Radio Australia (オーストラリア)


 かって人気ナンバーワンの日本語放送であったRadio Australia(RA)にもついに終焉の時がやって来る。RAの母体であるAustralina Broadcasting Corporation(ABC)はRadio Australiaの短波放送を1月いっぱいで打ち切る決定を行った。理由は「時代遅れの技術から最新のデジタル技術に転換するため」とされているが本音 は「放送しても儲からない海外向放送に向ける費用などない」ということである。この論理が世界中を闊歩し海外向短波放送は次々と廃止され て行く。

  オーストラリアで海外向短波放送が開始されたのは1927年、Pennant Hills送信所に設置された20kW短波送信機からAWA(Amalgamated Wireless of Australia)という団体が欧州向に放送したのが「最初である。国営放送ABCによる国際放送は、1939年に当時アジアで勢力を伸ばしつつあった 日本のプロパガンダに対抗するするため、Sydney10kW、Melbourneの2kW短波送信機を使用して開始された。当時は 「Australia Calling」という名称であったがRAではこれを以て国際放送の開始としている。しかしこの放送は出力が小さく問題とならなかったため、英国政府の助 言で Shappartonに大規模な短波送信所の建設に着手、1944年には100kW送信機1基、50kW送信機2基を有する大送信所が完 成した。この内 50kW送信機2台は米国政府よりVOA用のRCA製送信機の提供を受けた(そのためShepparton送信所では戦時中はVOAの中 継も行ってい た)。そして放送局局名を「Radio Australia」と改名し本格的な高出力海外放送を開始した。但しShepparton送信所の運用は実際には米国から送信機の提供を受けた1942 年 から開始されていたらしい。1942年時点で日本語を含む7カ国語で放送していたが、第二次大戦後は日本語放送が廃止された以外は強化さ れ、特に1956 年のメルボルン五輪の際は当時短波放送しか情報の伝搬手段がなかったために大幅な強化が行われた。

 日本語放送は戦時中の1942年に開始されたが、戦争終結後廃止された。第二次大戦で敵国であったことと、白豪主義(現在も根強い)が 続きアジアに対し て無関心であった影響で日豪関係は疎遠な時期が続いていたが、1960年になって日豪相互理解を目指して毎日1時間の放送が再開された。 受信状態も良かっ たために日本のリスナーは開始当初から鰻上りに増加し、BCLブームの時代には最も人気の高い海外放送局となった。これに 合わせて、オーストラリアが経済成長期であった事も相俟ってRAは送信施設を続々と建設していった。1968年にはアジア向にに特化した Darwin送 信所が北部に建設され、250kW短波送信機3 基が当初稼働した。更にCarnarvon送信所が1975年に、Brandon送信所が1989年に新設された。Darwin送信所は 特に期待を込めて 建設されたが、運用に入ると想定外に気候条件が悪く、1974年には巨大なアンテナが台風で吹き飛ばされてしまった。また風雨に施設の劣化が想定以上に厳 しくメンテナンス費用が増大し、RAの送信にはあまり使用されなくなった。それでも1993年には250kW送信機を入替えて海外に駐留 するオース トラリア軍向放送に利用されたが、その後2000年には英国のChristian Visionに売却され、2010年に同社の短波撤退で廃止された。

 短波人口は1970年代終わりにはピークとなりRAの週間放送時間のこの時期に350h/wとピークに達した。しかしこの時期以降は ピークに減少し始 め、少しずつ逆風が吹き始めた。1990年にはアジア・太平洋島嶼地域向の放送に特化、不要不急の地域向放送は廃止という方針が打ち出さ れ30年続いた日 本語放送は同年12月31日で廃止された。その後もABCはRAを邪魔者扱いするようになり、各方面向けの放送は徐々に削減されて行った がそれでも 1996年で、300h/wという週間放送時間を維持していた。またCarbarvon送信所は1996年に廃止されたが、主力の Shepparton送 信所のメンテナンスは継続され、1996年には100kW短波送信機1基が、21世紀になった2010年にも100kW短波送信機1基が新設された。

 オーストラリア政府やABCからの邪魔者扱いで、21世紀になってからのRA徐々に弱体化して行った。アジア向の中国語、インドネシア 語放送も2013 年に中止され、また予算不足から同年以降QSLカードの発行も停止された。更に2014年になり予算停止という最終通告がRAに突きつけ られた。2014 年後半の予算を一切認めず2014年5月で全面廃止というい内容である。RAの反対でこれは回避されたが、同年9月以降英語番組の制作も 廃止、放送ピジン 語、フランス語語、ビルマ語、クメール語のみで後はABC国内番組を流すという形態でしばしの間平衡状態を至ってきた。
 しかし昨年(2016年)12月初めになりABCは突如RA(だけでなくABC Northern Territory Service)の短波放送を2017年1月いっぱいで廃止すると発表した。RA短波放送廃止決定の真の理由は「新技術の採用」ではなく、 Shepparton送信所(同時に廃止される見込み)の電力料金の値上がりだそうである。どこの国にも建前と本音があるものだ。それで も「新技術の採 用」の名の下、RAの組織が存続し、インターネット上といえど放送を継続して聞くことができることは幸いである。放送組織が生きていれば、将来短波放送復 活の可能性が残るからである。価格の安いQRP送信所からRAが出るということも将来あり得るかも知れない。

 Shepparton送信所の送信機には当初VLA、VLB等のコールサインがつけられていた。そのため初期のRAのQSLカードは コールサイン入りの ものであった。戦後になってからはオーストラリアの珍しい動物や風景を取り扱ったのものは数多く発行された。特に人気が高かったのはRA の放送開始時に使 用された珍鳥「ワライカワセミ」(Kookaburra)を描いたQSLカードであり、何回も発行された。掲載したものは1964年に受 領したもので、こ のQSLカードが来ただけでもオーストラリアへの想像がかき立てられ感動したものである。またRAのQSLカードにはすべて 「Official Verificantion」(公認受信証)の記述があったことも印象的である。ワライカワセミは東京では多摩動物園の一番奥の山の上で飼育されており、 行くとあの鳴き声を直に聞くことができる。
 現在RAのHPには「受信報告に対してQSLカードの発行がありません」と書いてあるが、HP上の通信欄から受信報告を送れば返事の形 でeQSLは発行される。掲載したものは廃止決定後の2016年12月に取得したものである。

 今年は良いことがないと思われるRAであるが、とにかく将来にわたり組織を温存して行ってくれることを祈念したい。


 受信報告の宛先: G.P.O. Box 9994, Melbourne, VIC 3001, Australia (QSLカードは発行しない)

 URL: http://www.radioaustralia.net.au (メールもHP上から送付可能)



(左)1964年の「ワライカワセミ」QSLカード   当時のQSLカードはすべて「Official Verification」(公認受信証) 大きさ 156✕119mm
(右)同裏面 当時では珍しく手紙、発行者は番組責任者のB.Hawkins氏 周波数はMc/s表示。宛先の私書箱の番号は現在と異なる。
 


(左)1964年に発行された国際放送開始25周年記念のQSLカード、これには「Official Verification」の表示がない、地の色は灰色ではなく銀色である。大きさ、裏面は上記のカードと同じ。今年(2017年)は放送開始78周年に 当るので、この時からも随分と時間が経ったものだ!
(右)短波放送廃止が決まった後の2016年12月発行のeQSL、すでにQSLカードの発行は停止された。短波廃止後にアクセスすべき URLが色々と紹介されている。スマホ専用アプリやVtunerでも受信出来る。短波放送廃止に関するコメントはなし。
 

(左)1963年秋発行の番組表における日本語番組の部分。当時オーストラリアには日本語の活字がなかったためにすべて手書きで 謄写版のようである! 写真は日本語放送開始から終了まで30年間にわたり「RA日本語の顔」であった秋草満氏。
(右)MelbourneのSouthbankにあるRadio Australiaの局舎
 

1980年に発行された日本語放送開始20周年記念QSLカード 大きさ 127✕185mm
当時の日本語放送スタッフ  ①ダグラス・ヘルーア日本語課長、②秋草満氏、③後藤修三氏、④大村清氏、⑤大村和子氏、➅小谷伝氏、⑦ハフ信子氏、⑧佐藤美佐子氏
(①~⑧は筆者が後から加えた、オリジナルカードには入っていない)






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