYDFとYDDのコールサインが 入っている
(右)同裏面 コールサインYDF8が記入されている 周波数はkc/s表示 当時の私書箱番号は現在より一桁少ないP.O.Box 157であった
  


(左)1972年受領のQSLカード 図柄は1964年のものと同一だが青と黄色の2色刷りとなり、局名は図柄の下になっている 大きさ 150×108mm
(右)同裏面 コールサインの代わりに「The Voice of Indonesia」と記入されている。周波数はkHz表示だが、正字改革前なのでジャカルタの表示はDjakartaとなっている
   


(左)現在のVOIの生命線Marconi社製B6131短波送信機
(右)ジャカルタの中心部ムルデカ広場の西側を通るMedan Merdeka Barat通にあるRRIの建物 VOIは4階にある 建物の頂上部は昔の北京放送局(復興門外にあった頃の)に似ていて社会主義的な感じがする

  


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