Radio Monte Carlo (Monaco/France)


  今回は前回のTWR-Europeと関係の深いRadio Monte Carloをとりあげる。Monte Carloの名称からモナコにあると思われがちだが、現在は送信所、スタジオ、経営母体ともにフランスにあり、フランスの民間放送と言って良い。2001 年以降正式名称も「RMC」(発音は仏語)となっている。

 Radio Monte Carlo発祥の地はその名の通りモナコで、現在でもわずかながら資本参加している。その起源は第二次大戦中の1942年に遡る。この年、ナチスドイツは 秘密裏にモナコの高地にあるMonte Agel(Fontbonne)に短波送信所を建設し、モナコ政府対してフランス、イタリア向のプロパガンダ放送をそこから開始させるように要求した。当 時のモナコは中立国の立場をとっていたため、この要求を拒絶した。それに対してドイツは一時的措置としてイタリア等の出資を得て民間放送会社Radio Monte Carloを同年に設立し、1943年7月に占領下のフランスAntibes(地中海岸カンヌとニースの間にある)から1242kHz(10kW)で放送 を「新しい欧州のため」として強行に開始、翌月には出力を30kWに増強した。しかしドイツの敗色が濃くなった1944年8月にAntibesは連合軍の 爆撃を受け、送信所は破壊されて放送不能となった。1945年6月に欧州での戦争が終結すると、フランス、モナコ両政府はナチスドイツの資産として共同で Radio Monte Carloの運営を引き継ぐことになった。Radio Monte Carloは民間放送会社であるが政府が全面出資している半官企業(フランスには他に国営のRadio Franceがある)であった。当時の欧州ではラジオ放送は国営であるのが常識であったため特異な存在であった。その背景には戦後のフランスがこの局を前 面にイタリア(RMC-Italyが設立された)や中東(RMC-Middle Eastが設立された)、アフリカに進出するというメディア戦略があった。そして1945年10月、ナチスドイツが建設したMonte Agel送信所より「Maison de la Radio」名称で1467kHz、出力10kWで送信を再開した。同時に30kW短波送信機2基を導入し、 49mb(6035kHz)、41mb(7349/7135/7140kHz)で欧州向に短波放送も開始した。これがMonte Agel送信所からの短波放送の始まりである。中波放送は1949年には出力120kWに、更に1954年には200kWに増力した。

 Radio Monte Carloの主なターゲットエリアはフランスで、1952年には7%の聴取率を得ていた。その後聴取者数を上げるために1955年にはMonte Agel送信所の200kW送信機2基を結合して中波を400kWに増力した。また1960年代のアルジェリア紛争時にはアルジェリアでのリスナーも多数獲得した。1964年にはFM98.5MHzの送信所も設けられた。
 1965年欧州全体を強力にカバーするため1200kWの長波送信所をフランスとの国境に近い1000mの高地La Madoneに新設し218kHzで放送した。またこの年メインスタジオをモナコからフランスのパリのMagellan通りに移転 し、中波の周波数も増加させた。

 La Madoneは指向性を持った長波送信に適していないロケーションであったため、1974年には長波の送信所をモナコからフランス南東部の Roumoulesに移転した。Roumoulesには長波用に3本(1979年に追加して後に4本)の300mマストが建設され、複数の送信機を組合わ せて通常1000kW、最大2000kWの出力で放送した。その結果カバー範囲はフランス全土・イタリアに加えモロッコ・アルジェリア・チュニジアと飛躍的に増加し聴取者数も倍増し た。ここにRTL、Europe1と並ぶ「欧州長波御三家」が成立したと言える。La Modone送信所に残された長波送信機は中波用に改造され、702kHz(イタリア語放送)と1467kHz(フランス語放送)で各600kW、 1467kHzで1200kWの出力で放送が出来るようになった。
 1987年には中波1467kHzの送信所も施設ごと Roumoulesに移転し出力1000kWで送信を行った。この中波放送は主としてTrans World Radioの送信に使用され、他にVatican Radio(2001-2006)、China Radio International(2007-2015)にもレンタルされた。2020年夏現在はTrans World Radioの欧州向放送を送信している。なおLa Modoneには1467kHz用の低電力(40kW)送信機が残され、2016年まではモナコ地元向のローカル放送に使用されていた。

  欧州ではAM放送全盛時代は徐々に過ぎ、1978年にはRMCもFM放送を地中海沿岸地域で開始し、チャンネル数も増やし、FM放送(フランス全土と モナコで実施)だけで4系列の番組を流すようになった。1988年からはパリのエッフェル塔からも送信し、徐々にフランス全土のFM放送網を構築して行っ た。

 1980年代以降フランス政府はRMCから資本を引き揚げる方針に転じた。1994年フランス政府はRMCの経営から撤退した。なお1993年にはモナコにあった本局の局舎をモナコ政府に売却し、本局もパリに移転して事実上フランスの放送局となった。

 他局との競争が激化し、1990年代の経営は思わしくなかったが、2000年にはNextRadioTV社の配下(同社の持ち株比率99.9%、モナコ 公 国の比率0.1%)に入り、翌2001年には番組内容を整理し「ニュース・トーク・スポーツ」の専門局として生き残りを図り、現在に至っている。 216kHzの長波放送(出力は昼間900kW、夜間は600kWに削減されている)はその後も頑張っていたがついに2020年3月28日にその役割を終 え廃止された。現在Roumoules送信所からは1467kHzの中波放送(Trans World Radioの番組を放送)のみが送信されている。なお長波の廃止と前後してパリ首都圏でDAB+の放送を開始した。

  短波放送は当初フランス向とそれ以外の欧州向海外放送が実施されており、フランス向は中波と同内容、海外向は英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語で行 われていた。1960年にモロッコからモナコに移転して来たTrans World Radioが100kW送信機2基を提供した上で、Radio Monte Carloと共用して送信することになった。以後徐々に海外向放送はTrans World Radioに移って行った。そして1966年頃には49mb、41mbの短波放送は長波・中波と同一番組(モナコ・フランス向)を放送するようになった。 この短波放送は日本でも良く受信できたが、Roumoulesに長波大出力送信所が開局した後は事実上不要となり、41mbと49mbの放送は1979年に廃止された。但しMonte Agel送信所を使ったRadio Monte Carloからの海外向短波放送はその後も外国の団体から要請があれば行われた模様で、1976~1980年代には当時のソ連向のカトリック(プロテスタ ント系のTWRからは放送できなかった?)のロシア語放送を31mbで放送した記録があり実際には1985年くらいまで継続していたらしい。Monte Agel送信所には1982年にTWR用の500kW短波送信機が導入され再度隆盛を極めたが2012年には全面廃止され、現在は海岸局Monte Carlo Radioの送信所として細々と使われている。

 1970年代までは受信報告に対してQSLカードが発行された。掲げたのは1969年に発行されたものである。短波廃止後この局とはご無沙汰していた が、欧州に出掛ければ長波の216kHzは夜間いつでも受信できた。ところがパリの本部は受信報告に興味がないらしく、受信報告を送ってもなしのつぶて(大きな組織なので送り先が悪かったのかも知れないが)であった。2014年モロッコで受信した際の報告を Roumoules送信所に直接出したところ、何と日本語 (内容は相当おかしいが)で返信が来た!
 
  
 局のアドレス 12 Rue d’Oradour sur Glane Paris, 75015 France
 
    URL: https://rmc.bfmtv.com/

 Roumoules送信所のアドレス: Le centre émetteur de Roumoules, Sainte-Croix-du-Verdon, Roumoules, Provence-Alpes-Côte d'Azur, 04500 France


(左)1969年に7140kHzで受信した時に獲得したQSLカード表面 Mont Agel送信所の中波鉄塔の写真で1950年代後半~1970年代のQSLカードに使用されていた 地中海側の上空からフランス方面を向いて写したもの で、左下の建物が送信棟、短波のアンテナは更にその左側にあった、現在中波鉄塔のあった跡はMonaco Radioの送信所となっている 右下の周波数は変わる度に張り替えていた 当時の周波数は1466、6035、7140kHz(3AM~のコールサイン もあった)当時既にオンエアーされていた筈の長波 218kHzは記載されていない   大きさ 141×106mm
(右)同裏面 英語で証明事項がタイプされているが周波数・時間の記載はない 右上の切手の図柄は当時のモナコ国王で米国女優グレース・ケリーと結婚したレーニエ3世(1923-2005)である

 


(左)2014年モロッコでの受信に対してRoumoule送信所から送られてきたお礼状 前半の日本語は機械翻訳で支離滅裂な内容だがまあご愛嬌である 発行者はPascal Penella氏 フランスから郵便で送られてきたが、Penella氏のメルアドがmcr(rmcではなく).mc(フランスfrではなくモナコ)なの は何故であろうか?
(右)同時に送付されたステッカー・ロゴ   このロゴの図案は1974-1987年に使用されていた古いものである 大きさ 159×64mm

  


(左)Roumoules送信所 手前に見える4本の鉄塔が旧長波用、後ろ側に見える5本の鉄塔が現中波用 背後にはサンクロワ湖(Lac de Saint-Croix)が見える(Wikipediaより)
(右)モナコ市街の背後に聳えるMont Agel(右端の山) 右下は地中海 Mont Agel送信所は山頂右下の斜面にあり、残存する鉄塔が見える(Wikipediaより)
 



TopPage