Australian Armed Forces Radio (オーストラリア)


 聞き慣れない名称の局だが、「そんな昔ではない、ある時期にだけ存在した」という意味では珍局の部類に属するのかも知れない。 1993年から約7年間 だけ存在した在外駐留オーストラリア軍向の短波放送である。

 オーストラリアは英連邦の一員であるためその軍隊は「女王の軍隊」とされ、英軍が派遣された場所には一緒に派遣されるのが常であった。 オー スト ラリア海軍の戦艦は今でもHer Majesty's Australian Ships(HMAS)と言い、各地の部隊にはHMAS Darwinのような名称がつけられている。海外派遣部隊には娯楽も必要なため、部隊内での放送は早い時期から行われていた。最も早く行われ た軍の放送は 1941年にパレスチナのGazaに派遣された部隊内で行われたAFRS(Australian Forces Radio Service)であった。その後第二次大戦でオーストラリアの部隊が各地に展開するとAFRSも局は増加して行った。第二次大戦終結後は AAAS(Australian Army Amenity Service)の配下で放送が行われ、放送拠点はオーストラリア国内に加えて海外の多地点にわたった。日本に駐留していたオーストラリア軍向放送も岩国 と呉(1470、6085、6105kHzで放送、多分英軍局と共同、QSLカードも発行された)で戦後の一時期行われていた。その後朝 鮮戦争時には韓国のソウルにも局が設置された。インドシナ戦争時にはマレー(現在のマレイシア)のButterworthに、更にベトナ ム戦争時には南ベトナムの Vang Tauにも放送局があった。

 Australian Armed Forces Radio(AAFR)の名称で放送を開始したのは1993年で、当時ABC専用であったDarwin送信所から、ソマリアとカンボジアの国連平和維持軍 に参加していたオーストラリア海軍の兵士に向けて短波放送が行われた。番組内容は音楽、ニュース、家族からのメッセージであった。 Darwin送信所の500kW送信機が使用されたが、短期間で終了し、首都Canberra近郊のBelconnen送信所及び西オ-ストラリア州に Exmouth送信所に設置された軍用の40kW送信機からのSSB送信に切り替えられた。翌年には局の名称をAustralian Defense Forces Radioと改名し、ルワンダ、マレイシアのButterworth基地、パプアニューギニアに駐留するオーストラリア軍向放送をBelconnen送信 所から行った。衛星、インターネット等の代替メディアが出てきたため2000年初め頃に停止されてしまい、現在は実施されていない。

 QSLレターは1993年初めにDarwin送信所からの放送が開始されたばかりの頃の受信報告に対するものである。

 AAFRぼ最初の送信が行われたDarwin送信所はRadio Australiaのアジア向放送拠点として1969年より運用が開始された。Darwinは地理的な位置は理想的であったが、自然条件が非常に過酷で、 高温多湿・風雨・海からの塩害で設備の劣化が早くメンテナンスに著しいコストがかかった。更に毎年襲ってくるサイクロンでアンテナが吹き 飛ば された。特に1974年にはサイクロンTracyによって主要なアンテナ・送信機が吹き飛ばされてしまい、以後約10年間使用不能となった。 設備復旧後もRadio Australiaはコストのかかる同送信所をあまる使わなくなった。そこで白羽の矢が立ったのが軍の利用であったと推測される。しかし駐留軍向放送には 過剰設備であることと、コスト負担が重すぎることで軍も早々に手を引いてしまったものなのであろう。1997年にはRadio Australiaは全面的にDarwin送信所の利用を停止、2000年には英国の宗教放送団体Christian Visionに売却された。そして2010年Chrisitian Visionの短波撤退に伴いこの大送信所も閉鎖された。


Canberraのオーストラリア国防省(局の宛先もその後変更されている)から送られてきたAAFR(レターヘッドぼロ ゴが入っている)のQSLレター 発行者 はA.Patulny氏
送信出力は250kW




(左)AAFRの当初のターゲットであったカンボジア駐留オーストラリア軍通信部隊の入り口(1993年頃、Wikipediaより)
(右)1969年に発行されたRadio Australia放送開始30周年記念QSLカードに描かれたDarwin送信所の(当時)最新型ビームアンテナ このアンテナもサイクロンTracy で吹き飛ばされてしまった!
 


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