Radio France Internationale (フランス)


 欧州を代表する大国フランスの海外放送である。日本語放送がなかったこと、フランス語放送を重視し英語放送にもあまり力を入れなかったことでドイツやイ ギリスと比べ日本のBCL界での人気は今ひとつであったようだ。しかし現在でも世界的には多くの聴取者(2014年の聴取者数はアフリカを中心に3億 7300万人、webサイト参照者数は940万人)を持つ国際放送局である。
 
 海外に広大な領土を有していたたフランスが国際放送を開始したのは1931年と比較的早く、同年5月6日より「Le Post Colonial」という名称でアフリカ、アジア(インドシナ半島はすべてフランス領であった)、中南米のフランス植民地に向けて短波放送を開始した。当 時はPontoiseにあった12kWと15kWの送信機各1台が使用されていた。植民地向放送の規模は徐々に拡大し1938年にはLes Essants-le-Roiに25kWの短波送信機を新たに設置して送信体制を強化、翌1939年には植民地だけでなく全世界に向けて「Paris Mondial」の名称で国際放送を開始した。

 しかし第二次大戦中の1940-44年にはナチスドイツに占領され、国際放送は「Radio Paris」の名称でナチスドイツのプロパガンダ放送として使用された。当時英国にあった亡命政権は「La Voix de France」の名称で抵抗を呼びかける短波放送を行った。解放後の1945年新年からは「ドゴール将軍放送」(General de Gaulle Radio)として再出発、同年3月にはRDF(Radiodufussion Française)の正式海外放送として復活した。RDFは1949年にはRTF(Radiodufussion Télévision Française)更にORTF(L'office de Radiodufussion Télévision Française)と改名された。

  送信所としてはMuret送信所(25kW送信機2基)が当面使用された。1948年からはAllouisに本格的な短波送信施設が整備され、 80-130kWの短波送信機7基、1968年には100kW短波送信機4基が導入されて設備が強化されて行った。更に冷戦の進展で短波放送の出力を競う 「パワーゲーム」が盛んになった1973年には現在も使用されているIssoudun送信所が建設され、500kW短波送信機が導入されて黄金期を迎えた。

 ORTFは国営放送で伝統的に組合が強く(現在でもしばしばストライキで放送が中断する)、官僚的で非効率であったためその経営問題は常にフランス政府内で課題となってきた。1975年にORTFは解体分割され、 国際放送部門は現在のRadio France Internationale(RFI)、送信部門はTélédifusion Française(TDF)という独立組織となった。更に1987年にはそれぞれが独立民営会社化されて今日に至っている。ORTF時代の国際放送部門 は1963年建設の有名な円形ビル「Maison de la Radio」(新放送会館)の17階にあったが、その後は別のビルに移転し、現在はParis郊外にある。

 フランスは国際放送の対象として日本を全く意識していなかった訳ではなく、1957年には突如日本語試験放送を実施したことがあった。しかし不調であっ たため、直接短波で放送することを諦め、ORTFのスタジオで制作された日本語番組のテープを空輸して日本で放送していたことがあった。当時の日本短波放 送(現ラジオ日経)の「世界の窓」の時間に「パリ便り」として週1回放送していた。担当はバリ在住の嘉野ミサワ女史であった。「パリ便り」は1975年の ORTF解体まで続けられた。その後嘉野女史は一時DW日本語部に移り、DW日本語放送の中で「パリ便り」を放送していたこともあった。またパリ在住 ジャーナリストとして現在も活躍している。

  独立会社ながらこれといった収入のないRFIは「お荷物」扱いされ、番組や放送時間は削られ続けている。現在アジア、中南米向放送は全廃、残っているのは 北米向英語放送、アフリカ向フランス語・ハウサ語・ポルトガル語・スワヒリ語・マンディンカ語放送のみで、特にフランス語放送の比率が高い。RFIの放送 時間削減で、Issoudin送信所は過剰設備(500kW送信機だけでも16基ある!)となり、(フランス政府の息がかかった)秘密局等への送信時間貸しで何とか生きながらえている。なおRFI フランス語放送はカンボジアのPhonm Penh等世界各地で24時間FM中継されている。

 このところRFIに関しては毎年「短波廃止」の噂が聞こえてくる。特に国内向放送Radio Franceで昨年は「AM放送の全廃、インターネット放送化」の方針が打ち出されたため、「RFIももはやこれまで」との観測もあった。これは純粋に国 内放送に関する決定だったらしくRFIは現在何とか持ちこたえてはいる。また2007年にハウサ語、2015年にはマンディンカ語の放送を開始するなど逆 に粘りを見せている。

 ORTFの時代は英語放送も豊富で、受信報告に対してシートレコードや新聞「Paris Vous Parle」が定期的に送られてくる等比較的サービスの良い局であったが、RFIになってからは渋くなり、「フランス語で受信報告をしないと返信がない」 と囁かれた。特に最近は予算不足が深刻なためかレスポンスが不安定で、QSLは発行されてもeQSLになってしまった。独立会社になっても官僚的性格は変 わるものではないので、必ず宛先にセクションや個人名を書かないと折角のレポートや手紙もクズかご行きになる可能性が高い。


 受信報告の宛先: Relations Auditeurs, Radio France Internationale, 80 rue Camille Desmoulins, F-92130, Issy les Moulineaus, France

 電話: + 33 1 84 22 84 84 

 URL: http://www.rfi.fr

   
(左)1966年ORTF時代のQSLカード表面 当時新設されたばかりの「Maison de la Radio」の上空白黒写真 セーヌ川を挟んでエッフェル塔が見える 当時のORTF海外放送はこのビルに入っていた 大きさ148×104mm
(右)同裏面 ORTFのロゴが懐かしい 印刷はフランス語だがメッセージは英語 別便で英語のシートレコードも送られてきた   この頃常識であったタイプライターは使用されていない(仏文用は記号がジャムり易かったからか?) スタンプの印面金額は40サンチームと懐かしい単位 だ!

  


(左)1981年RFIになった時代に発行された国際放送開始50周年記念カード表面(フランス語による受信報告に対する) 上部左側に TDF、右側にRFIのロゴ(何れも当時のもの、現在は異なる) 中央には当時のIssoudun送信所の写真 大きさ148×105mm
(右)同裏面 公式にはTDFが発行したことになっている やはりタイプライターではなく手書きである Mr.はmisterではなくmonsierの略
  


2016年取得のeQSL Issoudun送信所のALISSアンテナが背景 発行者はBonijol Sebastien氏 アンテナはALISSと記載すべきところWellbrook ALA1530となっている! フランス語による受信報告(郵便で送付)に対するもの




(左)1960-70年代に発行されていた英語情報誌「Paris Vous Parle」(パリ便り)1968年1月号 各国語で新年の祝詞が書かれている中央には縦書きで日本語(ひらがな)もある SECAM方式のカラーTV放送開始を記念してこの号はオールカラー
(右)変遷が激しいRFIのロゴ一番左が当初、2番目が1980年代、一番右が現在

              



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