Voice of United Nations Command (日本/韓国)

 もはや忘れられた存在となった日本関連の短波局である。直訳すると「国連軍の声」ということになるが国際連合による局ではない。朝鮮戦争 (1950年6月25日勃発、 1953年以来休戦)では国連安全保障理事会で停戦のための軍隊(国連軍)を派遣することを決定したが、当時の常任理事国であった中華民国を ソ連が認めず審議をボイコットした。そのため拒否権の行使が行われず、米国を中心とする「国連軍」が北朝鮮(後に中国も参戦)の「共産軍」と 戦うことになったため、実態は米国陸軍の心理作戦部隊による放送であったのだが、「国連軍」を名乗っている。

 1950年6月25日に北朝鮮軍が韓国に侵入し朝鮮戦争が勃発、28日には首都ソウルが陥落した。この事態に米国は敵に向けた軍事放送の開 始を決定、当時日本を占領統治していた米国GHQはNHKに対して放送の中継を命令した。こうして開始されたのがVoice of United Nations Command(VUNC)である。当初は東京、福岡、松江の各放送局から中波で中継を行っていたが、7月からは国内各地の短波送信所からの短波送信も開 始された。VUNCの目的は敵側(北朝鮮)の戦意喪失と占領された韓国の人民に対し米国が助けに行くことをアピールすることであった。同年9 月の仁川上陸作戦により 米国は 首都ソウルを奪還したためソウルにも中波の送信拠点が設けられた。10月にはマッカーサーによる北朝鮮向最後通牒がVUNCを通して放送され た。当初は北朝鮮・占領された韓国向の韓国語放送であったが、1950年末に中国軍が参戦したため、1951年からは中国語・広東語放送も開 始された。

 1953年7月に休戦協定が成立し、以後現在(2017年)に至るまで64年に渡り休戦状態が続いている。
 VUNCの送信所には多くの変遷があったが、1953年の休戦成立以降は、日本の場合短波放送は名崎・八俣の両送信所+NHKの一部放送 局、韓国の場合はソウル・釜山の中波・短波送信所に集約された。
 1957年版WRTHには次の記載がある。
 韓国: ソウル 560kHz/2.5kW   03:00-07:00  釜山 4780kHz/2.5kW  時間不明
 日本: 名崎 6015kHz/20kW 22:30-06:00  名崎 9505kHz/10kW 20:00-01:00  八俣 9560kHz/10kW 20:00-03:00
  また1958年版では次のようになっており、周波数や中継局がしばしば変更されたことがわかる。また当時NHK第二放送とKBSソウル第二放送で中継され ていた。
 韓国: ソウル 760kHz/1220kHz 5kW  龍山 2720/3765kHz 300W 19:30-09:00
           KBS中継 ソウル  710kHz/100kW  3910kHz/400W 21:30-23:00
  日本: NHK中継 東京 JOAB 690kHz/100kW  大阪 JOBB 830kHz/100kW 23:32-01:02
     八俣 6015kHz/10kW 22:30-06:00  八俣 9560kHz/10kW 20:00-03:00
  局の連絡先は1957版ではHQ U.S.Armed Forces, Psychological Walfare Section, Tokyo、1958年版ではU.S,Army Broadcast and Visual Activity Far East, APO 500, San Francisco, Californiaとなっており、当初東京に本部があったことがわかる。
 日本での中波中継は1960年、短波放送は1961年に中止された。その後は韓国を拠点に放送が継続されていた。1962年版WRTHでは 以下のスケジュールであった。
 VUNC直営: ソウル 中波 760/1220/1270kHz 5kW 短波 2405/3985kHz 300W 17:00-11:30 (韓国語 8時間 中国語 3時間、広東語 30分、音楽 7時間)
         KBS中継  ソウル 970kHz/100kW 6035kHz/10kW 19:00-20:30
 また宛先のAPO番号がAPO 311に変更された。

 一時は韓国拠点の局となったが、更に1963年沖縄中部のDeragawa送信所(具志川市平良川、「たいらがわ」という地名が「でーらが わ」と聞こえたため米軍内部ではこれが正式名称となった模様、米軍の専用短波送信所)より短波放送が開始された。VUNCを統括する米国心理 作戦部隊 (Psychological Operations Group)の本部が沖縄に置かれたことにより、番組を沖縄で制作し、韓国に短波で番組を送るための中継用であった。当初周波数は9830kHz付近、後 に9MHz帯+13MHz帯の2波による放送となり、最終的には9915kHz及び14460kHzで1日5時間の放送を行っていた。しかし 1960年代 後半に至り米国政府がVUNCの費用対効果に疑問を持つようになったことと、沖縄が日本に返還されることになったことから、1971年6月 いっぱいで廃止 された。そして翌1972年2月には韓国のVUNCも廃止され終焉を迎えた。VUNCを最終的に統括していたのは第7心理作戦部隊(7th PSYOP)で1965年に沖縄を本拠地として組織された。1974年に改組され、更に1993年にはカリフォルニア州Moffett Fieldに本拠地を移して現在まで続いてい る。
 Deragawa送信所の正確な場所については諸議論があったが、米国のTimYoho氏は2007年に調査の結果北緯26 21 30.52、東経125 51 19.35の地点であると結論している。
 「国連軍の声」という名称は誤解を生じるため国連は名称の変更を米国に迫ったが、米国は従わなかった。
  掲載したQSLは1964年に獲得した沖縄送信に対するものである。受信報告の送付先は上記のAPOとはまた異なるAPO 301であった。多分これは沖縄にあったものと思われる。



(左)1964年に沖縄送信の短波放送に関して発行されたVUNCのQSLカード 表面 左に国連のマークが 入っている 「SUPPORT BY TRUTH」とあるが、VOAと異なり必ずしも「真実」を放送したとは限らない。 大きさ 144✕95mm
(右)同裏面 当時韓国で放送されていた3周波数とその中継用であることが記載されている。

 


(左) Deragawa送信所の短波用ロンビックアンテナ (右) ソウルの南山山麓の基地内にあったVUNCのスタジオ 何れも1960年代前半  TimYoho氏のHPより

  


TopPage