Radio Kiev / Radio Ukraine International (ウクライナ)

 ウクライナの地では8世紀頃ルーシという国が成立しこれが現在のロシアの礎となった。その後はキエフ(現在キーウ)大公国として13世紀まで独立を保ったが、それ以降はモンゴル、ポーランド、ロシア(ロシア革命後はソ連)に支配され、更に第二次大戦ではナチスドイツに占領されるなど常に異民族の侵入と支配が繰り返されてきた。実際に独立を取り戻したのは1991年8月のソ連崩壊時であった。しかしロシアは諦めた訳ではなく、2014年クリミアを併合、そして 2022年には全土に侵入してウクライナ戦争を引き起こしている。

 ソ連の時代に連邦内の共和国であったウクライナでラジオ放送が開始されたのは1922年ないしは1924年のこととされている。当初は当時の首都(Kiyvに移ったのは1934年)であったKhrikovで開始された。1928年には全土で放送が行われるようになった。同時に在外ウクライナ人向の海外放送も長波を使って開始された。1930年代にはKharikov送信所からコールサインRW20、周波数385kHz、10kWで行われていたことが記録にある。当時の位置づけはソ連の海外向放送Radio Moscowの妹局であり、これは1991年まで続いた。

 1941年にはナチスドイツが侵入し海外向放送は一時中断し(国内向放送は戦争時でも継続された、これは現在と同じである)、戦後1946年に復活した。この時の周波数は248kHz(100kW)であった。1950年頃には国内向放送も含めて209kHz(200kW)、787kHz(100kW) に増波された。1950年11月よりはウクライナ語放送のみ短波で行うことがソ連から認められた。多分これが短波による海外向放送の始まであろう。その時より短波送信所が設置され、6020kHz(100kW)で放送された。短波の周波数は1954年頃より6波と増強された。その後1962年 10月には英語放送(欧州、北米向に週3回)を開始、その時は「Radio Kiev」の名称が使用された。Kievはウクライナ語の首都名Kiyvのロシア語名である。その後1966年にはドイツ語放送、1970年にはロシア語放送が追加され旧ソ連の共和国としては大規模な海外放送局となった。ウクライナ国内には、KiyvーBrovary、Donetsk、Lvivー Krasne、Kharikov、Odessaの5カ所に大送信所が設置され、1970年代には大量の旧ソ連製1000kW(複数台の送信機を組み合わせたものであろう)、200kW、100kW短波送信機が導入された。これらの送信機はRadio Moscowの送信その他にも使用された。その代わりRadio Kievの放送は極東にあるRadio Moscowの短波送信所からも中継され日本でも良好に聞こえる海外短波放送となった。

 1991年にソ連が崩壊し独立を取り戻すと、Radio Ukraine International(略称:RUI、ウクライナ語ではВсесвітня служба радіомовлення України)という名称に変更されて継続された。短波送信機や送信所の施設はすべて旧ソ連製(1970年代製)であった。短波送信機の増備は続き1993年にはロシアSt.PetersburgのKomintern Factory(「コミンテルン」の名前がこんなところに残っていた!)より「Kondor」と呼ばれる高出力短波送信機を購入しLvivーKrasne 送信所に設置した記録がある。また短波送信所、国内向中波・FM・TV送信施設群を管理するためCONCERN RRTという送信管理会社を作り、この会社から送信時時間を貸し出すという方式がとられ、一時Voice of Russiaの送信も請け負っていたことがある。しかしRIUを管理していたUkrainian Radio(Українське радіо、略称:УР)は短波送信料の支出が困難となり、2010年12月短波放送は廃止された。但し海外放送組織自体は温存されインターネットと衛星で放送を継続し、さらに近隣諸国向には中波で放送を継続したが、数年後これも廃止された。但し米国WRMI(30分づつ数回放送)とドイツChannel 292(1日1時間放送)で短波中継がその後行われ一応は海外短波放送の面目を保っている。上部組織のUkrenian Radioは2017年にUkrainian TVと統合されてNational Public Broadcasting Company of Ukraine(ウクライナ公共放送、Національна суспільна телерадіокомпанія України)となり、更に2019年には”суспільна"(公営の)の部分を取り出した略称SUSPLINE(ススピリーネ)と改称された。

 現在ロシア軍からの砲火の中でも海外放送の制作が続けられている。現在放送されているのは英語、ロシア語、ドイツ語、ルーマニア語、ウクライナ語の5言語で、この内ルーマニア語放送は西部のChernivtsiで制作されており、他はKiyvの中央放送局で制作されている。WRMIとChannel 292は英語放送(ないしはウクライナ語放送)の中継を行っている。

 ソ連時代からリスナーには親切な局であった。QSLカードを探したところ、1968年発行のソ連時代、すなわちRadio Kievと称していた頃のQSLカードが出てきた。図柄は何と当時の「ソ連邦ウクライナ共和国」(УССР)の旗である。何と上2/3がソ連邦を表す赤で、ウクライナの空を表す下の青色部分(緑色に変色している!)に被さって押しつぶしており、当時の雰囲気が良く感じられる。1991年の独立後は上半分はウクライナの空を表す青、下半分は「欧州の食料庫」と言われる小麦畑を表している。上から被さっていた「赤」がなくなり伸び伸びとした気分が感じられる。RUIになってからは、風景写真のQSLカードとなっていた。手持ちにはRUIのQSLカードがないため何とかこの国旗のようなデザインのものがないか探したところ、2015年頃に発行されたものがずばり、空と小麦畑のデザインであったので、これを掲載する。

 2022年4月現在ウクライナ戦争の影響で同国には郵便物を送ることが出来ない。また非常時であるためQSLの発行は行われていないが、URLは健在であり、オンライン放送を聴くこともできる。
 一日も早く平和の日々が戻ることを祈念したい。

 放送局の所在地: vul.Kreshchatyk 26, 01001 Kiyv, Ukraine (2022年4月現在郵便物を送ることはできない)
 
   URL:  http://www.nrcu.gov.ua/en/broadcast

 E-mail: 〈inoradio @ nrcu.gov.ua〉
 
   電話:  + 380(44)239-62-58 (英語課)

(左)1968年発行のRadio KievのQSLカード表面 当時のソ連邦ウクライナ共和国の旗 ウクライナの青空(緑色に変色している)がソ連の赤に押しつぶされそうだ!
(右)同裏面 英語でのみ記入がある 当時Radio MoscowのQSLカード等に統一的に使用されていた英文フォントで、旧ソ連の画一性が感じられる

 



(左)1991年8月24日の独立以来使用されている国旗 上半分が空 下半分が小麦畑を表象する
(右)国旗と同じデザインの写真を使用した2015年発行のQSLカード 青いウクライナの空に当時のロゴマークを配置している、小麦畑に生えた赤い花が美しい
 

RUIのロゴマーク УКРАïНСЬКЕ РАДIОの部分は変わらない
(左)2017年まで使用された国旗と同じ配色のもの (中)2017-2022年に使用されたシンプルなもの UAは上部組織の略称
(右)2022年に制定された新しいロゴ Всесвiтня службаは「全世界サービス」の意味

  


Kiyvの放送局本部 この重厚な放送局ビルで番組制作が行われている(Wikimapより)


 

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