ラジオNIKKEI(旧日本短波放送)
Radio NIKKEI (ex Nihon Shortwave Broadcasting Co.)


 短波放送局は世界に沢山あるが、高出力の民間商業放送局はそれほど多くない。米国、カナダ、ブラジルに散見される程度である。日本唯一の民間商業短波放送局(短波のみの純粋な商業放送としてはおそらく世界唯一)として気を張っているのがラジオNIKKEIである。開局は1954年8月で、日本短波放送(NSB)の名称で開始された。当時の周波数は3925、6055kHz(出力500W)と現在も使用されている周波数である。翌年には9595kHzも追加された。東京からの民間放送は1951年12月25日のラジオ東京(現在のTBSラジオ)が初めであり、正に民間放送の黎明期に開局した全国カバーの放送局なのである。またその後短波の商業放送は認可されておらず日本の民間放送としては例外的な存在である。当初から株式市況、プロ野球の連日中継等特徴のある番組構成で、リスナーの人気を集めた。また中波だけのラジオに簡単に装着して短波が受信できる「NSBチューナー」も売り出して普及に努めた。また当時の短波付きラジオは3925、6055、9595KHzの3波が受信できるように3.5-10MHzの帯域が受信できるものが多く制作された。

 1961年には札幌中継局(当初3945kHz・10kW、後に3925kHzに変更)が設置され完全に全国をカバーできるようになった。1963年には「第2プロ」の放送が開始され周波数として3945、7230kHz(戸田送信所)が追加された。第1プロが3925、6055、9595kHz、第2プロが3945、7230kHz(後に9760kHzも追加)で放送されるようになり、出力は10kWに増力された。そして1969年には送信所を戸田から現在の長柄送信所(千葉県長生郡、市原と茂原の間にある市津湖の湖畔にある)に移転した。1971年からは3945kHz以外の夜間の出力を50kWに増力した。7230kHzは1974年に6115kHzに変更され、両プログラム(後に第1放送、第2放送と称するようになった)ともに75、49、31mbで放送される体制が確立した。短波を使っている関係で1970年代後半からのBCL ブームでは全国のBCLから受信報告が殺到した。これに呼応して「BCLタイム」、「BCLスクランブル」、「英語でBCL」、「BCLワールドタムタ ム」等数多くのBCL番組も放送してBCLの拡大を支援した。また「初級ハム講座」、「子門と照子のQSOジョッキー」等の番組でアマチュア無線の発展も支援した。小生らも同社の会議室を借りて定期的にBCLミーティングを開催していたこともあった。また他の民間中波局の放送コードに縛られることがなかったためより自由な内容の番組構成が可能で、これもリスナーの人気を集めた。1978年には愛称を「NSB」から「ラジオたんぱ」に改めた。

  長柄送信所では送信機の更新が1979-81年に行われ。NEC製50kW送信機5基が導入された。更に1991年には同社製10kW送信機1基が追加された。また1996年には札幌送信所が根室に移設され、NEC製10kW送信機に更新されている。ラジオたんぱを専用に聴くファンのために「ラジオたんぱ専用ラジオ」や455kHzのスーパーヘテロダイン受信機の局発用の水晶「NSBクリスタル」(差し込み可能な受信機も結構あった)も販売された。現在でも東芝のTY-SHR3はほぼ専用機と言って良い。

 ラジオのリスナー数が減少し始めた2000年代になると、短波放送から有料衛星放送に切り換えることが模索され、2000年の年末にBSダジタルラジオ放送「デジタルたんぱ」(後に「BSラジオNIKKEI」)が開始され、2002年には短波による第2放送が平日には中止された。しかしこれらは軌道に乗らず、2003年会社は日経メディアの配下に入り、「日経ラジオ社」(現在の正式名称)となった。それに伴い翌年には愛称も現在の「ラジオNIKKEI」に改称された。更に衛星放送からは撤退することが決定され、2006年「BSラジオNIKKEI」の放送を中止し、同時に短波による平日の定時放送が復活さ れた。旧来の第1・第2放送各3波づつの放送に戻った訳である。但し2011年の東日本大震災の際には電力不足から一時平日の第2放送を休止した。

 2018年10月には周波数体系を大幅に見直し、第1放送6055kHz、第2放送6115kHzの体制に改め、第1放送は17:00以降と平日の朝の み3925kHz(根室送信所)でも補完的に運用するだけとなり、長柄送信所の3925、3945、9595、9760kHzの各送信機は非常時の予備用となった。なお短波の周波数スケジュールは同局のHP上でも正確なものが提供されていない状況である。

 同局の短波送信機は導入以来40年以上を経過したものが多く本来新型と入れ替える時期に来ているが、厳しい経済事情で新型導入は不可能なため整備補修で 寿命を延ばして運用して行き、軸足はradikoやpodcastに移して行く方針と思われる。また同局は有事における指定放送機関となっているため「非常時の予備用」として短波送信設備を温存して行く責務もあり、今後もインターネット放送を活用しつつ、「細く長く」短波放送を維持して行くことが期待さ れる。


 短波を使用している関係上、外国からの受信報告も多く、他の中波民放と異なり正式なQSLを敏速に発行していた。但しBCLブームの時代は受信報告の殺到から「お礼カード」を発行していたこともあったが、その頃のカードの図柄自体は別掲のように現在では資料価値のあるものだった。最近は元のような正式QSLに戻っている。また以前は長柄・根室両送信所から同時に出ていた3925kHzが、根室からのみとなったため送信所の記入も希望すれば行ってくれるようになった。

  受信報告の宛先; 〒105-8565 東京都港区虎ノ門1-2-8 ラジオNIKKEI編成センター
  URL; http://www.radionikkei.jp/


(左)1964年3月発行のQSLカード 表面 第2プロの周波数がJOZ6 7230kHzとなっている 図柄は純日本的 大きさ146×100mm
(右)同裏面 外国からの受信報告も多かったらしく英語でも記述されている
第1回東京五輪の半年前で、東海道新幹線は未開業、名神高速道路は京都ー大津間だけだった頃だ。送信所は埼玉県戸田送信所だった。

  


池川禎一氏提供の1970年代後半のBCLブームの頃のQSLカード 証明事項の記入がない「お礼カード」、英語の記述もなく、裏は番組の紹介 大きさ149×99mm
左は千葉県長柄送信所での人気キャスター大橋照子氏(現在「NPO日本スピーチ・話し方協会」代表理事)
右は「BCL四人衆」のマリー・クリスチーナ(現在「東京都つながり創生財団」理事長)、野口実(元深谷商業高校校長)、長瀬博之(現在「捕物出版」代表)、白川次郎(現在フリーアナウンサー)各氏の似顔絵、吹き出しで述べていることも実に若々しい!民放のQSLとしては珍しく「TNX FR UR REPORT」の記述がある

      


(左)2021年11月発行のラジオNIKKEI QSLカード 表面 短波の周波数は3925kHzのみが記述されているが「スマホでTOUCH&LISTEN!]が大きく表示され、軸足がスマホに移ったことが感じられる 大きさ148×100mm
(右)同裏面 完全な受信確認証となっており英語の記述もある、また「根室送信所」と送信所が記入されている

  


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